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2006.2.12 (Sun)
▲角田光代『おやすみ、こわい夢を見ないように』(2006)
★★★
新潮社 / 2006.1
ISBN 4-10-434602-0 【Amazon】
悪意をテーマにした連作短編集。「このバスはどこへ」、「スイート・チリソース」、「おやすみ、こわい夢を見ないように」、「うつくしい娘」、「空をまわる観覧車」、「晴れた日に犬を乗せて」、「私たちの逃亡」の7編。
テーマがテーマだけに気が滅入りそうな印象があるけれど、基本的には、悪意に対して悪意で立ち向かっちゃ駄目という話なので、読後感はわりと良いほうだった。特徴的なのが、ほとんどの短編で、主人公の超自我というべき心的存在(*1)が登場するところだろう。彼らが変化のトリガーになって、悪意の向きに影響を与えるという構造が面白かったと思う。
以下、各短編について。
「このバスはどこへ」
夫に引きずられる形で都落ちした主婦が、友人(1児の母)と会うため上京する。そこで殺したいと思う人間について話をする。
うーん、これはどうなんだろう。小さい娘を殺したいと思っただとか、小学校の教師に嬲られて今でも恨んでいるだとか、そういうワイドショーを見ながら考えたような、お手軽な悪意を切り貼りしている。結婚生活による倦怠感はよく表現されているものの、背景情報がただの説明に終始しているため、中盤以降は安っぽいトラウマものを読まされているような気分になる。タイトルのつけかたは上手いんだけど、内容がちょっと……。★★。
「スイート・チリソース」
図書館で働く女は夫とよく下らないことで喧嘩している。で、色々あって職場に現れる浮浪者の女性に関心を持ち……。
この小説も中盤以降トラウマ話になっていて、正直かなりうんざりしたのだけれども、ただ今回はオチが光っていた。さんざん翻弄された「悪意」から、一つの真理をすくい取るラストには、著者がテーマをしっかりコントロールしているという安心感がある。★★★。
「おやすみ、こわい夢を見ないように」
元彼から執拗な嫌がらせを受けている女子高生が、彼と対決するため、弟のサポートを受けて体を鍛える。
これは良かった。元彼をぶち殺すほどの強さを目指したヒロインが、自分の悪意と向き合って成長する。肉体的・精神的な強さを題材にしながら、あまり教訓くさくなってないのが良い。元彼と対峙する流れとか、高校生の殺人を絡ませるところとか、解脱に辿り着くプロセスが上手いと思う。
ところで、本作で使われている格闘漫画ネタ(「いいぞ、ナルシマ! その調子だ!」)は、たぶん『軍鶏』【Amazon】だと思うのだがどうだろう? 思えばこの漫画も、他人への憎悪が強さを求める原動力になっていた。★★★★。
「うつくしい娘」
パートタイマーの主婦には、醜悪な体型と性格を備えた14歳の娘がいた。
醜悪な精神は醜悪な肉体に宿る、という短絡的なデザイン。体重80キロの娘(太い体に悪意いっぱい!)は、暴力をふるったり、ペットボトルに小便を詰めたり、風呂に入らない不潔な体で過ごしたりしている。今回は、娘の悪意と親の悪意がどのように交錯するのか、というが肝になっていて、その処理がまあまあスマートだった。
ただ、母親が抱く娘の肖像に、0歳と14歳の姿しかないというのに違和感をおぼえた。現在に至るまでの思い出や人格形成が、まったく無視されているのはまずいんじゃないだろうか。親子のすれ違いの過程が明らかにされていないため、話全体に説得力がなくなっている。★★★。
「空をまわる観覧車」
浮気が原因で専業主夫になった男は、妻に頭が上がらないでいる。
これは傑作。「呪い」という表立って突きつけられた悪意(元愛人による)と、微妙に見え隠れする不吉な予感(妻による)が巧みに混ざり合っていて素晴らしい。天真爛漫な調子で主人公を引っ張り回す、妻の恐ろしさに打ち震えたのだった。そうなんだよ。本当ははっきりしない悪意のほうが怖いんだよ。★★★★★。
