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- 01 : J・W・ゲーテ『ファウスト』(1808,32)
- 04 : 竹本健治『囲碁殺人事件』(1980)
- 09 : 荒俣宏『読み忘れ三国志』(2002)
2004.7.1 (Thu)
▲J・W・ゲーテ『ファウスト』(1808,32)
★★★
Faust / Johann Wolfgang von Goethe
高橋義孝 訳 / 新潮文庫 / 1967.11, 1968.2
ISBN 4-10-201503-5 【Amazon】
ISBN 4-10-201504-3 【Amazon】
戯曲。ファウスト博士が悪魔のメフィストフェレスと契約を結んで人生をエンジョイする。
ファウストが飽きずに女を追いまわしているところが印象的だった。魔女の薬で若返りを果たしたら、早速娘に手を出すのだから驚く。権勢よりも、栄華よりも、何よりも恋愛なのだから驚く。
一方、メフィストフェレスはその道化ぶりが楽しい。というのも、彼は悪魔とは思えないほど気さくでユーモアを弁えているのだ。観客に向かって話しかけるメフィストフェレス。ドラえもんばりにファウストの無理難題と付き合うメフィストフェレス。ギリシャ神話の世界に戸惑うメフィストフェレス。魔女の前で卑猥なポーズをとるメフィストフェレス。ファウストの夢を成就直前にぶち壊すメフィストフェレス。この戯曲は、メフィストフェレスの活躍に支えられていると言っても過言ではない。
第2部のギリシャ神話の旅は、神話の妖怪どもが我が物顔で闊歩するというシュールな光景が良い(*1)。実写化するなら「ドイツ表現主義」で、アニメ化するなら『妖怪人間ベム』の絵柄で、それぞれお願いしたいところである。
ただ、幻想的風景には圧倒されたものの、詩的な表現と知識を要する記述が多くて読みづらい。第2部を楽しむには、ギリシャ神話の知識は必要不可欠だと思う。
2004.7.4 (Sun)
▽竹本健治『囲碁殺人事件』(1980)

★★★★
創元推理文庫 / 2004.2
ISBN 4-488-44301-X 【Amazon】
プロ棋士の首なし死体が発見される。
IQ208の小学生が超絶推理をするシリーズ。首切りの理由や、ある要素を利用した錯誤、逆転の論理などに優れていて、さらに囲碁の蘊蓄まで楽しめるお買い得な内容である。首切り犯の心理がいまいちぎこちないと思ったものの、先に挙げた錯誤の衝撃が大きくて、強引に押し切られてしまった。色々なトリックが連動しているのが素晴らしい。
この小説はスリルの煽りかたがとても上手い。作中、天才少年が何者かに襲われるのだけど、その場面がよくできたサスペンス小説のように緊張感が出ていた。推理劇のみならず、活劇まで読ませるところが、「幻影城」の人ならではという感じである。要するに、技術的な地力があるのだろうな。同誌出身の作家たちが、幅広いジャンルで活躍しているのも頷ける。
難点はペダントリーが鬱陶しいことかな。特に論理学系の蘊蓄はひけらかしにしか見えなくて、その自己目的化した傾倒ぶりにはついていけないところがあった(といっても、「ウロボロス」シリーズほどではない)。京極夏彦の蘊蓄が無理なく読めるのに対し、竹本健治のそれはどうも苦手だ。
2004.7.9 (Fri)
▼荒俣宏『読み忘れ三国志』(2002)

★
小学館 / 2002.4
ISBN 4-09-386089-0 【Amazon】
三国志を題材にしたエッセイ集。
三国志から離れた蘊蓄部分は興味深かったものの、三国志を真っ向から論じた部分は、疑問点ばかりが目立っていまいちだった。論理展開の甘さや知識の間違いなどが引っ掛かってしょうがない。思うに、私が感心した蘊蓄部分も、単に私が無知だから判断できないだけで、識者からすれば信憑性に乏しい代物なのかもしれない。
以下、疑問点を箇条書き。
- 9ページ。「そのせいかどうか知らないが」という接続の仕方だと、さも陳寿の私怨によって魏が正統王朝にされたかのように読めてしまう。
- 23ページ。「(曹操は)その後関羽に攻められて、何度も都を移さねばならぬ破目に遭った」とあるが、『正史』にも『演義』にもそんな事実はない。
- 27ページ。論理の飛躍。なぜ、「張飛が上の者に愛想がよく敬意を払う」と、「政事に才能を発揮した文武両道の才人」になるのか? 両者の間には様々な材料が不足している。はっきり言って意味不明。
- 139ページ。論理の飛躍。なぜ、『孫子』の冒頭と同じ趣旨のセリフを吐くと、「孫子の直系である事実」が「あざやかに示され」るのか? 当時、『孫子』は兵法家たちの間で読まれていたのではないか? 曹操は註釈までつけてるぞ(*1)。
- 173ページ。「もちろん孔明の弟である均も、仕官した主君は違うが、兄の孔明に劣らぬ出世を果たした」とあるが、均は孔明と同じ主君に仕えた。ちなみに職は長水校尉。これは「弟である均」ではなく、「兄である瑾」の間違いか。
- 199ページから200ページにかけて。これでは陳寿の私怨によって魏が正統王朝にされたかのように読めてしまう。
- 217ページ。なぜ、曹爽を「曹爽」と表記しているのに、曹真を「曹子丹」と表記しているのか? これについては思い当たる節がある。『演義』の、司馬懿と曹爽の確執の箇所だけ読むと、曹真のことは姓プラス字の形式でしか記されていない。だから、「曹子丹」が曹真のことであることを知らずに、前述のような表記揺れを起こしたのだと推測できる。