2005.7c / Pulp Literature

2005.7.21 (Thu)

ミラン・クンデラ『無知』(2000)

無知

★★★★★
L'ignorance / Milan Kundera
西永吉成 訳 / 集英社 / 2001.3
ISBN 4-08-773340-8 【Amazon

プラハからデンマークに亡命したやもめの男。同じくプラハからフランスに亡命した既婚の女。2人は20年ぶりにパリの空港で再会する。そして、それぞれオデュッセウスよろしく里帰りする。

これは『存在の耐えられない軽さ』を遙かに凌ぐ亡命者文学の金字塔ではなかろうか。例によって顕在化した語り手によるモデルの提示があって、それが男女のドラマに適用されていく。今回のモチーフは、冒険者の物語『オデッュセイア』【Amazon】。私は未読で詳しい内容は知らないけれど、本作によると、オデュッセウスは旅先で異邦人として遇せられ、行き先々で身の上話を要請されたという。ところが、いざ彼がイタケー(故郷)に帰ってみると、地元の人々は旅の苦労を聞こうともしなかった。オデュッセウスは話をしたくてうずうずしているというのに、彼らは質問すらしてくれない。自分たちのことは盛んに話すくせに、「私」のことになると途端に無関心になる。……と、このような状況が現代の亡命者にも当てはまるというわけだ。本作ではオデュッセウスの帰還が、亡命者の帰還とリンクする仕掛けになっている。

ビロード革命によってチェコは念願の民主化を果たした。それを受けた西側の民衆たちは、亡命者に「祖国」への帰還を勧める。なぜなら、それが亡命者のあるべき姿だからだ。ところが、当事者にとって生活の基盤は今の場所であって、西側の人々が称揚する祖国ではない。もう長年住んでいるので、今住んでいる場所が「祖国」と化しているのだ。従って、彼らの勧めはありがた迷惑であり、亡命者はそのことをはっきり主張する。にもかかわらず、善意の民衆たちは、亡命者が祖国への郷愁を抱いているはずだと決めつけている。まるで白人から見た土人たちのように、亡命者は眼差しによって都合良く変形されている。著者のミラン・クンデラは、ビロード革命後も祖国に帰らず、フランスに留まり続けているという。このことを踏まえると、彼も前述のような眼差しに辟易していたのだろうか、と想像してしまう。

人間関係の齟齬を扱いながらも、雰囲気はそう重苦しくない。それまで理論を交えてまっとうに論じてきた問題を、ある場面では一転して黒い笑いに包んでいる。他者への無理解・無関心を、哲学的な理論とユーモラスなシチュエーションを用いて穏当な場所に落とし込む。本作はその論理展開が素晴らしいのだ。

気の利いたフレーズが目白押しの本作は、やはりいつも通りの洗練された内容だった。ソ連崩壊後の亡命者にまつわる問題は、本作でケリがついてしまったような気がする。こうまで鮮やかに「帰還」の物語を提示されたら、他に書くことがないでしょうみたいな感じ。これにはもう大満足だった。

>>Author - ミラン・クンデラ

2005.7.23 (Sat)

ギュンター・グラス『鈴蛙の呼び声』(1992)

鈴蛙の呼び声

★★
Unkenrufe / Gunter Grass
高本研一・依岡隆児 訳 / 集英社 / 1994.1
ISBN 4-08-773184-7 【Amazon

時はベルリンの壁崩壊の一週間前。舞台はポーランド領グダニスク(旧ダンツィヒ)。ポーランド人の老嬢とドイツ人の老人(美術大学の教授)が、花屋の店先で偶然の出会いを果たす。やもめの2人は恋に落ち、死ぬときは故郷のグダニスクに埋葬されたいと願う。2人は同じ望みを抱いている人々のため、ドイツ=ポーランド墓地協会の事業を起こす。

教授が送りつけてきた資料をもとに、ギュンター・グラスが事実を再構成するという形式。語り手が作中人物と距離を取りながら、適度に自意識を介入させていく。直前に『無知』を読んでいたせいか、ミラン・クンデラを思い出した。

本作はドイツとポーランドの宥和を題材にした政治的な話。ドイツ帝国の領土だったグダニスクは、第一次世界大戦後、独立して国際連盟管理の自由都市になった。しかし、もともとそこにはドイツ人が多く住んでいたため、第二次世界大戦のときにはナチス・ドイツに真っ先に占領されてしまう。そして、戦後はポーランド領になり、ドイツ人の大半がいなくなったという次第。ドイツ人とポーランド人が恋に落ちるという設定や、ドイツ=ポーランド墓地協会の事業、さらにカップルがそれぞれアレクサンドルとアレクサンドラという冗談みたいな名前であることなど、本作は寓話っぽい趣向になっている。

