2003.9b / Pulp Literature

2003.9.11 (Thu)

パウロ・コエーリョ『ベロニカは死ぬことにした』(1998)

ベロニカは死ぬことにした(112x160)

★★★
Veronika decide morrer / Paulo Coelho
江口研一 訳 / 角川文庫 / 2003.4
ISBN 4-04-275005-2 【Amazon

睡眠薬の大量服用で自殺を図ったベロニカだったが、死にきれずに精神病院に収容されてしまった。心臓が弱った彼女の余命はわずか5日。その間、病院内で患者たちと交流する。

ベロニカがいかにして回心するかを、他の入院患者の人生を掘り下げつつ語っていく。途中まで予定調和なストーリーだったため、またお決まりの「身体性」がテーマかと思って読んでいたら、終盤で一気にボルテージが上がった。いやー、自殺未遂の動機がリスカ少女並の短絡さだったから、一時は読むのを止めようかと思ったのに! さらには、「回復の物語」で感動させようという意図が見え見えで、やや興醒めの感があったのに!

終盤はエピソードを入れるタイミングが秀逸。ベロニカがピアノの演奏を通じて少年に心を開くのだけれど、彼の物語をベロニカの回心直後に入れているのが良い。たとえば、今までの患者みたいに出てくるたびにその悲劇を掘り下げていったら、ただのトラウマものになってしまうだろう。ところが、今回のようにちょっと挿入のタイミングをずらすことで、ベロニカと少年の結びつきが強固になっている。つまり、少年のおかげで心を開いたベロニカが、今度は少年の物語を引き受ける立場になるわけで(*1)、回復の感動に相乗効果が出ている。本作に出てくる「普通」や「狂気」はありきたりで食傷気味なものだし、マスターベーションが回復の契機になるのは古典的な身体性賛美でえらく陳腐だ。けれども、2人の相互影響的な関係は、そんな欠点を覆い隠すほどポジティブなもので、終盤は「良い話」を読んでいるような気分になる。

ただ、惜しむらくは、博士が関わる例のオチ(実は○○だった)で、教訓話のように締めるのはいまいちセンスがないんじゃなかろうか。ここでちょっと冷めてしまった。

*1: 医者に治療される受動的立場だったのが、他人に影響を与える能動的立場になるというか。

2003.9.13 (Sat)

ジャン・エシュノーズ『マレーシアの冒険』(1986)

マレーシアの冒険(102x160)

★★
L'equipee Malaise / Jean Echenoz
青木真紀子 訳 / 集英社 / 1996.7
ISBN 4-08-773253-3 【Amazon

失恋を機にフランスからマレーシアに渡り、現地のゴム園で雇われ経営者をしていた男。その彼がオーナー権を掌握すべく武装叛乱を企てる。

多角的な視点を用いた犯罪小説。『われら三人』と同様、男2人女1人の三角関係が軸になっている。「運命の女」を頂点とするいかにもな構図は、いかにもな物語を紡ぎ出していく。30年前のロマンスから劇的な再会を果たすところに、無自覚な嫌味を感じて少々鼻白んでしまった。これは偏見だけど、フランス人は寝ても覚めても女のケツばかり追いかけていて、その軽やかな国民性が創作に滲み出ているような気がする(いや、それはイタリア人か?)。

この小説は読みどころがよく分からなかった。おそらく、語りのレベルから発揮される人を食ったようなユーモアが売りなのだろう。けれども、個人的には退屈な場面ばかりで、面白かったのは雇われ経営者がゴム園から逃げ出すところと、ベルギー人ギャングの態度が豹変するところくらいだった。

>>Author - ジャン・エシュノーズ

2003.9.15 (Mon)

ジョン・ル・カレ『パナマの仕立屋』(1996)

パナマの仕立屋(112x160)

★★★
The Tailor of Panama / Johan le Carre
田口俊樹 訳 / 集英社 / 1999.6
ISBN 4-08-773320-3 【Amazon

パナマの仕立屋がイギリス政府のスパイになる。

『ハバナの男』【Amazon】にインスパイアされた小説。舞台は当時ホットだった香港ではなく、中米のパナマに据えている。流行には乗らないぜってところだろうか。ちなみに、最近読んだ『007/ゼロ・マイナス・テン』は、返還間近の香港が舞台になっている。

パナマ運河に対する各国の権益問題が題材だけど、そういった国際力学はあくまで物語の背景に留まっている。中身は007並の荒唐無稽さで、個人の嘘が紛争にまで発展する過程が中心。そのブラックな展開が読ませる。元ネタも壮大な失敗譚らしいから、これはリメイクみたいなものなのかな。そのうち読んでみようと思う。

2003.9.19 (Fri)

スティーヴン・ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』(1972)

エドウィン・マルハウス(109x160)

★★★★★
Edwin Mullhouse / Steven Millhauser
岸本佐知子 訳 / 白水社 / 2003.8
ISBN 4-560-04768-5 【Amazon
ISBN 978-4309464305 【Amazon】(文庫)

11歳で夭逝した天才作家エドウィン・マルハウス(1943-54)の生涯を、同年の親友であるジェフリー・カートライトが伝記化する。若くして恋と友情に破れてきたエドウィンは、晩年になって突如覚醒、傑作小説『まんが』を書き上げるのだった。

90年に福武書店から出版され、長らく絶版の憂き目に遭っていた本書が、今年になってようやく復刊された。『エドウィン・マルハウス―あるアメリカ作家の生と死』。著者が20代のときに発表した処女長編だけど、これは紛れもない傑作だろう。子供が子供の伝記を書くという冗談みたいな趣向を、魅力的な細部と比類なき文章力で見事に達成している。

一才半で僕の語彙は五百語に達し、二才の誕生日には(一九四五年二月。僕はエドウィンからゴムの雪だるまをもらった)それがさらに千語にまで増え、十の単語から成るセンテンスを話すようになっていた。同じ一九四五年二月、エドウィンは一才半で、自由に操れる語彙はたったの三つだった──

0歳から5歳までの幼年期。6歳から8歳までの壮年期。9歳から11歳までの晩年期。おもちゃを始めとする物質への偏愛を滲ませながら、子供の人生を緻密に組み立てているのが面白い。エドウィンは何歳でどれくらい言葉を覚え、どのような遊びに興味を示し、どのようにして傑作をものにしたのか。語り手のジェフリーは親友の生活を偏執的に記録し、天才作家のルーツを探っている。注目すべきは、エドウィンを見つめる視線のあり方だろう。生後6ヶ月のときからエドウィンの傍らにいるジェフリーは、傍観者として2人の人生を再構成する。しかし、そこから浮かび上がる事実はエドウィンの天才性ではなく、抜群の知力を誇るジェフリーの優位性だ。彼は子供とは思えない透徹した観察眼/圧倒的な文章力を持っており、その才能はしばしばエドウィンを霞ませている。果たしてエドウィンは本当に天才なのか? 真の天才はジェフリーではないのか? 本作は捏造の可能性を視野に入れながら進んでいき、夢とも現ともつかない驚愕のクライマックスを迎えている。記述者であること、観察者であることが極限まで肥大化する夢想的な流れに興奮した。