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- 02 : アレクサンドル・ソルジェニーツィン『ガン病棟』(1966,67)
- 04 : ホルヘ・ルイス・ボルヘス『エル・アレフ』(1949)
- 05 : 『血液のガン』(2005)
- 07 : C・S・ルイス『ライオンと魔女』(1950)
- 08 : 残雪『廊下に植えた林檎の木』(1985-)
2006.1.2 (Mon)
▽アレクサンドル・ソルジェニーツィン『ガン病棟』(1966,67)
★★★★
Раковый корпус / Александр Исаевич Солженицын
小笠原豊樹 訳 / 新潮文庫 / 1971.9
ISBN 4-10-213202-3 【Amazon】
ISBN 4-10-213203-1 【Amazon】
1955年2月は「雪どけ」への移行期だった。小役人、流刑囚、元教授、女医。ウズベク共和国のガン病棟に集った人たちの、ポリフォニックな人間模様を描く。
これはドストエフスキーやトルストイを彷彿とさせる、風格のある小説で面白かった。病院という限定された空間のなかに、異なる立場の人々を配置し、彼らの生き様を対比させることで、病院の外を覆うロシア社会を浮き彫りにする。政治にまつわる討論や人生についての思索など、病棟では精神活動が盛りだくさん。小空間から大空間を映し出した前半は、舞台で上演するのに向いているのではと思った。
この女医はもう二年も輸血の仕事をやってきたが、疑わしそうな顔をしない患者にはお目にかかったことがなかった。だれもが、自分には貴族の血が流れているのだから、下賤な血をまぜたくないと言わんばかりに振舞うのである。(下 p.51-2)
患者たちが医療行為に対してできるだけ抵抗を試みるのがリアルだ。放射線療法で腫瘍が小さくなった患者は、医者に感謝の意を表して退院を望むのだけど、医者は頑としてそれをはねつける。治療はまだまだ序の口であり、何とこれから本格的に始まるというのだ。思わぬ反論に愕然とした患者は、ひとまず今のままで娑婆に出たいと医者に持ちかける。自分は完璧な治癒を期待しているわけではなく、残りの生を謳歌したい、悪くなったらまた来ればいい……。少しでも病気がよくなると、自分の健康を過信してしまうこの心理! 当時はインフォームド・コンセントなる概念がなく、病気についての詳細を患者に明かさないのが原則だったのだけど、患者の抵抗にあった医者は、放っておけばすぐに死んでしまうということをぶちまける。でもって患者は、恐れをなして治療の継続に同意する。情報を開示するインフォームド・コンセントは、実は浅はかな患者をおとなしくさせるためにあるのだなと思った。
医療絡みで興味深かったのは、当時から民間療法が存在していたことで、本作では白樺に寄生する「チャーガ」が話題にのぼっている。何でも、チャーガをお茶代わりに飲んでいる村では、ガンに冒される者が1人も出ていないという。その話に活路を見出した患者たちは、何とかして手に入れたいと望むのだけど、圧倒的な高値を聞いて絶望することになる。この手の都市伝説的なメカニズムは今も昔も変わらないし、特効薬ができない限りは半永久的に続いていくのだろう。科学的根拠が曖昧にも関わらず、それに一縷の望みをかけてしまう、患者たちのせっぱ詰まった心情は納得できる。
昔のローマ人は、testis unus-testis nullus、つまり、証人は一人じゃ、いないのと同じことだと言いましたが、二十世紀じゃ一人でも多すぎるんです。証人なんか要らなくなってるんだから。(上 p.332)
政治については、保守派の小役人と反体制派の流刑囚、この2人の対立を軸に、様々な人たちが入り乱れる。密告が奨励され、理不尽な刑罰が横行し、言論は制限される。証人なしの裁判で、10年の刑を言い渡されるのだから恐ろしい。まさに国全体が収容所の様相を呈しているソ連社会だけど、特に圧巻なのが老齢の元教授に対する仕打ちで、体制側の難癖におとなしく従い、妥協に妥協を重ねて生き延びた彼の長広舌には迫力がある。ここまで一個人に犠牲を強いるとは! と戦慄しながら読んだ。
