2006.1b / Pulp Literature

2006.1.11 (Wed)

アメリー・ノトン『愛執』(1997)

愛執

★★★
Attentat / Amelie Nothomb
傳田温 訳 / 中央公論新社 / 2005.12
ISBN 4-12-003692-8 【Amazon

人間離れした醜悪な容貌で、常に周囲から嫌悪の目で見られてきた29歳の「ぼく」。そんな彼が、映画の撮影現場で絶世の美女に一目惚れする。

ベルギー産の非モテ小説。「エレファント・マン」【Amazon】を遙かに凌駕する奇形的人物が、エスプリの効いた語り口で恋模様の顛末を回想する。語り手は29年間孤独な生を送ってきた典型的な非モテ人間。文学・哲学の素養を下敷きにした、「精神の高邁さ」によってプライドを維持している。美の信奉者として醜悪な者たちを見下し、自分の気に入らない芸術家を俗物と難じてはばからない……。と、そんな正統派非モテ男子が、崇高な美の理解者を気取って、惚れた美女と奇妙な縁を結ぶことになる。

この美女というのが、『電車男』【Amazon】(ドラマ版)の「エルメス」みたいなあり得ない存在で、人間とは思えない歪んだ造型の男に対して、普通に分け隔てなく接するのだから凄い。彼女は映画女優として目下売り出し中の身なのだけれども、ひょんなことから「ぼく」と友人関係になる。常人だったら気持ち悪がって邪険にするか、激しいショックで卒倒するかのどちらかなのに、その美女ときたらまるで天使のような態度。ニートだった「ぼく」の就職活動に協力し、醜い容姿を逆手にとったモデル引き立て役に抜擢させてしまう。そのあまりの女神っぷりに、序盤はまぶしさをおぼえながら読んだのだった。

「ぼく」は仕事で名声を得て、美女とも片思いながら円満な関係で過ごす。そのまま平穏な日々が続くのかと思いきや、事態は恋愛ドラマのように急展開。何と、彼女が他の男に懸想してしまう。お決まりのルートを辿っているような気もするけれど、しかしここからは、「ぼく」が友人面して彼女の恋路を邪魔するのが楽しい(『電車男』にもあったな、そういえば)。公然と彼女の相手を見下し、自分こそが選ばれた人間で、彼女にふさしい相手なのだと思い込む。遠い日本からFAXを送りまくる終盤は、ウェルテルのごとく空回りする思いと、インテリならではの屈折した思考に溢れている。互いの関係に変化を促す流れ、およびそれを受けた不可避的な結末は、現実にあり得そうなほどリアルで悲しい。肥大したプライドを抱えた非モテ男は、自分のことを棚にあげるから滑稽なのであり、相手のことを考えないから嫌われるのだな。自慢の美学も思わぬところで自家撞着に陥ってしまうし……。

というわけで、非モテの病理を容赦なくえぐった本作は、毒男たちの反面教師という意味でお勧めかもしれない。

>>Author - アメリー・ノトン

2006.1.13 (Fri)

C・S・ルイス『カスピアン王子のつのぶえ』(1951)

カスピアン王子のつのぶえ ナルニア国ものがたり (2)岩波少年文庫

★★★
Prince Caspian / C. S. Lewis
瀬田貞二 訳 / 岩波少年文庫 / 2000.6
ISBN 4-00-114035-7 【Amazon

ナルニア国物語の2作目。前回の冒険から1年後のイギリスで、汽車を待っていた4兄弟が、とつぜんナルニア国に呼び出される。『ライオンと魔女』の時代から数100年経ったその世界は、テルマール人の支配で荒廃していた。4人はカスピアン王子を助けてナルニア国を取り戻す。

今回は「信じる心」がテーマか。カスピアン王子の時代では既に4人の活躍は忘れられており、伝承する者は乳母や博士といったごくごく少数しかいない。テルマール人の支配に都合が悪いせいか、昔のことを大っぴらに話すこともままならないでいる。さらに、森に逃げ込んで細々と暮らすナルニア人ですら、かつての黄金時代には懐疑的。それどころか、議論が高じて魔女を肯定する者まで現れる。なんて、かんてん、ところてんだ! 神なき時代を生きるナルニア人の、精神の退潮が示されているといえよう(大袈裟)。

