2005.7b / Pulp Literature

2005.7.11 (Mon)

連城三紀彦『恋文』(1984)

恋文(112x160)

★★★★
新潮文庫 / 1988.8 / 第91回直木賞
ISBN 4-10-140504-2 【Amazon

短編集。「恋文」、「紅き唇」、「十三年目の子守歌」、「ピエロ」、「私の叔父さん」の5編。

この著者の小説を読むのは、『夜よ鼠たちのために』以来。相変わらず意外性に満ちた作品群だけど、今回は世界が変わる快感よりも、情感を刺激することに重きが置かれていて新鮮だった。一波乱あった後の人物の行動を、得意のロジックで「泣かせ」方面に解釈してしまうのだからすごい。小手先の意外性だけで終わらない、著者の超絶テクニックを堪能した。

特に気に入ったのは、「恋文」と「私の叔父さん」の2編。前者は恋愛の定義とラヴレターの解釈にのけぞったし、後者は写真の使い方と嘘の決め方に驚きがあった。

以下、各短編について。

「恋文」

小学生の子供を持つ、美術教師の夫と編集業の妻。夫の幼児化を心配していた矢先、件の夫が家出をする。理由は、白血病で余命幾ばくもない元恋人を看病するため。妻は彼の行動を公認し、それどころか自分も夫の元恋人のところへ見舞いに行く。

お馴染みの奇妙な三角関係の話だけれども、今回は騙しが感動に直結するような構造でかなり驚いた。アイテムや性格設定、そしてお得意の論理操作など、いつもなら騙しにのみ奉仕していたであろう要素が、今回は男女のロマンスにまできちんと還元されるように出来ている。つまりまあ、「ラヴレター」の解釈に意外性がある同時に、その意外性が、そこに込められた思いの強さ、さらに結末の捻りまでをフォローしている。こういう騙し一辺倒じゃない話も良いものだと思った。★★★★。

「紅き唇」

結婚してわずか3ヶ月で妻を亡くした男は、義母とマンションで2人暮らしをしている。男には恋人がいるのだが、勝ち気な義母が姑面をして辛くあたるので、2人の間は仲が悪い。男が恋人と結婚するかどうか思い悩んでいるところへ、義母の思い出話が始まる。

人間も中古車みたいに多少傷があったほうが良いのだ、みたいな無茶な重ね合わせが気になったものの、それでも中古車を用いた別の重ね合わせに膝を打ったのだった。それまで話の焦点が義母の行動の解釈にあったので、当該文章に思いっきり不意を突かれたのである。卒がないというか、用意周到というか、とにかく意外な表現を何気なく差し出す手つきに驚嘆する。★★★★。

「十三年目の子守歌」

結婚に失敗して以来、母親の経営する旅館に寄宿している語り手。ある日、九州旅行に出かけていた母親が、自分よりも年下の男を連れて帰ってきた。その年齢差とあまりの如才なさに語り手は反発する。

語り手と義父の相克(というか、語り手の独り相撲)が展開しつつ、終盤で隠された事実が明らかになる。相変わらず、人物の行動を解釈する手並みが素晴らしい。それまで語られてきた義父の人生・行動が、推測という形で一気に情緒的な高まりの燃料と化してしまう。奇妙な三角関係からサプライズを経由し、「父と子」ものの類型に到達するこの鮮やかさ! 「感動の物語」が綴られながらも、プロットは人工的で、かつ冷徹でさえあるのだから恐ろしい。★★★★。

「ピエロ」

美容室経営の妻と、髪結いの亭主として道化を演じる夫。夫は退職金を借金返済に充てるために会社を辞し、さらに清掃や勧誘といった下働きをするほど、妻に尽くしていた。ところが、妻は同窓会で再会した男と、浮気寸前の状況になっている。

夫の献身っぷりがあまりに常軌を逸していて、その記号的に突き詰めたやさしさに恐怖すら感じるのだけれども、よくよく考えてみたら妻の浮気だって常軌を逸している。心理描写がほとんどないため、物語を成立させるべく無理矢理浮気をしているような印象があるのだ。この著者が描くキャラクターたちは、行動や心理に機械的・記号的な割り切りがあっておっかない。だって、いかにも笑顔の裏にナイフを隠し持ってそうなのだから……。毎回毎回、緊張感がある。★★★★。

「私の叔父さん」

かつて写真家の男は、6歳年下の姪のことを愛していた。姪は他の男と結婚し、出産のわずか4ヶ月後に死亡する。時は流れて現在、姪の娘(姪孫)が大学受験のために上京してきた。写真家の男がその面倒を見ることになる。東京で姪孫は妊娠し……。

大昔に破れた禁断の恋が、娘(姪孫)を通して現代に甦る。例によって、アイテムやエピソードが全て「せつなさ」に収斂してしまう構造がすごかった。今回は登場人物の名前の付け方も徹底している。何せ主人公の名前、「構治の"構"は私だって構わないの意味……」(p.203)と言われるためだけに付けられているし。★★★★。

>>Author - 連城三紀彦

2005.7.13 (Wed)

ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』(1984)