というわけで、本作は病院のなかの人間模様と、抑圧的な社会体制を描き出す手腕に優れている。ソ連というアクチュアルな存在を扱いながらも、後世にまで残る普遍性を獲得しているのは、ひとえに著者一流のバランス感覚によるものだろう。その透徹した筆致は、体制批判に終始せず、むしろ人間を描くことに重きが置かれている。ソルジェニーツィンは、ドストエフスキーやトルストイに匹敵する、現代の大作家なのだなあ、と今更ながら思い知ったのだった。
2006.1.4 (Wed)
▲ホルヘ・ルイス・ボルヘス『エル・アレフ』(1949)
★★★
El Aleph / Jorge Luis Borges
木村榮一 訳 / 平凡社ライブラリー / 2005.9
ISBN 4-582-76549-1 【Amazon】
短編集。「不死の人」、「死んだ男」、「神学者たち」、「戦士と囚われの女の物語」、「タデオ・イシドロ・クルスの生涯(一八二九―一八七四)」、「エンマ・ツンツ」、「アステリオーンの家」、「もうひとつの死」、「ドイツ鎮魂歌」、「アヴェロエスの探求」、「<<ザーヒル>>」、「神の書跡」、「アベンハカーン・エル・ボハリー、おのれの迷宮に死す」、「ふたりの王とふたつの迷宮」、「待つ」、「敷居の上の男」、「アレフ」の17編。
相変わらず、知識と奇想で塗り固めたボルヘス空間ができあがっている。どの短編も濃くてお腹いっぱいになった。
気に入ったのは、「不死の人」、「死んだ男」、「もうひとつの死」、「アレフ」の4編。
以下、各短編について。
「不死の人」
カエサルが活躍した時代。ローマ軍の護民官だった男が、不死の人を探しに行く。
「死んだ男」
青年が密輸組織でのし上がって頭目になる。
ラテンアメリカらしい殺伐とした話。コスモポリタンに見えるボルヘスだけど、こういうのを読むとルーツはアルゼンチンにあるのだなと思える。
「神学者たち」
フン族の襲撃から100年の後。アクイレーイアの司教補がキリスト教の異端者と関わる。
2人の男の運命的な話って感じで良い。宗教は近くにあると鬱陶しいけれど、紙の上の存在としてなら知的好奇心をくすぐられる。
「戦士と囚われの女の物語」
1300年の時を隔てた2つの物語。ラヴェンナのために戦った蛮族の男と、イギリスから移住してきたボルヘスの祖母。
「タデオ・イシドロ・クルスの生涯(一八二九―一八七四)」
お尋ね者だったクルスが警察官になり、無法者の逮捕に従事する。
酔った上での喧嘩とか、一族をあげた復讐とか、本作に限らずラテンの血は熱すぎる。
「エンマ・ツンツ」
娘が父の復讐をする。
ボルヘスお馴染みの復讐もの。やっぱりラテンの血は熱い。
「アステリオーンの家」
アステリオーンの家について。
家のあらゆる部分が反復されているという、我々の宇宙から乖離した奔放な空間が示される。
「もうひとつの死」
臆病者として記憶されていた男が、後日、勇者として語られることになる。辻褄が合わないということで、語り手が色々理屈を捏ねる。
「ドイツ鎮魂歌」
死刑を目前に控えたナチス党員の回想。
タイトルはブラームスの「ドイツレクイエム」から来てるのかな。
「アヴェロエスの探求」
「悲劇」と「喜劇」を知り得なかったアラビア人のアヴェロスの話。
「<<ザーヒル>>」
語り手のボルヘスが<<ザーヒル>>なる硬貨を手に入れる。そして、<<ザーヒル>>の呪いにとりつかれる。
「神の書跡」
地下牢に捕らえられた男の話。
1粒ずつ増え続けた夢の中の砂に埋もれている……。
「アベンハカーン・エル・ボハリー、おのれの迷宮に死す」
王さまが従弟に殺されたが、殺害現場に謎があった。
推理もの。えらい哲学的なオチがついている。
「ふたりの王とふたつの迷宮」
「アベンハカーン・エル・ボハリー、おのれの迷宮に死す」に出てきた牧師の説教。
アラーのほかに力なく権力なし!
