2005.3b / Pulp Literature

2005.3.11 (Fri)

フランソワーズ・サガン『悲しみよ こんにちは』(1954)

★★★★
Bonjour Tristesse / Francoise Sangan
朝吹登水子 訳 / 新潮文庫 / 1955.6
ISBN 4-10-211801-2 【Amazon
ISBN 978-4309709444 【Amazon】(池澤夏樹世界文学全集)

17歳の娘と放蕩者の父は、同じ種族としての共感を抱きながら生活している。そんなある日、父が愛人を捨てて結婚することになった。結婚によって絆が薄れるのを恐れた娘は、2人を別れさせようと策略を仕掛ける。

訃報(2004年9月24日)を聞いたときに1冊くらい読んでおこうと心に決めていたのだけど、どういうわけか今の今まで先延ばしになっていた。本書はサガンのデビュー作で、何と当時の彼女は18歳。そんな年齢でデビューさせるなんてどうせ出版社の話題作りだろう、と高を括って読み始めたら、それが大間違いで、内面描写があまりに精緻だったのに驚いた。

娘の回想によって、彼女をとりまく世界を批評させていく手法がはまっている。肉体的魅力が欠けている人たちへの辛辣な眼差しから、人生観の違う継母予定者への複雑な思い、そして将来への悲観など、その全てが若い語り手とは思えないほど理知的で引き込まれる。

たとえば、目の前の人物を、

かの女の判断は悪意から出る鋭さ、精密さを持っていなかった。(p.21)

なんて評するとは普通に凄い。本当にティーンエイジャーが書いたのかよと思ってしまう。

父親との絆を壊されるのは嫌だけど、かといって相手は憎しみを誘うほど悪い人間ではない。ただ、自分たちの目指す生活と相容れないだけ……。回想する娘は自身のこみいった感情すら的確に語っており、セリフと地の文のトーンが乖離している。策略の決着なんか、直情的なセリフと明晰な語りが併存しているからこそ、臨場感が出ているんじゃなかろうか。

総じて娘の語り口が面白かった。引き続き、他の小説も漁ってみることにする。

2005.3.13 (Sun)

J・D・サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』(1953)

ナイン・ストーリーズ(110x160)

★★★★
Nine Stories / Jerome David Salinger
野崎孝 訳 / 新潮文庫 / 1974.12
ISBN 4-10-205701-3 【Amazon

29編の短編から9編を選んで収録した自選短編集。「バナナフィッシュにうってつけの日」、「コネティカットのひょこひょこおじさん」、「対エスキモー戦争の前夜」、「笑い男」、「小舟のほとりで」、「エズミに捧ぐ――愛と汚辱のうちに」、「愛らしき口もと目は緑」、「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」、「テディ」の9編。

以下、各短編について。

「バナナフィッシュにうってつけの日」"A Perfect Day for Bananafish"

精神を病んでると思しき青年(シーモア・グラース)が、海辺で女の子とナンセンス・トークをかわす。そして……。雰囲気が良い。不可避なラストへ向かって淡々と進んでいく。★★★★。

「コネティカットのひょこひょこおじさん」"Uncle Wiggly in Connecticut"

女が旧友の家に遊びに行く。そこで、女同士のとりとめのない会話。戦時中に死んだ昔の彼氏のエピソードと、娘が見えないお友達を喪失するエピソードが重なる話。ラストのせつない幕切れなんてもの凄い力業なのに、それでも説得力があるという不思議な小説だった。とりとめのない会話はかなりリアル。★★★★。

「対エスキモー戦争の前夜」"Just Before the War with the Eskimos"

女子学生が、精神を病んでると思しき男(友人の兄)と会話する。会話の内容が訳分からないのにも関わらず、娘の変化と情緒的な幕切れに不思議な説得力がある。やさしさを取り戻す瞬間ってこんなもんだよねー、みたいな。★★★。

「笑い男」"The Laughing Man"

男子小学生たちの仲良しクラブ・コマンチ団。いつも通り野球をしていたら、監督役の大学生(団長)が恋人を連れてきた。傑作。何といっても、江戸川乱歩風の怪人物語「笑い男」が良い。この挿話の元ネタはユゴーの「笑う男」(リンク先は映画版)のようだ。で、団長が送迎バスの中で子供たちに「笑い男」を物語るのだけど、そのクライマックスの哀愁がたまらない。実は物語の前に現実世界で一波乱あって、だからこそラストは少年たち目線で一緒に共感できる。それと、本作は少年たちの純粋が良い。団長に対する敬慕の眼差し、自分のことを笑い男の子孫だと想像する単純さなどが微笑ましい。★★★★★。

「小舟のほとりで」"Down at the Dinghy"

