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- 21 : エドワード・ケアリー『アルヴァとイルヴァ』(2003)
- 24 : P・G・ウッドハウス『比類なきジーヴス』(1923)
- 25 : 岩井志麻子『ぼっけえ、きょうてえ』(1999)
- 29 : アゴタ・クリストフ『悪童日記』(1986)
- 31 : 村上春樹『羊をめぐる冒険』(1982)
2005.8.21 (Sun)
▲エドワード・ケアリー『アルヴァとイルヴァ』(2003)

★★★
Alva & Irva / Edward Carey
古屋美登里 訳 / 文藝春秋 / 2004.11
ISBN 4-16-323470-5 【Amazon】
=「金之助」や。
=「美也子」です。
アイコンは、アイコン・WEB素材のアッコの畑のものを使用させてもらってます。
今日は良い子のみんなお待ちかね! 双子の姉妹が町を救う、夢と希望の小説『アルヴァとイルヴァ』や!
はしゃぎ過ぎよ。そんなに双子が好きなわけ?
当たり前や。知らんのか? 大阪人は「たこ焼き」と「ツッコミ」と「双子」があれば、後は何も無くても生きていけるんやで。
ウソばっかり。
ららら、双子の子〜♪(鉄腕アトムの調子で)
……さて、妙なのはほっといて話を先に進めましょうか。え〜と、この小説はエントラーラという架空の町が舞台ね。姉のアルヴァが書いた自伝を、彼女のかつての知人が英訳したという体裁なの。タイトルは、『アルヴァとイルヴァ 町を救った双子の姉妹』。訳者は注釈のほかに、町の名所旧跡の案内文なんかも盛り込んでいて、この本を特定のお店に持っていけば、料金1割引きなどの特典が受けられる。つまり、外国人観光客をターゲットにした本なのね。
アルヴァとイルヴァはエントラーラを巨大地震が襲ったとき、人々を救ったらしいんやな。ほんでこん姉妹、ローマ建国のロムルスとレムス並に讃えられとる。
町に彼女たちの銅像が建ってるのだから凄いよね〜。一介の町民に過ぎない双子の姉妹が、いかにして町を救ったのか? これが興味の焦点になってるわけね。
はじめに訳者による「前書き」で、姉妹の片割れが死んだときのエピソードが語られる。そん後で、いよいよ血沸き肉躍るアルヴァの自伝が始まるんや。
別に血は沸かないし、肉も躍らないけどね。
アルヴァはまず、自分たちが生まれる前の両親の時代から語りおこす。ほんで、そこから自らの誕生を描き、とんとん拍子で成長、学生時代を経て社会人になるっちゅうわけや。ちょうど『サンセット大通り』【Amazon】みたいに、死ぬまでの経緯が明かされていくんやな。
このアルヴァとイルヴァがちょっと変わった子たちなの。自分たちのことを一心同体だと信じていて、離ればなれになったら死ぬと思ってる。さらに極度に内向的で、友だちも作らず、家の中で始終粘土遊びしてる。屋根裏部屋で町の模型を作ってる。
ほんで、それを受けて随所に模型の写真が挿入されるんや。郵便局とかカフェとか小学校とかな。
うん。いかにもハンドメイドって感じで味があったよね。……それで話を双子に戻すけど、小学校でいつも手を繋いでいるのにはビックリした。
女の子同士やったら普通やろ? その年代なら手ぐらい繋ぐ。
お互いを相手にファーストキス済ませてるのにも驚いた。
驚くことか? わしが小学校んときにおった双子の姉妹も、教室で堂々とキスしとったで。それも舌入れて。
お互いの発育状況をチェックしてるのは、さすがにやり過ぎだと思った。
双子やったらあり得る。
それはない。絶対にない。
さて、妹のイルヴァは重度のひきこもり気質なんやな。部屋から出るの嫌がっとるし、学校でも他人とまともにコミュニケーションとれてへん。唯一、心を開けるのが姉のアルヴァなんやが、やつは妹と違って外に出たがっとる。世界を旅したがっとる。
双子でもけっこう中身は違うのよね。それで一心同体だと思っていた双子だけど、いつしかアルヴァがイルヴァから離れようと決意するの。
その手段がごっついんやが……。良い子のみんな、それは読んでのお楽しみやで。双子らしい常軌を逸した手段で分裂しようとするさかいな。この部分さぶいぼ出てくるさかいな。
学校を卒業後、イルヴァは口もきけないほどの真性ひきこもりになっちゃうのだけど……。正直いって、ここからちょっとつまらなくなったよね。
