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- 01 : ヘルマン・ヘッセ『郷愁』(1904)
- 05 : ヘイク・タルボット『魔の淵』(1944)
- 10 : ヘルマン・ヘッセ『春の嵐』(1910)
2003.4.1 (Tue)
▲ヘルマン・ヘッセ『郷愁』(1904)
★★★
Peter Camenzind / Hermann Hesse
高橋健二 訳 / 新潮文庫 / 1956.8
ISBN 4-10-200107-7 【Amazon】
高地で生まれ育った主人公が、勉学のために都会に出る。作家としてデビューした後、あちこちを放浪する。当初は孤独感に苛まれるも、人々と触れ合うことで愛に目覚めていく。
ヘッセの出世作にして、友情あり、恋愛あり、離別ありの成長小説である。さすが自然を愛する詩人だからか、のっけから故郷の情景描写が濃密だった。書き出しが、「はじめに神話があった」とかなり雄大。ハイランドの自然と、人々の素朴な暮らしにまず引き込まれる。
都会に出てからの友情が熱い。主人公はリヒャルトという年上の青年と親密になるのだけど、彼に対する精神的依存が常軌を逸している。
私はリヒャルトをひたすらに愛し、しっと心をもっていたくらいだから、ほかに友情を結びはしなかった。彼はしきりに女性と新しく交わっていたが、そういう女性からも彼を遠ざけよう、と私は努めた。
これは「友情」ではなく、もはや「恋愛」ではなかろうか。大昔に『車輪の下』【Amazon】を読んだときにも思ったけれど、この著者の描く友情はえらく情熱的でびっくりする。現代日本に住む私からすれば、友人同士でマウス・トゥ・マウスをするとはにわかに信じがたい。2人はホモエロティックな関係なのではと思ってしまう。
皮肉屋で人当たりが悪くて、それゆえに孤独だった主人公が、愛に目覚めていくという展開が良い。まあ、ベタと言っちゃあベタなんだけれども、自然の美しさをみんなに伝えようと使命感を持ったり、初めは嫌がってた障害者との関わりを見直したり、どん底からの振幅が大きくてそれなりの感慨がある。人生をまとまったスケールで切り取った話も良いものだなあ、としみじみ思ったのだった。
2003.4.10 (Thu)
▲ヘルマン・ヘッセ『春の嵐』(1910)
★★★
Gertrud / Hermann Hesse
高橋健二 訳 / 新潮文庫 / 1989
ISBN 4-10-200101-8 【Amazon】
音楽学校に通っていた青年は、橇の事故で片足が不具になってしまう。彼は学校を卒業後、作曲家の道へ。当時上り調子だった男性歌手ムオトと友情関係になり、さらにソプラノ歌手ゲートルードと出会って恋をする。
語り手がほろ苦い青春時代の思い出を語る。日常的に孤独を感じたり、故郷に戻って肉親と交流したり、親友と死別したりするところは『郷愁』を思い出させる。ただ、『郷愁』と大いに異なるのは、語り手が不具で女性に対して極度に奥手なところだろう(まあ、『郷愁』の彼も奥手といえば奥手)。
好きになった女性が親友と恋仲になるというのもきついけれど、その親友が女性に暴力を振るって泣かせているというのもきつい。さらに、女性が親友の元から去らずにじっと堪え忍んでいるというのもきつい。彼らに対して語り手は無力で、あまつさえ自分の身の上を嘆いて涙に暮れてしまう。
また、それらの人々(引用者註: 恋に情熱を燃やす人たち)にまじって他の天界の者でもあるかのような生活を送っている自分、人生を知らず、恋にあこがれながら、しかもなお恋を恐れなければならない自分、そうして私自身のために静かなしめやかな涙を流して泣いた。
語り手は恋愛市場から完全に淘汰されており、彼は幸福の何たるかに想いをきたす。いかなる人間も自分とは関係ないし、自分は孤立したまま一生を終えていく……。しかし、捨てる神あれば拾う神ありである。語り手は先生との再会によって、「愛すること」に意識的になるのだった。
孤独という普遍的な病理を扱った本作は、人間関係に悩む現代人にこそフィットするのかもしれない。他人から「与えられる」ためには、自分がより多く他人に「与える」ことが必要なのだな。こういう本は歳食ってから読むと身につまされてしまう。