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2000.8.16 (Wed)
▼ジョン・ディクスン・カー『夜歩く』(1930)

★★
It's Walks by Night / John Dickson Carr
井上一夫 訳 / 創元推理文庫 / 1976.7
ISBN 4-488-11814-3 【Amazon】
バンコラン警部もの。新婚初夜の公爵が密室で殺害される。
事件の根幹をなす変装トリックに無理があって拍子抜けした。ホームズやルパンのような冒険活劇ならともかく、本格推理でこれを使うのはどうかと思う。普通、バレるだろうにねえ。
ただ、この小説はトリック云々よりも、ラストで明かされる犯人の情念に力点が置かれており、そういう観点からすればまずまずだった。人間の業が生み出す恐ろしさと虚しさ。大団円まで描かない、中途半端な幕引きによって示されている。
2000.8.18 (Fri)
▽カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』(1969)

★★★★
Slaughterhouse-Five / Kurt Vonnegut, Jr.
伊藤典夫 訳 / ハヤカワ文庫 / 1978.12
ISBN 4-15-010302-X 【Amazon】
実業家のビリー・ピルグリムが、時間旅行者となって自分の人生をランダムに経験する。第二次大戦への従軍。屠畜場での捕虜生活。検眼医としての成功。トラルファマドール星での幽閉生活。そして、連合軍によるドレスデン爆撃。ビリーは自分がどのように死ぬのかも知っていた。
アメリカ人はイエス・キリストが好きすぎる。というのも、ビリー・ピルグリムはイエス・キリストの隠喩として描かれていて、その特異な体験によって悟りを開き、メディアを通じて布教活動までしている(そして、彼は講演会場で暗殺される)。過去・現在・未来を無限に生きる体質。あらゆる瞬間を均等に見る者にとって、死とは一時的な断片にすぎない。その瞬間では死んでいても、ほかの多くの瞬間では生きている。だから死とは悲しむべきものではない。現にビリーを誘拐した宇宙人は、宇宙の最後を体験しながらもなお幸福を見定めている。かくしてビリーは、仏陀のような運命論を身につけるのだった。
この小説では死に言及したとき、必ず「そういうものだ(So it Goes)」という一言が添えられる。戦場で兵士が死んだ。そういうものだ。ユダヤ人の死体から石鹸が作られている。そういうものだ。妻が事故死した。そういうものだ。顔見知りが銃殺された。そういうものだ。爆撃で大量に人が死んだ。そういうものだ。それはあたかも祈りの言葉のように、死の悲惨さを和らげている。
要するに、ここで示されているのは人類を慰める普遍的な宗教なのだろう。ありとあらゆる瞬間に訪れる理不尽な死。ドレスデン爆撃という「言葉にならない体験」を振り返ったとき、もっとも効果的な表現方法は、絶望を諦観にまで昇華することだった。さらに、その諦観を人類の営み全体まで敷衍することだった。だから宇宙という巨視的な視野を持ち込み、SF仕立てで「死」を相対化したのである。
我々の体験すること、すべては「そういうものだ」。この悟りきった人生観はSFでしか表現できないと思う。