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2005.5.11 (Wed)
▲マーガレット・アトウッド『昏き目の暗殺者』(2000)
★★★
The Blind Assassin / Margaret Atwood
鴻巣友季子 訳 / 早川書房 / 2002.11 / ブッカー賞
ISBN 4-15-208387-5 【Amazon】
これは『ケリー・ギャングの真実の歴史』や『贖罪』のような、「物語ること」に焦点を合わせた小説。つまり、回想も作中作も明確な目的意識でもって語られて(綴られて)おり、その動機が読者の感情を刺激するようになっている。
たとえば、『ケリー・ギャング〜』はまだ見ぬ娘に自身の潔白を知ってもらうという目的があり、その誠実な語りに感動する小説だった。一方の『贖罪』も、語り手の内面にまつわるとある目的で綴られた物語であり、その動機が明らかになることで情感を揺り動かす小説だった。本作の場合はどちらかというと『贖罪』に近い。語りの動機が興味の焦点になっているのと同時に、終盤でのサプライズにもなっている。端的にいえば、本作は『贖罪』を重層化した小説なのである。
20世紀前半は共産主義が猛威を振るった時代。新興ブルジョワ階級に属する語り手も、その影響をもろに受けることになる。というわけで、(1) の回想部分にはファミリーサーガのような風格が備わっていて読ませる。妹および女使用人との良好な関係、義理の姉との険悪な関係、共産主義者の男との微妙な関係……。このパートでは、外の世界に対する冒険のない日常劇に主眼が置かれている。そして、彼女らの生活が時代の荒波によって崩壊していく模様がじっくりと語られていく。
一方、作中作はけっこうロマンチックだ。主に謎の男女の会話で成り立っており、男が女にSF風の物語を語るところに面白味がある。盲目の暗殺者と舌を抜かれた女が冒険するところは、作者(作中作の)の願望充足が込められていそうで興味深い。この発想は強引かもしれないけど、ちょうど『嵐が丘』【Amazon】のエミリー・ブロンテを思い出した。田舎からほとんど外に出ず、ろくに人生経験のなかった彼女は、想像だけであの病的な世界観を作り上げたという。この作中作の作者も、周りに押さえ込まれてろくに人生経験がなかったわけで、そのロマンチックな作風に想像力の逞しさを感じる。
「物語ること」に焦点を合わせつつ、多重階層のテキストで一つの事件を炙り出す。この小説作法が「現代的」と呼ばれる所以なのだろう。その意味で本作はそこそこ楽しめた。
2005.5.12 (Thu)
▽ロディ・ドイル『ギグラーがやってきた!』(2000)
★★★★
The Giggler Treatment / Roddy Doyle, Brian Ajhar
伊藤菜摘子 訳 / ブライアン・アジャール 画 / 偕成社 / 2002.1
ISBN 4-03-521270-9 【Amazon】
群れで行動するギグラーは、子供に酷いことをした大人たちに、うんちを踏ませるのを生業としている。そんな彼らが、誤解によってとあるお父さんの足下にうんちを仕掛けた。お父さんの靴とうんちの間はわずか14センチ! 大惨事を防ぐべく、犬と赤ん坊と子供たちが奔走する。
児童書だから大した内容じゃないだろうと高をくくっていたら、意外や意外、小ネタが利いていて面白かった。物語は、あと8センチ、あと5センチ、あと8ミリみたいに、お父さんの靴がうんちに近づいていくところを基本的な時間軸としている。まずこのミクロなタイムリミット設定が笑えるのだけど、もっと笑えるがその間に挿入される脱線や小ネタだ。たとえば、赤ん坊は「あばば〜」しか喋れないのに、家族は何を言っているのか理解できており、それを使った言語遊技が展開される。また、人前ではただのペットでしかない犬が実は利口者で、アルフばりのとぼけた活躍を見せる。さらに、作中人物が語り手に介入して筋書きに影響を与えたりもする。その他、物語が直線的に進まず、適度に幕間劇が挟まるところにユーモラスな味わいがある。
