2004.9b / Pulp Literature

2004.9.11 (Sat)

原りょう『そして夜は甦る』(1988)

そして夜は甦る

★★★★
ハヤカワ文庫JA / 1995.4
ISBN 4-15-030501-3 【Amazon

私立探偵・沢崎シリーズ1作目。失踪したルポ・ライターを捜索していくうちに、最近起こった都知事狙撃事件に辿り着く。知事は選挙の際、怪文書をばらまかれた挙げ句、何者かに狙撃されたのだった。

再読。石原慎太郎が都知事になる11年も前から、彼をモデルにした人物を都知事に据えている。タカ派な政治理念や強気な対外姿勢など、慎太郎節が炸裂している。さらに、「俳優なんて男子一生の仕事じゃない」と嘯く、弟の裕次郎(をモデルにした人物)まで登場。彼ら兄弟のやんちゃぶりが可笑しい。

それにしても、本作はデビュー作とは思えないほど、後のシリーズと遜色のない出来で驚いた。何だかんだ言いながら錦織が協力を惜しまないところや、失踪中の渡辺が便利キャラになっているところなど、シリーズの1作目から方向性が固まっている。また、ワイズクラックは質が高いし、筋捌きも後の作品のように巧緻で読み応えがある。この世界観が2作目へ違和感なく引き継がれている事実からして、完成度の高さの証左なのだろう。ふつうのシリーズものだったら、回を重ねていくうちに小慣れていくものだけど、沢崎シリーズは1作目のこの時点からすでに上手い。2作目で直木賞を獲ったのも頷けると思った。

>>Author - 原りょう

2004.9.14 (Tue)

ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』(1906)

車輪の下

★★★★
Unterm Rad / Hermann Hesse
高橋健二 訳 / 新潮文庫 / 1951.11
ISBN 4-10-200103-4 【Amazon

地方の秀才児が試験に合格して超難関の神学校に入学する。しかし、そこの抑圧的な生活に馴染めず、生来の虚弱体質と相俟ってドロップアウトすることに。その後、田舎に帰って鍛冶屋の見習いになるが……。

再読。初読時はどう思ったか忘れたけれど、少なくとも今回は、子供に過剰な重荷を背負わせる、無神経な大人たちを糾弾した小説として読んだ。特に少年の生活を物語る全知の語り手が、ときおり前にしゃしゃり出てきて義憤を露わにするところが印象的。歪んだ大人たちへの怒りに満ちた、えらくストレートな小説だった。

前半は青春小説としての面白さがある。全寮制の学校に入学した主人公は、反骨精神を宿した芸術家肌の少年と親しくなり、彼の感化を受けて世界観が変わる。それまでの詰め込み型学習が唯一無比のものでなく、成績で上位に食い込むのだけが人生ではない、ということに思い至る。進学先で新たな友人から刺激を受けるというのは、ある程度歳を食っていれば多かれ少なかれ体験してるはずなので、この部分はもの凄く共感できる。

ただ、友情に振り回されるのはいただけない。たとえば、『赤毛のアン』は女同士の友情を暖めながらも、各自の負担にならない程度に距離をとっていた。相手の勉強の邪魔をしない、すなわち相手の自主独立というものを尊重していた。ところが、本作における彼らの関係は相手べったりで、片方が多大な犠牲を払っている。まるで恋人のように心身を預けていて、これは「友情」を越えた別の何かだろう、とツッコミを入れたくなってしまう。

後半では事態が激変。神学校を自分の居場所にできなかった主人公が、鍛冶屋にそれを見出す。そして、小道でふと職人たちを見る目が変わったことに気づく。それまで蔑みの対象に過ぎなかった彼らから、誇りや美しさを感じ取ることで、物語のボルテージは一気に跳ね上がる。この小説に救いがあるとすれば、それは彼が小道で新たな認識を獲得した、この一時であるといえるだろう。

本作は中高生必読の小説とされているけれど、私はどちらかというと中高生の子を持つ親が読むべきだと思う。抑圧はいかんよ、ということで。

>>Author - ヘルマン・ヘッセ

2004.9.17 (Fri)

アントン・チェーホフ『新潮世界文学 23 チェーホフ』(1969)

★★★★
池田健太郎・他 訳 / 新潮社 / 1969.7
ISBN 4-10-660123-0 【Amazon

短編が21編。戯曲が4編。一幕戯曲が2編。「小役人の死」、「かき」、「ふさぎの虫」、「たわむれ」、「ねむい」、「ともしび」、「かけ」、「退屈な話」、「グーセフ」、「決闘」、「六号室」、「大学生」、「奥さん」、「中二階のある家」、「箱にはいった男」、「すぐり」、「イオーヌィチ」、「可愛い女」、「谷間」、「犬を連れた奥さん」、「いいなずけ」、「かもめ」、「ワーニャおじさん」、「三人姉妹」、「桜の園」、「熊」、「プロポーズ」を収録。