そやな。ストーカーやいじめやケンカなど、学校生活では血も涙もないほどの双子っぷりを発揮しとったんやが、片方がひきこもりになった途端、パワーダウンしちまった。やっぱり双子は片方が欠けたらあかんな。たとえば、マナカナは2人揃ってるからこそ商品価値があるわけやし。
マナカナはともかく、外でイベントをこなさないと、小説的には面白くならないよね。2人の軋轢なんか、普通の兄弟ゲンカみたいだし。あと、こういう小説って細密な描写を期待しちゃうけど、その点も物足りなかった。
そうそう描写が薄いから、イルヴァのひきこもりも、絵に描いたようなひきこもりっぷりで、読み応えがなかったのよな。それに、双子が町を救ういうロジックも、ちぃと衝撃度が弱くて物足りんかった。まあ、しょせん一介の町民に過ぎんのやから、これはしょうがないかもしれへんけどな。
でも、最後の最後にサプライズがあったけどね。あ〜、なるほど、2人の間にはこういう論理が働いたのね、みたいな。この顛末は説得力があるよね。
実に双子らしい、清々しいラストやった。これのおかげでわしら双子愛好家は救われたな。
「わしら」って、わたしは違うわよ。
ちゅうわけで、この『アルヴァとイルヴァ』は双子の姉妹のエキセントリックぶりを堪能する小説や。ぶっちゃけ、それ以外に見るとこない。自分たちを一心同体だと思うとる双子。離ればなれになったら死んでしまう思うとる双子。粘土の町を自分たちの住むべき世界だと思うとる双子。内気な男の子をストーカーして気持ち悪がられてる双子。お互いの発育状況をチェックし合ってる双子。身長が186センチもあって目立ってしょうがない双子……。まさにこん小説には双子の全てが詰まっとる。せやから、双子好きは必読やで。思わず、 ららら、双子の子〜♪ と歌いたくなること請け合いや。逆に双子が好きでない奴は特に読む必要ないな。ほな、さいなら。
じゃあ、また。
#2005年8月某日/某スタバにて
2005.8.24 (Wed)
▲P・G・ウッドハウス『比類なきジーヴス』(1923)

★★★
The Inimitable Jeeves / Pelham Grenville Wodehouse
森村たまき 訳 / 国書刊行会 / 2005.2
ISBN 4-336-04675-1 【Amazon】
一族から放蕩者とバカにされているイギリス貴族のバーティー。そんな彼に降りかかってくる難問を、執事(ヴァレット)のジーヴスがずばっと解決する。友人の恋愛騒動に巻き込まれたり、抑圧的な伯母から無茶な要求を突きつけられたり。
ウッドハウス・コレクションの第1弾。ジーヴスものはユーモア小説として有名で、イギリス人の基礎教養であるらしい。本作は有閑貴族のバートラム・ウースター(バーティー)が様々な事件に遭遇する連作短編集のような構成だった。もともと短編だった作品群を無理に繋いで長編化したという。似たようなエピソードが重なっていてけっこうダレるのだけど、そこはバーティとジーヴスの駆け引きが面白いおかげで、最後まで楽しんで読むことが出来た。ジーヴスの知力を認めながらも、主人の威厳を示したいバーティ。慇懃に振る舞いながらも、主人の服装に妥協を許さないジーヴス。不満を抱いてもまったく態度に出さず、主人に協力しないことで意趣返しをする。そんなジーヴスの人物像が良い。
この小説は凡人の視点から名探偵を照射する、いわゆるホームズ&ワトソン形式を継承しているのだけど、本家と違うのは、極力名探偵の内面が見えないように工夫されているところだ。執事のジーヴスは主人のバーティに対して、どんな場合でも慇懃な態度を崩さない。彼が心に抱えているであろう喜怒哀楽の全てが、礼儀という壁によって遮断されている。そのため、読者からはジーヴスの内面が不透明になっている。
しかしそんな状況のなか、彼と長年付き合ってきたバーティには、彼の虫の居所が分かるらしく、感情をほぼ断定して語っている。果たして彼の言っていることは本当なのだろうか、と半信半疑で読んでいくと、小憎らしいオチが待っているのだから楽しい。本作は主人と執事という2者間の距離が、絶妙な緊張感を生んでいる。
競馬・運動会・説教大ハンデ(牧師の説教の長さを賭ける)など、全体的に賭けごとのエピソードが面白かった。たとえば、競馬。競馬というと日本では、赤エンピツを耳に挟んだむさ苦しい親父が、だみ声をあげながら血走った目でレースを観戦する、そんな殺伐としたイメージがある。ところが、イギリスでは競馬は紳士の嗜みであるらしく、勝っても負けても概ねあっけらかんとしている。もちろん、勝ったら喜ぶし、負けたら悔しがるのだけど、そこには日本のような殺伐としたイメージはない。競馬をはじめとした賭けごとが違和感なく日常に溶け込んでいる。さすが紳士の国である。
