2005.5a / Pulp Literature

2005.5.1 (Sun)

ロディ・ドイル『ヴァン』(1991)

★★★★★
The Van / Roddy Doyle
実川元子 訳 / キネマ旬報社 / 1994.8
ISBN 4-87376-088-7 【Amazon

失業者の中年2人が、ヴァンを購入して屋台形式のチッパーズの準備を進める。2人は1ヶ月後に開催される、サッカー・ワールドカップでの荒稼ぎを目論むが……。

労働者階級の家族の掛け合いが楽しい、バリータウン4部作の3作目。ブッカー賞を受賞した『パディ・クラーク ハハハ』は、10歳の少年が学校や遊びに精を出しつつ、両親の不和に心を悩ます話だった。それに対して本作は、家族との団らんや仲間との遊び、事業を巡るドタバタなどを描きつつ、男2人の友情に焦点が絞られていく。やはり男の連帯というのは、金や女が絡むと途端に揺らいでしまうものなのだろう。事業の成功によってそれまでの関係が変容してしまい、ケンカと仲直りを繰り返していくところにスリルがある。

本作の魅力は、家族や仲間同士が下品な言葉を応酬するほど親密で、貧乏なのに人々の雰囲気が明るいところだ。たとえば一家団らんの席で、「ケツ」とか「クソ」とか「ズベタ」とか、平気で汚い言葉が飛び交うのが面白い。また、普通なら家庭を持つと男同士の付き合いも疎遠になりそうだけど、彼らの場合はまったく違う。クリスマスを家族ぐるみで祝ったり、酒場で定期的に奢り合ったり、気の置けない関係をキープしている。現代日本に住む我々にはおよそ不可能な、人と人との密な繋がりを達成しているところが良い。本作で描かれる粗野なユーモアなんて、彼らの前向きな姿勢と、似た者同士の連帯感が入り混じっていて心が温まる。

『カクテル』【Amazon】の真似して親子で曲芸やらかして興が乗ってフルチンになったり、ハンバーグの代わりに赤ん坊の紙おむつを揚げて客に食わせたり、近所のクソ餓鬼どもにヴァンをぼこぼこ攻撃されてぶちキレたり、この小説は楽しいエピソードがてんこ盛り。労働者階級の気取らない魅力が詰まった本作は、「このままもっと作品世界に留まっていたい」と思わせるほどの小説だった。

>>Author - ロディ・ドイル

2005.5.2 (Mon)

アニータ・ブルックナー『嘘』(1992)

★★★
Fraud / Anita Brookner
小野寺健 訳 / 晶文社 / 1994.1
ISBN 4-7949-2186-1 【Amazon

老母のために人生を犠牲にしてきたオールドミス(50代)が失踪した。彼女とその知人(80代)の関わりが語られる。

このオールドミスというのがただ者じゃない。「お前いつの人間だよ」ってくらいアナクロなのだ。主体性がなくて善人で、他人のために尽くしていつの間にか50歳になった。この歳まで結婚していない。もちろん、「貞操帯」の愛用者でもなければ、高望みで婚期を逸した「負け犬」でもない。「古風な女」、あるいは「退屈な女」ということで、恋愛市場で淘汰され続けてきたのである。それでも、一時は医者といい感じになりかけた。彼は私を選んでくれるかも、と期待していた。ところが、その医者も強気の泥棒猫にかすめ取られてしまった(キィーッ!)。今では孤独。これまでの私の人生っていったい何だったのかしら。

……とまあ、そういうアナクロな話が延々と続く。きょうび人生観は多様化してるのだし、財産があって生活に困ってないのだったら、別に欺瞞に満ちた人生でも良いじゃんと思う。ところが、そういうものでもないらしい。ブルジョワにはブルジョワの悩みがあるようだ。

登場人物の平均年齢がえらい高くてのけぞる。出てくる奴と言ったら、ヒロインと同年代の5~60代か、それより一世代上の80代の婆さんくらいで、雰囲気が恐ろしく枯れている。この小説の見所は、そんな彼女たちが女らしい直観で他人を論評していくところだろうか。半端じゃなく豊富な人生経験と、蟻の巣も見逃さない観察眼を武器に、プロファイラーもビックリの揣摩憶測を繰り広げる。さすが英国女流作家って感じだけど、ただ論評があまりに身勝手なため、思い込みに基づいた決めつけにしか見えない。たとえるなら、ミス・マープルの類型化をシリアスにやってるだけのような、そんな胡散臭さがある。結局のところ、「心理の機微」なんてものにもいまいちぴんと来なくて、老嬢たちの枯れた生活にだらだらと付き合わされたような気分になったのだった。

(2005/05/06 追記)

『昏き目の暗殺者』を読んで本作の偉大さが分かった。老嬢の語りに関しては本作の方が格段に上だったのである。『昏き目~』がいかにも想像で書いたような薄い心理描写だったのに対し、本作のそれはまるで著者の実体験のように濃密で地に足がついていた。

