2005.7a / Pulp Literature

2005.7.1 (Fri)

クロード・シモン『路面電車』(2001)

路面電車

★★★
Le Tramway / Claude Simon
平岡篤頼 訳 / 白水社 / 2003.3
ISBN 4-560-04760-X 【Amazon

入院中の老人が子供時代を回想する。通学に使用した路面電車と、小さい頃に亡くした母親の思い出。

本作は1ページに及ぶ切れ目のない文章で読者を幻惑するタイプの小説で、非常に読みづらい内容なのだけれども、しかしそれでいて、この文体が子供の頃の曖昧とした記憶を辿るという物語的な必然と合致していて、陶酔的というか、ノスタルジックというか、とにかくそれが過去と現在を行き来する物語構成に違和感なく溶け込んでいるのだから気持ちよく読めるわけで、ただ単に実験ありきの文体でないところに好感が持てるわけだけれども、やっぱり読みづらいことは否めなく、特に括弧書きが多用されているところは勘弁してくれと思いながらも、正味125ページという中編程度の長さなので、クロード・シモンの入門書としては良いんじゃないかと思ったりして、たとえばイェリネクの『ピアニスト』を読む前に、準備体操として本作に臨むのもありかもしれないと考えるのだけど、なぜそうかというと、同じ実験的な文体でも、こちらはちゃんと意味が通るように各単語が接続されているからで、ぶっちゃけて言えば、逸脱の仕方が異様に凝っている『ピアニスト』よりは10倍くらい平易な文体だからで、まあそれはともかく、このジャンルにさして精通しておらず、特に語るべき言葉も持っていない者としては、こんな文体模倣でお茶を濁すしか手がないのが悲しいところで、ここで少し補足をすると、「文体模写」ではなく「文体模倣」と表記したのは、単に切れ目のない文章を真似しただけで、その中にあるエッセンスをくみ取れていないからなのだけれども、これは書き出しの一文を読めば一目瞭然なので、以下にそれを引用すると、

でこぼこのある黄色く塗ったブロンズの起伏が円盤の上に弧を描いて上に弧を描いていてレバーのぽつんと尖った爪が、発車させたり加速させたりするために、運転手がひろげた手のひらでぽんぽんと押すたびにその弧を指し、停留所に近づくと彼はレバーをもとの位置にもどして電流を遮断するのだったが、その時は右側に位置する(昔台所などで井戸のポンプを作動させたあのハンドルに似ているが、もっと小型の)鋳物のハンドルを大急ぎで懸命にまわして、歯車をがりがりさせるような音を立てながらブレーキを軋ませるのだった。(p.7)

となるわけで、つまり本作は、この項のように単文をだらだらと継ぎ足した文章ではなく、霧が徐々に晴れていくような物語的効果を伴った冗長さなのであり、そこに膨大な文学力(ぶんがくぢから)が注ぎ込まれているのだけれども、まあそれについては「シモン論的あとがき」という気合いの入った訳者あとがきに詳しいので、是非ともそちらを参照してもらうとして、そもそもいったい何人の人がここまで読んでいるのかと疑問に思いつつ、もういい加減この辺でお終いにしたほうがいいだろうと思のだけど、一度回った歯車を止めるのには、駆動させるよりも多大な労力と覚悟が必要なわけで、それはたとえるなら、路面電車の、発車と停車の関係に似ているのかもしれない、と強引にまとめてこの項を閉じることにしたのだった(急停車)。

2005.7.3 (Sun)

アレクサンドル・ソルジェニーツィン『マトリョーナの家』(1963-)

★★★
Матрёнин двор / Александр Исаевич Солженицын
木村浩 訳 / 新潮文庫 / 1973.12
ISBN 4-10-213206-6 【Amazon

短編集。「マトリョーナの家」、「クレチェトフカ駅の出来事」、「公共のためには」、「胴巻きのザハール」、「右手」、「復活祭の十字架行列」の7編。さらに、「小品集」として掌編が16編収録されている。