収穫は、「たわむれ」、「ねむい」、「かけ」、「退屈な話」、「決闘」、「六号室」、「奥さん」、「可愛い女」の8編。戯曲4編は既読なので、今回は読まなかった。

以下、各短編について。

「小役人の死」

ゴーゴリを思わせるユーモア小説。上司にくしゃみを直撃させてしまった小役人がひたすら謝罪する。

ロシア文学にはこういう空気読めなくて不幸になる人が多い。現代人の病理と思われがちなコミュニケーション問題は、100年以上も前からあったということなのだろう。……って前にも書いたな、これ。

「かき」

物乞い親子。子供がたった今聞いたばかりの、海産物のかきを所望する。

子供が想像するかき料理はとてもおいしそう。実際に食べる段になってそれが何かを気にしないのは、はらぺこ過ぎて楽しむ余裕がなかったってことなのか。

「ふさぎの虫」

御者が息子の死で鬱になる。

自分の関心は他人の無関心。たとえば、タクシー運転手に息子が死んで悲しいという話をされても、大抵の客は親身になれない。生命は孤独である。

「たわむれ」

橇滑りの最中、男が女に愛してると囁く。はっきり聞こえなかった女は、気のせいか男が言ったのか気になって橇中毒になる。

これはもう、一気に距離が突き放されるオチが良い。時間の魔術というものに意識的になる。

「ねむい」

子守り娘が夢うつつ状態。赤ん坊に構わず自分が先に寝てしまうので、雇い主にどやされる。さらには、さんざんこき使われる。

娘が夢うつつなのは現実逃避の意味合いがあるのだろう。これは決して他人事ではない。赤ん坊のいる家ならどこでも起こりうる、ノイローゼの一種だ。

「ともしび」

「わたし」と技師と学生の会話。

技師が学生に対し、思想というのは永年の内的労働の結実であって、若者がそれにかぶれてニヒるのはよくないと説く。その手段として女との悲しい過去を語る。チェーホフ的諦観の表れた一編で、かなり気合い入ってる。

「かけ」

実業家と法学者が賭けをする。賭けの内容は、もし法学者が15年間の独房生活に耐えられたら、実業家が法学者に200万ルーブリ支払うというもの。200万ルーブリというのがどの程度の価値かは分からないけれど、とにかく大金のようである。

独房の法学者は年ごとに過ごし方が変わっていく。興味深いのは、読書傾向が世俗的なものから高尚なものへ移っていくところで、そのなかにバイロンやシェイクスピアが混じっている。100年前の権威というか価値観というか、そういうものが垣間見える。

「退屈な話」

老医学教授の生活と意見ということで、教授が卓越した知性でもって目にとまったものを観察・批評してくところが刺激的。チェーホフはこの頃から思索的なことを登場人物に語らせていたみたいだ。で、この小説ではそんな教授が理想と現実のギャップを嘆く。名声にふさわしいフィナーレを飾りたいのにそれが上手くいかないし、人生を振り返ってみると、自分を形成していた思想も他人の借り物ばかりでダメダメ。さらに周りを見渡してみれば、娘同然に育てた少女も才能がないのを嘆いている。教授も少女も理想と現実のギャップに思い悩んでいるわけで、何だか四大劇っぽい雰囲気だ。

「グーセフ」

船に乗った傷病兵。故郷には帰れなかったものの、母なる海には還れた。チェーホフって人物描写の人だと思っていたら、何だ情景描写も上手いではないか。特に幻想的な色使いのラストが最高。

「決闘」

間男と生物学者の決闘。

といっても、決闘シーンのスリルで読ませるのではなく、違った価値観の人たちが織りなす、日常ドラマのほうに重きが置かれている。堕落した現状から抜け出したいと願う、間男の強い焦燥感。何だかアーヴィン・ウェルシュっぽい。脇役陣も個性的で、間男を憎む生物学者や、共同体意識に凝り固まった田舎女、世話好きな医者など、みんな良い味出している。本作は「退屈な話」のように、登場人物による社会批評がほどほどに濃密で読み応えがあった。多様な主観のぶつかり合いが良い。

「六号室」

キチガイ病院の医者が患者と親しく話したことで病棟に入れられる。

社会の持つ過剰な防衛本能を臨場感たっぷりに描いた話。医者が話した患者は思索的でとても聡明なのだけど、偏見に凝り固まった体制側の人々にはそれが分からず。結局、医者をキチガイ認定することで臭いものに蓋をしてしまう。正常を主張する医者を、暴力でねじ伏せて従わせようというのだ。これじゃあ、どっちがキチガイだか分からないけれど、しかしこういうのが他人事で済まないから怖いのだ。なお、本作はあのレーニンをも戦慄させたらしい。