でまあ、これがドイツとポーランドの関係によほどの思い入れがないと読むのがしんどいんじゃないかと思った。宥和のための墓地を作り、そのオプションとして今度は老人ホームを建設し、さらに老人たちのために病院の配慮までする。墓地事業の発展の過程はけっこう面白いのだが、ドイツとポーランドの経済格差に絡んだ揉め事や、ベンガル人の輪タクがどうのこうのなど、歴史に関する知識がないと細部が分かりづらい。また、湾岸戦争や環境問題にまで言及したり、「鈴蛙は災いを呼び寄せる」という迷信を強調したり、不吉な雰囲気を作ってばかりでけっこう退屈。結局これは、集団レベルでの宥和は不可能だが、個人レベルならOKというかすかな希望を描きかったのだろうか。武器を使わずとも自然と大国は小国を食い物にするものであり、戦争や環境破壊が横行する世紀末はろくでもない、と。周辺の小国に影響を及ぼす、東西ドイツの統一は不吉なんだ、と。

恋愛で一本筋を通したところは良かったものの、総じてつまらない話を読みづらい構成で、だらだらと垂れ流れされたような感じでいまいちだった。今は統一ドイツが当たり前の時代なので、これは読むのが遅すぎたのかもしれない。

>>Author - ギュンター・グラス

2005.7.25 (Mon)

伊坂幸太郎『死神の精度』(2005)

死神の精度

★★★★★
文藝春秋 / 2005.6
ISBN 4-16-323980-4 【Amazon
ISBN 978-4167745011 【Amazon】(文庫)

死神を語り手にした連作短編集。「死神の精度」、「死神と藤田」、「吹雪に死神」、「恋愛で死神」、「旅路で死神」、「死神対老女」の6編。

これは年間ベスト級の傑作。著者お得意の人情話が主体だけれど、今回は語り手が無感動であるため、全然嫌味じゃなくなっている。死神は職業柄、人間の死については醒めた知見を持っていて、冷徹な眼差しで世界を見ている。しかし、冷徹ではあっても冷酷ではないため、何だかんだ言いながらターゲットと関わることになる。ミュージックが大好きだったり、人間のレトリックを解さなかったり、死神のくせにユーモアがあって親しみやすい。

死神といってもサラリーマンみたいなもので、語り手は組織の歯車として、ターゲットの素行を調査する役割を担っている。情報部のスケジュールに沿ってターゲットに近づき(人間の格好で)、その人物が死に値するかどうかを一週間かけて見極める。大抵の死神はろくに調査をしないまま「可」と報告するのだけど、仕事熱心な語り手は期間いっぱいまで調査する。ただし、調査はしても大抵は「可」と報告するような性格をしており、そのバランスの良さがドラマを見せるのに打ってつけとなっている。

死神は独自の様々なルールを持っていて、それらが各作品でキーポイントになる。詳しくは触れないけれど、たとえば意外な展開を導いたり、人情話を演出したりするのだ(しかも、ターゲットには「死」が目前に迫っているため、人情話には一定の切実さがある)。本書はそのルールの使い方が巧妙なうえ、最初に述べた通り、人情話が嫌味にならないよう工夫されているため、いつも以上に素直に読むことができる。くわえて、著者が自家薬籠中のものとしている「繋がり」にも手抜かりはない。そういうわけで、久々に連作ならではの充実した読後感を味わったのだった。

