2003.8b / Pulp Literature

2003.8.11 (Mon)

マーガレット・ミラー『狙った獣』(1955)

狙った獣(117x160)

★★★★★
Beast in View / Margaret Millar
雨沢泰 訳 / 創元推理文庫 / 1994.12
ISBN 4-488-24706-7 【Amazon

遺産相続人の女性のもとに、謎のプッツン女から嫌がらせの電話がかかってきた。知人の投資コンサルタントに調査を依頼する。

ニューロティック・サスペンスの面白さと、ロスマク的な味わい深さが融合した傑作。解説で宮脇孝雄は、50年代サスペンス(マーガレット・ミラーとヘレン・マクロイ)を「理想のアメリカン・ファミリーの陰画」(p.284)と表現しているけれど、これはロス・マクの小説にもそのまま当てはまるフレーズだろう。しかも、本作の場合はただの陰画に終始せず、あっと言わせる技巧を凝らしているところに凄味がある。

2003.8.15 (Fri)

ウィリアム・シェイクスピア『ヴェニスの商人』(1595)

★★★
The Merchant of Venice / William Shakespeare
福田恆存 訳 / 新潮文庫 / 1967.10
ISBN 4-10-202004-7 【Amazon

ヴェニスの商人がユダヤ人のシャイロックに金を借りる。

本作の悪役シャイロックは、キリスト教徒の反ユダヤ人感情をストレートに反映した人物のようだ。すなわち、守銭奴の小悪党であり、善良なる主人公を搾取する金満家である。当然、読者はこの男を憎むべきなのだけど、しかしキリスト教徒どもの横暴ぶりがあまりに目に付くせいか、相対的に彼の悪役度が薄まっているように見えた。

新潮社のシェイクスピア全集に収録された批評集を読むと、シャイロックを(1)悲劇人と見るか、(2)喜劇人と見るかで、昔から意見が分かれているようだ。個人的には(1)のほうがしっくりくるけれども、識者のなかには(2)を支持する人が少なからずいる模様。その論調は概ね次のような感じになっている。

  • シェイクスピア時代の英国(エリザベス朝)はユダヤ人排斥がスタンダードだったので、悪役にするには打ってつけだった。
  • 宗教上の対立がないのとキリスト教徒を模範的に描いていないことなどから、ユダヤ人とキリスト教徒は抑圧者と非抑圧者の記号に留まっていると判断できる。
  • (1)の解釈はシャイロックに近代的自己を反映させている。

しかしまあ、上記のことを念頭においても、(2)として割り切るのには抵抗をおぼえる。これは、私自身が現代の倫理観に囚われすぎているのと、キリスト教徒どもの能天気ぶりが鼻について乗りきれなかったのが原因。率直にいって、法廷で開陳される論理は、クリスチャン贔屓の屁理屈にしか思えなかった。大団円の幕引きなんかひどく後味が悪い。

2003.8.17 (Sun)

ウィリアム・シェイクスピア『じゃじゃ馬ならし』(1592-4)

★★★
The Taming of the Shrew / William Shakespeare
福田恆存 訳 / 新潮文庫 / 1972.1
ISBN 4-10-202009-8 【Amazon

じゃじゃ馬娘を調教する。

酔っぱらいが「じゃじゃ馬ならし」を観劇するという趣向。劇中劇が2つのプロットを理路整然とまとめ上げているのに対し、観劇のほうは途中から存在自体が放擲されてしまうので、全体としてはひどく収まりが悪くなっている。ただ訳者解題によれば、「劇場でなら酔っぱらいは即興で野次を飛ばすことができる」という意見もあるらしく、ものは言い様だと感心した。

「じゃじゃ馬ならし」と冠されているからには女への調教がメインになるのだろう。けれども、戯曲を読んだ限りでは、サブプロットのほうが喜劇として面白いと思った。実父が登場して企みが破綻しそうになるくだりなんかは活字で読んでも笑えるし、これが劇だったらものすごい盛り上がりを見せるのだろうと予感させる。それに対して調教のほうは、洒落として笑い飛ばせないほど、娘への仕打ちが痛々しくて参ってしまう。

結末は『ヴェニスの商人』のような現代の倫理観にそぐわない代物。にもかかわらず、それがさほど気にならないのは、本作にシャイロックのような深刻な犠牲者が出ていないからだろう。確かにこの調教方法は現代人から見れば人道的に怪しいけれど、これはいちおう娘の幸福が暗示されて終わるから、まあこんなもんで良いんじゃないかと思った。とりあえず、罰せられて終わるシャイロックとは大違いで、あまり気分が悪くなることはなかった。

2003.8.19 (Tue)

W・G・ゼーバルト『アウステルリッツ』(2001)

アウステルリッツ(108x160)

★★★★
Austerlitz / W.G. Sebald
鈴木仁子 訳 / 白水社 / 2003.8 / 全米批評家協会賞
ISBN 4-560-04767-7 【Amazon

旅先で「私」と何度か遭遇し、その都度持ち前の博識を披露してきた建築史家のアウステルリッツ。そんな彼が、ナチス時代にまで遡る自身のルーツを辿る。

建築や動物にまつわる逸話を写真つきで紹介するという趣向も面白いけれど、もっと面白いのが語りの構造で、アウステルリッツのしゃべりが段落なしで延々と繰り広げられていく。昔の小説っぽいというか、まるで堰を切ったかのように言葉があふれ出しているのだ。アウステルリッツの声は語り手を通して間接的に伝えられているから、時折さし挟まれる「私」の説明的な文句(「~とアウステルリッツは言った。」が頻出する)によって、奇妙な距離感が生まれている。

アウステルリッツが実はユダヤ系だったということで、ホロコーストの惨状が重苦しく語られるのかと身構えていたら、意外とそうでもなくて安心して読むことができた。民族の悲劇がモチーフになっていることは確かだけど、そこへのアプローチの仕方がストレートではなく、むしろ悲劇よりアプローチそれ自体が重視されている。他人の証言や建物の記憶を媒介に、ヨーロッパの忌まわしき歴史、および父母の実像を探求していく。要塞や図書館などの蘊蓄が、物語に厚みをもたらすエピソードになっているのだから感心。場面場面を形づくる細部の積み重ねに、一種の陶酔を感じながら読んだ。

証言者が死んでしまったら、後に残るのは写真や建築、映画フィルムといった物質だけで、それにまつわる記憶はどんどん風化していく。アウステルリッツの探求が、時の流れに逆らえないという儚さを基調としているところに、何ともいえない感慨がある。本作は凝りに凝った表現手法が、主題と上手く噛み合っている小説だった。

>>Author - W・G・ゼーバルト