三歳の男の子が家出する。グラース・サーガ。提督ごっこで悩める子供の気を惹く母親がカッコイイ。ラストなんかちょっとした情景描写で親子の絆を表してしまう超絶テクニック。でも、「ユダ公」を「ゆだこ」に変換するのはどうかと思った。★★★★。

「エズミに捧ぐ――愛と汚辱のうちに」"For Esme――with Love and Squalar"

ノルマンディ上陸作戦前のイギリスで、兵士の「私」がエズミに出会う。家庭を築いて平和に暮らしているらしい主人公が、エズミと出会った六年前を回想する。戦争の傷が贈り物によって……という話。ラストの一文はあらゆる人間を惹きつけて止まないのだろうが、いまいち釈然としなかった。途中から仮名になる仕掛けは何だったのか、と。★★★。

「愛らしき口もと目は緑」"Pretty Mouth and Green My Eyes"

白髪男が友人の女房とベットの中。そこへ当の友人から電話が掛かってくる。友人を気遣う白髪男が、彼と取り留めのない会話を繰り広げてあり得ない「捻れ」を目の当たりにする。余韻の残るラスト一段落の仕草は、男の複雑な感情を上手く表現している。この場面だけヘミングウェイっぽい。★★★★。

「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」"De Daumier-Smith Blue Period"

画家が通信制美術学校の講師になる。そこで、とてつもない才能を持った生徒に出くわすが……。ピカソの「青の時代」を踏まえているらしい。これは傑作。情感を揺さぶるという点では、「笑い男」と双璧だと思っている。確か『宇宙からの帰還』【Amazon】という本に、宇宙体験をした飛行士たちの多くが信仰心を持った、みたいなことが書いてあった(本が手元にないので不正確)。本作の主人公もそれと同様なのだろう。日常から逸脱することで巨視的な視野を獲得する。心の変革というのはこんなもんなんだろうな、という感じ。「対エスキモー戦争の前夜」にやや似ている。★★★★★。

「テディ」"Teddy"

天才少年もの。前世はインドの聖者だったと自称する少年の物語。東洋趣味の横溢する小品だけど、相変わらず会話がぶっ飛んでてよく分からなかった。悟りを開くのも考え物、ということか? 天才少年ものならスタージョンの「成熟」のほうが遙かに面白いと思った。強いて良かったところを挙げれば、両親がけっこう普通で、少年との掛け合いが家庭的で微笑ましかったことくらい。★★。

2005.3.14 (Mon)

ジェフリー・ブレイニー『オーストラリア歴史物語』(1994)

オーストラリア歴史物語(108x160)

★★★
A Shorter History of Australia / Geoffrey Blainey
加藤めぐみ・鎌田真弓 訳 / 明石書店 / 2000.9
ISBN 4-7503-1317-3 【Amazon

オーストラリアの歴史を概説してる本。

『ケリー・ギャングの真実の歴史』を読んでオーストラリア史に興味を持ったので手を出してみた。古代人が大陸に移り住んだ様子や、1850年代のゴールドラッシュ、国民の競争心がスポーツで発揮されたという指摘など、色々と勉強になる本だった。

なかでも興味深かったのがアメリカとの対比である。南半球のオーストラリアと北半球のアメリカ。どちらもイギリスの植民地であったことが共通しているが、アメリカが独立戦争で自治権を獲得したのに対し、オーストラリアは武力闘争なしで自治権を手中に収めることができた。その差が、国民の気質の差になったらしいという指摘が面白かった。積極的な移民政策と無傷の自治権獲得によって、オーストラリアでは平等主義みたいなものが芽生えたようである。

……けれども、実のところ興味をおぼえたのはそれくらいで、オーストラリアという国自体にはあまりそそられるものがなかった。これは歴史が浅い(内戦がない)からということもあるが、それ以上に普段からオーストラリアのポップカルチャーに触れていないことが大きい。同じ歴史の浅い国でも、アメリカの場合は映画・音楽・その他で日本を席巻していて、それで親近感が沸いているわけだし。特に物語の力は無視できない。たとえば、西部劇を観てアメリカの歴史に触れた気分になってしまうのだから。文化の力は偉大だね、と思ったのだった。

2005.3.16 (Wed)

アベリャネーダ『贋作ドン・キホーテ』(1614)

贋作ドン・キホーテ(113x160)


El ingenioso hidalgo Don Qvixote de la Mancha / Alonso Fernandez de Avellaneda
岩根圀和 訳 / ちくま文庫 / 1999.12
ISBN 4-480-03527-3 【Amazon
ISBN 4-480-03528-1 【Amazon

『前篇』の1年後。村に連れ戻され、正気を取り戻したドン・キホーテだったが、騎士道に関わってまた狂気がぶり返す。サラゴサで馬上槍試合があるのを知った彼は、サンチョ・パンサを連れて冒険の旅に出る。