本書はソ連の抑圧的な社会機構が跋扈する、荒涼とした雰囲気の短編集だった。お役所は融通が利かないし、コルホーズなる組織は一個人に無理を強いているし、そもそも体制側には人間味というのが欠けている。本書は官僚主義への批判的な視線に容赦がなく、これなら本国でだめ出しされたのも無理はないと思った。最初の3作以外は、全て地下出版物(サムイズダート)での流通らしい。

以下、各短編について。

「マトリョーナの家」(1963)

時は1953年の夏。流れ者の教師が、マトリョーナという名の老婆の家に下宿する。マトリョーナは無私で無欲な働き者で、病身なのにご近所さんたちからこき使われている。家屋の分与騒動を契機として、彼女の隠された過去が明らかに……。何といっても、マトリョーナの家が凄い。台所の壁と床が、一面ゴキブリで覆い尽くされてるなんて普通は想像できないけれど、本作の場合、この家ならあり得そうだ、というリアリティがある。親類・友人が、死んだ人間の財産を要求するところは、当時の農村地帯の世相を反映してそう。そうそうド田舎といえば、『嵐が丘』【Amazon】を彷彿とさせる、男の病んだ情念に驚いた。自分を裏切った女と同名の娘を、わざわざ探し出して連れてくるとは。農村はどろどろとしたドラマに溢れている。★★★★。

「クレチェトフカ駅の出来事」(1963)

時は第二次世界大戦中。輸送貨物を担当している中尉が、11日間も食料の配給を受けていない兵士たちと出会う。彼らにあれこれ手を貸した後、今度は謎の男が現れた。中尉は夜中にこつこつと『資本論』を読み、遠く離れた妻に操を立てる、いまどき珍しい真面目な善人。管理職なのに、時には兵士を助けるために規則だって曲げる。そんな性格をしているからこそ、微妙な判断を下したことによる、ラストの葛藤に感情移入できる。茫漠とした湿地帯のイメージと、融通の利かない官僚機構。何だか、いかにもソ連って感じがする。★★★。

「公共のためには」(1963)

狭くて不便でとても実験なんてやってられない技術学校。そこに新校舎が与えられることになった。子供たちは工事を手伝い、後は受け渡しの書類を処理するという段階。が、そこへ急きょお偉方がやってきて、新校舎を彼らから取り上げてしまう……。「公共のため」に設置された官僚機構は、しばしば非人間的な振る舞いでもって弱者を痛めつけるものだが、今回も期待通りの融通のなさでもってドラマを盛り上げている。テレビ番組と大長編小説に言及した、大量消費社会への反発もあり。★★★。

小品集(1958-60)

地下出版物(サムイズダート)として流通した1〜2ページほどの掌編。16編全てについて言及するのはきついので、ここでは気に入ったのを3編だけ取り上げる。まず、「シャーリク」。鎖に繋がれた犬を素描したものなのだが、ラスト一行がとんでもない切れ味でショックを受ける。これは他作でたとえると、魯迅の「狂人日記」みたい。ラストの叫びがとても切実に響き渡る。続いては、「焚火と蟻」。蟻がびっしりとくっついた榾木を焚火に投げ入れ、その状況で蟻がどういう行動をとったのかを綴ったもの。これは明らかに蟻を人間にたとえたのだなあ、と。最後は、「朝の仕事」。30人たちの若者が外で規則正しく動いているのを遠くから眺めたもの。本書の中では異色な、ユーモラスな掌編で微笑ましかった。

「胴巻きのザハール」(1966)

「胴巻きのザハール」とは、古戦場の番人をしているザハール氏のこと(胴巻きに斧を装備)。本作は、彼と接点をもった語り手の思い出を綴っている。例によって当局の不備は目を覆わんばかりで、彼にけっこうな負担を強いている。粗野な男が意外と気をきかせたりするのが良い。★★★。

「右手」(1960)

瀕死のご老体を入院させようとするも、受付の看護婦は取り合わない。何でも急患しか受け付けないとか。でもって、看護婦は悠然と漫画本を読んでいる。これまた人間味が剥奪された、杓子定規な規則の話。……と思いきや、何か老人には壮絶な過去があったらしい。で、そういう過去を背負っていても、相変わらず酷い扱いなのだ。★★★。

