2005.3a / Pulp Literature

2005.3.1 (Tue)

ヘンリー・ジェイムズ『デイジー・ミラー』(1879)

デイジー・ミラー(113x160)

★★★
Daisy Miller / Henry James
西川正身 訳 / 新潮文庫 / 1957.11
ISBN 4-10-204101-X 【Amazon

スイスのヴェヴェー。旅行中の奔放なアメリカ人娘(デイジー・ミラー)に、ジュネーヴ在住のアメリカ人青年(ウィンターボーン)が惚れる。

男遊びの好きなデイジー・ミラーは、「ふしだらな女」として現地の人たちの顰蹙を買う。誰も彼女の行動原理が理解できないし、また理解しようともしない。ただ一人、ウィンターボーンだけが彼女の内面を知ろうと務める……。

訳者あとがきには「新大陸」と「旧大陸」の対比がどうのと書いてあったけれど、個人的にはその辺のところは重視して読まなかった。これは理解できない対象とのすれ違いを扱った小説であり、つまりエイリアンには深入りするなという話である。たとえるなら、夏目漱石の『三四郎』っぽい感触。デイジー・ミラー=美也子。

2005.3.2 (Wed)

ダンテ『神曲 煉獄篇』(1313?)

神曲 煉獄篇(108x160)

★★★
La Divina Commedia / Dante Alighieri
寿岳文章 訳 / 集英社文庫 / 2003.1
ISBN 4-08-761002-0 【Amazon

「地獄篇」の続編。ダンテがヴェルギリウスの案内で煉獄山を登る。全三十三歌。

煉獄山は七つの冠から構成されており、最上部はアダムとイヴが追われた地上楽園である。額に七つのPマーク(七つの大罪を意味する)を刻まれたダンテは、楽園に向かって登攀していく過程で、それを一つずつ消していく。ダンテが罪人の身の上話を聞いていくという構造は「地獄篇」と同じだけど、それにしても今回は密度が低いような気がした。これは観光する場所が「地獄篇」の半分以下だからだろうか(*1)。まず、ペテロの門に到達するまで九歌も費やしていて退屈だったし、その後も移動が緩慢なうえに登場人物も小粒で面白味がなかった。ビジュアルがわりと普通だったのも大きい。

しかしヴィルジリオ(*2)は、既にわれらから身を隠してしまっていた、世にも慕わしい父ヴィルジリオは、私がおのれの救いのため、私のすべてを委ねていたヴィルジリオは。(第三十歌)

「煉獄篇」でもっとも印象的だったのが、導者ヴェルギリウスとの別れの場面。この男はただの案内係ではなく、父親・師匠としてダンテを叱咤激励していた。「地獄篇」ではたじろくダンテをお姫様だっこして運んでやったヴェルギリウス。「煉獄篇」ではダンテのためにさりげなく崖の外側を歩いてやったヴェルギリウス。主人公ダンテのためにあれこれ世話を焼いたヴェルギリウスは、作者ダンテにとっての理想の父親像だったのかもしれない(*3)。ダンテ、号泣である。

「地獄篇」の項で触れるのを忘れたけれど、あの磔にされたイエスはこの世を去った後、地獄に降臨してあっという間にそこを征服したようだ。だから、最深部であいつが噛み噛みされていたのである。人類は許されてるみたいなことを言って磔になったくせに、ちゃっかり復讐しているところが素敵だ。それにしても、イエスはどうやって地獄を征服したのだろう? その辺の事情を本宮ひろ志あたりが漫画化すると面白いんじゃないかと思った。ふんどし一丁で地獄にやってきたイエスが、「わしが神の子・イエスじゃあっ!」と叫びながら悪鬼どもを蹴散らしていくの(『天地を喰らう』【Amazon】をイメージ)。

>>『神曲 天国篇』へ

*1: 神曲 - Wikipediaを参照。
*2: 引用者註: ヴェルギリウスのこと。
*3: ところで、夢を見ていたダンテが「耐え難い悪臭」で目が覚めるというエピソードがあったのだけど(第十九歌)、これってヴェルギリウスの悪臭で目が覚めたのかね? だったらダンテって面白い奴かも。

2005.3.3 (Thu)

今野緒雪『マリア様がみてる』(1998)

マリア様がみてる(112x160)

★★★
コバルト文庫 / 1998.4
ISBN 4-08-614459-X 【Amazon

私立リリアン女学園。平凡な1年生・裕巳が、憧れの先輩「紅薔薇のつぼみ」(*1)と姉妹の契りを結ぶことになった。ところが……。

「姉妹の契り」といっても、その語感から想像されるような怪しいものではない。『水滸伝』における「義兄弟の杯」みたいな、結束の儀式のことである。先輩から後輩へのロザリオの授受によって、2人は「姉妹」(*2)関係で結ばれる。1人につき1人の「妹」(*3)、そして1人の「姉」(*4)。つまり、2年生は最大で姉と妹を1人ずつ持つことができる計算だ。ただし、3年生になるまで妹を作らなかった人がいることから、よほど気の合う者同士じゃないと姉妹関係にはなれないようである。

