2005.8b / Pulp Literature

2005.8.12 (Fri)

宮部みゆき『ステップファザー・ステップ』(1993)

ステップファザー・ステップ(113x160)

★★★★
講談社文庫 / 1996.7
ISBN 4-06-263285-3 【Amazon

泥棒と双子の男子中学生が活躍する連作短編集。「ステップファザー・ステップ」、「トラブル・トラベラー」、「ワンナイト・スタンド」、「ヘルター・スケルター」、「ロンリー・ハート」、「ハンド・クーラー」、「ミルキー・ウエイ」の7編。

東京の通勤圏からだいぶ離れた、丘の上の新興住宅地。弱きを助け強きを挫く、そんな人情派の泥棒が、仕事の最中に屋根から墜落、双子の男子中学生に介抱される。双子は遺棄児童で、彼らの両親は2人同時に愛人と駆け落ちしていたのだった。弱みを握られた泥棒が、彼らの継父(ステップファザー)になる。

泥棒を語り手にしたユーモア小説。これは面白かった。泥棒バーニイ・シリーズ(ローレンス・ブロック)を思い出させる、愉快な語り口が読ませる。

泥棒は探偵役を務めるだけあって頭は切れるのだけど、それでも双子の底知ぬ個性に翻弄されてしまう。「ぼくたちは」、「双子なんです」といった具合に、一つの文章を分割し、2人で交替しながら話をする双子。かわいい外見にも関わらず、ときおり大人顔負けの知力を垣間見せる双子。無邪気な態度の裏で、継父に隠し事をしている双子。無垢と知性が同居したこの2人は、まさに「恐るべき子供たち」といった様相を呈している。

はじめは双子との関係を桎梏だと思いながらも、回を重ねていくうちに、いつか訪れるであろう別れを思ってせつなくなる。そんな泥棒の心理の変化が良い。これは連作のお約束なのだろうけど、それでも具体的なエピソードで絆が示されると、すんなりその心理に乗っかることができるのだから不思議だ。さらに、無垢な子供と人情をわきまえた大人という、普通の小説だと嫌味になりそうなトリオも、ユーモア小説の枠組みで語られると違和感なく読める。そんなわけで、かなり楽しんだのだった。

ところで、基本的には無垢と人情の世界が中心でありながら、中には殺人やレイプといった絶対悪が入り込んでくるものが数編あって、けっこう衝撃を受けた。語り手と双子、さらに親父さん(泥棒の元締め)の間にあるのんびりとした空気と、その外側にある暴力世界とのギャップ。凶悪犯罪とは決して別世界の出来事でなく、我々の楽しい世界と地続きであることを思い知らされる。

以下、各短編について。

「ステップファザー・ステップ」

双子の協力で隣りの家に泥棒に入る。家の中が鏡だらけだったり、置いてあるミステリ小説が偏っていたり、けっこうトリッキーな話。

「トラブル・トラベラー」

3人が遊びに行った観光地は、町おこしのために、町全体が倉敷市のコピーと化していた。そこの美術館に強盗が押し入る。偽造の天才「画聖」が登場する話。

「ワンナイト・スタンド」

双子の片割れが通ってる学校へ授業参観に行く。昔は平日参観のほうが珍しかったらしい。

「ヘルター・スケルター」

湖から車を引き揚げたら、中に2人の男女の白骨死体があった。もしや、双子が両親を消したのではないか?

「ロンリー・ハート」

文通に端を発した脅迫事件に関わる。

「ハンド・クーラー」

双子の知人の家に、何者かが新聞を投げ込んでいるらしい。その謎を解き明かす。

「ミルキー・ウエイ」

双子がそれぞれ別の犯行グループに誘拐される。この回は親父さん(泥棒の元締め)が良い味出している。驚いて心臓が止まったり、子供たちに見せられないような凄いことをやらかしたり。

2005.8.14 (Sun)

アルンダティ・ロイ『小さきものたちの神』(1997)

小さきものたちの神(108x160)

★★★
The God of Small Things / Arundhati Roy
工藤惺文 訳 / DHC / 1998.6 / ブッカー賞
ISBN 4-88724-124-0 【Amazon

1960年代のインドは、カースト制度と共産主義の入り乱れる混沌とした社会状況にあった。いつも一緒にいる無垢な双子、不可触選民の男に恋する母、他人の幸福を妬む大叔母。因習の影響下にある彼らの生活を描く。

序盤で従姉妹の死が提示され、そこに至るまでの因果を物語っていく。時系列は錯綜しており、双子が7歳だった事件当時の時間を基本としながらも、各登場人物の過去あるいは未来を描写していく。人物を掘り下げることで、物語に深みを与えているという次第。しかも、この掘り下げは事件を構成するパズルの1ピースみたいな役割も果たしていて、真相にはそれなりの驚きがある。

本作は男性優位社会やカースト制度など、インドの社会状況を切り取った小説で、いわゆるポストコロニアル小説に分類されるようだ。ご当地ものならではのオリジナリティを度外視すれば、同じブッカー賞作品の『昏き眼の暗殺者』が、最近読んだ中では感触として近い。親族による会社経営や共産主義の台頭、そして身分を越えた禁断の愛など、随所にデジャヴを感じる。偏見を承知でいうと、いかにも女性作家って感じの作風だ。フェミニズム的な視点は置くとしても、「禁断の愛」の盛り込み方なんかがそれっぽい。

愛の破綻については、3組の夫婦が離婚しているところが象徴的で、それ以外にも男女間の亀裂が目立つ。嫁の成功に嫉妬した昆虫学者は、彼女に暴行を加えて絶交しているし、「ベイビー・コチャマ」なる怪物的な大叔母は、若い頃に愛が成就されなかったため、今ではねじ曲がった根性の持ち主と化している。また、亀裂は男女間だけではない。それまで上手くいっていた母親と双子の関係が、ほんの一時こじれてしまうことで、取り返しのつかない事態を引き起こしてしまう……。

