2004.2a / Pulp Literature

2004.2.1 (Sun)

フョードル・ドストエフスキー『二重人格』(1846)

★★
Двойник / Фёдор М. Достоевский
小沼文彦 訳 / 岩波文庫 / 1981.1
ISBN 4-00-326132-1 【Amazon

九等官ゴリャートキン氏の前に、自分と瓜二つの新ゴリャートキン氏が現れる。

主人公を徹底的に虐め抜いたコメディ小説。空気の読めない小市民ゴリャートキン氏が、世慣れた悪人(新ゴリャートキン氏)によって不幸のどん底に突き落とされる。えげつないのが語り手のスタンスで、本作では全知の語り手までもが主人公虐めに加担している。

ただ、語り口は面白いのだけど、表現が過剰でなおかつ悪ノリが激しいところが難点。はっきりいって半端じゃなく読みづらい。

なお、邦題の「二重人格」は誤訳のようで、別の版元では「分身」と訳されている。

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2004.2.7 (Sat)

フョードル・ドストエフスキー『虐げられた人びと』(1861)

★★★★
小笠原豊樹 訳 / 新潮文庫 / 1973.10
ISBN 4-10-201020-3 【Amazon

(1) 語り手の幼馴染みである女が公爵の息子と恋に落ちる。(2) 語り手が虐げられた少女と関わる。

この小説を読んで思い起こしたのが、ロス・マクドナルドの私立探偵小説だったりする。といっても、別に訳者が小笠原豊樹だからというわけではない。家庭の不幸をモチーフにしたところや、語り手が観察者であるところなどに、類似するものがあったからである。狂言回しの役割を果たす語り手。冷徹に事実を描写する語り手。悪を憎むモラリストである語り手。

興味深いのは、語り手が女に対して感情を抑制しているところだ。諸々の言動などから、語り手が件の女に恋愛感情を抱いているのが分かるのだけど、当人を前にしたときには頑なにその感情を漏らそうとしない。会話でも漏らさないし、地の文でも漏らさない。そもそも、この小説はハードボイルドスタイルと言っていいほど内面描写が少なく、あったとしてもまるで他人事のような距離感で語られる。

で、語り手は女がヒステリックになっても、自分の心情を述べないまま淡々と事実を重ねていく。それどころか、より観察者に徹しようとさえする。スティーブンソンの『宝島』は一人称で冒険を語ることの作為性を体現した小説だったけれど、本作もそれに類する小説と言えるのかもしれない。語り手が敢えて語らないからこそ、その裏にある悲痛な思いを意識させる。

他に興味を惹いたのは、公爵の扱い。この人物はまさに悪の権化で、その悪辣ぶりは、偽りの用件で若者を呼び出し、心理的圧力をかけて商品を売りつけるテレアポ業者に匹敵する。お人好しの度肝を抜くのが趣味の公爵。口説いた女の亭主を鞭で半殺しの目に遭わせる公爵。付き合った女から財産をむしり取ったあげく、あっさりその女を捨ててしまう公爵。……そんな救いようのない悪漢だけど、同時に彼は一代で貴族に成り上がった英雄型の人物でもある。他の小説なら主人公になりそうな英雄を、誰もが共感できない悪役として据える。何だか英雄に対する反感をぶつけているようで微笑ましい。

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