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2005.4.21 (Thu)
▲ウィリアム・ゴールディング『通過儀礼』(1980)
★★★
Rites of Passage / William Golding
伊藤豊治 訳 / 開文社出版 / 2001.5 / ブッカー賞
ISBN 4-87571-964-7 【Amazon】
貴族の青年が教父のために綴った日記。植民地(オーストラリア)へ向かう戦艦の、船内の様子が描写される。災害や戦闘といった英雄的事件の起こらない海洋小説で、力無き牧師が悲劇に見舞われるという筋。
「でもねえ、国家が国教会を維持する最高の論拠は、一方において、それが手にもつ鞭であり、他方においては――そうです敢えて言えば――架空の褒章なのです。従ってこの船においても――」(p.23)
航海中の船は世間から隔離された一種の王国と化している。そこでは船長が国王として君臨し、船員及び乗客は規定を守って生活しなければならない。貴族の青年が教父の権威によって尊重されるのに対し、確たる後ろ盾を持たない牧師は船員から徹底的に迫害される。その迫害たるや目を覆わんばかりで、言葉による侮辱のみならず、ついには実力行使にまで及ぶのだから恐ろしい。酔っぱらった船員たちが獣性を発揮するところは、『蝿の王』【Amazon】の理性がぶっ飛んだ子供たちを彷彿とさせる。結局のところ、「船のなかの牧師は釣船のなかの女のようなもの」(p.233)なのだ。陸のうえではそれなりに敬意を払われるであろう聖職者も、船のなかでは慰み者になるしかない。
青年の日記は文学趣味が横溢していて読むのがしんどいのだけど、日付が進むに連れて文章が狂騒的になってきて可笑しい。最初は出港からの日付をちゃんと記入していたのに、途中から日付の間隔が空いたり、日付の代わりに記号を用いたり、管理が投げやりになっていく。また、青年の日記には途中に牧師の手紙(妹宛て)が挿入されており、こちらはこちらで狂信的な味わいがある。神への信仰をベースにした心情吐露が痛々しいのだ。どうやら、船旅とは人の正気を奪って止まないもののようである。
それにしても、尊厳が回復されないままの牧師は、「ダメな奴は何をやってもダメ」を体現しているようで悲しい。神の威光は文明圏から離れた洋上までは届かないということなのか。船長の権力は「遵守規定」と「制服」によって保証されているし、青年の権威は彼がつける「日記」とその背後にいる「教父」によって支えられている。翻って牧師はどうだろう? 彼が聖職者としての威勢を示せたかもしれない、唯一の物体である「説教許可状」は、船底に放置されたままついに表に出ることがなかった。要するに、人が社会において尊厳を保つには、冒頭で引用した「鞭」及び「架空の褒章」が必要であり、そのルールはこの船でも例外ではなかったのだな。
と、本作はたぶんそんな話。牧師を襲った奴らが、わざわざ野蛮人の扮装をしていたのも印象深い(逆に牧師は襲われたとき服を着ていなかった)。
2005.4.24 (Sun)
▲ナディン・ゴーディマ『ゴーディマ短篇小説集 JUMP』(1991)
★★★
Jump and Other Stories / Nadine Gordimer
ヤンソン柳沢由実子 訳 / 岩波書店 / 1994.9
ISBN 4-00-002889-8 【Amazon】
短編集。「隠れ家」、「むかし、あるところに」、「究極のサファリ」、「父の祖国」、「幸せの星の下に生まれ」、「銃が暴発する寸前」、「家庭」、「旅の終り」、「どんな夢を見ていたんだい?」、「体力づくり」、「釈放」、「JUNP」の12編。
著者は南アフリカでアパルトヘイトを告発し続けてきた白人の女性作家。1974年に"The Conservationist"でブッカー賞を、そして1991年にノーベル文学賞を受賞した。
