2005.12b / Pulp Literature

2005.12.11 (Sun)

アーシュラ・K・ル=グウィン『なつかしく謎めいて』(2003)

なつかしく謎めいてModern & classic

★★★★
Changing Planes / Ursula K. Le Guin
谷垣暁美 訳 / 河出書房新社 / 2005.11
ISBN 4-309-20450-3 【Amazon

次元間移動法の発見によって、様々な人類の住む次元に旅行できるようになった。彼らの個性豊かな生態を、連作短編形式で紹介していく。全16編。エリック・ベドウズによる挿絵付き。

SFっぽい架空の人種(および次元)を存在感たっぷりに描いた連作。各短編ではそれぞれ違った趣向の次元を扱っている。数編読み終わった辺りで、よくこれだけの世界を考えついたなあと、その旺盛な想像力にため息をつきたくなった。夢が共有される次元やら、海星のような言語を話す次元やら、不死の人がいる次元やら、出てくるアイディアがとんでもなく豊富。しかも、それらがただの突飛な「奇想」に終わらず、みんな細部までしっかり書き込まれているのだから凄い。架空の存在なのにきちんと理論立てがしてあって、物語に血が通っているような印象がある。本書は、SF的な奇想と学問的な理屈が幸福に結びついた、高品質な短編集だと思う。

以下、各短編について。なお、気に入った短編には末尾に☆をつけた(16編中4編につけた)。

「シータ・ドゥリープ式次元間移動法」

これは連作におけるプロローグ的な位置づけ。

「玉蜀黍の髪の女」

語り手がイズラックという多様な生物の住む次元に赴き、玉蜀黍の髪の女に出会う。その次元で生物の形態が特殊なのは、それなりの訳があった。

先端技術によって人が不幸になってしまったというSFらしい話。近未来ならではの奇抜なイメージが面白くて、この短編は荒木飛呂彦のイラスト、とりわけ『ジョジョ』第4部の絵柄が似合うんじゃないかと思った。しげちー(ハーヴェスト)とか、乙雅三(チープ・トリック)とか、ああいう微妙に人間踏み外したような造型が、本作の雰囲気と合致しているような気がする。それで内容については、筋運びに無駄がないし、何より人情味あふれるオチが良かった。ここで描かれた悲劇は、近い将来の可能世界みたいな身近な感覚がある。☆。

「アソヌの沈黙」

幼年期を過ぎたら言葉を話さなくなるアソヌの人々。観光客は自分の心情を黙って聴いてもらうべく、彼らの家に宿泊したりする。

沈黙するアソヌの人々が妙に聖人っぽくて、そんな彼らの生態をレポート風に描いてるのが良い。無言ゆえに神秘性が付与され、勝手に信仰の対象として祭り上げられてしまう。こういう解釈の暴力性は、『夷狄を待ちながら』をはじめとするクッツェーの小説に通じると思う。なお、本作もオチが素晴らしい。読後はもの悲しい余韻が残る。☆。

「その人たちもここにいる」

落ち着いた国民性のヘベネット人は、年齢によって投票数が増減するという特殊な制度を持っていた。

アイデンティティー絡みのちょっと哲学入った話。肉体と魂とか、輪廻転生とか、東洋的な思想が出てくる。

「ヴェクシの怒り」

ヴェクシという怒りっぽい人種の生態。

私有財産を極力持たない原始共同体みたいな社会体制で、暴力を中心とした生活を送っている。これはまさに「野蛮人」と呼ばれる人種だけど、本作ではそれが暖かい筆致で描かれている。それにしても、子供が交換可能な存在なのは、何かモデルがあるのだろうか?

「渡りをする人々」

寿命は3年だけど、1年が我々の時間でいう24年の世界(四季がそれぞれ地球時間で6年続く)。そこに住むアンサラックなる種族は、特定の季節になると大移動を開始するのだった。

渡り鳥に着想を得たアイディアのようで、彼らの偏った生活配分が特徴的。セックスするにも時期があったり、いちいち大移動して生活パターンをがらりと変えたり、傍から見たらへんてこりんだけど、まあ、彼らにしたらそれが一番という。別の次元の「文明人」が、水平思考でもって彼らを教化しようとするところに、人間社会の普遍性が見られる。

「夜を通る道」

自分の夢と他人の夢が共有される、フリンシア次元のお話。

これはもう作者の想像力に圧倒されるような短編だった。まず、夢の共有というアイディアが面白いし、また、ディテールが丁寧に書き込んであって読みでがある。ただの一発屋的な奇想で終わらない、一つのれっきとした世界が形作られていて好ましく思った。

