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2005.4.11 (Mon)
▽ロディ・ドイル『パディ・クラーク ハハハ』(1993)
★★★★
Paddy Clarke HaHaHa / Roddy Doyle
実川元子 訳 / キネマ旬報社 / 1994.9 / ブッカー賞
ISBN 4-87376-095-X 【Amazon】
1968年のバリータウンを舞台に、10歳の少年の日常生活を描く。学校と遊びと両親の不和。
バリータウン4部作の4作目。バリータウンとはダブリン郊外にある発展途上の田舎町(架空の町)。労働者階級が多く住んでいる。本作は10歳のパディ・クラーク少年が語るエピソード集で、この年代特有の楽しさ・残酷さが余さず活写されている。
「残酷さ」と書いたけれど、何もサイコ少年が暗躍するような異常な性質のものではない。仲間を押さえつけて粉石鹸を飲ませたり、片親家庭の子供をバカにしたり、要するに現実にありそうな「子供らしい」残酷さである。人並みの道徳心を持った人間なら、彼らの暴力は度を越しているように思われるだろう。ただその反面、等身大の少年像をあるがままのものとして提示したところが新鮮で、何より面白味を感じる。
もちろん、そんな残酷さは少年生活に内包する要素の一つに過ぎなくて、本作にはノスタルジーを感じさせる楽しさだってある。たとえば、少年たちの遊び。空き地でサッカーしたり、住宅地で障害レースしたり、同じく住宅地でピンポンダッシュしたり。はたまた、蜜蜂をタールに埋めたり、余所の町で万引きしたり、ごっこ遊びで暴行加えたり。これがいかにも悪ガキ集団といった感じで、思わず頬がほころんでしまう(え? ほころばないって?)。それに、ここでいう「楽しさ」とは何も仲間内での遊びだけじゃない。やんちゃな少年を抱擁する母親の暖かみや、機嫌が良いときの父親のやさしさだって見逃せない。
最初に述べた通り、本作は10歳特有の楽しさ・残酷さが余さず活写された小説だ。悪戯やいじめの場面なんかけっこうえぐい。にもかかわらず、それほど悪い印象を受けないのは、ひとえに少年の飾らない語り口によるものだろう。シンシア・カドハタの『きらきら』は、少女のユーモラスな語り口が微笑ましい小説だった。本作のパディ・クラーク少年も、等身大らしい清濁併せ呑んだ魅力で、我々に好印象を与えてくれる。
なお、タイトルの意味が明らかになるラストは感慨深い。「ハハハ」という笑い声はこんな文脈で出てくるのかと驚いたのであった。やはり本作はそんじょそこらの少年ものとは一味違う。
2005.4.13 (Wed)
▲江戸川乱歩『双生児』(1924-)
★★★
角川ホラー文庫 / 1999.8
ISBN 4-04-105322-6 【Amazon】
日下三蔵編集による長・短編集。「双生児」、「一人二役」、「ぺてん師と空気男」、「百面相役者」、「一寸法師」の5編。
=「金之助」や。
=「美也子」です。
アイコンは、アイコン・WEB素材のアッコの畑のものを使用させてもらってます。
「双生児」(1924)
強盗殺人で死刑判決を受けた男の告白な。何と男には双子の兄がおって、そいつのこと殺した言うんや。男は兄のこと憎んでたんやな。兄には財産相続権があるし、自分と付き合うてた女はそんな兄のもとに嫁いでもうたし。それに肉親憎悪もあったらしいんや。
それ(引用者註: 肉親憎悪のこと)が、私のような顔形のまったく同じ双生児の場合には、もう極度にたまらないのです。ほかになんの理由がなくても、ただ同じ顔をした肉親であるということだけで、充分殺してしまいたくなるほどなんです。(p.15)
どひゃ〜。これ、ほんまかいな。わしには双子の兄弟おらへんのでわからんのやが、一見すると明るい双子も、心ん中にはこない闇を抱えとるかもしれへんのやなー。ほんで、こん小説はそないな情念もさることながら、双子であること利用した犯罪計画がおもろいんやな。双子いうたら分身の術とか、入れ替わりとか、アリバイトリックとか思いつくが、期待に違わずそういうトリックが使われとる。かててくわえて、計画が頓挫するロジックもごっついんや。これにはズドーンときたで、ほんま。そうそう、双子でも指紋が違ういうんは勉強になったな。★★★★。
「一人二役」(1925)