「復活祭の十字架行列」(1966)

復活祭の十字架行列を観察する。「最近の若者は〜」式の説教臭い話だった。ソルジェニーツィンは非常に熱心なロシア正教会の信者であるらしい。いつの時代も、上の世代というのは下の世代のモラル低下を嘆くものなのだな。★★。

>>Author - アレクサンドル・ソルジェニーツィン

2005.7.4 (Mon)

夢枕漠『餓狼伝 1』(1985)

餓狼伝1

★★★
双葉文庫 / 1988.6
ISBN 4-575-50180-8 【Amazon

最強を目指してあちこちを放浪する30代男・丹波文七が、海外遠征から帰ってきたプロレスラー・梶原と戦う。丹波は6年前に道場破りを敢行したとき、当時前座だった梶原に敗北を喫していたのだった。

随分前から板垣恵介の漫画版は読んでいたが、原作を読むのは今回が初めて。本作は『宮本武蔵』の世界観を現代に持ち込んだ格闘小説で、「果たし合い」や「野試合」といった時代錯誤的なイベントが当たり前のように横行している。もちろん、そのイベントは待ったなしの真剣勝負だ。腕をへし折ろうが、目を突こうが、それどころか結果的に相手が死のうが、とにかく基本的には何でもあり。せっかく習い覚えた殺人の技術、思う存分に使いたい! と言わんばかりにばちばち火花を散らしている。

何といっても、道場破りでの梶原との戦いが熱い。大ゴマを多用する漫画版では、ページ数という制約があるせいか、わりと流し気味に事が進んでいた。ところが、原作はかなり引っ張っていて、ダウンするたびに何度も起きあがる梶原の、人間離れした耐久力の恐ろしさが凄く良く表現されていた。打撃主体の丹波は、捕まって間接技を決められると対応のしようがないので、梶原のタフネスさはかなりの脅威。実際、何度も捕まってめきめきと間接を痛めつけられるのだから恐ろしい(しかも、その都度折られずに解放される)。

続いてはエロスである。原作はバイオレンスだけでなく、エロスにも力が入っていて、本作には2度、男女の濡れ場が挿入されている。まさに男性向け娯楽アクションの定番サービスって感じだが、しかし先に漫画版を読んでいたせいか、板垣先生のあのグロ絵が頭にちらついて非常にしんどかった。というか、申し訳ないがサービス・シーンは飛ばしてしまった。板垣絵の濡れ場は、ガラスを爪で引っ掻く音に匹敵するほどの、強大なストレスを生んでいると思う。ひょっとしたら拷問に使用できるかもしれない。

一方、梶原との第2ラウンドは、そんなストレスを吹き飛ばしてしまうほど素晴らしかった。同類としての奇妙な共感まで芽生えた2人の、骨身を削らんばかりの壮絶バトル。そこには余人の介入を許さない、2人だけの独自の世界が形成されている。本作はそんな特異な状況を、傍観者の視点から遠巻きに眺めることで効果的に演出し、さらに意外な「引き」を駆使して巧妙にまとめ上げてしまうのだから頭が下がる。ラストの流れは、これ以外に正解がないというくらいぴたりとはまっている。欲をいえば文章表現の単調さが気になるが、しかしこれはまあ、ジャンルの問題だから目を瞑ろう。

2005.7.5 (Tue)

夢枕漠『餓狼伝 2』(1986)

餓狼伝2

★★★
双葉文庫 / 1988.12
ISBN 4-575-50200-6 【Amazon

『餓狼伝 1』の続編。実戦空手「北辰館」の中堅メンバーたちが、何者かに野試合を挑まれて次々と打ち負かされていった。一部のメンバーは丹波文七を疑い、彼を血なまこになって捜索する……。