以下、各短編について。

「死神の精度」

ターゲットは、人生に疲れ気味の苦情処理係の女性。彼女のもとに男から執拗に電話が掛かってくる。

導入部といった感じの緩い内容。オチも含めて先が読める展開でうんざりしていたのだけど、粋なラストがそれを帳消しにした。

「死神と藤田」

ターゲットは、いまどき珍しい任侠ヤクザ。殺された弟分の仇を討つため、下手人であるヤクザのもとへ乗り込もうとする。

これは上手いなあ。どこが上手いのか言えないのが歯痒い。

「吹雪に死神」

ターゲットは、洋館に滞在する中年女性。吹雪のなか、閉ざされたその場所で次々と人が死んでいく。奇しくも死神が探偵役を演じることになる。

アガサ・クリスティを彷彿とさせるクローズド・サークルもの。もちろん、真面目に推理したりはしない。伏線がけっこう大胆で驚いた。

「恋愛で死神」

ターゲットは、イケメンなのにダサイ眼鏡をかけている洋品店の男性店員。彼が客としてやってきた女性に恋をする。女性はテレアポのキチガイ男に悩まされていた。

始めに死が提示され、それに至る経緯を回想する。後の場面が始めに繋がる、パズル的な味わいを堪能。

「旅路で死神」

ターゲットは、かっとなって通りがかりの人をナイフで刺し殺したいまどきの若者。逃走中の彼は、死神が運転する車で十和田湖へ向かう。目的は人を殺すためだった。

若者が人生にまつわる諦観めいたセリフ(川の流れが云々)を吐くのだけど、それを死神がぼそりと一言でさばくところが印象的。暖かみのあるシーンが、他作品ほど青臭く感じられない。やっぱり死神のキャラは貴重だと思った。ところで、壁に落書きをしていた青年は誰?

「死神対老女」

ターゲットは、70歳になる床屋の老婆。死神の正体を見抜いた彼女は、10代後半の男女を、特定の日に複数連れてくるよう死神に依頼する。その動機は?

連作を締めるにふさわしい内容だった。死神の設定が上手く使われているし意外性もある。

>>Author - 伊坂幸太郎

2005.7.27 (Wed)

ジョン・スタインベック『スタインベック短編集』(1932-)

★★★★
大久保康雄 訳 / 新潮文庫 / 1954.8
ISBN 4-10-210103-9 【Amazon

短編集。「菊」、「白いウズラ」、「逃走」、「蛇」、「朝めし」、「襲撃」、「肩当て」、「自警団員」、「『熊』のジョニー」、「殺人」、「聖処女ケティ」、「敗北」、「怠惰」の13編。

カリフォルニアの雄大な大地を舞台にした短編集。心理ものが中心。誰もが共感できる普遍的な心理から、ニューロティック・サスペンスばりの異常心理まで、広い範囲をカバーしている。このジャンルは、女が庭を自分と同一視する「白いウズラ」と、共産主義の男が自己犠牲的な生き方に満足感をおぼえる「襲撃」が良かった。前者は異常心理ものの代表、後者は普遍的な心理の代表といった感じ。

それでもっとも気に入ったのが、怠け者の男が田舎で貧乏暮らしをする「怠惰」。男の周りが社会の煩雑さから離れた、一種のユートピアになっているところが面白かった。貧乏で、しかも村人たちからは変人扱いされているというのに、彼個人は幸せという状況。そんななか、成長した子供を通して、不可避的ともいうべき感動のオチへなだれ込む。上質のビルディングス・ロマンのような味わいがあった。

ところで、スタインベックというと、天災や貧困、抑圧などといった重苦しい話を書くイメージがあったが、本書の中にはコミカルな短編も混じっていてかなり意外だった。特にキリスト教の形式主義を茶化した、「聖処女ケティ」のはじけっぷりが凄まじい。自分の子供ですら食い殺す、ケティという極悪非道の雌豚が、痛快無比の大活躍をするのである。修道士との大立ち回りと、その後の豚の顛末が楽しい。スタインベックって、こんな冗談みたいな話を書く人だとは思わなかった。

以下、各短編について。

「菊」"The Chrysanthemums"

農場主の夫に、菊育てが得意な妻。夫が牛の移動で不在のときに、荷車に乗った流浪の鍛冶屋が通りがかる。鍛冶屋は日用品の修繕を申し入れるが……。

妻の微妙な心理を描いた小説。初めのうちは断固とした態度でいたのに、菊に興味を持たれることで警戒心を解いてしまう。鍛冶屋のセールステクニックなんだけれど、そこで終わらず、男の生活ぶりを知ることで夫との関係がぎくしゃくするのが面白い。男と女の差異に対する、女の反発。拳闘試合は男の世界の象徴として持ち出されたのだろうか。★★★★。

「白いウズラ」"The White Quail"

理想の庭作りに人生を賭ける、独自の世界観を持った女の話。

庭を自分と同一視して、その景観の保持に異様に拘る。その熱狂ぶりは夫でさえも理解できない。白いウズラを自分のエキスだと思い込むその態度は、平たく言えば「キチガイ」なのだけれども、彼女の中ではそれがしっかりとした秩序になっているのだから、それほど異常に見えない。ところで、最初は幻想小説だと思った。白いウズラが死んだら女も死ぬ、みたいな。★★★★。

