2002.5c / Pulp Literature

2002.5.21 (Tue)

古処誠二『ルール』(2002)

ルール(97x140)

★★★★
集英社 / 2002.4
ISBN 4-08-775306-9 【Amazon
ISBN 4-08-747837-8 【Amazon】(文庫)

終戦間近のルソン島。現地の日本兵は、飢餓とゲリラとマラリアで極限状態にまで追い詰められていた。そんななか、部隊はアメリカ人パイロットを捕虜にして連行することになる。

読んでいるうちに無性に腹がへってくる小説。極限状態における人間の尊厳にスポットを当てている。紙幅の大半が、ゲリラの恐怖と飢餓との戦いに費やされており、戦地での生活を淡々とした筆致で臨場感たっぷりに甦らせている。とりわけ圧巻なのが終盤の畳みかけだろう。ミステリのギミックを用いることで、痛切な感情を誘発させている。

ただまあ、餓死寸前のときに人肉を食うのは別に恥ずべきことじゃないと思うけどねえ。これは正当防衛や緊急避難と同じ理屈である。歴史的に見ても、我々は籠城戦や飢饉などで同胞の肉を食らってきた。従って、食う食わないを倫理的な葛藤に据えても、それだけでは予定調和の世界になってしまう。戦争って悲劇だねえみたいな。太平洋戦争が先人によって語り尽くされている現在、こういうのを前提にして新しい切り口を提示するのが、今に生きる作家の務めだと思う。

2002.5.26 (Sun)

イヴォ・アンドリッチ『サラエボの女』(1945)

★★★
ГОСПОЪИЦА / Иво Андриъ
田中一生 訳 / 恒文社 / 1982.7
ISBN 4-7704-0493-X 【Amazon

父親の遺言でドケチ生活を送る女が、サラエボ事件に乗じて金儲けをする。戦後、世間から疎まれだしたので、女は母親を連れてベオグラードに移住する。

世間はお父さんが描いてくれたより悪質で困難です。人は永生きして初めて、この世がどんなものか、人々がどんなものかを見きわめられます。お金がなければ踏みつぶされ、お金があれば奪い取られます。(p.218)

病的な守銭奴で、「スカートをはいたシャイロック」と称された女の、不幸な後半生を追っている。倹約が自己目的化して、強迫観念にまで昇華される様子が痛々しい。こういう張りつめた生活を送っている女が、突如現れた青年(愛しの叔父さん似)にころっと騙されるのも分かるような気がする。というか、この件は半ば強引に出資を促したヨバンカなるおばちゃんが酷いね。保護者気取りで他人を巻き込んだくせに、騙されると責任転化して一緒に被害者面するのだから。さらに、フェードアウトしようという女に見当違いな敵意を募らせ、あらぬ噂を撒き散らして悦に入っているのだから。このおばちゃんは典型的な日本のオバタリアンという感じで、大仏パーマの肥満体を想起させる。

文章は描写よりも叙述のほうが多く、また翻訳に見慣れない晦渋な表現が散見されて古臭い。無理して読む本でもないなと思った。

2002.5.28 (Tue)

藤原伊織『蚊トンボ白髭の冒険』(2002)

蚊トンボ白鬚の冒険(94x140)

★★
講談社 / 2002.4
ISBN 4-06-211198-5 【Amazon

ひょんなことから、人語を話す蚊トンボを脳内に飼うことになった20歳の青年。その彼がインテリ中年と暴力団のチェイスに巻き込まれる。

無気力な日々を送る青年。社会的に成功しながらも、貧乏だった過去を懐かしむインテリおやじ。20歳の男性を押し倒す28歳の女性。インテリと非インテリに二分化された世界観。そして、みんな大の官憲嫌い……。全てにおいて嫌悪感をおぼえた。この小説をひとことで表すなら「異世界」である。

昔読んだ『テロリストのパラソル』では、そういったナルシシズムもネタとして流すことができたけれど、近頃は歳を食ったせいか、この雰囲気に浸るのがしんどくなってきた。なるほど、これが全共闘系妄想小説ってやつなのか。頻出するヒッピー崩れのセリフ回しに目眩をおぼえたのだった。