というわけで、続編にも期待。
2005.8.25 (Thu)
▽岩井志麻子『ぼっけえ、きょうてえ』(1999)

★★★★
角川ホラー文庫 / 2002.7
ISBN 4-04-359601-4 【Amazon】
短編集。「ぼっけえ、きょうてえ」、「密告函」、「あまぞわい」、「依って件の如し」の4編。
明治期の岡山を舞台にしたホラー小説集。「ホラー」というよりは、「怪談」のほうが相応しい内容だった。4編とも岡山の土俗的な雰囲気に溢れている。特徴的なのが、恐怖の源泉を時代性に求めているところで、全ての短編には貧困が背景にある。貧困ゆえの胎児殺し、人身売買、家畜扱い。少し前までは、われわれ日本人はみんな貧乏だったわけで、これは他人事じゃないぞという切実感がある。
以下、各短編について。
「ぼっけえ、きょうてえ」
遊郭の女郎が客に寝物語をする。飢饉に見舞われた岡山の寒村。間引き屋の娘だった女郎は、16歳のときに遊郭へ売られた。
第6回日本ホラー小説大賞受賞作。これは凄かった。赤ん坊殺し、近親相姦、貧乏暮らし、そして、出生の秘密……。グロテスクな悲劇が、岡山弁の語りによって異様なまでのリアリティで迫ってくる。地の文における話し言葉の効用は、物語と読者の距離を縮めることにあると思うのだが、こういうのを読むと、怪談には方言がよく似合うのだなあ、と実感させられる。
話が進むごとに衝撃の事実が明らかになっていくところは、連城三紀彦を連想した。○○だったのが実は△△だった、みたいな解釈の妙。連城独特のロジカルな作劇は、実は怪談と相性が良いのかもしれない。思えば、『戻り川心中』にしても、『変調二人羽織』にしても、けっこうおっかない短編が含まれていたのだった。
ところで、本作については荒俣宏が選評で良いことを言っている。
弾圧や拷問を描くプロレタリア文学はホラー小説として再読されるべきだ。
本作で描かれる悲劇が決して絵空事に見えないのは、当時の貧乏生活が、日本人の体にDNAレベルで刷り込まれているからだろう。間引き、村八分、餓死、人身売買。われわれの内にある忌まわしき記憶が、岡山弁という野暮ったい言語によって猛烈に喚起される。これが戦国時代だったら、神話の世界という感じであまり身につまされないのだが、明治末期が舞台だと、地続き感があってリアルに感じられる。★★★★★。
「密告函」
コレラの蔓延する岡山の寒村。村の助役は患者を円滑に隔離するため、匿名での通報を奨励する「密告函」を設置した。下っ端の役人が、密告された人間の家を訪問することになる。
これも凄い話だった。恐るべき女の情念の物語。妻子持ちの役人が、淫乱で有名な占い師の娘に惹かれる。役人を誘引する娘の超常的な魅力も去ることながら、別の女の煮えたぎるような情念に怖気が走る。ほのかに見える心の内側、というチラリズムを利用した演出が良いし、死人(幽霊?)の使い方も胡乱な感覚が出ていて良い。表では何でもないフリをしているのに、裏ではとんでもないことを画策している。そんな日本人的な恐怖が味わえる。★★★★。
「あまぞわい」
岡山市で酌婦をしていた女は、身請けをされて寒村に住む漁師と結婚。人並みの生活が期待されたが、待っていたのは、夫から暴力を振るわれるうえに、村人からあからさまに無視される悲惨な毎日だった。そんな女に出会いが訪れる。
「あまぞわい」という伝承があって、それが男女の物語に絡んでくる。昼メロに怪奇趣味を足したような安っぽい内容で、前2作との落差に驚いたのだった。★★。
「依って件の如し」
母の狂死により、村八分同然の扱いを受けている兄妹。ある日、兄が志願兵として日清戦争に投じる。その後、村で殺人事件が起きる。
「件(くだん)」という牛のバケモノにまつわる話。ホラー小説というよりは、プロレタリア文学に近い作風だった。牛小屋で寝泊まりする少女と、牛のようにこき使われる兄の生活が読ませる。幻想的な風景も良い。けれども、近親相姦ネタはもういいよと思った。★★★。
2005.8.29 (Mon)
△アゴタ・クリストフ『悪童日記』(1986)

★★★★★
Le Grand Cahier / Agota Kristof
堀茂樹 訳 / ハヤカワepi文庫 / 2001.5
ISBN 4-15-120002-9 【Amazon】