ところで、この短編についているイラストは、「ロマンシング・サガ」や「ファイナル・ファンタジー」に出てくるボスキャラみたい。☆。

「ヘーニャの王族たち」

ほとんどの人が血縁で繋がっている、小さい次元のお話。

みんな王族の系譜に連なっているのだけど、なかには平民もいるという、そんな狭い世界。葬儀のシーンがスラップスティック入っていてちょっとだけツボにはまった。ああいう儀礼って、傍観者の立場からするともの凄く滑稽。

「四つの悲惨な物語」

マグハルの帝国図書館で、4つの血なまぐさい歴史物語を読む。

これは何とも言いがたい神話的な趣があって良い。大昔の人の営みを切り取ったような感じ。☆。

「グレート・ジョイ」

グレート・ジョイは、企業によってテーマ・パーク化された次元。そこにはクリスマス島やイースター島など、特定の祭日を模した娯楽があふれていた。

資本主義の極致と言うべき、「非日常」を売るサービス。それが本作では冷たい眼差しのもとで描かれている。

「眠らない島」

人体実験によって眠らない人間を作ったオーリチ人のお話。

アフォリズム風の書き出しが良い。天才児を育てる風景はさしずめ人間牧場といったところ。人生の三分の一は夢のなかであり、睡眠をとらなければもっと時間が使える。さて、人工的にそういう人間を作ってみたが……。哲学的なオチが面白かった。

「海星のような言語」

「庭園ユートピア」と呼ばれる、ンナモイの次元のお話。

放射状の言語なんてよく考えたなー、とその奇想ぶりに感心した。しかも、ちゃんと論理的に肉付けしてあるのだから凄い。

「謎の建築物」

2つの人種が共存する次元では、片方が謎の巨大建築物を造っている。一体なぜなのか?

理知的というよりは、昆虫や動物みたいに本能で何かやってるような感じ。と、そう思わせておいて……。

「翼人間の選択」

鳥みたいな顔をしたガイの人々は、1000分の1の確率で翼が生えてくる。

士農工商の身分制度を思い出す。商人のほうが富を持っているのだけど、身分は武士のほうが上で、たとえ貧乏でもプライドがあるみたいな。飛べない翼人間はただの人間だ。

「不死の人の島」

不死の病に冒された人が住む島。

蠅に刺されると感染するのだけど、蠅って人を刺すものだったのか。虻じゃなくて? ところで、不死になるんだったら、まず核ミサイル撃ち込まれても壊れない頑強な肉体がないと駄目だなと思った。

「しっちゃかめっちゃか」

お伽の次元でヴァーチャル・リアリティ体験をする。

この短編の挿絵は騙し絵みたいで面白い。「私」が体験した諸々の風景が、一枚の絵のなかで交錯している。

>>Author - アーシュラ・K・ル=グウィン

2005.12.16 (Fri)

ホルヘ・フランコ『ロサリオの鋏』(1999)

ロサリオの鋏Modern & classic

★★★
Rosario Tijeras / Jorge Franco
田村さとこ 訳 / 河出書房新社 / 2003.12
ISBN 4-309-20398-1 【Amazon

銃弾を食らって病院に運びこまれたロサリオと、彼女につきそう語り手の「俺」。ロサリオはかっとなるとすぐに人を殺すプッツン女で、「俺」はそんな彼女に思いを寄せていた。「俺」と彼女と彼女の恋人(「俺」の親友)。3人でつるんだ思い出が断続的に語られていく。

悪女に惚れきった男が、親友を含めた三角関係のなかで、自身の遂げられない想いを語る。本作は瀕死状態(ただし他人の)を起点としてその経緯を回想する、フィルム・ノワールっぽい形式だった。著者は学校で映画製作を学んだようだから、たぶん意識して使ったのだろう。惚れた女が殺し屋であり、かつコロンビアのギャングが絡む内容なので、作中にはそこはかとなくアウトローな空気が漂っている。

語り手が良いところの坊ちゃんであるせいか、彼の語る心情はやけに情けない。親友と付き合っている悪女を心底惚れ込んでいるというのに、彼がやっていることといったらただ指を食わえて見ているだけ。積極的に行動するわけでもなければ、すっぱり諦めるわけでもなく、日々悶々とした想いを抱えている。