解説によると、本書は原書から4編を削除したということらしい。収録作はいずれも市井の人たちにスポットを当てながら、その背景にある人種問題の歪みを浮き彫りにしている。差別ものというと、何となく政治主張一辺倒の扇情的な内容を想像してしまうけれど、本書の場合は読み物としての質も一定以上備えている。
作風はシニカルだったりストレートだったり、そういう微妙な線だったりする。二者間の断絶が背景にあるせいか、能天気なハッピーエンドで終わる短編は一つもない。それどころか、いくつかの短編で女流サスペンス作家ばりの意地の悪さが見られる。
以下、各短編について。
「隠れ家」"Safe Houses"
白人の革命家が、バスの中で知り合った金持ちの人妻と不倫する話。黒人差別が横行している南アフリカに住んでいるのに、そういう迫害を受けている人たちを、人妻は「非現実的」と言い切る。郊外の「安全な家」に住んでいる限り、彼らと接点はないし、また自分に害もないので無関心でいられるというわけだ。これは南アフリカだけではなく、どこででも見られる普遍的な光景だろう。★★★★。
「むかし、あるところに」"Once Upon a Time"
作家が童話を考える。とある裕福な家族が、黒人の暴動から家を守るため、塀にカミソリを用いたバリケードを仕掛けた。これで安心して生活できると思ったのも束の間、想定の範囲外の事件が起きる。こういう怖い系の話っていかにも女性作家らしい、と言ったら偏見だろうか。★★★。
「究極のサファリ」"The Ultimate Safari"
モザンビーク。戦争を避けるために黒人少女とその家族が、クルーガー・パークを通って外国へ逃げる。で、逃げた先で難民生活を営む。少女の素朴な語りがせつない小説。★★★。
「父の祖国」"My Father Leaves Home"
父の祖国へ旅行して狩猟する話。一人称の語りと三人称の語りが交互に展開するせいか、ちょっと意味が取りづらかった。13歳で一人前だとか。★★★。
「幸せの星の下に生まれ」"Some Are Born to Sweet Delight"
白人の娘が下宿人の黒人と愛し合う。彼の子供を妊娠し、結婚を決意する。これまた凄い仕掛けの小説だ。とある情感を刺激すると同時に、政治的な問題まで示してしまう、一粒で二度おいしいオチが秀逸。これはもう素直に驚いたと言うしかない。ラスト一行も皮肉が利いている。★★★★。
「銃が暴発する寸前」"The Moment Before the Gun Went Off"
白人の農場主が、黒人の使用人を銃の暴発で殺害してしまう。南アフリカでは黒人の死がアジテーションに使われるようで、それが事故死でも変わらないらしい。当然、背景事情などは調べないし、考慮に入れない。と、そういう状況が示された後のオチがこれまた強烈。★★★。
「家庭」"Home"
スウェーデン人の夫と現地人の妻。妻の母(と弟と妹)が警察に連れて行かれた。弟が反政府運動をやっていてそれで目をつけられたとか。妻は母親から逃げ出したくて結婚したのだが、やっぱり家族は心配で、危険を顧みずあれこれ手を尽くす。この国には29条という法律があって、それのもとに拘禁されると、弁護士も家族も面会できないらしい。★★★。
「旅の終り」"A Journey"
「私」が飛行機の中で、赤ん坊と13歳の少年を連れた女を観察する。そして、彼女らについての物語を創作する。まだあどけない顔をしているはずの少年が、家族に向けてふと「父親」の顔を覗かせるところが感慨深い。そういえば、「父の祖国」では男は13歳で一人前扱いされると書いてあった。★★★★。
「どんな夢を見ていたんだい?」"What Were You Dreaming?"
