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2005.6.21 (Tue)
▼エルフリーデ・イェリネク『トーテンアウベルク』(1991)
★
Totenauberg / Elfriede Jelinek
熊田泰章 訳 / 三元社 / 1996.8
ISBN 4-88303-034-2 【Amazon】
戯曲。老年の男や中年の女、スポーツ選手や死んだ登山者など、複数人のモノローグが繰り返される。明確な筋らしい筋のない前衛的な作品。ハイデガーに関連しているらしい。
正味110ページしかないし、それにセリフ主体の戯曲だし、『ピアニスト』よりは楽に読めるだろうと舐めてかかったら返り討ちにあった。『ピアニスト』の1000倍は難解で、『闇の奥』【Amazon】の5000倍は読みづらかった。
これは解説にある通りの、「小説内容の伝達力を持たないセンテンスに惑わされる」(p.113)作品。まず、何が言いたいのか分からない文章が難しい。どうやら原文はドイツ語の発音を活かした流れるような文章で、音楽的なセリフの響きを味わうよう調整されているようだ。「自然」や「死」、「スポーツ」などについて言及しているのは分かるのだけど、何を主張しているのかがさっぱり分からない。印象に残るのは単語レベルでしかなく、その間の繋がりがいまいち見えてこない。
で、そういう訳分からないモノローグ(それも長大な)が交代制で延々と続き、そしてそのまま終わってしまうため、本作自体が何を言いたいのか分からないようになっている。いや、単に分からないのは個人的な理解力の問題なのかもしれないが……。まあそれはともかく、舞台上にスクリーンが置いてあって、そこに雪山が映ったり、サッカーの試合が映ったりと、本作はいかにもアヴァンギャルドな雰囲気を形成している。このタイプの戯曲はまったくの初体験であったため、とりあえず分からないなりに新鮮ではあった。
ところで、本作はウィーン・アカデミー劇場で上演されたらしいけど、観衆の反応がどうだったのか気になるところだ。また、演じる方も一回あたりのセリフが長いから大変そうである。
2005.6.26 (Sun)
▲イスマイル・カダレ『草原の神々の黄昏』(1981)
★★★
Le crepuscule des dieux de la steppe / Ismail Kadare
桑原透 訳 / 筑摩書房 / 1996.2
ISBN 4-480-83167-3 【Amazon】
1958年のモスクワ。アルバニアから留学中の語り手が、パーティーで知り合った女性と恋におちる。一騒動あった後、ボリス・パステルナークのノーベル賞受賞に端を発した、当局のネガティブ・キャンペーンを目の当たりにする。
『誰がドルンチナを連れ戻したか』は、ローマとビザンチンの狭間に揺れる、中世アルバニアの政治問題が背景にあった。それに対して本作は、ソ連という共産主義の大国に翻弄される、現代アルバニアの政治問題が背景にある。
ソ連ではスターリン批判なるものが行われ、敵国であるアメリカの展覧会までもが催されている。その反面、言論統制は厳しく、『ドクトル・ジバゴ』【Amazon】は禁書扱いにされている。とても文明国とは思えない態度で驚くのだが、もっと凄いのが国をあげた個人叩きだ。というのも、パステルナークがノーベル賞を受賞するや、彼を「国際ブルジョア階級の代理人」として弾劾しているのである。ノーベル賞を辞退させるべく、当局は一日中ラジオで非難の声明を流す。さらに、テレビ、新聞、雑誌など、あらゆるメディアを駆使して、たかが一個人に圧力をかけている。留学生という外部の目を通して描かれるバッシングは、狂気と異様さに彩られている。
ただし、これはあくまで背景に過ぎなくて、メインで進行するプロットは男女のロマンスである。この部分では『誰が〜』のモチーフになった「コンスタンチンの伝説」への言及があり、くわえてカダレ作品でお馴染みの「誓い(ベーダ)」までもが顔を見せている。本作はこの2つの要素とアルバニアの政情を巧みに織り込んで、お国柄が垣間見える独特の恋愛ドラマに仕上げている。『誰が〜』ではミクロな謎を描くことで、マクロな背景にまで射程を伸ばしていた。本作はそれとはやや毛並みが異なって、マクロな背景をミクロなロマンスへ収斂させている(要するにロマンスがメインというスタンス)。この恋愛ドラマの帰結は、ご当地ネタの使い方が上手いので、けっこう注目に値するんじゃないかと思う。
2005.6.30 (Thu)
▼ギュンター・グラス『蟹の横歩き』(2002)
★★
Im Krebsgang / Gunter Grass
池内紀 訳 / 集英社 / 2003.3
ISBN 4-08-773383-1 【Amazon】
第二次世界大戦末期、ドイツの難民避難船ヴィルヘルム・グストロフ号が、ソ連の潜水艦によって撃沈された。当時、母親の胎内にいて数少ない「生き残り」となった男が、独自の調査をして事件を物語る。
タイトルの「蟹の横歩き」とは本作の語り口を喩えたもので、別に蟹が出てきてパントマイムするわけではない。物語は単一の時系列に沿って進むのではなく、まるで蟹が横歩きするかのように、過去と現在を行きつ戻りつ進んでいく。語り手は事実の再構成といった感じで事件を物語り、そこへギュンター・グラスがちょくちょく絡んでくる。
本作は、「ヴィルヘルム・グストロフ号事件」という歴史上のタブーを明るみに出したところが評価されているらしい。事件については、まず3人の人物にスポットが当てられる。1人目は船の名前の元になった管区指導者。2人目は彼を銃で暗殺し、その後監獄に送られた市井のユダヤ人。そして、3人目は黙々と海で訓練に励み、事件のときは船に魚雷をぶち込むことになるソ連の潜水艦長。本作は、彼らがどう動くのか? という興味にくわえて、インターネットに絡んだ衝撃の事実が浮上、物語を強い力で引っ張っていく。
けれども、ドイツの政治事情に疎い身としては、戦時中にあり得そうな光景を勿体つけて語られたようで大してのめり込めず。それどころか、過去の事件と現代の「父子の物語」を無理矢理ドッキングさせた、あざとい物語手法に辟易してしまった。インターネット絡みのワイドショー的な事件、父子の因果関係を自身の生い立ちに求めようとする態度、などが気になる。それと、他人の考えを臆断してはいけない、という主張は正論だと思うが、それが本作の場合は、「転向」(そして、それは感動にも繋がる)を成立させるための「逃げ」のようでいまいちだった。そりゃ、下手に動機を考えてしまったら、転向させるのにロジックが必要になるから大変だしなあ、とつい意地悪な目で見たくなる。
というわけで、歴史的事件に一定の興味をおぼえつつ、強引に盛り込まれた人間ドラマの安易さに乗れなかったのだった。
なお、翻訳に不安あり。「チャット」が「チャート」と表記してあって、最初何のことだか分からなかった。