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- 01 : レフ・トルストイ『クロイツェル・ソナタ 悪魔』(1889,90)
- 03 : ルーシー・モンゴメリ『アンの青春』(1909)
- 04 : 森鴎外『雁』(1915)
- 06 : 司馬遼太郎『覇王の家』(1973)
2005.1.1 (Sat)
▲レフ・トルストイ『クロイツェル・ソナタ 悪魔』(1889,90)
★★★
原卓也 訳 / 新潮文庫 / 1974.6
ISBN 4-10-206011-1 【Amazon】
中編集。「クロイツェル・ソナタ」、「悪魔」の2編を収録。
「クロイツェル・ソナタ」
殺人者の心理を克明に綴った小説。もう少し詳しく書くと、嫉妬に狂って妻を殺害した男が、旅の途上で他人にそれを告白するという話である。回想部分は切迫した心理描写が生々しくて面白かったが、そこに至るまでの結婚観・女性観を語る部分が長すぎてきつかった。性欲を悪と言い切ったり、女性は男性を性欲で支配すると主張したり、殺人者の歪みを示すところがくどいのだ。ただ、そこを我慢して読めば、死という具体的現実に反応したラストはもの凄い後味。殺人を犯した人間は誰しもこのような心境になるのではないか、と思わされる。その意味で本作は、殺人心理のシミュレーション小説だと言えよう。人を殺したいと思ったら、その前に本作に目を通すことを推奨する。★★★。
「悪魔」
煩悩のとりことなった青年の悲劇。もう少し詳しく書くと、健康のために人妻と逢い引きしていた男が、結婚を機にそれを止める。しかし、体は正直なもので、ふらふらっと人妻を欲する。男は妻をとるべきか人妻をとるべきかで悩む。一見すると、姦淫は罪悪とでも言いたげな話だけど、実は違う。これは真面目な人間ほど損をするから、適当にエンジョイしなさいという話である。正直、ラストの決意をさせるほどの深刻な問題とは思えないのだけど、考えてみれば自分の悩みだって他人から見ればくだらないものなのだ。★★★。
2005.1.3 (Mon)
▲ルーシー・モンゴメリ『アンの青春』(1909)
★★★
Anne of Avonlea / Lucy Maud Montgomery
村岡花子 訳 / 新潮文庫 / 1965.3
ISBN 4-10-211302-9 【Amazon】
アン・ブックス2作目。アンが小学校の教師をやったり、マリラが双子を引き取ったり。
『赤毛のアン』とは似ても似つかない、えらく平凡な田園小説になっていて驚いた。なぜこうなったのかと言えば、やはりアンが17歳になって分別がついてしまったのが原因だろう。前作の強みだった空想と饒舌が封じられたうえに、数あるエピソードもほどんどが緊張感皆無で退屈の極み。教師生活、家庭生活、課外活動、どれも前作に匹敵するような輝きがなく、良く言えばほどほど、悪く言えば中途半端に終わっていた。本作を読んで、主人公にストレスを与えるような対立構造は、この手の物語では重要なのだと再確認した。
そんななか、ラストに繋がるミス・ラベンダーのエピソードは良く出来ていて、これがアンたちの変化を誘発させるのだから、後味だけはやたら良い。理想から現実に目を向けることで、アンもダイアナも大人になっていく。登場人物が変化を迫られているように、『赤毛のアン』もそういう運命にあるということなのだろう。われわれ読者は、前作のような豊穣な想像力の世界を期待してはいけないのだ。
2005.1.4 (Tue)
▲森鴎外『雁』(1915)
★★★
新潮文庫
ISBN 4-10-102001-9 【Amazon】
高利貸しの妾がイケメン大学生の岡田くんに恋をする。なお、鴎外の「鴎」は当て字。
高校生のときに押さえるべき基本の小説を今更読んだ。妾の変化が軸の本作は、高利貸し、本妻、妾の三つ巴の関係を細密に描いているところが特徴的。彼らの話からどうイケメン大学生に繋がるのかが興味の焦点になっている。青魚嫌い→雁殺し→外国出立のコンボは最強(でも、最後のは強引過ぎ!)。思い通りにならない運命の儚さなるものを堪能できた。
それにしても、本作は女性観の偏向ぶりが面白い。女は美しいものであるべき(岡田くん)とか、女は自分を殴ってくれる男に惚れる(芸者)とか。今だったらフェミコードに引っ掛かって出版できないだろう。
2005.1.6 (Thu)
▲司馬遼太郎『覇王の家』(1973)
★★★
新潮文庫 / 1979.11
ISBN 4-10-115225-X 【Amazon】
徳川家康について。
歴史エッセイ風の説明文章が主、小説形式の場面再構成が従。こういう形態の本を読んで気になるのは、どこまでが史実でどこからが解釈の域を越えた虚構なのかということで、本書もその境を見極めるのが難しくなっている。本当に秀吉はケツ丸出しにして徳川軍を挑発したのだろうか(そういう証言があるのだろうか)、みたいにちょっとした部分が気にかかる。
でもまあ、「それはちょっと言い過ぎなんじゃない?」って感じの辛辣な人物評を行っていたり、三河武士団の何たるかを説いたりしているから、あまり虚構は入っていないのだろう。著者が下す価値判断の是非を抜きにすれば、教養と教訓をお手軽に得られるという意味で、本書は良書の部類に入る。家康の人物像を「模倣」という観点から分析したところや、三河武士団の閉鎖性と尾張武士団の功利性を対比して論じたところなどが興味深い。日本人の独創性のなさと閉鎖的な国民性は、ひとえに三河の気風のせいなのだ。
司馬遼太郎といえば、一度書いた論述を何事もなかったかのように繰り返して用いるのが特徴だけど、たった560ページの本書でも同じ手法が使われていて非常にもどかしかった。『竜馬がゆく』【Amazon】や『翔ぶが如く』【Amazon】みたいな大長編じゃないのだから、大抵の読者は普通に覚えているだろうに。