白人の男女が黒人のヒッチハイカーを車に乗せる。治安が悪いため、白人が黒人を乗せるのは奇跡的なのだが、なぜかこの2人は臆していない。それどころか、誰も乗ってない後部座席に彼を乗せている。何だか様子が変だぞ、ってことで話は進んでいく。運転手の男はイギリス人で彼はこの国のことをよく知らない。一方、女のほうはかなり詳しいので、ヒッチハイカーをダシにして色々と教え諭す。これは無知はいけないという話か。ヒッチハイカーに前歯がない理由なんて、本当に性的嗜好に基づいた習俗があるのかと信じかけてしまった。★★★。
「体力づくり」"Keeping Fit"
ジョギングをしていた白人の男が、ちょっとした事件に巻き込まれて、黒人のスラム街に入り込んでしまう。やばい殺されるかもしれない、と心配したのも束の間、そこで現地の人たちに匿ってもらう。「人は自分の命が脅かされて初めて他の人の苦境が理解できる」(p.203)なんて、この短編集に通底するフレーズで、人種問題を理解するにはそれなりの階梯を踏む必要があるのだろう。「行動」に関する普遍的な心理を突いたラストが素晴らしい。★★★★。
「釈放」"Amnesty"
組合のデモに参加した黒人青年が、懲役6年の禁固刑を食らう。収容先は島の刑務所(ネルソン・マンデラも収容されていた)で、彼の赤ん坊を出産した恋人やら家族やらが面会に赴く。無知はいけないというエピソードと、彼の帰りを待つ女の肖像。★★★。
「JUNP」"Jump"
黒人政府を転覆させようという、白人の反革命運動家。彼が政府に投降し、過去を洗いざらいぶちまける。運動家が語る転向の契機になったエピソードなど、かなりストレートな短編だった。★★★。
以下、参考リンク。
2005.4.27 (Wed)
▽エリザベス・ギルバート『巡礼者たち』(1997)

★★★★
Pilgrims / Elizabeth Gilbert
岩本正恵 訳 / 新潮文庫 / 2005.2
ISBN 4-10-215061-7 【Amazon】
ISBN 4-10-590007-2 【Amazon】(単行本)
短編集。「巡礼者たち」、「エルクの言葉」、「東へ向かうアリス」、「撃たれた鳥」、「トール・フォークス」、「着地」、「あのばかな子たちを捕まえろ」、「デニー・ブラウン(十五歳)の知らなかったこと」、「花の名前と女の子の名前」、「ブロンクス中央青果市場にて」、「華麗なる奇術師」、「最高の妻」の12編。
アメリカを描くことの最良の方法、それは末端の人たちに目を向けることかもしれない。それも都会ではなく、田舎で生活する人たち。本書はカウボーイから青果市場の労働者、果ては画家志望の男まで、様々な人たちにスポットを当てている。
小説としては日常に潜む揺らぎを巧みにスケッチしており、言葉にしづらい微細な感情をすくい上げている。本書を読んで、多面的なアメリカの一つの顔を垣間見たような気がした。
以下、各短編について。
「巡礼者たち」
牧場主の息子が、東部からやってきたカウガールと仕事をする。
牧場で何十頭もの馬を管理するカウボーイ。酒を飲み、荒馬に乗り、狩りの季節になったらハンターをガイドする。こういう風景が現代に残っているのに驚いた。家を飛び出して牧場に身を寄せる、カウガールの逞しさもどこか懐かしい。
彼女の身の上話にはちょっとした哀しみが潜んでいて、それを聞いた少年が、ここから抜けだそうと空想の翼を羽ばたかせる。そう、昔だったらメキシコへ行くという選択肢もあった。西部劇でもよく犯罪者が逃避している。
あと、この小説は書き出しが素晴らしい。
親父から彼女を雇ったと聞かされたとき、俺は「女だって?」と言った。つい最近まで、女は牧場では料理人としてさえ働けなかった。カウボーイたちがあんまり簡単にいかれちまうからだ。不細工な料理人にもやられちまう。年増だって関係なかった。(p.12)
牧場において「女」がいかに異質な存在か。簡潔かつユーモラスに表現している。★★★★。
「エルクの言葉」
山小屋で妹の子供を預かる夫婦。近所に余所者が引っ越してくる。その無神経な所業に妻がいらだちを覚える。
余所者が笛を使ってエルクをおびき寄せたことに腹を立てるという。夫婦は人混みを避けるために山小屋に移ったようだけど、それにしても田舎の排他性が目につくのは気のせいか。エルクをおびき寄せるくらい大目に見てやれよと思う(殺すわけじゃあるまいし)。
