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2000.11.12 (Sun)
▲夏目漱石『草枕』(1906)

★★★
新潮文庫 / 1968.3
ISBN 4-10-101009-9 【Amazon】
旅の画工が山奥の温泉場で低回趣味な時を過ごす。坊さんの話を聞いたり、美女と親しくなったり。
漢語的な語彙を駆使したえらい読みづらい小説。当時流行っていた自然主義文学に対抗して書かれたものだという。グレン・グールドが愛読していたことで有名だけど、英語だと簡単に読めたりするのだろうか。ともあれ、漱石先生は短い創作人生のなかで色々な技を試していて面白いと思った。
余は凡ての菓子のうちで尤も羊羹が好だ。別段食いたくはないが、あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた煉上げ方は、青磁のなかから今生れた様につやつやして、思わず手を出して撫でて見たくなる。西洋の菓子で、これ程快感を与えるものは一つもない。(p.45)
この文章は羊羹を魅力的に写し取っといて、語り手の偏愛ぶりがひしひしと伝わってくる。映像では到底表現することのできない、散文ならではの細かい綾が素晴らしい。
トリストラム、シャンデーと云う書物のなかに、この書物ほど神の御覚召に叶うた書き方はないとある。最初の一句はともかくも自力で綴る。あとはひたすらに神を念じて、筆の動くに任せる。何をかくか自分には無論見当が付かぬ。かく者は自己であるが、かく事は神の事である。従って責任は著者にはないそうだ。余が散歩もまたこの流儀を汲んだ、無責任の散歩である。只神を頼まぬだけが一層の無責任である。スターンは自分の責任を免れると同時にこれを在天の神に嫁した。引き受けてくれる神を持たぬ余は遂にこれを泥溝の中に棄てた。(p.112)
西洋の流儀と東洋の教養が幸福な結婚を果たした!
余は画工である。画工であればこそ趣味専門の男として、たとい人情世界に堕在するも、東西両隣りの没風流漢よりも高尚である。社会の一員として優に他を教育すべき地位に立っている。詩なきもの、画なきもの、芸術のたしなみなきものよりは、美しき所作が出来る。人情世界にあって、美しき所作は正である、義である、直である。正と義と直を行為の上に於いて示すものは天下の公民の模範である。(p.128)
昔のインテリはトップランナーとしての自負を何の衒いもなく抱いていたのだな。今こんなことを言ったら、上京してきたばかりの大学生だと思われて周りからバカにされるだろう。つまり、それだけ現在は芸術(およびそれに寄生するインテリ)の地位が低下しているってことなのだ。もちろん、当時と比べてインテリと庶民の差が縮まっている点も見逃せない。
2000.11.15 (Wed)
▽スティーヴン・ハンター『真夜中のデッド・リミット』(1988)

★★★★
The Day Before Midnight / Stephen Hunter
染田屋茂 訳 / 新潮文庫 / 1989.4
ISBN 4-10-228601-2 【Amazon】
ISBN 4-10-228602-0 【Amazon】
メリーランド州の核ミサイル基地が、テロリストグループに占拠された。事件を解決すべくデルタフォースが出撃する。
複数視点を用いた群像劇。デルタフォース指揮官、研究者、トンネル・ネズミの男女、溶接工、ソ連赤軍情報部部員、テロリスト将校など、群像を担う人員は多彩。視点を次々と切り替えることで、ドラマを盛り上げている。
特筆すべきは謎のばら撒き方だろう。はじめは「テロリストの動機」という謎で物語を引っ張っていくのだけど、その謎は全編の半分を過ぎた辺りで氷解する。そして、第1の謎が解けたと同時に第2の謎が表出し、今度は終盤までその謎で引っ張っていく。そこに群像劇のドラマチックな構成が入り混じり、スリルが何倍にも増幅される。
ただ、ラストがあまりにストレートなのが引っ掛かる。もちろん、不可避的なラストへ向けたプロセスが肝なのは承知しているけれど、ある程度は予測不可能性があっても良かったのではないか。どうも、作品のテンションと読み手(つまりは私)のそれにギャップが生じていまいち乗り切れないんだよね。よくできた軍事スリラーであることには間違いないけれど、この点だけが不満だ。
2000.11.16 (Thu)
▼ヴァン・ダイン『ベンスン殺人事件』(1926)

★★
The Benson Murder Case / S. S. Van Dine
井上勇 訳 / 創元推理文庫 / 1959.5
ISBN 4-488-10301-4 【Amazon】
ウォール街の株式仲買人アルヴィン・ベンスンが、自宅アパートの居間で何者かに射殺された。ディレッタントのファイロ・ヴァンスが捜査に協力する。
アメリカミステリ界で一大旋風を巻き起こしたヴァン・ダインのデビュー作。著者の本は、数年前に『カナリヤ殺人事件』【Amazon】と『僧正殺人事件』【Amazon】を読んだきりだった。
まあ、ペダンチックな雰囲気もさることながら、昔の小説らしい注釈を用いた演出が面白かったかな。実話的な色彩を強めるために、語り手によるもっともらしい注釈がついている。話自体は誰が犯人でも成立しそうであまり興味が持てなかったけれど、世界観の形成という意味で参考になる小説だった。
2000.11.18 (Sat)
▼小林よしのり『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 台湾論』(2000)

★★
小学館 / 2000.10
ISBN 4-09-389051-X 【Amazon】
台湾について語ったエッセイ漫画。日本統治下にあった台湾を絶賛し、その後の中国支配を非難している。
『ゴーマニズム宣言』は1巻から6巻までと、薬害エイズ運動を扱った『脱正議論』(1996)を読んだ。それ以降の著作に触れるのは今回がはじめてになる。
今日において小林よしのりは反面教師以外の何者でもないなあと思った。識者に反論されると「わしはただの漫画家だから」みたいなことを言って逃げるし、一般読者に反論されると「嫉妬」のレッテルを貼ってお茶を濁す。で、今回はさらに進化して、「読者が行間を読みとってくれなくて困る」などと責任転嫁しているわけだ。この人のゴーマニズムっていうのは、ときに反論をかわすための言い訳に使われていて、そのアンフェアな開き直りが醜かったりする。
『脱正議論』に比べて画質の劣化が目立っていた。「李登輝」と「小林よしのり」の絵が宗教がかっているのは、精神的にヤバイほうへ向かっているからなのだろう。以前の鋭角的な絵柄とは違って、丸みを帯びた神々しい絵柄になっている。