この巻は人間の宿命とも言うべき「老い」がテーマになっている。ある男は技がさびつく前に敵と戦い、全ての力を尽くして、豪快に敗北することで満足を得ていた。また、ある男は同期との因縁を晴らすため、肉体がピークにある今のうちに対決したいと望んでいた。さらに、ある男はとっくにピークを過ぎているはずの年齢にも関わらず、若いもんには負けはせんとばかりに現役復帰を目指していた。このシリーズは、主要人物の平均年齢の高さ(主人公ですら30代だ)も去ることながら、作品世界で最強の人物が、50代(松尾象山!)というのが興味深い。ここまで年齢設定に特徴があるのだから、おそらく「老い」の問題をどう克服するかが、この先の読みどころの一つになっているのだろう。オチが楽しみである。

この巻のクライマックスは丹波と藤巻の果たし合いだが、前巻に比べてあまり盛り上がらなかったのは、この巻がトーナメント戦のお膳立てみたいな位置づけだからなのかもしれない。むしろ戦闘よりも、丹波が「道」について思い悩んでいるところのほうが面白かった。初めは強さへの憧れという単純な動機に過ぎなかったものが、道を突き進んでいくごとに複雑になっていく。これから先、やはり『宮本武蔵』のような求道的な話になっていくのだろうか。こちらもまた、オチが楽しみである(……とか言いつつ、2冊連続で読んでちと飽き気味)。

2005.7.7 (Thu)

ミラン・クンデラ『緩やかさ』(1995)

緩やかさ

★★★★
La Lenteur / Milan Kundera
西永吉成 訳 / 集英社 / 1995.10
ISBN 4-08-773234-7 【Amazon

妻とともにパリ郊外の城に宿泊する作家が、18世紀の短編小説「明日はない」を紹介しつつ、現代で起こった昆虫学会での喜劇を物語る。

気の利いたアフォリズムに18世紀ならではの優雅な空気、そして個性豊かなキャラクターらによるドタバタ劇がぶち込まれた、非常に楽しい小説だった。スピードが至上の価値とされている現代では、緩やかさの快楽なんてのは到底望めないのであり、本作はその問題を洗練された筆致で批判的に、かつ読み物として楽しめるように取り上げている。内容は軽く哲学含み。我々がスピードを求めるのは自分のことを忘却するためだ、みたいな鋭い指摘が散見されて興味深い。道具を利用して実体のないスピードを作り出すのは、一時期流行した「身体感覚の欠如」というテーマに関わってくるわけで、とどのつまりそういう西側的世界観の病理が、まざまざと浮き彫りにされているということなのだ。

緩やかさの度合いは記憶の強度に直接比例し、速さの度合いは忘却の強度に直接比例する(p.50)

「実存の数学」として提示された上記の命題は、本読みとしてはけっこう耳が痛い。何せ、最近はわりとハイペースで読んでいるので、3ヶ月前にうんうん唸った本ですら記憶が怪しいのだから……。思えば、今よりもっと緩やかに読んでいた頃は、もう少し記憶が持続していたような気がする(加齢のために忘れっぽくなったってのは無しで)。

さて、個人的な事情はともかく、本作は昆虫学会で起きるユーモラスな衝突が面白い。妄想的な恋愛感情に取り憑かれ、政治家の元へ押し掛けるテレビクルーの女性。東側での長き不遇生活によって、劣等感と自信のバランスが妙な具合になっているチェコの昆虫学者。大衆を幻惑するモラリストとして、自分の人生を美しく躍ってみせるフランスの政治家。それぞれ独立したエピソードで楽しませてくれた彼らが、まるで磁石のように一点に引き寄せられ、狂気を孕んだちょっとした騒動を巻き起こすのが笑える。また、笑えるといえば、作中にちらほらと小ネタが散りばめられているところも好ましい。この部分は特に、語り手が登場人物の一物にインタビューするところが、意表を突く変化球といった感じで楽しめた。

でまあ、コンテンポラリーな問題に言及しつつ、それを滑稽さに昇華して面白可笑しく読ませるというのは、けっこう貴重な作風だと思う。たとえば、チェコの昆虫学者が抱く歪んだ「誇り」なんか、国情を考えれば悲しいのだけれど、しかしそれと同時に彼の歪みっぷりが妙に可笑しくて、ついつい頬がほころんでしまうのだ。ほか、フランスの政治家がプラハとブタペストを間違えるくだりなんかも、似たような味わいがあって面白い。

>>Author - ミラン・クンデラ