「逃走」"Fligh"

女手一つで切り盛りしているインディアンの家族。ある日、19歳の長男が人を殺した。母は彼に馬と食料を与えて逃亡の旅に出す。

「大人になる」とはどういうことなのかを描いた小説。荒涼としたアメリカ南部の風景が大迫力で、仮に敵に見つからなかったとしても、こんな環境で生きていけるのだろうか、という気にさせる。人を殺したら問答無用で殺される。開拓時代の厳しい生活を覗ける。★★★★。

「蛇」"The Snake"

動物研究所の実験室に女がやってきた。女は雄のガラガラ蛇を所望する。

これは異常心理ものか。女は蛇が鼠を食べるところを見たがっていて、人間離れした異様な雰囲気を発散している。動物の死体への無関心さもさることながら、「埃に覆われたような黒い目」が恐ろしい。ところで、最初は幻想小説だと思った。女は蛇の化身で、雄を求めてふらふらとやってきた、みたいな。★★★。

「朝めし」"Breakfast"

旅の途中の「私」が、綿摘みの一家に朝めしをご馳走になる。

3ページ程度の掌編。一家の暖かく喜びに満ちた態度と、おいしそうな朝めしの描写が良い。読むと、パン、ベーコン、コーヒーが食べたくなる。とりあえず、肉汁をつけたパンを試したい。★★★。

「襲撃」"The Raid"

ベテランと若者。集会を開こうとする共産主義の2人が、仲間に裏切られて襲撃にさらされることになった。

怯える若者と、そんな彼を勇気づけるベテラン。襲撃を待つ間の緊張が凄い。ちょうど、嵐の前の静けさという感じ。それにしても、暴力はやつらがやるんじゃなく体制がやるんだ、みたいな考え方には驚く。そうでなきゃ、こんな自己犠牲的な主義思想は維持できないのだろう。信念に従ったからこその満足感。★★★★。

「肩当て」"The Harness"

周りから尊敬されている農夫。彼の21年連れ添った妻が病死した。それを機に、今まで真面目だった農夫は豹変する。

肩当てで背筋を伸ばし、腹帯で下腹部のでっぱりを抑える。どうやって彼を操っていたのか分からないのが恐ろしいし、さらに抑圧の対象が死んでもその影響から逃れられないところが恐ろしい。★★★。

「自警団員」"The Vigilante"

白人の集団が黒人の囚人を留置所から連れだし、私刑に処する。一人の暴徒の心理を描く。

といっても、これは当人の心理そのものを描写するのではなく、相手の反応によって鏡像を示し、それを本人に肯定させるというもの。ラストはぞっとする。★★★。

「『熊』のジョニー」"Johnny Bear"

熊のような風貌をし、声帯模写が得意な白痴のジョニー。彼は客にウィスキーを奢ってもらうため、盗み聞きした会話を酒場で再生するという毎日を送っている。そんな彼が、村の象徴とも言うべき、2人の姉妹の秘密を暴露する。

地に足のついた話ばかり書くのかと思っていたら、人間レコーダーという意外と突拍子のない設定。村を代表する自慢の姉妹が冒涜されて、客らがゲンナリする気持ちはわかる。それにしても最後、ジョニーは何と言ったのだろう? ★★★。

「殺人」"The Murder"

ユーゴスラビア人を妻にした男が殺人を犯す。妻は美人でよく働くが、無口で何を考えているのだか分からない。

男女の微妙な関係。女は家畜を扱うがごとく、適度にぶちのめさないと浮気する、という女性観なのだろうか。まあ、それは意地悪な見方で、男女関係の正しいあり方なんてのは、時代や環境によって大きく左右されるということなのだな。★★★。

「聖処女ケティ」"Saint Katy the Virgin"

性悪な男のもとに、2人の修道士が10分の1税を取り立てにきた。男は性悪な豚のケティを引き渡す。

キリスト教を茶化したコメディだった。このケティというのが破天荒で、近隣の鶏のみならず、何と自分が生んだ子供たちまで食い殺すのだからとんでもない。そんな非道な豚が、修道士2人を相手に大立ち回り。挙げ句の果てには十字架に反応して……。ことの顛末はけっこう笑える。キリスト者は必読かも? ★★★★。