ただ、『寄生獣』のオマージュとしては素晴らしかった。終盤の疾走感あふれる対決と、感動のラストだけに限定すれば、傑作といっても差し支えないと思う。

2002.5.30 (Thu)

トルーマン・カポーティ『誕生日の子どもたち』

誕生日の子どもたち

★★★★
Children on Their Birthdays / Truman Capote
村上春樹 訳 / 文藝春秋 / 2002.5
ISBN 4-16-320890-9 【Amazon

短編集。「誕生日の子どもたち」、「感謝祭の客」、「クリスマスの思い出」、「あるクリスマス」、「無頭の鷹」、「おじいさんの思い出」の6編。

村上春樹による編集。「感謝祭の客」、「クリスマスの思い出」、「あるクリスマス」の3編は、どれもカポーティの少年時代をモデルにしているようで、それぞれ共通した背景を持っている。語り手はニューオリンズ生まれ。離婚した両親の事情によって、アラバマの親戚のもとで暮らしている。

以下、各短編について。

「誕生日の子どもたち」(1949)"Children on Their Birthdays"

母とともに南部の田舎町にやってきたミス・ボビット。彼女は10歳でありながら淑女らしい高貴な物腰をしていた。

がさつな田舎に貴族的な少女、という場違いさが可笑しい。気を惹こうとバカなことをやるガキんちょどもを後目に、少女はくるくると踊りの練習をしている。しかもこのミス・ボビット、お人形のような無知なお嬢さまではなく、意外としたたかな面も見せるし……。平凡な田舎に少しの間魔法をかけたような、ほのかな楽しさがある。

「感謝祭の客」(1967)"The Thanksgiving Visitor"

血も涙もないいじめっこを感謝祭の客として呼ぶはめに。

キャラクターが個性的で面白い。小学生の語り手と60歳の老婆が親友なところとか(老婆は家族からキチガイのように見られている)、いじめっこの家庭がとんでもなく貧乏で、そのうえ父親が手のつけらない暴力をふるっているところとか(30歳にして母の歯が全部抜けている!)。これが日本だったら、いやに作り事めいた設定だなあと思うけど、アメリカ南部なら普通にありそうな人間関係で説得力がある。

いじめっこと向こうを張る乱暴者として、アン・「ジャンボ」・フィンチバーグなる女の子が出てくるのが笑った。怪獣大決戦みたいな感じでついにやけてしまう。

あと、言葉にしづらいけど、ラストの情景がとてつもなく良い。いじめっこの殊勝な態度、ライオンに擬せられた菊の花。そして、イノセントな老婆。なんてことのない場面なのに静かな感慨がある。

「クリスマスの思い出」(1956)"A Christmas Memory"

60歳の親友と過ごした最後のクリスマス。

典型的な南部のクリスマスという感じで、家庭的な暖かい雰囲気があって良い。フルーツケーキを作り、クリスマスツリーを飾る。キリスト教に帰依する気は毛頭ないけれど、こういうときだけクリスチャンを羨ましいと思う。

「あるクリスマス」(1982)"One Christmas"

7歳の語り手が父の元でクリスマスを過ごす。

これは凄い内容だ。放蕩者の父親によって、語り手のイノセンスが壊される模様ががっちり捉えられている。7歳の語り手は敬虔な親友(60歳の老婆)の影響でサンタクロースを信じていたのだけど、その幻想がついに打ち破られる。終盤で語り手がこすずるく立ち回るところなんか、一皮剥けたような感覚がある。あと、手紙を送るラストも。

それにしても、語り手の両親はとんでもない奴らだな。ほっぽいたままの息子と久しぶりに会って、手前勝手な不満をぶつける母も強烈だ。

「無頭の鷹」(1946)"The Headless Hawk"

画廊に勤める男のもとに絵を持った女がやってくる。そして、彼の心の内を描写したような、暗い感じのその絵を買い取ることに。

これはよく分からなかった。リアリズムの手法から乖離していく内容。フロイトやらユングやらを援用しないと駄目なんだろか、こういうの。

「おじいさんの思い出」(1956)"I Remenber Grandpa"

一家が祖父母を残して引っ越しする。

経済的な事情で核家族になって、祖父母と死別してしまう普遍的な流れ。カポーティの死後に、叔母の手によって発表されたという。

>>Author - トルーマン・カポーティ