そんなわけで、本作は大人も楽しめる良質の児童書だった。家族の温かみを感じさせるところがロディ・ドイルらしくて好感が持てるし、とぼけたイラストも内容に合致していて満足だった。
2005.5.14 (Sat)
▲塩野七生『ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前』(1995)
★★★
新潮文庫 / 2004.8
ISBN 4-10-118158-6 【Amazon】
ISBN 4-10-118159-4 【Amazon】
ISBN 4-10-118160-8 【Amazon】
『ローマ人の物語 勝者の混迷』の続編にして、カエサル一代記の前編。政界に入り、8年に及ぶガリア遠征を経て、ルビコン川を渡るところ(紀元前49年)まで。
再読。相変わらず、「女とは〜である」とか、「人間とは〜するものだ」とか、思い込みに基づいた決めつけが散見されるけれど、今回はあのカエサルが題材ということでわりと気にせずに読めた。いや、「気にせずに読めた」というのは不正確だ。シリーズも4作目になると読み手のフィルタリング機能が向上するらしく、今回はそういった鬱陶しい記述を、適宜記憶の彼方に飛ばしながら読んだのだ。
さて、みんな大好きガイウス・ユリウス・カエサル。やはりポンペイウス(軍人)、クラッスス(大金持ち)との三頭政治を確立してからがスリリングで、借金漬けの女好きが執政官にまで上り詰めるのが爽快だった。その後も、ガリア遠征での活躍のみならず、政治的な駆け引きまで読ませる面白さ。ヨーロッパの礎を築いた伊達男は、ポンペイウスのような体育会系でもなければ、キケロのような文科系でもない、えらくバランスのとれた興味深い人物だった。まさにスッラ亡き後のやり手オヤジ再来といった感じである。
ガリア遠征は途中まで順風満帆で進んでいったのに、5年目で分散配置した冬営地の一つを襲われて、9千人も兵を失うのだから劇的。さらに、もう一つの冬営地(キケロの弟が守る)が陥落しそうになるところで、間一髪危機を救うのだから手に汗握る。そういえば、この年は冬営前に第2次ブリタニア侵攻もあったわけで、何かとだれがちな中盤の展開に適度な刺激を与えてくれる。
クライマックスは遠征7年目のガリア人大反攻〜アレシア攻防戦で異論はないだろう。ヴェルチンジェトリクス(Vercingetorix)という舌を噛みそうな名前の指導者のもと、ガリア人がわらわら蜂起する。戦力で圧倒されているにもかかわらず、カエサルは怯まない。それどころか、町に籠もった敵を防壁で封鎖しつつ外の敵(解囲軍)と戦い、押されながらも見事打ち破る。これまた劇的だ。それでまあ、あまりによく出来た展開なので、この部分に関しては類書を漁ってみようと思った。『ガリア戦記』【Amazon】は当然として、他には佐藤賢一の『カエサルを撃て』【Amazon】辺りも要チェックだろうか(評判悪いけど)。
というわけで、次はいよいよルビコン以後。
以下、参考リンク。
2005.5.15 (Sun)
▽マーガレット・アトウッド『青ひげの卵』(1983)
★★★★
Bluebeard's Egg / Margaret Atwood
小川芳範 訳 / 筑摩書房 / 1993.4
ISBN 4-480-83137-1 【Amazon】
短編集。「ルゥルゥ」、「青ひげの卵」、「緋色のトキ」、「罪食い人」、「サンライズ」の5編。
アトウッドの第2短編集から、5編だけを選んで翻訳している。各短編の主人公はみな女性。彼女たちのちょっぴり不安な日常が、寓意と象徴とイメージを駆使して描かれている。文章はハードボイルドと言って良いほど即物的。余韻の残るオチが目を惹く反面、読後3日もしたら内容を忘れてしまいそうな、そういう希薄さが特徴になっている。
以下、各短編について。
「ルゥルゥ」"Loulou; The Domestic Life of the Language"
粗野な陶芸家の女・ルゥルゥと、彼女の元夫で構成された詩人たちとの共同生活。
この詩人たちというのがお伽噺に出てくる無邪気な小人みたいで、彼らが結託して無学なルゥルゥをからかったりするのが楽しい。生活はからっとしていてとても充実しているように見えるけれど、ふと気づくと詩人たちも歳で、もう変わらなきゃならないんじゃないか、とルゥルゥは心配する。筋書きは日常生活に毛が生えた程度。ルゥルゥの「存在」が意識されるラストが味わい深い。
