2002.4b / Pulp Literature

2002.4.15 (Mon)

ジャン・エシュノーズ『ぼくは行くよ』(1999)

ぼくは行くよ(90x140)

★★
Je Men Vais / Jean Echenoz
青木真紀子 訳 / 集英社 / 2002.3 / ゴンクール賞
ISBN 4-08-773356-4 【Amazon

女好きの美術商が、「ぼくは行くよ」と妻に言い捨て家を出ていく。半年後、古美術品を手に入れるべく北極へ。しかしその古美術品は……。

どうもフランスの小説とは相性が悪いようで、同じゴンクール賞作品の『愛人(ラ・マン)』同様、いまいち乗り切れないまま読み終わってしまった。この小説は美術品の盗難事件を興味の柱にして、その過程で女性遍歴みたいなものを語っていくのだけど、出てくるエピソードがいずれも文字数稼ぎ的な薄っぺらい代物で退屈。おまけに、盗難事件の顛末も話を動かす道具以上の意味がなくて拍子抜け。エスプリの効いた語り口と軽やかな雰囲気に魅力があったものの、通読して反射的に呟いた感想は、「だからどうしたの?」のひとことだった。まあ、冒頭と照応するあの終わり方は奇麗だったけどねえ。

>>Author - ジャン・エシュノーズ

2002.4.17 (Wed)

アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ『刃の下』(1976)

刃の下(96x140)

★★★
Sous la lame / Andre Pieyre de Mandiargues
露崎俊和 訳 / 白水社 / 1996.5
ISBN 4-560-04592-5 【Amazon

短編集。「一九三三年」、「肌とナイフ」、「ミランダ」、「螺旋」、「催眠術師」、「夢と地下鉄」の6編。

エロスとタナトスを備えた甘美な短編集。強姦や殺人といった悪徳が、悪徳に映らないところがこの著者の持ち味だろうか。物の道理を超越した、幻想的な光景に惹かれるものがある。

以下、各短編について。

「一九三三年」"Mil neuf cent trente-trois"

ホテルを抜け出し、深夜の街を徘徊する男は、妻に対して得体の知れない暴力的な衝動をおぼえていた。その彼が怪しげな娼館に辿り着く。

三島の魂に捧げた短編。「エロスとタナトス」というとあまりにお定まり過ぎて今となっては陳腐に思えるけれど、この著者の場合はそこから幻想的なイメージを膨らませていて一筋縄ではいかない。本作でエロスを思わせるのが、娼館にいるふたなりコスプレのハンガリー娘たち(SMプレイを完備!)。また、タナトスを思わせるのが、男の抱える暴力的な衝動と、街を覆うファシズムの足音。ハンガリー娘の残像を感じつつ、ファシスト賛歌が吹き荒れるところなんか、ああ遠い国の遠いお話なんだねえと思う。★★★。

「肌とナイフ」"Peau et couteau"

ホテルに泊まる男女。ペーパーナイフに魅入られる男に、ナイフを差し出して復讐を要求する女。

さくっと刺しちゃうのが凄いよな。明確な殺意はなく、それこそ「なんとなく」刺してしまう。ウサギの代わりに狩猟犬を撃ち殺すエピソードは、この感覚を伝えるたとえとして素晴らしく適切だと思う。たまたま照準が合ったから、引き金にかけた指の力を強めたのだ。★★★。

「ミランダ」"Milanda"

山奥に住む税官吏が通りがかりの女を拉致して強姦に及ぶ。ところが……。

何て理不尽な話なんだと思っていたら、この小説は女のほうが一枚上手だった。薄れゆく意識のなかで浮かぶ疑念に納得。我々太陽の子供たちは、夜の女には勝てないのである。★★★★。

「螺旋」"La spirale"

車でドライブする男女。目的地は意外な場所だった。

おいおい、随分と酷い男だな。公開レイプ(黒人による輪姦)の会場に自分の彼女を連れて行こうというのか。しかも、その理由が父親を救うためとは。例によってここでも善悪の観念が吹っ飛んでいる。

何の変哲もないドライブから幻想的な話に移行するところが良いね。女が支配する街に大挙して訪れたというスケベ男たちに乾杯である。★★★。

「催眠術師」"L'hypnotiseur"

酒場に入った男がグラスを傾けて酔っぱらう。しかし、飲んだのは32杯の水だった。

熱い激情が無関係の通りすがりに発散されようとしているラスト。ムシャクシャしてるからバットで殴らせろ! と迫ってくるジャイアンよりたちが悪い。★★★。

「夢と地下鉄」"Le songe et le metro"

地下鉄の駅のベンチで横になる女。そこへ黒いマントを羽織った女が現れ……。

夢で起こったことが現実でリピートされる。しかし、高度に夢想的な現実は夢と区別がつかない。そして、ここでも愛と死が交差する。

本書が「刃の下」というタイトルなのも、ここまで読めば納得できる。刃の下のもと、性と死が常に隣り合わせにあるのだ。★★★。

2002.4.19 (Fri)

乙川優三郎『生きる』(2002)

生きる(97x140)

★★★★
文藝春秋 / 2002.1 / 第127回直木賞
ISBN 4-16-320680-9 【Amazon
ISBN 4-16-714164-7 【Amazon】(文庫)

短編集。「生きる」、「安穏河原」、「早梅記」の3編。

いずれも江戸時代を舞台にしている。

以下、各短編について。

「生きる」(1999)

主君の病の床についたとき、筆頭家老内密の命によって、古参家臣の又右衛門は殉死することを禁じられた。主君の死後、筆頭家老によって殉死禁止令が出されるも、家臣たちは相次いで殉死する。そんななか、一行に死ぬ気配のない又右衛門を、世間は怯懦と揶揄するのだった。

と、このような理不尽な風潮のなかで、生きることの精神的困難さが描かれる。日本は古来から「空気」が大事にされた国だから、切腹が美徳とされた時代だと命にダイレクトに響くから恐ろしい。さらにもっと恐ろしいのが、こういう社会的圧力が現代まで連綿と続いているところだ。日本は窮屈だなあと思う。★★★。

「安穏河原」(2000)

郡奉行の素平がクビになって浪人になる。おりしも世間は不況の真っ只中で、素平一家は食うのに困る。困った素平は娘を女郎屋へ入れる。

面白かった。娘の武家女的な気丈さ、世間知らずの父親が成長する様子、常人には考えられないような末路。それらが織之助なる庶民の視点で語られる。そして、その視点が親子の特殊な生き様を浮かび上がらせ、物語のインパクト醸成に一役買っている。★★★★。

「早梅記」(2001)

武家に仕えていた喜蔵が、隠居の身になって回想する。若い頃の喜蔵は出世欲の塊で、そのために愛する女を失った。

これも面白かった。「五十にして四十九年の非を知る」という諺を地で行くような内容。この小説は「喜蔵の悔恨」を差し引いても、「喜蔵の出世譚」として一編のエンターテインメントになりうる代物だと思う。まさに、一粒で二度美味しい小説だ。★★★★。