2005.1b / Pulp Literature

2005.1.11 (Tue)

ダンテ『神曲 地獄篇』(1313?)

神曲 地獄篇(111x160)

★★★★
La Divina Commedia / Dante Alighieri
寿岳文章 訳 / 集英社文庫 / 2003.1
ISBN 4-08-761001-2 【Amazon

ダンテがヴェルギリウスの案内で地獄を観光する。全三十四歌。

何といっても凄いのがキリスト教のルールで構築された地獄のイメージで、一神教ならではの不寛容さを突き詰めた、秩序立った世界観に圧倒された。盗み・偽造・裏切りといった道徳上の罪だけでなく、非西洋人から見ればアホらしいとしか思えない、宗教上の罪までもがきっちりと裁かれている。

地獄では下に降れば降るほど劫罰がエスカレートし、風景もグロテスクになっていく(*1)。マホメットは異教徒の祖であるという理由で切り刻まれて内蔵丸出しにされてるし、教皇でさえも、問答無用で罪に応じた地獄にぶち込まれている。火責め・氷責め・突っつき責め・汚物責め、その他何でもござれ。キリスト教では自殺が罪なのでこれにも容赦がないし、タブーである男色にも火の雨という厳しい責め苦が用意されている。フィレンツェの関係者が多数いるところは、私怨を晴らしているようで笑いを誘うけれど、総じてクルセイダー的正義感に基づく妥協のなさが強烈だった。やはり人間が何かを生み出すためのもっとも強力なエネルギーは、「怒り」なのだろう。追放の屈辱と不正への憤りが、冷酷非情な裁き(*2)の空間を現出させたのである。

神話や哲学などの古典知識をふんだんに盛り込んだ、中世キリスト者ならではの歪んだ世界。難点は、訳注が多すぎてすらすら読めないところだろうか。とはいえ、本作はそれがないと何が何だか分からないのだから仕方がない。幸い寿岳文章の注釈は、簡にして要を得ているので取っつきやすい。実をいうと、興味のない箇所は飛ばしてしまったけれど、それでもこれだけ懸命に欄外を読んだのは、ニコルソン・ベイカーの『中二階』【Amazon】以来だった。とりあえず、けっこう言及されてた『オデュッセイア』【Amazon】くらいは、これを機会に手を出してみようと思う。

以下、興味深かったエピソード。

第二十五歌

語り了った盗賊は、双手を高くあげ、親指を食指と中指の間につき出し、おめいて言う、「受けとれ、神よ、これをおぬしに進上する!」

例の卑猥なジェスチャーはダンテの時代(14世紀)からあったらしい。ちなみに、私がこれの意味を知ったのは筒井康隆のエッセイ。マスコミにカメラを向けられたらこれを見せれば良い、みたいなことが書いてあった。

第三十歌

「わしが言葉を偽造したのなら、おぬしは貨幣を偽造した」と、シノンはやりかえす。「わしがここにいる原因はただ一つの罪、なれどおぬしが、贋金の一枚一枚で重ねた罪は、ここの悪鬼のどいつも顔負けだ!」

最近、巷では偽造紙幣が流行しているが、現代世界同様、『神曲』の世界でも贋金造りの罪は重くなっている。偽造者は第八圏第十嚢という、そこから下には巨人と反逆者しかいない深い地獄に放り込まれる。

(2005/04/08 追記)

ダンテは「慣性の法則」知っていた?「神曲」に描写というニュースを発見。

>>『神曲 煉獄篇』

*1: キリスト者にとって某人物は許し難いらしく、最深部の噛み噛みは最大級のインパクト。
*2: 地獄では残酷な劫罰こそが「神の憐れみ」になるそうだ。だから、罪人に同情するのは神意に反する。

2005.1.18 (Tue)

塩野七生『ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず』(1992)

ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず(111x160)

★★★
新潮文庫 / 2002.5
ISBN 4-10-118151-9 【Amazon
ISBN 4-10-118152-7 【Amazon

ローマ史を解説している。ローマの誕生から共和政のターラント攻略(紀元前272年)まで。

文庫になってたので再読。随所に散見される「ウィットに富んだ語り口」に戸惑ったものの、社会システムの分析は的を射ていて参考になった。共同体には時に独裁が必要だったり、多神教の国家は家父長権の強さが特徴だったり、民衆の権利獲得の第一は法の成文化だったり、そういう基本法則が史実の紹介とともに明らかにされている。また、ローマの独自要素としてその開放性に目をつけたところが刺激的で、同時代のエトルリア人やアテネ、スパルタとの比較はとても興味深く読めた。比較するからこそ、その独自性が浮き彫りになる。

ローマのやり方でもっとも驚いたのが成文法を作るためのエピソード。当時絶頂期だったアテネ(ペリクレス時代)を視察したにもかかわらず、その模倣を行わなかったところは確かにすごい。直接民主制は衆愚政治になり得るというのは、現代の我々にとっては周知の事実だけど、当時のローマ人がその陥穽を見抜いていたというのに驚く。もちろん、そもそもの民族性として、敵対勢力をどんどん取り込んでいく開放性も注目に値するわけで、これならローマが一都市国家として終わらなかったのも納得できる。

こういう歴史関係の本だと、得てして当時の国家を現代日本に当てはめてしまいがちだ。ところが、本書はぎりぎりのところでそれを回避している。多神教への共感から出発しながらも、それを日本に引き付けて説教するようなことはしていない。もっぱら、ローマのシステム解析に重きを置いている。

>>『ローマ人の物語 ハンニバル戦記』へ。

>>Author - 塩野七生

2005.1.20 (Thu)

川端康成『名人』(1942)

★★★
新潮文庫 / 2004.10
ISBN 4-10-100119-7 【Amazon

半年にわたって行われた本因坊名人の引退試合。作家の「私」がその観戦記事を書く。

事実を元にしたフィクションとのこと。著者は実際に「私」と同じような立場にあったようだ。久米正雄や本因坊秀哉など、実在の人物が登場しながらも、対戦相手や「私」の名前などは差し替えられている。

いろいろの意味で、秀哉名人は新旧の時代の境に立った人のようだ。旧時代の名人というものの精神的尊崇を受けるとともに新時代の名人というものの物質的な功利も得た。(p.49)

これは旧時代、ひいては「美しい日本」への哀惜がテーマなのだろう。日本の美とは何も風景だけに限定されるものではない。芸道にだって存在する。中国から伝来した碁は、日本人による日々の研鑽によって、本家を越えるほどのレベルに達した。江戸幕府は碁を伝統芸能として保護し、「名人」の対局は芸術の域にまで昇華されている。伝統を守るということは、すなわち日本人としての誇りを守るということだ。それをフェアプレイと称して壊すのはあまりにも寂しい。いくら時代の流れとはいえ、名人の特権を剥奪し、規則で雁字搦めにするなんてあんまりだ。

と、本作はそんな滅び行く伝統を、旧世代と新世代の対局に重ねて物語っている。しきりに名人に肩入れしながらも、対戦者へのフォローを忘れないところが、いかにも曖昧な日本の私って感じで微笑ましい。私は碁のルールを知らないので、対局の凄さが理解できなかったけれど、それでも上記の感情を知ることができたのが収穫だった。

それにしても、対局の持ち時間が40時間というのも凄い。まさにありったけの智恵を振り絞っているという感じ。また、趣味で将棋を嗜み、それがかなりの腕前であることにもびっくりする。やはや頭脳ゲームは応用が利くんだろうか。