甲斐性なしが悪女に引きずられるという、あまり興味をそそらない図式だけど、堅気とギャングの階層コミュニケーションものとしては、いくぶん目を惹くものがあった。かたやコロンビアの中流階級として、そこそこ裕福な暮らしを送っている層。かたやギャングと関わることで、スラムから何とか這い上がった層。3人は仲良くつるんでいるものの、しかしどちらも相手の世界には深く踏み込めない。悪女はパーティの場で彼氏の家族から公然とバカにされてしまうし、「俺」と彼氏は、悪女が提案する犯罪計画に乗れないまま別れてしまう。

殺し合いが身近にある世界と、麻薬でラリるのがせいぜいの世界。本作は狭い人間関係を通してコロンビアの世相が透けて見えるところが面白かった。解説によると、舞台は1980年代末で、ちょうどメデジン・カルテルが戦争していた時期であるらしい。当時の麻薬密輸組織が何をやっていたのか。この辺の事情は、ガルシア=マルケスの『誘拐』(ルポルタージュ)でも題材になっている。

>>Author - ホルヘ・フランコ

2005.12.19 (Mon)

『バートン版 千夜一夜物語 1』

バートン版 千夜一夜物語 第1巻 シャーラザットの初夜ちくま文庫

★★★★★
Alf Laylah Wa Laylah / Richard Francis Burton
大場正史 訳 / ちくま文庫 / 2003.10
ISBN 4-480-03841-8 【Amazon

19世紀の東洋学者、リチャード・F・バートンによる翻訳。「シャーリヤル王とその弟の物語」、「商人と魔神の物語」、「漁師と魔神の物語」、「バグダッドの軽子と三人の女」、「三つの林檎の物語」、「ヌル・アル・ディン・アリとその息子バドル・アル・ディン・ハサンの物語」、「せむし男の物語」の8話を収録。第一夜から第二十六夜まで。

物語が連鎖していく構成が刺激的だった。この世界では「面白い物語」が権威を持っているようで、たとえば二者間で摩擦が生じたとき、人々は自分が持つとっておきの物語を聞かせて相手に翻意を促す。ある者は身の上話をぶちまけて相手の殺意を逸らし、また、ある者は興味深い物語と引き替えに他人を死刑から救ってやる。まるで諫言するのに故事を引き合いに出す、中国の文官みたいな態度だけど、本作の場合はそれがもっと先鋭的で読み応えがある。

以下、各物語について。

「シャーリヤル王とその弟の物語」

妻の不倫で女性不信に陥ったシャーリヤル王。一時の逃避から帰還した彼は、夜ごと同衾した処女を殺すという、とんでもない生活を送るようになる。

「千夜一夜物語」の枠組みが語られるプロローグ。今回初めて知ったのだけど、この壮大な説話集は、命を賭けた王様への寝物語(シャーラザッドによる)という形式だったのだな。毎晩毎晩物語で興味を惹いているからこそ、語り手は殺されないで済んでいる。本作はただ説話を集めただけでなく、それらに一本筋を通しているのが好ましい。

ところで、出てくる女が当たり前のように淫乱なのが印象的だった。いきなり王妃が奴隷たちと乱交するのだから驚く。原注によると、黒人の陰茎は通常時に6インチあるらしく、当時のイスラム社会では格好の慰みものだったようである。やはり宗教の圧力によって禁欲を余儀なくされているから、いざというときのエネルギーの解放が凄まじいのだろうか……。

ちなみに、この回は大臣が娘を諭すために持ち出す教訓話も面白い(「牡牛と驢馬の話」)。

以下、挿話。

  • 「牡牛と驢馬の話」 - 牡牛を助けるべく入れ智恵をした驢馬が、そのために酷い目に遭う。

「商人と魔神の物語」(第一夜―第二夜)

魔神に因縁をつけられ、命を奪われそうになっている商人。そんな彼を助けるため、3人の老人がそれぞれ不思議な身の上話をうち明ける。

3人の物語は「人間の動物化」が共通。彼らがそれぞれに連れている動物が、元は人間だったという話をしている。もちろんみんな事情が異なるわけだけれども、それにしても当たり前のように魔法や魔神が出てくるのが素晴らしい。まさにアラビアン・ワールドって感じである。それと、今回もエピソードのなかに黒人との浮気があって興味深かった。本書を読むと、昔のアラブ世界では姦通が日常茶飯事だったのかと思ってしまう。

