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2004.8.11 (Wed)
▲両角良彦『一八一二年の雪 モスクワからの敗走』(1993)
★★★
朝日新聞社 / 1993.11
ISBN 4-02-259586-8 【Amazon】
ナポレオンのモスクワ遠征について語った本。
モスクワ遠征といえば、ナポレオンがロシア軍の焦土戦術によって敗北したことで有名。何でも40万の遠征軍が、終わってみれば2万しか残らなかったという。本書はそんな大惨事を、光と影による交錯、すなわち英雄と兵士との対比によって語りなおそうとしている。
何といっても本書は、ブルゴーニュ軍曹の「回想記」に沿った敗走譚が面白い。書き手であるブルゴーニュ軍曹は、ナポレオンの切り札・近衛軍に所属している人で、言ってみればエリート兵卒である。この回想記では、そんな兵士が部隊からはぐれ、同僚一人と共に決死の逃避行をする模様が描かれている。
で、この逃避行が凄い。敵の陣地跡で料理する不敵さに驚嘆させられるかと思えば、コッサク兵30名に攻撃を仕掛ける無謀さにハラハラさせられる。自然の猛威(零下20℃!)に戦慄させられるかと思えば、地元農家の歓待に安堵をおぼえる。まるで小説のような起伏の連続。冒険小説の原点は、こういう一個人による英雄的な行動記録にあるのだな、ということを思い知らされた。
2004.8.14 (Sat)
▼スタンダール『パルムの僧院』(1839)
★★
La Chartreuse / Stendhal
大岡昇平 訳 / 新潮文庫 / 1984.1, 1951.3
ISBN 4-10-200801-2 【Amazon】
ISBN 4-10-200802-0 【Amazon】
イタリア貴族の次男坊ファブリスと、城塞長官の娘クレリアの運命的な恋。
かつて『赤と黒』【Amazon】のジュリアン・ソレルに共感した者としては、本作の主人公ファブリス・デル・ドンゴを正視するのはとても辛かった。というのもこの男、まるでパトリシア・ハイスミスの小説に出てくるような、とてつもなく空気の読めないキャラクターなのである。
貴族の次男としてのびのびと育ち、まともな教育を受けてこなかった、無知で無学な主人公・ファブリス。そんな彼はナポレオンに憧れてワーテルローに参戦する。兵士として覚醒し、功名を挙げるかと思いきや、物語はある意味期待通りの方向へ。スパイと間違われて投獄されるわ、手持ちの財産をカモられるわ、乗っている馬を分捕られるわ、散々な目に遭う。かくして戦場に騎士道物語を期待していたファブリスは、現実の厳しさを目の当たりにして悲嘆にくれるのだった。
ワーテルローの後は兄の陰謀によってミラノから逃亡するはめに。叔母の協力でパルム公国へ落ちのびることになる。捕まったら殺されるため、当然、道中は身分を隠さなければならないのだが、さすがは我らが主人公である。何とファブリス、知り合ったばかりの女の子に堂々と名乗りを上げてしまった。く、空気読めてねー! 例えるなら、聞いてもないのに隠しサイトの存在をほのめかすオタクくらい空気読めてない。これには叔母も吃驚である。
しかし、そんな突発行為も何のその。ファブリス一行は無事パルム公国に到着する。ここで美人の叔母は要人に気に入られ、宮廷でけっこうな地位を占めることになる。亡命の地で平穏な生活が待っているかと思いきや、さすがは我らが主人公である。何とファブリス、激安人間をぶち殺して城塞に幽閉されてしまった。し、信じらんねー! 例えるなら、純文学の権威を否定していながらその権威を利用して自分の好きな作品を持ち上げるオタクくらい信じられない。これには叔母も吃驚である。
幽閉中のファブリスを救うべく、叔母は脱獄のお膳立てをする。準備相成っていざ脱獄! というとき、またもや我らが主人公はやってくれた。何とファブリス、ここから出たくないとごねたのである(*1)。おいおいおい。おまえは、悪霊に取り憑かれているとか言って出獄を拒否した、第3部冒頭の承太郎(*2)ですか? これには叔母も吃驚である。