「大学生」

宗教大学の学生が、寡婦とその娘の2人と会話する。

内容は、連座を恐れてキリストのことを知らんぷりしたペテロの話。会話によって学生は、この逸話が現在にも繋がっていることに気づく。世界を発見する喜びが感じられる掌編。

「奥さん」

手紙を読んで妻の浮気を確信する夫。妻は夫より強し。問いつめられたときの開き直りっぷりと、ラストのセリフに表れる図々しさが笑える。それにしても、離婚の申し入れを断る理由が、「社会的地位を失うのが嫌だから」というのは随分な言い草だ。

「中二階のある家」

ブルジョワ姉ちゃんと画家、対立する価値観のぶつかり合いに恋愛が入り混じる。

草の根活動をするブルジョワは実際家で、社会体制を変えねばと論じる画家は空論家といったところだろうか。解説によると、前者は60年代人民主義の名残り、後者は当時のインテリゲンツィアの典型らしい。インテリというのはいつの時代も言うことだけは勇ましいのだ。

「箱にはいった男」

教師が獣医に、2ヶ月前に死んだ同僚のギリシャ語教師のことを物語る。

このギリシャ語教師というのが、いわゆる「心の病」を抱えていて興味深い。視線恐怖症で心配症でネガティヴ思考なところは、まるで20世紀サイコ時代を予見しているかのよう。また、人間も宇宙人だとか、地球も密室だとか、そんなことを連想させる引いた感じのオチも、システマチックな現代を予見しているかのようだ。

「すぐり」

「箱にはいった男」の続編。教師が獣医たちに、地主になった弟の奇行を物語る。

「見えない貧困」問題が出てくるところは、半世紀後のマイケル・ハリントンを先取りしている? ハリントンとは、貧困を主張する場のない「見えない」階層が、アメリカ社会に4000〜5000万いるとか言ってた人(1960年代に)。

「イオーヌィチ」

医者の変化と芸達者家族の無変化が対比される小説。かつて憧れていたものが何年か経つとひどくつまらないものに見える。よく分かる話である。それにしても凄まじいのは医者の変わりようだ。「邪教の神」のような風貌になるなんて、まるでマーロン・ブランドである。

「可愛い女」

結婚した男の色に染まりまくる女。この女は夫の受け売りでしか物が言えず、自分の意見というのを持っていない。死別によって2〜3回夫を変えるのだけど、その度に思想がころころ変わってしまう。誰かに依拠することでしか自己を確立できないこの女は、現代だと「エピゴーネン」や「信者」に相当するだろう。ウェブ上だと、有名人ブログのコメント欄でよく見かける。今度からこういう人たちを「可愛い女」と呼ぼう。

「谷間」

長男が贋金造りで逮捕されたり、赤ん坊が熱湯で殺されたり、殺伐としている。赤ん坊を殺したのは次男の嫁。いくら一家にこき使われていたとはいえ、その恨みを子供に晴らすというのは、最近の誘拐殺人事件の影響もあって気分が悪い。しかも、この嫁は事件以降、権力を握って一家の事業を取り仕切ってさえいる。殺人を犯したのに何で投獄されないのだろう? 法で裁けない理不尽(今回の場合は不当にこき使われたこと)を、別の手段で乗り越えるというのは、フィクションの題材としてはわりと好きなほうである。けれども、それも行きすぎると後味が悪く、今回はそのドラマツルギーに上手く乗せられてしまった。

「犬を連れた奥さん」

妻子持ちの男と犬を連れた奥さんの不倫。

ニーチェとそっくりだとか何とかでトルストイに酷評されたらしい。今までの恋は偽りで、今回のは本当の恋だという話。とりあえず、火遊びじゃないところが救いだと思った。

「いいなずけ」

結婚間近の娘が、ある男の助言で勉強して社会に飛び出す。

娘を諭す男は、自分の主張に絶対の確信を抱いていて、まるで宗教家のよう。他人の結婚をご破算にして人生を正しい方向に導くのだから、これぐらい自信がないと駄目なのだな。

「熊」

一幕戯曲。未亡人のもとに借金取りがやってくる。

言い争いが高じてあわや決闘にまで行くところが笑える。男女同権が婦人解放の精神なら、当然、女性も決闘をやらなければならない。また、徴兵にも応じなければならない。

「プロポーズ」

一幕戯曲。隣りの地主がプロポーズに来るも、土地問題や犬の優劣問題などくだらないことで言い争う。

妥協や謙譲を知らない人たちの厚顔ぶりが楽しい。