「晴れた日に犬を乗せて」
男が元妻の犬を誘拐する。元妻は腹に宿った男の子供を堕胎して、浮気相手のもとにはしっていたのだった。
おばさんたちの無自覚な善意が、ときには暴力に転化する。悪意の新たなバリエーションを開拓したという感じで前半はかなり期待したけれど、犬を連れ回す終盤で焦点がぼやけたように思う。
元妻の仕打ちに合理的な説明がなかったのは良かったかな。「うつくしい娘」の説明不足とは違って、今回は理由がわからないがゆえの理不尽さが感じられる。★★★。
「私たちの逃亡」
女子小学生をしていた語り手は、バレエ教室でひときわ美しい少女と友だちになる。でもって、そのせいで仲間から孤立する。
これはいまいちだった。悪意をナイフにたとえたのを除けば、それ以外の比喩はことごとく陳腐で空回りしている。憎しみの種を発酵させているだとか、苗に水をやっているだとか、肥満した体に憎悪がたまっていくだとか。「うつくしい娘」の項では茶化して書いたけれど、「醜悪な精神は醜悪な肉体に宿る」という発想は、いくら何でも短絡的に過ぎるだろう。だいたい、悪意の表現が大袈裟すぎて全然現実味がない。★★。
2006.2.15 (Wed)
△ブライアン・フリーマントル『シャーロック・ホームズの息子』(2004)
★★★★★
The Holmes Inheritance / Brian Freemantle
日暮雅通 訳 / 新潮文庫 / 2005.10
ISBN 4-10-216551-7 【Amazon】
ISBN 4-10-216552-5 【Amazon】
シリーズ1作目。シャーロック・ホームズの隠し子として、マイクロフトのもとで育てられたセバスチャン・ホームズ。その彼が、チャーチル大臣直々の命令で、アメリカに存在するという親ドイツの秘密結社を探る。
ボリューム満点の傑作。フリーマントルがホームズものを手がけるとこうなるのか、という感じの見事なエスピオナージュだった。登場人物たちが繰り広げる知的な駆け引きと、一筋縄ではいかない捻りの効いた筋立てが素晴らしい。基本的にはセバスチャンの奮闘が中心だけれど、それと平行するように、ホームズ、ワトスン、マイクロフトが後方で活躍する。ホームズ兄弟が野心家チャーチルと渡り合うところは、ビッグスター夢の共演といった感じでとてもスリリングだ。
チャーリー・マフィン・シリーズやダニーロフ&カウリー・シリーズなど、この著者は駆け引きの面白さに定評があるけれど、本作もその実力がいかんなく発揮されている。普通の何気ない会話なのに、言葉の内に潜む相手の欲望や目的を、いちいち探ろうとするのだから凄い。どの情報を隠し、どの情報を明らかにするのか。話題はコントロールできているのか、あるいはどうすれば主導権を握れるのか。まるで外交官みたいな抜け目のなさで、行く先々の人たちとコミュニケートしていく。セバスチャンは身分の保証がないスパイだから、絶対に正体がバレてはいけないし、かといって敵の組織を暴かなければならないから、慎重さと同時に大胆さが要求される。本作は限られた情報を分析し、適宜言動を選択していくところに並々ならぬスリルがある。
チャーリー・マフィン・シリーズは、主人公のチャーリーが突出して頭が良すぎるため、競争相手はバカばかりという都合の良い図式に陥る傾向があった。ところが、本作の場合はセバスチャン(と読者)の置かれる状況が五里霧中であるため、手探りで事態に流されていくような不確かさがある。暗中模索で進みつつ、いくたびか挟み込まれる急展開。今までの代表シリーズよりも格段にハラハラドキドキ感があって、上下巻の大著にもかかわらず、終始のめり込みながら読んだのだった。