でも、今は動物や自然を神聖視するが「文学的に正しいこと」だから、こういう感想は言いづらいんだよな。★★★。
「東へ向かうアリス」
トラックが故障して立ち往生した兄妹を助ける。兄が空気の読めない現地人と酒場で殴り合う。
滅び行く町と妻を亡くした男。妹を触媒にしてちょっぴり癒されるラストは、定型的とはいえ確かに美しい。通りがかりの人との関わりを通して、田舎人の感情を切り取るのがこの著者の持ち味だろうか。身の上話に出てくる兄弟たちのバカっぷりも愛おしい。★★★★。
「撃たれた鳥」
ガスハウスが友人の息子を鳩撃ちに連れていく。
うひゃー、ガスハウスの孤独がせつない! そりゃ鳩撃ちハブられたらショックだわ。しかも、友人の妻が片思いの相手で、自分は今も独身っていうのが何とも。「鳩を撃ち落とすのが男の仕事」なら、射撃が下手なガスハウスは男として未熟ってことなのか。マッチョなようで実は去勢されている男の哀しみ。★★★★。
「トール・フォークス」
道路を挟んで向かい合わせにある2つの酒場。片方が潰れて、その後新しくできた酒場はストリップを売りにしている。そこへ向かい側の女店主が偵察に行く。
古き良き酒場の哀愁というのか。向かい合わせだけあって客は共通しており、何人かは顔見知りになっている。女店主の過去と酒場の変容、そして場末の人たちの生命の息遣い。何気ないスケッチから場所にまつわる思い出を切り取っていて感慨深い。全体的に本書は、田舎者の会話が上手いと思う。★★★★。
「着地」
流れ者の女がサンフランシスコで兵隊を引っ掛ける。
アメリカ人=根無し草というイメージを体現したような女。男女の会話が生き生きとしていて引き込まれる。女がナンパする場面なんてまるで映画みたいでカッコイイ。
それにしても、この著者のまとめの上手さは異常。2人は待ち続けることで別れを引き延ばす。★★★★。
「あのばかな子たちを捕まえろ」
海辺の家で共同生活する4人の男女。海でのトラブルをきっかけに憎しみが生まれる。
計画性のない若者たちのお馬鹿な生活。青春って良いねー、若いって良いねー。嵐のなか海で泳ごうなんて若いにもほどがある。あと、酔っぱらっていたずらして警察沙汰になるところも。★★★。
「デニー・ブラウン(十五歳)の知らなかったこと」
デニー・ブラウンが親友の姉と恋仲になる。
「デニー・ブラウンは〜知らなかった」という否定形の洪水によって、世界と少年の距離を感覚的に浮かび上がらせる。少年の知らないうちに世界は回っており、そこでの彼はちっぽけな青二才に過ぎない。父も母も恋人も、みなベールの内側に秘密を隠し持っている。
父に倣って介護をする流れが興醒めだったかな。恋人、少年、少年の父を結ぶ三角関係。この父にしてこの子あり、という重ね合わせがちょっとあざとい。★★。
「花の名前と女の子の名前」
当時20歳前だった祖父が、ナイトクラブの踊子バベットの楽屋に押しかける。画家志望の彼はバベットの肖像画を描きたかった。
若き日の画家を題材にした芸術家小説。世間擦れしていない祖父と、蓮っ葉なバベットのやりとりが面白い。祖父はとんでもない天然で、女の扱い方についてバベットに注意されている。画家としての才能はいちおう認めてもらうのだけど、世間擦れしていないせいで、親密になれないまま別れてしまう。バベット、それは若き日の思い出。
「花の名前と女の子の名前」しか出てこない、大伯母の存在が絶妙だった。思い出はバベットという名前に凝縮される。本書のなかではこれがベスト。★★★★。
「ブロンクス中央青果市場にて」
腰の手術で4ヶ月休んだ荷役人夫が、復帰して早々、労働組合の支部長に立候補する。
末端労働者たちの生活が生き生きと描かれていて臨場感がある。市場には、イタリア系、アイルランド系、韓国系など移民たちが集合。労働者の仕事遍歴から丘の上の大邸宅まで、資本主義社会の肖像を浮き彫りにしている。★★★。
「華麗なる奇術師」
華麗なる奇術師と、元ナイトクラブのオーナー。ショービズ界で活躍した2人の友情。
これ、映画化するとしたらオーナー役はジョー・ペシだな。泥棒と対峙したときのキレっぷりが異常。では、奇術師は誰がいいだろう。ロバート・デ・ニーロ? そりゃさすがにベタ過ぎる。★★★。
「最高の妻」
老婆が運転するバスにかつての男たちが乗り込んでくる。
設定としては異色だけど、短編集を締めるにはふさわしいかもしれない。車内はガヤガヤと旧知の男たちで賑わう。この圧倒的なフィナーレ感。こうして本書のアメリカ遍歴は幕を閉じるのだった。★★★。