そういうわけで、本作は『愛その他の悪霊について』みたいな、「愛の不在」を扱った小説といえるだろう。つまり、愛が行き違うことによって、物事が悪い方向へ転がってしまう。そして、行き違うのには様々な要因があって、その主なものが因習にまみれたインドの社会状況にある、と。現代的な観点から見れば、男性優位社会やカースト制度などはとんでもなく理不尽で、これが元で引き起こされる悲劇には、確かに感情移入させるような吸引力がある。

この小説の大きな特徴は、登場人物が異様にキャラ立ちしているところだ。特に「ベイビー・コチャマ」の拗くれ具合は強烈で、終始他人の足を引っ張ることしかしないのだから恐ろしい。自分が受けた屈辱を他人に八つ当たりすることで晴らそうとしたり、幸せそうな双子に嫉妬して虐めてみたり、保身のためにとんでもないでっちあげを画策したり……。そんな根性悪い性格のせいか、大叔母は気の利いたことを言っても周りから無視されるし、それどころか親族から疎んぜられている節がある。喜劇的なキャラの大叔母には、常に孤独感・疎外感が付きまとっている。

正直いって、インドの風俗描写や英国風の洒落た言い回しが挿入されるところに、欧米市場への目配せが感じられていまいち良い気分がしなかった。その計算され尽くしたマージナル感は、欧米人受けを狙ったマーケティングの実践という感じ。ただそれでも、ベタな悲劇をドラマチックに仕上げる手並みは認めるしかなく、前述の問題を差し引いても、この小説はインドらしさ溢れる好編だと思う。地方色豊かなファミリー・サーガの、一つのお手本という意味でお勧めかもしれない。

2005.8.17 (Wed)

村上春樹『1973年のピンボール』(1980)

1973年のピンボール(114x160)

★★★
講談社文庫 / 1983.9
ISBN 4-06-183100-3 【Amazon

『風の歌を聴け』の続編。ある日、目が覚めたら「僕」の両脇に双子の女の子が寝ていた。翻訳の仕事をしている「僕」は、彼女たちと奇妙な同棲生活を始める。その後は思い出のピンボール台を探すことに。

久しぶりに再読したのだけど、前作から作風がだいぶ変わっていて驚いた。チャレンジ精神の表れというか、慣れないことを無理してやっているというか、とにかくそんな感じ。風のように流れた前作に比べると、本作は鈍重でもたついているような印象がある。これは断片で語るのを止めからというのもあるし、行動と感傷を前面に押し出したからというのもある。ピンボール台との邂逅シーンのような鮮烈なイメージに惹かれたものの、トータルで考えると、あっさり控えめの前作のほうが良いと思った。

今回はまとまった文章を書く気力がないので、以下、思いついたことを箇条書きにする。

  • 三人称で書かれた「鼠」のパートがきつかった。若者の悩みを真面目に綴っていて退屈。
  • それに反して、一人称で書かれた「僕」のパートは面白かった。イメージが冴えてるし、比喩表現も風変わりで読み応えがある。
  • 段ボール箱から一匹ずつ猿を取りだして野原に放すという比喩に驚く。
  • 双子を両脇に侍らせて一緒に寝るという発想に驚く。
  • 序盤。死んだ彼女に想いを馳せる場面はストレート過ぎてひいた。
  • 終盤。擬人化したピンボール台との邂逅は名シーン。
  • 「鼠」の旅立ちは現代だと「自分探し」とか言われそう(しかも、いわゆる「R25」!)。

>>Author - 村上春樹

2005.8.19 (Fri)

ルイス・キャロル『不思議の国のアリス(新注)』(1865)

★★★
Alice's Adventures in Wonderland / Lewis Carroll
ピーター・ニューエル 画 / マーティン・ガードナー 注
高山宏 訳 / 東京図書 / 1994.8
ISBN 4-489-00446-X 【Amazon

アリスが兎の穴に落ちて、不思議の国に迷い込む。

再読。この前は確か山形訳で読んだ。本書は詳注版【Amazon】(未読)の続編で、本文の下に注釈を掲載している。注釈といっても、内容の分析・解釈みたいなものはほとんどない。もっぱら、作品成立の裏話や、時代背景の解説などに終始している。たとえば、作中のドードー鳥は作者の戯画で、他にも実生活の知人がキャラクターに反映されているとか。ヴィクトリア朝の下層階級の人たちは、腐りかけの肉の味を誤魔化すため、料理にコショウを入れまくっていたとか。ルイス・キャロルは42という数秘学に拘ったが、それはシャーロック・ホームズ正典や聖書にも見られる事象だとか……。『不思議の国のアリス』が大好きで、トリヴィアルな知識を得たいという人に本書はお勧めかもしれない(*1)

物語について。今回はまとまった文章を書く気力がないので、以下、箇条書きでメモするに止める。

  • アリスは大きくなったり小さくなったりすることでアイデンティティを見失う。
  • アリスはトランプのことをトランプだと喝破することで元の世界に戻る。
  • アリスはチェシャー猫の姿が見えないのににもかかわらず、そのニヤニヤ笑いだけを認識できている。
  • 似非海亀が自分の学識を自慢する第9章。1日ごとに授業時間が減っていくという時間制の不備を突っ込まれた亀だったが、その後何事もなかったかのように話題を切り上げている。

>>Author - ルイス・キャロル

*1: 挿絵がお馴染みのジョン・テニエルじゃないので、セカンドブック扱いになるだろうか。線画だったテニエルの絵に対し、ピーター・ニューエルの絵は絵画調(アメコミ調?)になっている。