「敗北」"The Pastuires of Heavens: Part 3"

「天国の牧場」と呼ばれる谷間の村に住む夫婦。夫の「鮫」は財産運用の玄人として、村人たちから一目置かれていた。しかし、実はその取引は架空のもので、実際は一文無しという体たらく。と、そんな彼に娘が授かる。娘は赤ん坊のころから絶世の美女だったが、成長してみると精神薄弱の白痴だった。「鮫」は常軌を逸した態度で娘を可愛がる。

娘の処女性を守ろうと必死になる、「鮫」の異常な心理が凄い。悪い虫がつかないよう、常に娘を自分の視野に入れて育てている。傷がつくと嫌なので体罰は加えないし、男との接触も、純潔を汚されかねないので御法度にしている。で、まるでそんな「鮫」を挑発するかのごとく、14歳になった娘のもとに、村で噂の女好きが近寄ってくるわけだが……。コメディ風味のサスペンスかと思っていたら、オチが意外な方向に転がった。★★★★。

「怠惰」"The Pastuires of Heavens: Part 6"

計理士の男が転地療養のため、「天国の牧場」に滞在する。間借りした家の未亡人と結婚し、そこに住み着くことに。しかし、怠け癖がついた男は労働せず、夫婦は貧乏になり、男は村人たちから変人扱いされる。生まれてきた子供は、文学趣味の男によって奇妙な育てられ方をされ、ついに義務教育を受ける年齢になった。

貧乏でも好きな小説を読んで幸せに暮らしているし、子供も常人とは一味違うカリスマを身につけているし、男はけっこうな手間をかけて子供たちと遊んでやってるしで、男の周りがちょっとしたユートピアになっているのだから不思議。20世紀初頭ならではの牧歌的な生活が面白い。現代ではとてもこんな生活は望めないだろう、と少し羨ましくもなる。楽しい一時からなだれ込むオチが感動的。この"The Pastuires of Heavens"シリーズは、「敗北」ともども味わい深かったので、是非とも全作読んでみたいと思った。★★★★★。

>>Author - ジョン・スタインベック

2005.7.30 (Sat)

原りょう『愚か者死すべし』(2004)

愚か者死すべし

★★★★
早川書房 / 2004.11
ISBN 4-15-208606-8 【Amazon

私立探偵・沢崎シリーズ。新宿署の地下駐車場で、元ヤクザを狙ったと思しき銃撃事件が発生した。偶然居合わせた沢崎が事件に関わり、犯人グループから脅迫の電話を受けることになる。

「(略) しかし、探偵とはおそれいったね」
「おそれいりついでに、警察に出頭してみてはどうだ。おまえたちはシャバにいても嫌われるだけだが、警察なら歓迎してくれるだろう」 (p.102)

このシリーズは、沢崎のへらず口が機知に富んでいるかどうかが重要なのであって、はっきり言えば細かい内容は二の次である。語り手の沢崎が、気の利いたフレーズで世界を論評をしていくのが小気味よく、それを格好いいと思う人間がシリーズのリピーターになるのである。くわえて、力なき一介の探偵が、不利な状況を巧みな弁舌で回避するところも見所だろう。権力を持った警察、暴力に秀でたヤクザ、銃を携えた訪問者。二者間の偏りを、持たざる者が言葉の力で覆すのだから素晴らしい。

今回は前述の銃撃事件と、銀行でおきた誘拐事件の、2つの出来事が平行するという趣向。無関係に思われた両者は、妙な偶然によって細い繋がりを持っている。話が進んでいくうちに、それらが意外なところで交差するのが面白い。最初の繋がりは100パーセント偶然なのだけど、2度目の交差は起こるべくして起こったという必然的な意味を持っている。どちらの事件も真相で似たような捻り方をしていることを考えると、これは2つの事件に関わりと共通性を持たせることで、全体の統一感を出そうとしたのではないかという気がする。また、ひきこもりネタや政治家の学歴詐称ネタが、ワイドショー並の陳腐さ・安直さでしかないのは、銃撃事件の結末に関連したもの(沢崎がワイドショーに言及する)ではないかとも思える。まあ、これらは好意的な解釈に過ぎるのだろうけど。

捜査のプロセスには起伏があるし、真相には驚きがあるし、相変わらず沢崎のへらず口は面白い。舞台装置の安っぽさを差し引いても、十分に楽しめる内容だった。