「信じる心」については、ナルニアに再臨した4人にとっても問題になる。かつて彼らを助けてくれたライオンのアスランが、遠い向こうで視界に入るのだけど、それが認識できているのは末妹のルーシィのみ。彼女は皆に向かって盛んにアスランの存在を主張するも、エドマンド以外はいまいち反応が良くない。すったもんだの挙げ句、一同はルーシィの意見を退けて旅を進めることになる。今回はエドマンドの成長ぶりが目につくと同時に、スーザンの人間臭い心情が露わになっていて、前作以上の教育的なエピソード作りに成功している。

ファンタジーとしての面白さは、「ハリー・ポッター」や日本のライトノベルなんかに軍配が上がりそうだけど、年頃の子供たちに身近な感覚を与えるという意味では、本作は優れているかもしれない。主人公は昨今のファンタジーにありがちな選民的な人物(世界一の天才とか、高貴な血筋とか)ではなく、みな等身大に設定されている。活躍の範囲も穏当で、派手さはないものの、これぐらいが共感するのにちょうどいいという見方もできる。

それにしても、アスランがますますイエス・キリストっぽくなっているのが気になる。今後この聖人路線が続くとなると、いつか底の浅さが露呈しそうで怖い。子供たちの問いかけに斜め45度の回答をする、単なる謎めき系になる可能性がある。

>>Author - C・S・ルイス

2006.1.17 (Tue)

C・S・ルイス『朝びらき丸 東の海へ』(1952)

朝びらき丸東の海へ ナルニア国ものがたり (3)岩波少年文庫

★★★
The Voyage of the Dawn Treader / C. S. Lewis
瀬田貞二 訳 / 岩波少年文庫 / 2000.6
ISBN 4-00-114036-5 【Amazon

ナルニア国物語の3作目。『カスピアン王子のつのぶえ』から1年経ったある日、ルーシィとエドマンドがいとこのユースチフと共にナルニアの世界へ吸い込まれる。海に放り出された3人は、カスピアン王の乗る朝びらき丸に拾われ、一路世界のはてへ向かうことになる。

今回は冒険が目白押しでけっこう楽しめた。カスピアン一行は航海の途上、様々なイベントに遭遇するのだけど、これがバリエーションに富んでいて読み応えがある。現地人の手で奴隷にされそうになったり、竜の棲む島に立ち寄ったり、魔法使いの島で透明人間に出くわしたり、冒険ものらしいスリルが満載。世界の果てへ向かうという基本軸からしてロマンを掻き立てる。そういえば、『ゲド戦記』【Amazon】(第3巻)の最終決戦の場が最果ての島だったけれど、これはひょっとしたら本作が念頭にあったのかもしれない(1巻【Amazon】もそれっぽかったような?)。ともあれ、今回は1冊に見せ場がたくさん詰まっていて、わりと面白く読めたのだった。

あとはキャラクターが良かったかな。いとこのユースチフは初期のエドマンドを遙かに越えるへそまがりで、根性の悪い嫌われ者なのだけど、とある災難を経ることで人間らしい心を手に入れる。その際、反目していたリープチープ(ネズミの騎士)が、ユースチフにさりげなく献身してやるのだから感動的だ。一時は尻尾を掴んで振り回したことから、決闘沙汰にまでなったのに、相手が窮状に陥るや助けてやる。本作はこの体長60センチの騎士道ヒーローが、上手く持ち味を発揮していたように思う。

ところで、この巻でアスラン(偉大なライオン)の正体に一定方向の示唆があったわけだけれど、とてつもなく嫌な予感がするのは気のせいだろうか。アスラン=○○○○というオチだったらちょっときつい。

>>Author - C・S・ルイス

2006.1.18 (Wed)

『バートン版 千夜一夜物語 2』

バートン版 千夜一夜物語 2ちくま文庫

★★★★
Alf Laylah Wa Laylah / Richard Francis Burton
大場正史 訳 / ちくま文庫 / 2003.11
ISBN 4-480-03842-6 【Amazon

19世紀の東洋学者、リチャード・F・バートンによる翻訳。「せむし男の物語」、「ヌル・アル・ディン・アリと乙女アニス・アル・ジャリスの物語」、「恋に狂った奴ガーニム・ビン・アイユブの物語」、「オマル・ビン・アル・ヌウマン王とふたりの息子シャルルカンとザウ・アル・マカンの物語」の4話を収録。第二十七夜から第九十五夜まで。

『バートン版 千夜一夜物語 1』の続編。相変わらずエロチシズム全開のアラビアの雰囲気が楽しい。全裸の美女と鬼ごっこしたり、美人姉妹と同衾したり、上半身裸の美女と相撲をとったり、まさに全男性の夢(?)といった感じの奔放な性が描かれている。メイド喫茶が隆盛を誇る昨今、この世界観を模した風俗店が登場してもおかしくないと思った。

