2004.1b / Pulp Literature

2004.1.11 (Sun)

ジャスパー・フォード『文学刑事サーズデイ・ネクスト1 ジェイン・エアを探せ!』(2001)

文学刑事サーズデイ・ネクスト1(110x160)

★★★
The Eyre Affair / Jasper Fforde
田村源二 訳 / ソニー・マガジンズ / 2003.10
ISBN 4-7897-2138-8 【Amazon

文学刑事サーズデイ・ネクストが世界第3位の悪人と対決する。

タイトルから『死の蔵書』【Amazon】系統の話かと思っていたら、何とバリバリのSFだった。文芸小説が価値を持ち、クリミア戦争が継続している世界。狼人間がいれば、時空を彷徨う人間もいる世界。特殊装置や能力で、本の世界へ自由に出入りができる世界(ただし、まだ揺籃期)。この世界では『十二夜』【Amazon】の一人芝居で凶悪犯扱いだし、また、この世界には文芸に関連した過激派宗教まで存在する。まさに小説好きによって練り上げられた、ご機嫌なパラレル・ワールドといった風情だ。本作は独特の価値基準と、先進的なテクノロジーが妙な具合で溶け合っており、そのアンバランスさがいい味を出している。

事件を解決することで、2つの物語が連鎖的に進展する構造が面白い。けれどその反面、解決に至るまでの筋書きが詰め込みすぎで疲れる。タイムスリップはとりあえず入れてみましたという感じだし、ディケンズ小説の誘拐事件も、結局は本命の予行演習にしか過ぎなくてかったるい。結果として本作は、盛り上げ所を絞り切れてないように思った。

ちなみに本国ではシリーズ第3作まで出ているらしい。もしかして、敵役が世界第2位や第1位の悪人だったりするのだろうか。

2004.1.12 (Mon)

伊坂幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』(2003)

アヒルと鴨のコインロッカー(110x160)

★★★
東京創元社 / 2003.11
ISBN 4-488-01700-2 【Amazon

2つの物語が交互に展開する。(1) 「僕」が広辞苑盗みに付き合わされる。(2) (1)の2年前。「わたし」とブータン人がペット殺しの犯人を目撃する。

パズル要素を平易にし、人情話の演出に回すという『重力ピエロ』路線の小説。真相暴露がある種の感情を誘発させるという構造になっているものの、真相もハートウォーミングもほどほどで物足りない。魅力といえば、いつもの奇妙な雰囲気と、漫画感覚でお手軽に楽しめるところで、息抜きにはこれぐらいがちょうど良いとは思った。

登場人物については、やりまくりの「河崎」が『ノルウェイの森』【Amazon】の東大生「永沢さん」と重なってついつい笑ってしまった。「河崎」の顛末なんて、「永沢さん」を念頭においたようで恐ろしく皮肉だ。

>>Author - 伊坂幸太郎

2004.1.15 (Thu)

戸梶圭太『さくらインテリーズ』(2003)

さくらインテリーズ(108x160)

★★★
早川書房 / 2003.9
ISBN 4-15-208512-6 【Amazon

ホームレスたちの波瀾万丈人生。

お笑いよりもグロ描写に力が注がれた小説。一応、遺跡捏造の元考古学者(藤村新一がモデル)が出てくるけれど、『Cheap Tribe』の岩原(石原慎太郎がモデル)ほどの強烈なパーソナリティはない。人物や小ネタの面白味と反比例するかのように、醜女や共食いといった奇形的な描写が目立っている。戸梶ワールドの入門書としてはお勧めできないし、『牛乳アンタッチャブル』辺りで見限った人にもお勧めできない。そういう微妙なポジションの本だった。

ただ、社会風刺の視点は相変わらずで、経済格差や不法入国といった問題の描き方がはじけていて面白い。たとえば、アジア系外国人を「安い国からきた安モノ外人」と罵倒するなんて、戸梶小説ぐらいしかないと思う。醜女には容赦がないし、激安人間の扱いも毎回すごい。「劣化したなあ」と思いつつ未だに追っているのは、こういう刺激を求めているからなのかもしれない。

2004.1.17 (Sat)

フョードル・ドストエフスキー『死の家の記録』(1861-2)

死の家の記録(112x160)

★★★
Записки из мёртвого дома / Фёдор М. Достоевский
工藤精一郎 訳 / 新潮文庫 / 1973.7
ISBN 4-10-201019-X 【Amazon

アレクサンドル・ペトローヴィチによる獄中生活の記録。妻殺しの冤罪で服役しているペトローヴィチは、貴族であるという理由で大勢の貧民から白眼視されている。彼は少数の波長の合う人たちと付き合いつつ、獄中の様子を観察する。

ドストエフスキーの獄中体験を反映させた小説。本作の売りである人間観察は、やや過剰なきらいはあるにしても、たぶん当時としては鋭い部類に入るのだろう。囚人、看守といった個人に対する透徹した視線は、その過剰さも含めて、キャラ作りの天才・チャールズ・ディケンズを想起させる。また、本作は一人一人を掘り下げるのみならず、人間を集団として捉える手並みにも優れている。特にクリコフ脱走のシーケンスは、ちょっとした群集心理のテキストという趣き。監獄の人間模様が面白かった。

ところで、この小説の大部分はアレクサンドル・ペトローヴィチの手記だけど、その外枠に別の「わたし」が存在し、彼がペトローヴィチの手記を紹介するという構成になっている。そのため、内枠と外枠は雰囲気はえらく対称的だ。希望に満ち溢れて出獄するラスト(ペトローヴィチの視座)と、厭世的な晩年を送る序章(「わたし」の視座)のギャップがせつない。本作を読んで、「この世はどこも監獄だ」という『リトル・ドリット』的な諦観を思い出したのだった。

>>Author - フョードル・ドストエフスキー