「大きな町」から疎開してきた双子の兄弟。彼らは「魔女」と呼ばれる祖母の家に預けられ、生き抜くために労働と訓練に励む。「体の鍛錬」と称してお互いの体を叩きあったり、「精神の鍛錬」と称してお互いに罵りあったり。さらに彼らは他人を脅迫し、殺人にも手を染める……。
再読。初読のときは相当な衝撃を受けたけれど、その感覚は今回も相変わらずだった。戦時下ならではの抑圧的な風景と、独自のモラルに従った「ぼくら」の非情さが強烈。純粋さと冷酷さを兼ね備えた双子の造形に圧倒された。とにかく妥協なき行動指針が凄まじい。祖母や隣人を助けつつ、ときには神父を脅迫したり、女中を爆死させようとしたり、子供らしからぬ大胆な行動に出ている。また、生き抜くための訓練も異常だ。2人は肉体と精神を鍛えるだけに留まらない。「乞食の練習」や「盲と聾の練習」など、出会った人たちの属性を吸収しようとしている。この小説は双子の偏執的な意志が不気味だ。
「ぼくら」のことを一言でいえば「異様」なのだけれども、その異様さに迫力があるのは、彼らの行動もさることながらそれを叙述する作文のスタイルも大きいだろう。作文には真実のみを記載するというルールがあり、感情を定義する言葉は用いない。「ぼくら」という集合意識の観察でもって、物事を客観的に記している。このハードボイルドなスタイルが、戦時下に順応しなければならない「ぼくら」の切実さを浮き彫りにしていて、仕掛けとしてはかなり巧妙だと思う。
類は友を呼ぶというのか、周りも異様な人たちばかりだ。「魔女」と呼ばれる祖母は夫を毒殺した過去を負ってるし、隣りの家の少女「兎っ子」は、乞食のうえにセックス面でのインモラルさがある。占領軍の将校はアブノーマルな性癖を持ち、教会の神父は「兎っ子」に性的ないたずらをしている。この町には、普通の小説ではなかなかお目にかかれないタレントが揃っている。
衝撃的なエピソードが即物的な文章で語られる効果は抜群で、各々のエピソードと極めつけのラスト、全てにおいて「とんでもなさ」というのが充満している。やはりこれは傑作だなあと改めて思ったのだった。
2005.8.31 (Wed)
△村上春樹『羊をめぐる冒険』(1982)

★★★★★
講談社文庫 / 2004.11
ISBN 4-06-274912-2 【Amazon】
ISBN 4-06-274913-0 【Amazon】
『1973年のピンボール』の続編。「鼠」から送られてきた北海道の写真をめぐってトラブルが発生。何か裏がありそうということで、「僕」は羊を探しに現地へ向かう。
再読。これは和製ハードボイルドの傑作。レイモンド・チャンドラーをファンタジックにしたような話で、「僕」が終末的陰謀に巻き込まれるところは、「セカイ系」なる言葉を想起した。
「羊をめぐる冒険」と言いつつ、羊を探しにいくのは物語の後半になってから。それまでは語り手の穏やかな日常が流れていく。誰とでも寝る女の子の死とか、妻との離婚話とか、耳の奇麗な女の子との出会いとか。一見して本筋に関係なさそうなエピソードが展開しながら、中盤になってはじめて羊が登場、いよいよ物語の道筋がはっきりしてくる。語り手は当初羊探しに逡巡するも、耳の奇麗な女の子の説得もあって捜索を決意。アル中になった友と決別してやっと北海道へ旅立つ。それは日常から非日常への越境でもあった。
入植地の歴史を調べたり、聞き込みを繰り返したり、律儀にミステリしてて驚いたけれど、もっと驚いたのが、物語を転がす「羊」を巨大で厄介な存在に仕立てているところだ。ごくごく普通の小市民が、世界規模のとんでもない存在と関わる。これって当時としては画期的だったんじゃなかろうか。羊が半ばマクガフィンとして機能し、結果として語り手が探偵役を演じるはめになってしまう。従来の私立探偵小説だったら、失踪人を探すことで叙情的なドラマを作ったものだけど、それを本作は異界の存在でもって代替している。そして、非現実であるがゆえに不穏な空気が生まれ、さらに超常的な要素ならではの喪失シーンが用意されている。種明かしのインパクトはかなりのもので、結末には尾を引くような余韻がある。
というわけで、久々に鼠3部作を再読したけれど、今回も充実した読書体験ができた。これだけのことがあったのなら、語り手が『風の歌を聴け』でエクスキューズしたように、自己療養したくなる気持ちも分かる(まあ、後付けなんだけど)(*1)。続編の『ダンス・ダンス・ダンス』は未読なので、ちょっと手を出してみたいと思った。