以下、各物語について。

「せむし男の物語」(第二十七夜―第三十四夜)

前巻の続き。死刑を免れるため、仕立屋たちがシナの王さまにとっておきの逸話を披露する。

第二十四夜からはじまった「せむし男の物語」は、巻をまたいで第三十四夜で完結。今回はいつになく挿話が多かったけれど、さほど階層が深くならなかったので、思ったほど混乱せずに読めた。全体の構造は、「料理頭の話」から「仕立屋の話」 までが同じレベル(シナの王さまに向けた話)で、「床屋の身の上話」が一段下のレベル(仕立屋に向けた話)になる。

内容だけど、今回は物語選手権みたいな趣向だった。集まった庶民たちは、命乞いのために自身の見聞を献上するも、王さまは首を横に振るばかり。そんなつまらん話では死刑にするしかないわい、と強権ぶりを発揮する。今までの主流だった1発OKとは違って、随分と粘りのある枠組みになっていた。

挿話の傾向としては、他人に騙される話が多かったかな。美人局まがいの刃傷沙汰から、純粋な悪意による奸計まで、人々は目を覆わんばかりの不幸に見舞われる。これを読むと、アラビア人は無辜の人を陥れるのが生き甲斐なのか、と思えてくる。

あとは、相変わらずエロ話が目立っていた。女人絡みの話では、美女を抱き放題、というのがキーになっている。姉妹で1人の男と同衾したり、宴席に誘って裸で駆け回ったり、男性を引きずり込むエロネタが満載。アラビアの女性が解放的なのか、それとも設定が男性の願望妄想なのか、いずれにせよ性の大盤振る舞いが面白かった。

以下、挿話。

  • 「料理頭の話」 - コーランの読誦会のあと、蒔蘿(カミン)のシチューを振る舞ったら、それを拒否した男が現れた。なぜ、食べないのか? 女にまつわる彼の身の上話が明かされる。
  • 「ユダヤ人の医者の話」- ユダヤ人の医者が聞いた若者の身の上話。カイロ仕込みの淫蕩な姉妹と快楽に耽った若者は、翌朝、その片割れが死体になっているのを発見する。濡れ衣を恐れた若者は逃亡をはかるが……。
  • 「仕立屋の話」 - 床屋のせいで災難に遭った人の話。詮索好きで図々しい床屋が、蛭のごとく客にまとわりつく。客からご馳走を騙しとり、さらに客を自分の掌中に収めるべく「事件」を捏造する。
  • 「床屋の身の上話」 - 床屋の反論(災難に遭った人への)。自分がどれだけ好人物であるかを証明するため、兄たちの不幸な身の上話を語る。
  • 「床屋の長兄の話」 - 長兄はちんば。仕立屋を営む彼が、奴隷女とその主人に騙され酷い目に遭う。
  • 「床屋の二番めの兄の話」 - 二番めの兄は中風病み。ひょんなことから彼は淫蕩な美女の饗応を受ける。宴もたけなわ、裸になった美女は兄を挑発しながら駆け回り、兄は一物を立てながら彼女を追いかける。ところが……。
  • 「床屋の三番めの兄の話」 - 三番めの兄は盲目。悪意ある男の企みで盗みの嫌疑を受ける。
  • 「床屋の四番めの兄の話」 - 四番めの兄は隻眼。肉屋の彼は、客としてやってきた老人に料金を誤魔化される。さらに、店で売ってる肉が人肉とすり替わってしまう。
  • 「床屋の五番めの兄の話」 - 五番めの兄は耳なし。美女に釣られた兄が命の危機に陥る。何とか逃げ延びた兄は、その後リベンジを果たすが……。
  • 「床屋の六番めの兄の話」 - 六番めの兄は両唇が欠損。物乞いをしていた兄が「裸の王様」式の悪戯を食らう。
  • 「仕立屋の話の結び」 - 件の床屋は仕立屋の手で牢屋に入れられていた。王さまをはじめとした関係者たちが彼に会いに行く。そこで驚愕の結末が!