「待つ」
暗殺の話。
「敷居の上の男」
ビオイ=カサーレスが持ってきた奇妙な短剣にまつわる話。消えた裁判官がどうたら。
「アレフ」
<<アレフ>>という通常の物理法則を超越した物体(?)の話。
全宇宙を映すなんて凄すぎる! 「<<ザーヒル>>」といい、本作といい、ボルヘスは色々と素敵体験をしている。
2006.1.5 (Thu)
▲『血液のガン』(2005)
★★★
飛内賢正 監修 / 講談社 / 2005.12
ISBN4-06-259401-3 【Amazon】
悪性リンパ腫と白血病について図解入りで説明した本。
『ガン病棟』を読んで気になったので手にとった。血液のガンは大雑把にいって悪性リンパ腫と白血病の2種類に分けられ、本書ではそれぞれの症状や治療法を解説している。とりあえず、基本は押さえてあるようなので、入門書としては悪くないのではという印象。個人的には、悪性リンパ腫の多様性に驚いた。ガン化した細胞の種類(T細胞とか、B細胞とか)や、症状の段階(I期とか、II期とか)などによって、病気が細かく分類されている。
最近のトピックでは、2001年に使われはじめた「リツキシマブ」という新薬が取り上げられている。本書によると、この薬はリンパ球内のB細胞のみに作用するそうだ。B細胞の抗原(CD20)に反応するという。ピンポイントで効くこの薬は、正常な細胞さえ破壊する抗ガン剤よりも効果が高そうで期待が持てる。ただ、T細胞やNK細胞には影響がないため、恩恵を受ける層が限られるのが残念だけれども。
基本的には抗ガン剤による治療が中心で、それでも難しい場合に、造血幹細胞移植が検討される。強い化学療法で正常な細胞もろとも叩き、患者の造血機能を殺した後、新しい造血幹細胞を移植(たとえば、白血病の「骨髄移植」もこれに含まれる)。その細胞は、患者の体内で正常な細胞を生産し、さらにガン化した細胞を攻撃するという。こういうのを読むと、人体をめぐる科学はとてつもない領域にまで来てるなあと思う。
ほか、治療サイクルや薬の副作用などの説明が興味深い。
2006.1.7 (Sat)
▲C・S・ルイス『ライオンと魔女』(1950)
★★★
The Lion, The Witch and the Wardrobe / C. S. Lewis
瀬田貞二 訳 / 岩波少年文庫 / 2000.6
ISBN 4-00-114034-9 【Amazon】(文庫)
ISBN 4-00-116371-3 【Amazon】(カラー)
ナルニア国物語の1作目。ときは第二次世界大戦中のイギリス。4人の兄弟(ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィ)が、戦火を避けるため田舎に疎開し、宿泊先の家の洋服ダンスから異世界へ旅立つ。そこは魔女によって100年の冬が支配する、一面雪景色の世界だった。
映画が公開されるということで読んでみた。魔女のせいでサンタクロースが来ないだとか、少年の心にある善と悪の葛藤だとか、人間がアダムとイヴの子供になっているだとか、生け贄になったライオンの復活(=イエスの復活)だとか、そういうキリスト教的価値観がこれでもかと反映されている。全体としては大人が読むには幼稚すぎる話だけれども、今回は異世界ならではのルールをほのかに覗かせる趣向だったので、続編を読んでみたいとは思った。魔女の来歴やライオンの役割、そして世界の成り立ちなど、設定が色々ありそうで気になる。
すんなりとナルニア国に旅立たない物語の導入部が良い。豊穣な物語世界を期待させるには十分の見せ方で、子供の頃だったらワクワクドキドキしていたかもしれない。くわえて、動物(ほ乳類)を主体とした住人造型と、白銀の大地という映像を喚起させるイメージも目を惹く。どちらかというと、ストーリーよりは世界観を堪能するタイプのお話だろうか。