2005.5.5 (Thu)

塩野七生『ローマ人の物語 勝者の混迷』(1994)

ローマ人の物語 勝者の混迷(113x160)

★★★
新潮文庫 / 2002.9
ISBN 4-10-118156-X 【Amazon
ISBN 4-10-118157-8 【Amazon

『ハンニバル戦記』の続編。グラックス兄弟の時代からマリウスとスッラの時代を経て、ポンペイウスの時代まで(紀元前133~前63年)。

再読。文章については読み手の私がたいぶ慣れてきたようで、前2作ほど引っ掛かることはなかった。

前回のローマ人はハンニバルという史上最強の敵に苦しめられていた。それに対して今回は、制度の歪みに端を発した内乱に苦しめられている。本作はカエサル時代への橋渡し的なポジションに徹したのだろう。あまり細部に凝ることはなく、コンパクトにまとまっていて読みやすかった。

以下、各トピックについて。

グラックス兄弟の時代(紀元前133~前120年)

まず、兄のティベリウスが護民官に就任。農地改革を行って反対派に殺害される。それから10年後に弟のガイウスが護民官に就任。兄以上の先鋭的な改革を推進して反対派に殺害される。この時代のローマは、大農園経営によって貧富の差が拡大、無産市民の割合が増えてしまっていた。多数の奴隷を使った大量生産には、ごくごく普通の自作農では勝ち目がない。名門出身のグラックス兄弟は、そういった状況を見かねて是正しようとする。ところが、金持ちの既得権益者たちはそれに猛反発。まるで母親の仇とばかりに非難する。改革派と抵抗勢力。後世の我々から見れば、正義 VS 悪という分かりやすい二項対立になるので感情移入しやすい。そういうわけで、ドラマチックな政争劇を堪能したのだった。

ところで、兄弟が執政官になるまで改革を待たなかったのは(*1)、「護民官でなければ」というロマンチックな理由ではなく、単に若さゆえの先走りだったのだろうと思う。

マリウスとスッラの時代(紀元前120~前78年)

この時代は血みどろの内戦が繰り広げられていて退屈しない。まず、ローマ市民権を巡る同盟国の不満が爆発し、250年間も同盟関係にあった諸部族がぼこぼこ蜂起する。世にいう同盟市戦争だ。大事件が起きないと歪みの重大性が認識されないのはいつの時代も同じである。で、2年間に渡った戦乱はローマ陣営が彼らに市民権を与えることで決着する。これにて一見落着と思いきや、今度は執政官の権力闘争が巻き起こる。マリウスに対してスッラがクーデターを起こし、そのスッラがギリシャ遠征に出ている間にマリウスが復帰して、敵対者を皆殺しにする。それだけではない。非正規軍にされたスッラの軍勢が、ギリシャ制圧後にローマへ攻め上って反撃。今度は彼が敵対者を皆殺しにする。ローマの執政官は軍事に秀でた人間が就任することが多い(*2)から、こういう鮮やかな逆転劇が見られて面白い。

ポンペイウスの時代(紀元前78~前63年)

ポンペイウスというと、カエサルに敗れた人というイメージが強かったのだけど、実はもの凄く有能な軍人であることが今回読んで分かった(一度読んで把握していたはずなのに全く記憶になかった)。ミトリダテス戦争に勝利して、地中海沿岸のアジア地域を傘下に治めたほどの人物だったとは。また、25歳という最年少記録で凱旋式を挙げたり、マグヌス(偉大なる者)の称号を使用したり、後にカエサルに追い落とされたのが信じられない経歴である。次作に進むのが楽しみだ。

>>『ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前』へ。

>>Author - 塩野七生

*1: 被選挙権を得るには10歳年齢が足りなかった。
*2: 執政官が軍事の最高責任者を兼ねているから。

2005.5.7 (Sat)

連城三紀彦『夜よ鼠たちのために』(1998)

夜よ鼠たちのために(113x160)

★★★★
ハルキ文庫 / 1998.11
ISBN 4-89456-474-2 【Amazon

短編集。「二つの顔」、「過去からの声」、「化石の鍵」、「奇妙な依頼」、「夜よ鼠たちのために」、「二重生活」、「代役」、「ベイ・シティに死す」、「ひらかれた闇」の9編。

それに現代は、どんな人間だって、犯罪者になりうる時代ではないか。(p.122)

どんでん返しの名手による傑作短編集。どの短編もはじめに提示された物語がバラバラに解体され、終盤で別の物語に再構築されるようにできている。どんでん返しが起きることは予想できても、その内容についてはほとんど予想できない。心理描写や人間関係が、皆「騙し」の物語に還元されていくところに、何を考えているのか分からない他人に対する恐怖が凝縮されている。