正式なタイトルは「才智あふれる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」。出版当時、『後篇』を執筆中だったセルバンテスは、先に出た『贋作』の正統性を否定するため、急遽終盤のプロットを変えることになる(*1)。結局、『後篇』は『贋作』の1年後に出版された。

『後篇』のドン・キホーテは幻覚を見ないようになったけれど、『贋作』の彼は『前篇』の性格をそのまま受け継いでいる。主従が遭遇する事件も、序盤に限っては『前篇』のノリだ。そこら辺の農夫にボコられたり、卑猥な下ネタを披露したり、長ったらしい作中作を挿入したりしている。サンチョが圧倒的にバカになっているのが気になったものの、前半はわりとコンパクトにまとまっていて読みやすかった。

ただ、後半は筋に広がりがなくて退屈だった。『ドン・キホーテ』の肝は、一行が道中で揉め事を起こし、ずれた反応をして周囲の人らに笑われるところにあるのだけど、本作の場合は個々のイベントに魅力がないのである。まるで『前篇』の終盤を引き延ばしたみたいというか。ドン・キホーテは狂人だということで、みんなの慰みものにされる。それがワンパターンで面白くない。

たとえば、『後篇』は仕掛け人が金持ちであったため、笑い者にするにも異様に手が込んでいた。サンチョを島の領主に据えるというダイナミックさがあった。ところが、それが『贋作』だとせいぜい日常に毛が生えた程度の規模しかない。庶民的というか、いたずらのスケールが小さくて面白味に欠けている。

こうなってくると、サンチョの造詣が致命的になってくる。なぜなら、本家はサンチョの機知に富んだトークが見所の一つになっていたのだから。ツーといえばカーと鳴く、あの当意即妙の受け答えが全体を支えていたのだから。翻って『贋作』のサンチョはただのごろつきに過ぎず、本家で発揮した3枚目の本領を失っている。

クライマックスは巨人との対決だったけれど、これも全然盛り上がらなかった。アベリャネーダは真面目に書く気あったのだろうか? 文章表現なんか「抱腹絶倒」みたいな紋切り型が多かったし、脇役たちはドン・キホーテの狂態を見て笑ってばかりで、話芸で魅せるようなこともしていない。もともと本作はセルバンテスへの私怨を晴らすために書かれたようだから、著者も途中で飽きて手を抜いたのだろう。その成立事情も含めて何とも微妙な小説だと思う。

*1: 具体的には、ドン・キホーテの馬上槍試合参加を止めさせた。

2005.3.18 (Fri)

フランソワーズ・サガン『ブラームスはお好き』(1959)

★★★
Aimez-vous Brahms / Francoise Sangan
朝吹登水子 訳 / 新潮文庫 / 1961.5
ISBN 4-10-211804-7 【Amazon

39歳の女性が14歳年下の青年と愛人関係になる。

簡単にいえば三角関係のロマンス。39歳のヒロインには長年連れ添った年上の恋人がいるのだけど、その恋人は何と愛人持ち。二股膏薬でよろしくやっている。そんななか、ヒロインの前に情熱的な年下青年が現れて、猛烈アタックをかましてくる。困惑するヒロイン。当初は年上恋人を気にしたり、年齢差に不安をおぼえたりするも、結局は青年の熱意に屈してしまう。そこで焦ったのが、ヒロインとの結婚を目論んでいた年上恋人。自分が振られたことを知って、未練たらたら状態になる。

途中まで超くだらないメロドラマが進行していたので、こりゃハズレかもと思っていたら、終盤で意外な捻りがあってびっくりした。

具体的に何があったかは置くとして、『悲しみよ こんにちは』と本作を読んだ限りでは、サガンは「絆」を描く作家なのだろうなと思った。感情先行型の紐帯というか。『悲しみよ〜』では父と娘の絆が、本作では男と女の絆が描かれている。いずれも磁石が引き合うような、切っても切れない縁だ。この2作を読んだ時点で判断すると、作者は重度のロマンチストに見える。

レストランでダンスするシーンが素晴らしい。件の2人が無言ですれ違って見つめ合うところなんか、微妙な関係が表現されていてとてもドラマチック。現実では無理そうな心の繋がりも、こういう無言で見せる場面があるからこそ、説得力が出てくるのだと思う。

ところで、ヒロインの言動がちっとも39歳に見えないのは気のせいだろうか? 気怠さをたたえながらも恋愛に関しては純粋で、中年特有のいやらしさ・狡猾さがほとんどない。まるで10代・20代のようなメンタリティーだった。おフランスのブルジョワジーというのは、こんなにも若々しいものなのだろうか。