存在の耐えられない軽さ(110x160)

★★★★
Nesnesitelna Lehkost Byti / Milan Kundera
千野栄一 訳 / 集英社文庫 / 1998.11
ISBN 4-08-760351-2 【Amazon
ISBN 978-4309709437 【Amazon】(池澤夏樹世界文学全集)

ソ連占領下のプラハ。語り手の「私」が、永劫回帰やキッチュといった思想的問題を、4人の男女が織りなす性愛劇に乗せて語る。

今や神話となったニーチェの「永劫回帰」。この重量級の思想に比べると、我々の人生は驚くほど軽い。現代社会では、軽いことが良いことだとされているけれど、語り手はその認識に疑義を呈す。かくして、物語は「存在の耐えられない軽さ」を実証すべく、4人の男女に焦点を当てて進んでいく。

小難しい哲学用語が散見されながらも、雰囲気はかなりポップだ。ほのかな知的陶酔を誘発させるような、気の利いたフレーズが目白押しなのである。それは人間洞察に根ざした一般的なアフォリズムから、音楽や文学、哲学といった学問の引用まで幅が広い。本作はそういった知的な意匠が、男女4人の物語と緊密に交っていく。思想の実証として物語が存在すると同時に、物語の装飾として思想が存在する。そして、思想と物語は相互に作用し、また相互に刺激し合う。

主な舞台がプラハであるため、彼らの生活には共産主義とそれに反抗する勢力の介入がある。セックスをネタにした秘密警察の奸計に乗せられたり、雑誌に投稿した文書が元で職を追われるはめになったり、国情に絡んだ様々なイベントが用意されている。本作は4人の男女の性愛劇を語りつつ、けっこうな分量を割いて政治問題にまで言及している。

ただ、思想と物語の浸透の度合いが強いせいか、あまり自己主張をしているような印象は受けなかった。永劫回帰やキッチュといった小難しい問題が、物語という装置を通して洗練された形にまで昇華されている。これは確かにお洒落だし、読んでいて気持ちが良い。そんなわけで、とても楽しんで読んだのだった。

>>Author - ミラン・クンデラ

2005.7.14 (Thu)

高行健『母』(2001)

母(112x160)

★★★
母親 / 高行健
飯塚容 訳 / 集英社 / 2005.5
ISBN 4-08-773430-7 【Amazon

日本オリジナル編集の短編集。「母」、「円恩寺」、「公園にて」、「痙攣」、「交通事故」、「おじいさんに買った釣り竿」、「瞬間」、「花豆――結ばれなかった女へ」の8編。

『高行健短篇小説集』(台湾)に収録された18編から8編を訳出している。舞台が中国であるせいか、わりと古風な印象を受けるけれど、表現はかなりモダンである。人称を大胆に変化させたり、スケッチ風の断片を積み重ねたり、各作品では様々な技法が使われている。本書を読んだ限りでは、この著者は相当器用な人なんじゃないかと思える。

特に気に入ったのは、「おじいさんに買った釣り竿」。詳しいことは下記を参照してもらうとして、この小説は実験的な文体が、在りし日の思い出を振り返るという内容にがっちり噛み合っている。ただの実験で終わらないところが好ましい。技術と物語の幸福な結婚という感じだった。

しかしまあ、過去を追憶するタイプの小説が、8編中3編(「母」、「おじいさんに買った釣り竿」、「花豆――結ばれなかった女へ」)もあるのには参ってしまった。さすがにこれには食傷する。当時の著者は40代であり、まだそんな過去を振り返って懺悔するような年齢でもないのに……。

以下、各短編について。

「母」(1983)"母親"

作家として成功した「ぼく」が、20数年前(大学時代)に亡くした母に懺悔する。母は自分の人生を犠牲にして「ぼく」を育ててくれたのに、「ぼく」は十分に親孝行することができなかった。

「生まれてきてすみません」系の告白体の小説。著者の自伝的小説に見えるのは気のせいか。母親の思い出を語りながら、中国の抑圧的な社会体制を明るみに出す。凄まじいのが自分に対する人称の使い方で、「彼」や「おまえ」などといった他者への呼びかけでもって、自分のことを突き放しているのだから迫力がある。それほどまでに己の過去を責めているのか、みたいな強烈なオーラ。本作は母親への追憶という素朴な顔をしながらも、その実テクニカルな内面を持っている。

ただまあ、そんな「ぼく」の悔恨話はあくまで物語の牽引する道具に過ぎなくて、主眼はその背景をなす政治的な出来事に置かれているような気もするけれど。ともあれ、力ずくで「四旧」打破を実行するなんて、中国はやることが極端すぎると思った。★★★。

「円恩寺」(1983)"圓恩寺"

カップルが新婚旅行で円恩寺という場末の古寺を訪れる。

新婚独特のわくわくするような気分を伝えつつ、終盤で親子のような大人と子供に出会う。これは観光地ではない、おんぼろな寺だからこそのドラマだろう。都市生活者が地方に旅行したときにおぼえる優越感、なんて心理もちゃんと押さえている。★★★。

「公園にて」(1985)"公園裡"