以下、挿話。

  • 「一番めの老人の話」
  • 「二番めの老人の話」
  • 「三番めの老人の話」

「漁師と魔神の物語」(第三夜―第九夜)

漁師が投網をしたら壺がかかった。蓋を開けてみると、中から魔神が飛び出してきて、「好きな死に方を選ばせてやる」とか言う。

今回は物語の入れ子具合が凄かった。魔神と対話するに当たって漁師は、まず「大臣と賢人ズバンの話」という物語を披露する。でもって、今度はその作中作の人物が、他人を説得するために、「シンディバッド王と鷹の話」をはじめとする複数の物語を披露する。もともと「漁師と魔神の物語」は、シャーラザッドの寝物語という大枠で語られているため、ここで物語は都合4重構造にまで深化している……。というわけで、この先鋭的とも言うべき語りの形式に驚いたのだった。挿話が多いので、読んでいるときはしばしば自分の位置を見失ったのだけど、しかし慣れてみるとその惑乱する感覚がたまらなかったりする。

終盤は展開の仕方があまりに意外で面白かった。漁師と魔神の掛け合いから数々の挿話を経て、最後は魔法をかけられた王子の話に行き着く。全体的に先の読めない展開だったけれど、終わってみればきっちり伏線が回収されていて、これは良く考えられた話だったのだなと納得した。

以下、挿話。

  • 「大臣と賢人ズバンの話」 - 漁師が魔神に対して語った話。賢人ズバンにらい病を治してもらった王。恩人として手厚く保護していたが……。
  • 「シンディバッド王と鷹の話」 - 上の挿話に出てくる王さまが大臣に対して語った話。誤解が元で取り返しのつかないことをしてしまう。
  • 「亭主と鸚鵡の話」 - 同上。不義をした人妻が奸計をめぐらす。
  • 「王子と食人鬼の話」- 大臣が王さまに対して語った話。食人鬼に遭遇した王子がアラーに祈りを捧げる。
  • 「魔法にかかった王子の話」 - 王さま(「漁師と魔神の物語」に出てくる)が、下半身を石にされた王子の身の上話を聞く。そして、彼を助けるべく魔女を策略にかける。

「バグダッドの軽子と三人の女」(第九夜―第十九夜)

バグダッドの軽子と3人の美女が、素っ裸になってらんちき騒ぎをする。その後、色々あって人数が増え、身の上話を披露し合うことになる。

身の上話の前にある、らんちき騒ぎがエロかった。4人で言葉遊び、具体的には性器を様々な表現で言い換える戯れに興じるのだけど(当然、生まれたままの姿で)、これがけっこう機知に富んでいて面白い。身も蓋もないストレートな表現から、文学的な凝った表現まで出てきて、最後は小咄みたいにそれらをまとめあげている。こういう遊びって日本だと、祇園みたいな高級料亭でよくやってそう。何というか、金持ちの道楽というイメージで、そのバカバカしさが素晴らしいと思う。

中盤からは、一つの場所に集合した男女の秘めたる来歴が語られる。例によって、それぞれ得難い不思議な体験をしていて楽しい。3人の托鉢僧が揃って左目を喪失しているのには訳があるし、門番女の背中に痛ましい鞭の跡があるのにも、それ相応の不憫な過去がある。こういう多人数による身の上話は、みんなしてとっておきの物語を持ち寄ったって感じの、古めかしさがあって良い。できることなら、焚き火の周りで車座になって聴きたい。

さて、数々の変わった身の上話が続いたこの回も、最後は教主(ハルン・アル・ラシッド)の粋なはからいで幕を閉じる。てんでバラバラだった挿話に、きちんと道筋がついているのだから後味が良い。この話も、収束の仕方が上手くて充実した読後感を得たのだった。

以下、挿話。

  • 「最初の托鉢僧の話」 - 王子は昔、石弓の事故で大臣の左目を潰してしまっていた。今回、大臣がクーデターを起こし、その復讐を果たす。
  • 「二番めの托鉢僧の話」 - 能筆家の王子が、魔神に囲われている乙女と契りを結ぶ。で、見つかって酷い目に遭う。
  • 「ねたみ深い男とねたまれた男の話」 - 「二番めの托鉢僧の話」の挿話。魔神と対峙した王子が、命乞いのために物語る。ねたまれた男が、ねたみ深い男に殺されかかる。しかし、ねたまれた男は……。
  • 「三番めの托鉢僧の話」 - 悲劇的な予言を知り、それを避けようとするも、運命からは逃れられない。
  • 「姉娘の話」 - 3番目の妹が嫉妬した姉たちによって、彼氏ともども海に放り込まれてしまう。
  • 「門番女の話」- 裕福な後家が、身分の高い好男子と再婚する。そして、他の男と口をきかないという誓いを立てる。が、社会的な生活を送っている以上、そんな誓いは守られるはずもなく……。