以下、各短編について。

「二つの顔」(1981)

画家を生業とする「私」の元に警察から電話が掛かってきた。何でも、新宿のホテルで、別居中の妻の他殺死体が発見されたらしい。何だって? そんなことはあり得ない。なぜなら、妻はついさっき「私」が自宅で殺して死体を庭に埋めたのだから……。

冒頭から不可能趣味が炸裂していて引き込まれる。妻を画材としてしか見ていない「私」に、突発的な状況を自分のために利用するある男。登場人物の冷酷な心理にのけぞった。★★★★。

「過去からの声」(1981)

わずか2年で退職した元新米刑事が、お世話になった先輩刑事に手紙を綴る。そこには、昔2人が捜査に関わった誘拐事件の、意外な真相が暴露されていた。

この身代金トリックはかなり凄い。こんな拗くれた構図よく考えるなと思う。もしかして前例でもあるのだろうか。★★★★★。

「化石の鍵」(1982)

下半身麻痺の障害を持つ少女が、何者かにネクタイで絞殺されかかった。犯行現場は、少女が父と2人暮らししているアパートの一室。そこは父の要望でドアの鍵を替えたばかりだった。

今回は密室トリック。例によって登場人物の挙動に目が離せない。犯人はあいつか、それともこいつか。いや、実はこれこれこうで……。この著者の描くキャラクターは、突然何を言い出すか分からないから油断できない。少女が障害者という設定も、きちんと「騙し」の物語に還元されていて良い。★★★★★。

「奇妙な依頼」(1982)

興信所の探偵である語り手が、金持ち男に妻の浮気調査を依頼される。その後、色々あって今度は妻に夫の浮気調査を依頼される。両者の間で裏切りを続けているうちに、思いもよらぬ事件が起きる。

とんでもなく鮮やかな状況の反転っぷり。これはどんでん返し芸のお手本ではないだろうか。語り手が裏切りを続けるという、オチに至るまでの引っ張り方も上手い。★★★★★。

「夜よ鼠たちのために」(1982)

孤児院出身の男が、自分の妻を殺した医師たちに復讐する。

途中まで男の一人称視点で話が進み、事件が起きてからはそこへ三人称視点が現れる。一人称パートで明らかになる男の人物像がこれまたキてる。異常者の見本みたいな心理状態で、当然、男の語りは信用できない。どこかに仕掛けがあるのではないか、と緊張感を持たされる。実際、このパートには期待通りの捻りが仕組まれており、それは本短編集を読んできた人にとっては想定の範囲内のものだ。が、実はそこから先に想定の範囲外の出来事が潜んでいるのが連城クォリティ。やっぱりこの著者はただ者じゃないと感心させられる。よくこんな拗くれた構図を考えついたものだ。★★★★。

「二重生活」(1983)

夫、妻、愛人の三角関係の話。妻と愛人はお互いに憎み合っており、ついにその感情は殺人にまで発展する。

47歳と30歳の、女の壮絶バトルが開幕である。しっかし、これまた読者を騙すためだけに作り上げられたような、ドライな人間関係が凄い。相手に不愉快な思いをさせたい一心で、自分の肉体を積極的に活用するのだからぶっ飛ぶ。人間は怒りに燃えると何でもするものなのだ(無根拠な決めつけ)。★★★★。

「代役」(1981)

売れっ子俳優が妻を殺害すべく新幹線に乗り込む。アリバイ工作のため、自分に姿格好の似た「代役」を利用するが……。

もちろん、額面通りにはいかない。いつものどんでん返しが今回は特に皮肉的。読後、有名人のそっくりさんとはこういう使い方ができるのか、と感心したのであった。★★★★。

「ベイ・シティに死す」(1981)

殺人の罪で服役し、このたび出所した元暴力団の男が、自分をはめた男女に復讐することを決意する。殺人というのは実は冤罪で、2人に濡れ衣を着せられたのだ。拳銃を持って相手を問いつめ、そこで衝撃の真相が判明する。

今回はリリシズムを重視したのか、トリック面が物足りなかった。この著者のことだから、もう一捻りくらいあるのだろうと思っていた。★★。

「ひらかれた闇」(1981)

不良生徒に慕われている女教師が、暴走族の元生徒から連絡を受け、別荘での殺人事件に取り組む。

意外や意外、わりと正統派なフーダニットだった。相変わらず論理操作がはじけていて、何の変哲もない過去のエピソードから、殺人に関係する「意味」を引き出すところに驚きがある。人間関係はやはり人工的。特に2人の性癖は無理矢理で、思わず突っ込みを入れたくなるほどだった。それにしても、「開いてたヨ」とか、「誰がそんなことするのヨ」とか、どう考えても若者のセリフがおかしい。末尾をカタカナに変換するのが80年代の作法だったのだろうか。★★。

>>Author - 連城三紀彦