再会した男女が公園で話をする。

会話文主体の小品。2人の対立する会話を描きながら、過去の苦労をほのめかす。世を恨んでいるらしい男に対し、女が攻撃するという図式。昔は農村に人を送っていたらしい。★★★。

「痙攣」(1985)"手由(手編に由)筋"

一人で黙々と海を泳いでいたら、突如腹筋の痙攣が始まった。何とかして助かろうとする男の心理を描く。

岸からは1キロも離れているし、付近には漁船も見当たらない。そんなハードな状況なのだけれども、慌てず騒がず冷静に行動を起こすところが頼もしい。修羅場を潜り抜けた後に、そのことを他者に語りたがる心理は、普遍的でとても共感できる。★★★。

「交通事故」(1985)"車禍"

ベビーカー付きの自転車に乗った男が、道路を横断しようとしたところ、通りがかったバスにはね飛ばされた。赤ん坊は助かったが、父親は死亡する。

交通事故の現場を描写した小説。ろくに事情も知らない癖に無責任なことを言い散らかす、野次馬たちのおめでたさが楽しい。彼らのセリフの中にさりげなく場違いなのが含まれていて、ちょっとしたユーモアになっている。さらに、そんな緩んだ中盤から、哲学的な考察に一転するところが刺激的。事故の状況から被害者の素性を無理に推理していくなんて、胡散臭さの極みといった感じで面白い。★★★★。

「おじいさんに買った釣り竿」(1986)"給我老爺買魚竿"

故郷から離れて暮らす語り手の「ぼく」が、小さい頃お世話になったおじいさんのために釣り竿を買う。

小さい頃の思い出が語られつつ、おじいさんを訪ねて故郷へ帰るプロットが進行する。でもって、さらにそこへサッカー中継までもが割り込んでくる。異なる位相のプロットが、短い間隔で平行して突き進む終盤が圧巻。追憶から覚めていくような不思議な感覚が味わえる。それにしても、急に自分のことを「おまえ」とか呼び始めるんでびっくりした。どうやら唐突に人称を変えるのが、この著者の特徴のようだ。★★★★。

「瞬間」(1991)"瞬間"

まず、一人きりで浜辺の寝椅子にすわっている男を描写。そこから、黒人の楽器演奏や城砦の散策など、「彼」の移動に沿って、どんどん場面が切り替わっていく。映画的な手法を用いたスケッチ風の短編である。「瞬間」を細かく切り取って、ある目的に向かって地道に積み重ねていくような感じ。ヌーヴェル・バーグっぽい短編。1編くらいならこういうのもありだと思う。★★★。

「花豆――結ばれなかった女へ」(1984)"花豆"

50歳を迎えた男は水力発電所の設計主任。そんな彼が、結婚叶わなかった幼馴染みとの思い出を語る。

「母」や「おじいさんに買った釣り竿」みたいな追憶もの。3作はどれも違った表現技法が使われているけれど、語り手が学歴社会の「勝ち組」であることが共通している。著者の高行健はインテリなので、自然とそういうキャラを用いてしまうのだろう。世界が狭いというか、良くも悪くも老成している。★★★。

>>Author - 高行健

2005.7.16 (Sat)

T・S・エリオット『キャッツ』(1940)

キャッツ(113x160)

★★★
Old Prossum's Book of Practical Cats / T. S. Eliot
池田雅之 訳 / ちくま文庫 / 1995.12
ISBN 4-480-03137-5 【Amazon

ミュージカル『キャッツ』の原作。おばさん猫のガンビー・キャットや猫の魔術師ミストフェリース、ダンディ猫バストファー・ジョーンズなど、個性豊かな猫たちを紹介していく。全15編のナンセンス詩集。

童話みたいなストーリーを持っていてとても読みやすかった。猫にも犯罪王がいたり、泥棒コンビがいたり、あまのじゃくがいたりするのが楽しい。邦訳版の本書は、文章に軽快なリズムがあって気持ちよく読める。さらに、ニコラス・ベントリーによるカラー挿絵も微笑ましく、特に魔術師が手品を披露している絵は、あまりの可愛さに心を揺さぶられた。毛糸と戯れている猫、帽子から顔を出している猫、帽子から猫を取り出している猫。みんな我関せずといった風情の、とぼけた表情をしているのが良い。このイラストを見たら、誰でもきっと猫を飼いたくなるだろう(余談だが、ダンディ猫の項に出てくるおじさんの絵は、アルフレッド・ヒッチコックに似ている)。

特に印象的だったのが、親分猫グロウルタイガーのエピソード。この猫はバージ船で駆け回る百戦錬磨の殺し屋で、ペルシャ猫やシャム猫といった舶来産の猫たちから恐れられている。そんな彼が月を見ておセンチな気分になり、その後の戦闘で意外な結末を迎えるのだから何ともはかない。彼の活躍がリズミカルに歌われるからこそ、無常の風が吹きすさんでいるように感じる。

本書は、詩=難解という先入観を吹き飛ばすくらいすらすら読めた。この勢いで『荒地』【Amazon】に進むべきだろうか。