「三つの林檎の物語」(第十九夜―第二十夜)

「バグダッドの軽子と三人の女」に出てきた、教主(ハルン・アル・ラシッド)と大臣(ジャアファル)の話。役人の評判を調べようとした2人は、お忍びで街を視察、あろうことか女のバラバラ死体を発見する。自分の治世下でこんな事件が! と怒り心頭に発した教主は、大臣に下手人の逮捕を命じる。

と、ここまでなら良いのだけど、もし3日以内に犯人を挙げなければ、代わりに大臣(とその一族)を絞首刑に処するというのだから酷い。この理不尽な強権発動ぶりはまるでジャイアンである。教主はアラーの代理人だから、ここまで傍若無人に振る舞えるのだろう。……と思って読んでいたら、実はそうでもないらしく、罪のない人間を裁くのは駄目なようである(それでも、大臣を処刑するのはOKっぽいが)。今回はこの辺の事情を補足した注釈がためになった。回教法に従った統治ならば、たとえ統治者がアフリカ人やイギリス人でも、善良な回教徒は不平を言わないという。植民地主義的な視点で真偽は怪しいけれど、もし本当だったらずいぶん先進的な態度だと思う。

ところで、タイトルの「三つの林檎の物語」は、自首した犯人の告白を表している。誤解がもとで不幸な結果になったという筋だけど、ここでも人妻の淫乱がキーになっていて興味深い。相変わらず、黒人奴隷との不倫が軋轢のもとになっている。そうか、そんなに凄いのか、黒人のは。

あと、この回は林檎の使い方が面白い。ありふれた道具が殺人にまで発展するロジックと、大臣が関わる事のカラクリがよくできていると思う。

「ヌル・アル・ディン・アリとその息子バドル・アル・ディン・ハサンの物語」(第二十夜―第二十四夜)

昔々エジプトの王国に2人の若い兄弟がいた。彼らは父の後を継いで大臣職に就くも、些細なことから仲違いをする。そしてそこから、子供の代にまで及ぶ運命的な波乱の人生が始まる……。

前回の結末を受けた大臣(ジャアファル)が、奴隷を助けるべく教主(ハルン・アル・ラシッド)に一話献上奉るという形式。これは今までの物語に比べて、ずいぶんと時間的・空間的スケールの大きい話だった。お互いの子供(いとこ同士)を結婚させようと計画するのがすべての発端で、そこから仲違いして別離して、何十年も経ってからまた途切れた糸がより合わさっていく。彼ら一族に降りかかる事件と、遠い場所から徐々に接近していくスリル。人生にコミットしたような書きぶりに引き込まれた。

ちなみに、この回は濡れ場の描写も面白い。「砲筒」とか「堡塁」とか、いかにもな比喩で押し通しているところが可笑しかった。

また、可笑しいといえば、せむし男の扱いがとんでもなく酷いのには苦笑した。王さまが大臣に対する嫌がらせとして、彼の娘とせむし男を結婚させようとするのだけど、そのせいでせむし男がつるし上げを食らうのだから恐ろしい。本人の意志で結婚するわけじゃないのに、これではとんだとばっちりである。やはりいつの時代も、キモメンは不遇をかこつものなのだなと思った。

「せむし男の物語」(第二十四夜―第二十六夜)

支那。仕立屋夫妻がせむし男を死なせた。このまま死体を置いておくとヤバイということで、患者を装ってユダヤ人の医者のもとへ持っていく。

これは死体を巡るユーモラスな話。厄介ものの処理という点で、『ハリーの災難』【Amazon】に通じる面白さがある、かもしれない。

後半は「ナザレ人の仲介人の話」と題された挿話。これを聞いた王さまの反応がシビアで、彼がこの後どうするのか、続きがとても気になる。

以下、挿話。

  • 「ナザレ人の仲介人の話」 - 王さまの呼びかけに応じたナザレ人が、せむし男の物語より面白い話として披露する。商人が女に金を貢いで一文無しになり……。

>>『バートン版 千夜一夜物語 2』

>>Author - リチャード・F・バートン