そういうわけで、こんなトラブル・メーカーが真実の愛とやらに燃えたところでまったく興味をそそられない。ファブリスのカリスマ性に説得力がないので、彼が苦しもうが楽しもうがどうでもいいよと思ってしまう。最後まで投げ出さなかったのが不思議なくらいつまらなかった。
2004.8.16 (Mon)
△ルーシー・モンゴメリ『赤毛のアン』(1908)
★★★★★
Anne of Green Gables / Lucy Maud Montgomery
村岡花子 訳 / 新潮文庫 / 1954.7
ISBN 4-10-211301-0 【Amazon】
孤児のアンが老兄妹マシュウ&マリラに引き取られる。
「ほかのことなら、おこらずにいられるけれど、赤い髪のことだけはもうつくづく、何か言われるのがいやになったもので、かあっとなってしまうの。ほんとうにあたしの髪は、大きくなったらみごとな金褐色になるでしょうか、小母さん?」(p.110)
『赤毛のアン』って子供が読む本だろ? と思って敬遠していたらそれは大きな間違いで、実は大人も楽しめるとんでもない傑作だった。とにかく尽きることのない空想と饒舌に引き込まれる。
この小説の大きな特徴は、マリラやマシュウの絡まない多くのエピソードを、直接描写ではなく過去の体験としてアンに語らせているところだろう。学校生活にしても特殊イベントにしても遊びにしても、シーンそのものの描写はけっこうはしょられている。ダイアナとの会話は現在進行形として比較的よく描かれているものの、他の女友だちとの交流はそのほとんどがアンのセリフの中で処理されているに過ぎない。
極論すると、この小説の構成はマリラ、マシュウ、ダイアナの3人との会話がメインなのだ。たとえアンが音楽会に行こうが、ピクニックを楽しもうが、クイーン学院に進学しようが、物語の中心は常にマリラとマシュウの住むグリン・ゲイブルスにある。中心から離れた外での体験は、アンが自分の言葉でもって2人に説明するしかない。と、こういう構成だからこそ、アンの持ち味である空想と饒舌が最大限に発揮されるのだ。
日常生活で起きうるちょっとした可笑しみが詰まった本作は、アンのとめどもない言葉で語られるからこそ輝きを増す。小説を読む醍醐味の一つに、豊かな想像力に圧倒されるというのがあるのだけど、『赤毛のアン』はその欲求を満たしてくれる小説だった。
2004.8.20 (Fri)
▼ニコルソン・ベイカー『ノリーのおわらない物語』(1998)
★★
The Everlasting Story of Nory / Nicholson Baker
岸本佐知子 訳 / 白水社 / 2004.6
ISBN 4-560-04783-9 【Amazon】
9歳女児の生活と意見。
これは訳者の言語センスを味わう小説か。英語独特のユーモラスな表現が、訳者のフィルターを通して日本語のそれに変換されている。たぶん原文と訳文はエッセンスが同じなだけで、細かい言い回しは相当異なっているのだろう。というのも、ノリーの言い間違いや形容表現には、日本で育った我々にとって懐かしいものが多数出てくるのだ。本作の売りは、9歳女児の言語感覚をトレースしているところにあるわけで、結果的にその功績は、絶妙な日本語にアレンジした訳者のものになっている。
ただ、小説としてはとてもつまらなかった。9歳女児がごく普通の日常を送ったり、幼稚な物語を綴ったりしていて退屈。リアルさを追及した結果とはいえ、随分と求心力のない話だと思う。
所々に両親の暖かい眼差しが感じられるところは、長編第2作の『室温』に似ている。ノリーがいじめられっ子と仲良くできたのは、両親の愛情をたっぷり受けて育ったからかもしれない(ノリーが転校生というのもあるか)。ノリーの態度は現実にあり得ないほど清々しい。