2006.1.8 (Sun)
▲残雪『廊下に植えた林檎の木』(1985-)
★★★
種在走廊上的苹果樹 / 残雪
近藤直子 鷲巣益美 訳 / 河出書房新社 / 1995.11
ISBN 4-309-20252-7 【Amazon】
短編集。「帰り道」、「黄菊の花によせる遐かな想い」、「逢引」、「汚水の上の石鹸の泡」、「廊下に植えた林檎の木」の5編。
言葉にしづらい内容だった。ジャンル分けするならば、不条理風味の幻想文学といったところ。怪物的な暗いイメージを基調としながら、我々の住む現実とは一味違った悪夢的な情景を描いている。収録作はすべて語り手の一人称視点。そのせいか、キチガイが自分の目にした世界をありのまま語っているような、地に足のついた感覚がある。
詳しいことは各短編についてのメモを参照してもらうとして、本書は同じ河出の「奇想コレクション」として、スタージョンやデイヴィッドスンと並べても違和感ないような気がした。
以下、各短編について。気に入った短編には末尾に☆をつけた。
「帰り道」(1991)
辺りの地理をよく知る「わたし」が、いつものように山の麓の一軒家に立ち寄る。そして、決して明けない夜の世界に取り込まれる。
山の麓に建っていたと思っていたら、実は崖の上だった。草原の道から帰ろうとするも、地面が動いていてとてもじゃないが無理。結局、家の主とそこに住み続けるしかないという状況に陥るのだけど、それが本作では諦観ともつかない冷静な語りで伝えられる。語り手の虚無感がよく表れたラスト一段落が良い。☆。
「黄菊の花によせる遐かな想い」(1988)
2部構成。(1) 「わたし」と老姜(ラオチャン)のやりとり。老姜は寝るときに体を消失し、髪の毛からはセロリの匂いがする。また、空気銃によく撃たれる。(2) 「わたし」と如[女朱](ルーシュ)のやりとり。如[女朱]は壁にゴマ味噌を塗りたくっている。
これは難しいな。自分が見た夢をいくつか混ぜ合わせたんじゃないの? みたいな変わったイメージがちらほら見られる。理性のレベルで判断し難い小説だったけれど、「帰り道」同様ラスト一段落が良かった。闇の世界に一条の光がさしたような感覚。
「逢引」(1987)
白髪の「わたし」が、彼と無人島で逢い引きする。
頭のなかで逢い引きだとか、夜が明けると日の出のなかに消えてしまうとか。無人島へタクシーで乗り付けることから察するに、これは「夢」のアレゴリーなんだろうか。象が林のなかを歩いているのが印象的。
「汚水の上の石鹸の泡」(1985)
「母が溶けて、たらい一杯分の石鹸水になってしまった」(p.45)ではじまる掌編。
残雪のデビュー作で、生理的嫌悪感を催させるガジェットが目立つ内容だった。うわ汚いなあと思わせる描写と、母親の抑圧的な仕打ちのコラボレーションが強烈。中国の悲惨な生活を幻想小説の作法で語りなおした、というのは勘繰りすぎか。冷飯を口に入れたら石鹸の味がした、なんてぞっとする。☆。
「廊下に植えた林檎の木」(1987)
父は昆虫に近い見た目をした変わり者、母は冷凍肉の体をしたバケモノ、妹の婚約者は天井に張り付く意味不明な人。本作はそんな妖怪じみた家族の生態を描いている。
各人物の主観視点と、「ぼく」の夢で構成された小説。中編程度の長さがある。これは残雪ワールド全開という感じで、今まで以上に濃度の高い話だった。まるで円満でない家族関係をフィルターに通して悪夢化したみたい。脳科学が発展した将来、自分の見た光景を残雪世界に変換する、「残雪眼鏡」が発明されてもおかしくないと思った。
ほか、不在の父(冒頭で死んでいる)をめぐる「ぼく」の夢とか、母と関わるラクダの存在とか、色々気になる要素がある。