それにしても、彼女らの共同生活って昔流行ったらしい「ヒッピー生活」ってやつなのだろうか。あと、このルゥルゥって女、今風に言えば「ダメンズ・ウォーカー」だと思う。★★★★。
「青ひげの卵」"Bluebeard's Egg"
頭の良い人妻の話。
心臓外科医の夫はとんでもないバカで、そんなバカっぷりを女は愛おしく思っている。要するに、鈍感な男に対して直感力に秀でた女が優越感を抱いている、というよくある図式だ。で、そんなある日、女は創作の講座で、「青ひげの卵」なる寓話を現代風にアレンジすることになった。この寓話は、青ひげに囚われた女が純潔の象徴である「卵」を守ってハッピーエンドを迎える話。これがオチで現実のとある事象と融合することで、ドキドキの読後感を作り出す。★★★★。
「緋色のトキ」"Scarlet Ibis"
夫と娘の3人でトリニダードへ休暇に出かけ、トキを見にボートで移動する。そして、ボートに穴が空いて浸水が始まる。
事故によってある人物に対する偏見が改まると同時に、別世界ともいうべきリアルな光景が覆い被さる、そんな良い雰囲気の小説。旅が終わった後のエピローグが余韻を残す。★★★★。
「罪食い人」"The Sin Eater"
女が掛かり付けの精神科医から、死人の罪を食べる「罪食い人」の話を聞かされる。金のために他人の罪を引き受けるこの行為は、「精神的売春」と評される。で、その話の後、精神科医は木から落ちて死亡。女は葬式に出席して、彼の元妻と話をする。
アイテムと寓話の掛け合わせが上手く、なるほど、あそこで出てきたアレが「罪」なのか、と感心。★★★★。
「サンライズ」"The Sunrise"
街角で男たちに声をかけ、絵のモデルになってもらう。
かつて前衛的なペニス芸術を志していた女は、現在、そういう緩い生活を送っている。イケメンは嫌いで、それほどでもない容姿の男が画材として良いとか。視座が転倒する終盤が印象的。Sunriseとは地球が動いているのであって、太陽が昇ってるわけじゃあないのだな。★★★。
2005.5.16 (Mon)
▲トニ・モリスン『青い眼がほしい』(1970)
★★★
The Bluest Eye / Toni Morrison
大社淑子 訳 / ハヤカワepi文庫 / 2001.6
ISBN 4-15-120006-1 【Amazon】
青い眼を欲しがっていた黒人の少女(11歳)が、父親にレイプされて子供を宿す。1993年にノーベル文学賞を受賞した著者のデビュー作。
これはまた随分と迫力のある小説だった。被害者少女から、父親、母親、及び関係者の人生を遡り、それらを濃密に描くことで黒人社会の問題を臨場感たっぷりに浮かび上がらせている。
内容はというと、『フルハウス』【IMDb】みたいなアメリカ家族ドラマの強烈な裏バージョンといった感じ。郊外に居を構える中流の白人一家がお茶の間を賑わす一方、その同じ国では、白人の価値観によって醜悪とされた黒人たちが貧しい生活を営んでいる。本作ではこの対比が、『ディックとジェイン』という、小学校の教科書に載っているテキストを弄くり倒すことで強調されている。お話とは違って、黒人たちの家はおんぼろだし、母親は鞭を振り回しているし、父親は家族をおっぽり出すろくでなしの「ニガー」だ。同じ貧乏生活でも、そこにはロディ・ドイルが描くような労働者階級特有の明るさはほとんど見られない。雰囲気はもっぱら汚くてうらぶれている。
被害者の少女は「醜い顔の黒人」ということで、何かと酷い目に遭い、青い眼に対するコンプレックスを抱くようになる。そして、ついには父親からレイプを受けてしまう。少女は二重の意味で抑圧されており、人種と性差の問題が彼女に集約されるようになる。「黒人」と「少女」、構造だけ抜き出せば安易に思われるかもしれないけど、最初に述べた通り関係者の人生が濃密に描かれているため、そういうプロットにはえらい説得力がある。本作は手紙やモノローグなど複数の文体形式を駆使しつつ、最後まで屈強な筆致で押し通していたのだった。