放蕩者で変わり者であるところの夫が、妻に策略を仕掛ける話ね。その策略っていうのが、何と他人に成り済まして、妻と床を共にするというものなの。付け髭があるし、暗闇のなかで逢瀬を重ねるから、バレることはないって踏んだわけ。それで、妻は成り済ましの人物に恋をしちゃうの。夫よりもそっちが良いって懸想しちゃうの。複雑なのが夫よね。何せ、妻が恋をしてるのは自分の変身なんだから。さて、夫はどうするか? これはもうオチが秀逸ね。思わずニヤリとしちゃう。女は魔物なのよ。★★★★。
「ぺてん師と空気男」(1959)
物忘れの激しい「空気男」が、冗談大好き「プラクティカル・ジョーカー」と出会う。意気投合した2人は、事あるごとに大がかりなジョークを世間に仕掛けていく、っちゅう話や。ほんで、このジョークな。これは素人を驚かすドッキリ・コントみたいなもんや。2人がさまざまなシチュエーションで演技して、奇妙な空気作ってな、素人はんを唖然とさせる。ま、罪のない遊びやな。さらに、仲間内で探偵ごっことかして楽しそうなんや。ほんで、本作はそんな遊びを織り交ぜつつ、「空気男」と「ジョーカー」の細君との、道ならぬ恋が縦軸となって進行していく。こん小説は男女の緊張に、作者自身のものと思しき願望妄想入っとっておもろいな。顔にかかる吐息とか、狭い空間での密着とか、触覚に訴える描写がいかにも彼らしい。さすが「人間椅子」の作者や。★★★。
「百面相役者」(1925)
舞台を見てたら役者の変装が凄かった。百面相なんだけど、顔の皺まで再現されている。何でそこまで出来るのだろう。その秘密とはいったい? って話。うーん、流石にこれは褒めようがないような。ワンアイディアを得たはいいけれど、料理し尽くせなかったという感じかしらね。乱歩自身も、「ちょっとした思いつきを未熟のまま筆にしたような作品」(p.377)と自己評価してるみたい。★。
「一寸法師」(1927)
素人探偵・明智小五郎の登場や。一寸法師っちゅうのは、体は子供で顔は大人の奇形児のことな。そいつが何と死体の手首持ち歩いとるんや。さらに、百貨店の人形の手は死体の手首やった! どうやら一寸法師が仕込んだらしい。こりゃ猟奇の血が騒ぐで。何せ、バラバラ殺人事件やし、そのうえ室内からの消失トリックもあるしな。ついでに恋愛も絡んどる。とりあえず、ラストの目まぐるしさは圧巻や。美しいことは尊いことなんやな。って、けっこう厳しい結末やのう。★★★。
#2005年4月某日/某鳳明館森川別館にて
2005.4.15 (Fri)
▲V・S・ナイポール『ある放浪者の半生』(2001)
★★★
Half a Life / V. S. Naipaul
斉藤兆史 訳 / 岩波書店 / 2002.9
ISBN 4-00-022010-1 【Amazon】
インド。「聖人」の父と後進民の母を持つ青年ウィリーが、奨学生としてロンドンへ留学する。在学中に短編集を出版し、それを読んだ女の子とお近づきになる。
これは主人公の物語よりも、冒頭にある親父の物語のほうが面白い。大学時代の彼は役人の父に反抗するため、「見つけうるかぎりもっとも卑しい人間と結婚する」(p.14)と決意する。どうやら、それがガンディー流の自己犠牲の生き方であるらしい。で、彼はそんな大望におあつらえ向きの、後進民の同級生と出会う。
本番はここからだ。同級生にアプローチした親父は、期待通り彼女に対して侮蔑的な感情を抱く。彼女の外見からしゃべり方に至るまで、クッツェーの『恥辱』に出てきた教授ばりの辛辣さで斬り捨てる。植民地ものというのは、こういう階級上位者の見下した視線が読みどころなのだろうか? ともあれ、この親父は結婚後もはじけまくり。順風満帆の役人人生から転落し、寺院で乞食生活を送ることになる。そして、ひょんなことから「聖人」にまで祭り上げられてしまう。サマセット・モームが関わったり、ジャーナリズムの恩恵を受けたりで、あれよあれよと時の人になるという次第。こんな根性悪い男が、一躍「聖人」扱いにされてしまうのが可笑しい。何せ、相変わらず妻のことを後進民と見下しているし、さらには自分の娘の容姿にすらケチをつけているのだから。この聖人化現象、インドならではのリアリティが感じられて面白い。