というわけで、本作は知的なエンターテインメントを読みたいという人にお勧め。筋金入りのシャーロキアンにとっても、ワトスンとの友情があったり、ホームズの父親としての葛藤があったりで、一読の価値はあるんじゃないかと思う。人物像が正典とずれているのはご愛敬で……。
2006.2.17 (Fri)
▽サン=テグジュペリ『星の王子さま』(1943)
★★★★
Le Petit Prince / Antonie De Saint Exupery
石井洋二郎 訳 / ちくま文庫 / 2005.12
ISBN 4-480-42160-2 【Amazon】
サハラ砂漠に不時着した飛行機乗りが、他の惑星からやってきた王子と知り合いになる。王子が故郷の星を出た理由は、バラの花と喧嘩したからだった。
J-POPのミュージシャンが愛だの恋だの歌っているのを聴くと、恥ずかしくて顔が真っ赤になってしまうけれど(自分が歌ってるわけでもないのに)、それがやさしい雰囲気の寓話で表現されると、なぜか心にじんわり染み渡るのだから不思議だ。やっぱりこういうナイーブな感情は、生々しいまま差し出されても扱いに困るわけで、おいしく頂くためには適度な加工が必要なのだろう。その点、聖書に次ぐベストセラーと言われる本作は、オブラートに包んだ誠実な語り口で、我々の琴線に触れる大切なメッセージを伝えてくれる。
このお話の凄いところは、王さまの持つ権威の話だとか、狐による友だち講座だとか、童話的な雰囲気に似合わない、鋭い指摘がばしばし出てくるところだ。そこかしこにはっとさせるアフォリズムが利いていて、特に人間関係の根本に立ち返らせる箇所は不覚にもぐっとくる。絆とは何なのか? そして、絆のできた相手には何をなすべきなのか? 結局、ここで語られるピュアな精神は、現実においては瓦礫の下に埋もれているわけで、だからこそ我々は、手が届かないものに対する哀惜の念をおぼえるのだろう。寓話だから全然嫌味じゃないし、おまけに最後は実践するがゆえの感動がある。王子が色々な人との対話を経て、最終的に蒙を啓くという流れが素晴らしい。
ところで、初期の村上春樹の小説は、本作の影響が色濃いような気がする。象、羊、砂漠、井戸、アフォリズム、人間関係、喪失感。読んでいて既視感をおぼえたのだった。
2006.2.19 (Sun)
▼ドミニク・メナール『小鳥はいつ歌をうたう』(2002)
★★
Leur Historie / Dominique Mainard
北代美和子 訳 / 河出書房新社 / 2006.1
ISBN 4-309-20455-4 【Amazon】
言葉が話せない娘と、読み書きのできない母は2人暮らし。母には、言葉が原因で祖父を失うという幼児期のトラウマがあった。
閉ざされた母娘の心を、ホワイトナイト(白馬の騎士)がこじ開けようという、愛と涙の回復ストーリー。この小説の駄目なところは、何の工夫もなくトラウマにトラウマをぶつける無神経な筋立てで、それによって母娘の哀しみが急速に陳腐化している。娘の教師が2人を助ける役割にあるのだけど、何とその教師も秘められた物語を持っていたのだから驚く。過去に悲劇があったのは君たちだけじゃないんだ、みたいな展開になったときは本を投げ捨てようかと思った。
文章表現がとても繊細で、何度かはっとさせるフレーズに遭遇したのだけれど、前述の展開はそんな美点を彼方に吹っ飛ばしてしまうほどの強烈さなのだった。冗談抜きで途中まではロマンスも肯定的に読めたのに……。まあ、回復の道筋をつけるロジックで誤ったという感じだけど、それにしてもトラウマというのは扱いが難しいものである。上手くコントロールしないとただの自己憐憫垂れ流し劇になってしまうし、他の良質なファクターの足を引っ張ることにもなってしまう。本作は、「言葉を封じることで自分たちの世界に閉じこもる」という設定が面白かっただけに、教師のあの唐突なうち明け話には、心の底から残念に思ったのだった。
なお、本作はアラン・コルノー監督によって映画化されている。