「紅薔薇のつぼみ」というのは、要するに特権的な身分。純粋培養お嬢さま学園におけるエリート中のエリートである。まず頂上に、「紅薔薇」(*5)、「黄薔薇」(*6)、「白薔薇」(*7)の3人がいて、それぞれの妹に「つぼみ」という呼称がくっつくという具合。「薔薇」が卒業したら、「つぼみ」が「薔薇」になるようである。ちなみに挨拶は「ごきげんよう」で、先輩のことは「○○さま」と敬称つき。同級生には「さん」づけで、姉は妹に対して名を呼び捨てにする。

物語は、学園祭で披露する演劇の準備を軸に進んでいく。舞台が女子校で、さらに出し物が演劇というと、中原俊監督の『櫻の園』【Amazon】を思い出すけれど、あちらは実写だったせいか、敬慕の念が妙に生々しかった。一方、本作は実体から離れた想像の世界ということで、肉の欲望を感じさせない世界観を形成している。姉妹の結びつきが嫌味にならないのは、非実写媒体の強みといった感じ。数枚ある少女漫画風の挿絵も、プラトニックな印象をうまく補強している。

演劇には男性が絡むのだけど、当然のことながらこれが異物扱い。その役割は、読んでるこちらが同情したくなるほどのものだった。けれどもよく考えてみれば、男性の連帯を描いた物語では往々にして女性が酷い扱いなので(具体的には、『メジャーリーグ』【Amazon】、『スラップ・ショット』【Amazon】、『フル・モンティ』【Amazon】など)、これはその手のお約束の鏡像なのだろう。姉妹の絆、および少女たちの純潔を守るため、男性には犠牲になってもらうしかないのだ。

文章や筋書きが平凡であるにもかかわらず、それでも読ませるキャラクターと世界観の魅力。学園生活がメインということは、きっと「羅倶美偉」(*8)や「撲針愚」(*9)、「驚邏大四凶殺」みたいなドキドキ・イベントが目白押しに違いない(『男塾』!)。何にせよ、続きが気になる小説ではある。

*1: 読みは「ロサ・キネンシス・アン・ブウトン」。
*2: 読みは「スール」。
*3: 読みは「プティ・スール」。
*4: 読みは「グラン・スール」。
*5: 読みは「ロサ・キネンシス」。
*6: 読みは「ロサ・フエテイダ」。
*7: 読みは「ロサ・ギガンティア」。
*8: 読みは「らぐびい」。
*9: 読みは「ぼくしんぐ」。

2005.3.8 (Tue)

ピーター・ケアリー『ケリー・ギャングの真実の歴史』(2000)

ケリー・ギャングの真実の歴史(110x160)

★★★★
True History of the Kelley Gang / Peter Carey
宮木陽子 訳 / 早川書房 / 2003.10 / ブッカー賞
ISBN 4-15-208523-1 【Amazon

19世紀後半のオーストラリア東南部。実在のギャング、ネッド・ケリー(1854-80)の生涯を、彼が娘に宛てて筆記した手紙を中心に再構成。

オーストラリアには特に思い入れがないので、別にケリー・ギャングが実在の人物であることなんて重視しなかった。ましてや、史実への忠実度みたいなものも重視しなかった。実在云々についてはせいぜいハリウッド映画のテロップに出てくる、"This is a true story"を眺めるくらいの心持ち。実在だろうが何だろうが、読み物として興味をそそるか否かを重視して本作に臨んだ。

でまあ、これが理不尽な仕打ちを受けまくりの壮絶人生でかなり読ませる。この時代のオーストラリアは植民地政府の統治下で、貧民たちはひたすら農耕・牧畜などの第一次産業に従事している。主人公はアイルランドから流刑にされてきた男の息子で、幼い彼は家族と一緒に貧乏生活を営んでいる。それだけなら平和でいいのだけど、悲惨なことに警官に目を付けられて酷い目に遭う。母親に振られた男による逆恨みから、家畜泥棒の冤罪まで、警官との確執が人生の中心になる。植民地を牛耳る警官どもの横暴ぶりは目を覆わんばかり。気に入らない奴を片っ端から監獄にぶち込んでいくのだから恐ろしい。

タイトルから、ギャングによる強盗が目白押しの、『明日に向って撃て!』【Amazon】みたいな話を想像していた。ところが、紙幅の半分近くがギャングになる前の10代の出来事に割かれていて驚く。わずか26年の生涯だからこうなるのは当たり前にしても、正直なところ肩透かしを食った気分。ただそれでも、山賊と関わって酷い目にあったり、誤解で親族と揉めたり、ギャングにならずとも波瀾万丈なのが良い。我らがケリーは、物語が進むごとにどんどん追いつめられていく。

また手紙を書きはじめたのだ。だれもとめられやしない。政府にとっちゃおれの書く真実は恐怖だ。騒然としたその夜おれは恐怖をよみがえらせていたのだ。(p.474)

ペンは剣よりも強し。公権力の横暴に耐えかねてギャングになったケリーたちだけど、たとえ闘争には敗れても、真実を語った文章は後世まで残り人々の胸を打ち続ける。というわけで、ケリー・ギャングの理不尽な人生に圧倒されつつ、文章の持つ力というものをぼちぼち再認識したのだった。