「ヌル・アル・ディン・アリと乙女アニス・アル・ジャリスの物語」(第三十四夜―第三十八夜)

王さまが才色兼備のパーフェクトな女奴隷を所望したため、大臣がアニス・アル・ジャリスという美人奴隷を購入する。とりあえず屋敷においておくも、息子のヌル・アル・ディン・アリに見つかり、2人は相思相愛になってしまう。その後、色々あって彼らは出奔する。

「ヌル・アル・ディン・アリ」は第1巻にも出てきたけれど(第二十夜―第二十四夜)、これとは別人か? ともあれ、今回は挿話がなくて読みやすかった。波瀾万丈一歩手前の、スケールの大きい話が展開する。舞台が移って、苦難を迎えて、最後は大団円に辿り着く。前回みたいな挿話満載の構成も良いけれど、あまり続くと読むのに疲れてしまうので、こういうオーソドックスな話が挟まるのはありがたい。

前巻からの読者としては、ハルン・アル・ラシッドジャアフルの再登場が嬉しい。今回の教主は、美女の歌が聴きたい一心で漁師に変装するという、軽やかなフットワークを見せる。彼は一国の帝王とは思えないほど好人物で、庶民と気さくに会話し、さらに他人の悲劇に同情する純真な心を持っている。こういう暖かい人柄を知ってしまうと、権力をかさに着た振る舞いもお茶目に思えるから不思議だ。

「恋に狂った奴ガーニム・ビン・アイユブの物語」(第三十八夜―第四十五夜)

恋に狂った奴(やっこ)ガーニム・ビン・アイユブが、箱の中に捕らわれていた美女をお持ち帰りする。しかし、訳ありの美女は肌を許そうとしない。彼女は何者なのか?

前回に引き続いてハルン・アル・ラシッド&ジャアフルが登場。権力側の人間として2人の恋路に関わってくる。教主の妻ズバイダが悪どい役どころで、アイユブと美女は彼女の陰謀に翻弄されてしまう(間接的に)。

アイユブは恋に狂っているのに、美女の正体を知ってからは彼女と添い遂げようとしない。パターン化した物語展開のなかで、この部分だけはわりと目新しい設定だったと思う。

ところで、第1の挿話である「最初の宦官ブハイトの話」は、今だったら倫理的にヤバイだろう。

以下、挿話。

  • 「最初の宦官ブハイトの話」 - 当時12歳だった黒人奴隷ブハイトは、10歳の少女に導かれるまま……。
  • 「二番めの宦官カフルの話」 - 年に1回嘘をつく奴隷が、その悪癖のせいで去勢される。

「オマル・ビン・アル・ヌウマン王とふたりの息子シャルルカンとザウ・アル・マカンの物語」(第四十五夜―第九十五夜)

ギリシャに出征したシャルルカン王子が、現地で異教徒の美女と相撲をとる(上半身裸)。その後、彼女と結ばれるも、事態はのっぴきならない状況へ。

『千夜一夜物語』最長の話。全100夜に及ぶ騎士道物語(舞台は十字軍時代の初期)で、この巻では約半分が収録されている。王子が一騎当千の強者だったり、そんな彼より強い女戦士が出てきたり、ある面では金庸に近い雰囲気がある。戦場で兵を動かす場面があるせいか、今までの収録作とはやや毛並みが異なるという印象。基本的には王子周辺の波乱の身の上話なのだけど、今回はより派手さが増している。

美女との裸のぶつかり合いや、2日に及ぶ馬上槍試合、さらに魔女的な詐術で命を狙ってくる老婆など、ちゃんと山が作ってあって面白かった。冗長なわりに、長い物語を飽きさせないで読ませようという努力の跡が窺える。が、惜しむらくは兄弟に降りかかる不幸で、彼らが辿る離合集散の物語は、今までの焼き直し(類型に当てはめている)の感が否めなかった。

宗教間の対立が前面に出ているせいか、色々偏った見解が出てきて興味深い。キリスト教の偉い人が体に聖糞を塗りたくってたとかあって、本気で信じそうになってしまった。キリスト教とイスラム教って、信仰の根っこは同じなのに、教義とか解釈とかが全然違うから面白い。たとえば、イスラム教徒はイエスの磔刑を信じておらず、十字架で死んだのはユダだと思っているそうだ(原注による)。

ところで、『千夜一夜物語』では、預言者みたいな宗教上の偉い人に言及するとき、括弧書きで祈りの言葉を捧げている。こういうテキスト上の配慮は、『三国志演義』にもあったことを思い出した。『演義』では地の文で関羽に言及する場合、「関羽」ではなく「関公」か「雲長」と表記することが多いのだけれど、これは『演義』が成立した当時、関羽が神格化されていたからで、神の名を記すのを避ける目的があったらしい。国は違えど、どちらも宗教上の敬意が反映されていて面白い。

>>『バートン版 千夜一夜物語 3』

>>Author - リチャード・F・バートン