一方、息子であるウィリーの代になると物語は途端に退屈になる。この父にしてこの子あり、という見下した視線は受け継いでいるのだけど、周りに流されるような主体性のなさがどうも良くない。モラトリアム人間だから仕方がないにしても、親父の起伏に富んだ素敵人生の後だと、ちょっと読むのがつらいのである。ただそれでも、イギリス時代はわりと積極的だったのだ。短編を売り込んだり、アクティブな友人と関わったり、BBCで仕事したり。そこには都会生活の面白さがあった。それなのに、アフリカへ渡った後はアパシーが進行してしまう。農園暮らしによって、肉欲のことしか考えないダメンズになってしまう。
でも、そんな退屈でダメでどうしようもない人生だからこそ、ラストはしんみりくるのかもしれない。どん底から抜けだそうと留学したのに、結局、思った通りに抜け出せなくて20年も無駄足を踏んだ。そんな人生に同情できるかな、みたいな。本作はそこへ植民地問題が絡んで複雑になっているわけだけど、しかしまあ、何だかえらく文学的なダメ人間小説を読んだ気分になったのだった。アーヴィン・ウェルシュの激安人間ものとはまた一味違う、不景気なダメ人間小説。ラスト一行の、嫁さんのセリフが痛烈である。というか、嫁さん可哀想。
2005.4.17 (Sun)
▲イアン・マキューアン『夢みるピーターの七つの冒険』(1994)
★★★
The Daydreamer / Ian McEwan
真野泰 訳 / 中央公論新社 / 2001.11
ISBN 4-12-003200-0 【Amazon】
連作短編集。夢みるピーターが7つの冒険を繰り広げる。
10歳の少年が主人公。イアン・マキューアンの少年ものというと、サイコ少年を題材にした『危険な遊び』【Amazon】を思い出すのだけど、幸いなことに本書はそんな邪悪な内容ではなかった。雰囲気はほのぼの系。夢見がちなピーターが、空想世界へトリップして冒険する。
特筆すべきは、メッセージが道徳的なところだろう。本書ではいくつかの短編で、少年の心の成長が描かれている。変身、体験、改心という三段階のプロセス。アイデンティティを変換するということは、必然的に他者の立場を思いやることに繋がる。本書は物語の面白さのみならず、そういった教訓面での配慮もあるので、小さい子にも安心して読ませることができる。
それにしても、マキューアンがこんなまっとうな児童文学を書いていたとは思わなかった。母親の死体をセメント漬けにしたり(『セメント・ガーデン』【Amazon】)、実の兄を射殺したうえに今度は母親を殺そうとしたり(『危険な遊び』)、そういう異常少年専門のイメージがあったのだ。いやはや驚きである。
以下、各短編について。
「人形」
何十体もの人形に襲われる。まあ普通だけど、ピーターのトリップは病気かと思った。
「ネコ」
ピーターが愛猫の体に精神を宿して冒険する。イベントをこなすことで、ピーターと猫に絆が生まれる。ラストは感動的。
「消えるクリーム」
ここに出てくる「消えるクリーム」とは、透明人間になるクリームではなく、存在そのものを消してしまうクリーム。それをピーターが両親と妹に塗りたくる。後先考えずに行動を起こすところがのび太っぽい。愛しているにも関わらず、その存在を抹消せずにはいられない心理。フロイト先生の分析が聞きたいところだ。
「いじめっ子」
いま自分が存在する現実は、ひょっとしたら夢かもしれない。この世界のあらゆる物は、自分の頭で作り出されたものかもしれない。ピーター少年が、そういうP・K・ディック的な妄想に囚われる。よく出来てるなあと思うのは、この突拍子もない考えがいじめっ子問題に結びつくところで、そのロジックにけっこうな驚きがある。
「どろぼう」
住宅街に泥棒が発生! その泥棒は通りの端から順番に盗みに入る凄腕で、易々と警戒網を突破して仕事している。順番からして、次は自分の家かもしれない? ピーターはそいつを捕まえることを夢見る。泥棒に親しみやすいニックネームをつけてロマンを感じるところが子供らしい。私は泥棒バーニイみたいな人物像を思い浮かべた。
「赤ちゃん」
親戚の赤ん坊がやってきた。ピーターはそれを煩わしく思う。そして、妹に魔法をかけられて、ピーターと赤ん坊は入れ替わってしまう。言葉が通じないことの恐怖、そして自分に敵意を抱く存在への無力感。こういうのは相手の身になってはじめて分かるのだな。
「大人」
海辺でバカンスを楽しむ大人たちと子供たち。大人たちの世界は何だか変だ。ということで、ピーターが大人に変身する。大人世界と子供世界の対比なんて、いかにもこの著者が書きそうだなという気がする。『時間のなかの子供』【Amazon】を連想。