2006.3c / Pulp Literature

2006.3.21 (Tue)

ダニエル・キイス『タッチ』(1968,2003)

タッチ(109x160)

★★
The Touch / Daniel Keyes
秋津和子 訳 / 早川書房 / 2005.12
ISBN 4-15-208688-2 【Amazon

産業施設で放射能事故が起きた。知らず知らずのうちに放射性のちりが撒き散らされ、社員の男とその妻は体の不調を訴えることに。検査の結果、妻は赤ん坊を身ごもった状態で汚染されていた。

2003年に改訂出版された社会派小説。産業事故による個人の受難をシミュレートしている。後始末に金を使いたくない企業、人権を踏みにじるマスコミ、差別心を剥き出しにする住民たちなど、町に渦巻く様々な悪意によって、被害者夫婦が孤立していく。何の責任もないのに理不尽な仕打ちを受けているということで、追いつめられた夫婦、特に芸術家肌の夫が、精神に失調をきたして暴力的になる。

社会の圧力や夫婦の葛藤が紋切り型で、まるでハリウッドのパニック映画のような安っぽさだったけれど、しかしその中でも光る場面が2〜3あって、一概には斬り捨てられない内容になっていた。夫の心理を彫刻を使って表現するとか、夫を皮膚病持ちの女と関わらせるとか、病んだ内面を浮き彫りにするイベントが丁寧で読ませる。ただ、全体を通してみれば、やはり作中の端々にわたる類型化がネックで、焦点となる葛藤劇に現実的な厚みがあるとは思えなかった。社会の不寛容を表すのだったら、いっそSFでやったほうがまだ説得力が出たのではなかろうか? 四面楚歌という枠組みを重視した結果、人物が作者にとって都合の良い「人形」と化していて、先に挙げた出色の場面以外は、ほとんどが暴走気味の納得しがたい代物になっていた。

2006.3.24 (Fri)

板井圭介『中盆』(2000)

中盆(112x160)

★★★★
小学館 / 2000.8
ISBN 4-09-379546-0 【Amazon

元小結・板井による大相撲の八百長告発本。八百長を仲介する「中盆(なかぼん)」として暗躍した著者が、角界の病んだ実態を暴露する。

八百長の具体的な手口のみならず、何人もの力士の実名がバンバン出てきて面白かった。八百長といっても、まず前提条件にあるのがガチンコ(真剣勝負)での強さで、これがなければいくら金を積んでも地位を維持できないところが興味深い。平幕力士間での八百長は、ビジネスライクな星の回し合いが基本であり、場所によっては星の返済が集中することもある。そのため、ガチンコ力士との取り組みで勝っておかないと、八百長相撲の精算で成績が落ち込み、十両へ降下することさえあり得る。個々の力関係や利害によっては、八百長を受けてもらえないこともあって、勝ち星の計算にはかなり気を遣わなければならない。数々の事例を読んでいると、仕組みがもの凄くよく出来ていて感心させられる。

そんな八百長システムの頂点に君臨していたのが、何とあの横綱・千代の富士だという。当時ガチンコ最強だった千代の富士は、八百長を持ちかければみんな唯々諾々と受け入れたようで(*1)、あの53連勝のときも、34番を八百長で凌いだそうだ。ここまでスケールが大きいと俄には信じがたいけれど、しかしまあ、取りこぼさないよう万全を期したというのだから理には適っている(特に千代の富士の場合、肩の脱臼癖があったし)。また、八百長を受けなかった寺尾を土俵上で制裁したエピソード(*2)なんかは普通にありそうで、金と力を備えた千代の富士が最強だったという著者の主張には抗しがたい魅力がある。つまり、そんなタブロイド誌的な絵図が納得できるくらい、八百長システムの説明はディテールが細かくて筋が通っている。

若貴時代ではガチンコ派が主流をなしたものの、それでも八百長派は撲滅されていないようだ。著者は2000年1月、外国特派員協会で八百長告発の記者会見を行い、八百長力士の実名を挙げている。その中には2006年春場所現在の現役力士の名もあって、最近相撲熱が復活してきた者としてはけっこうなショックを受けた。いやはや、どの程度真実と合致しているのだろう……。

というわけで、本書は一般人が目にすることのない、業界の裏面が詳しく書かれていて面白く読めた。

(2006/5/11 追記) 『八百長』の項も参照。

*1: どうせ勝てないなら星を売っておけという理屈。1番70万円で買い取ったとか。
*2: 平成元年九州場所で寺尾を吊り落とした。

2006.3.26 (Sun)

莫言『四十一炮』(2003)

四十一炮(110x160)

★★★
Sishiyi Pao / Mo Yan
吉田富夫 訳 / 中央公論新社 / 2006.3
ISBN 4-12-003711-8 【Amazon
ISBN 4-12-003712-6 【Amazon

出家をすべく和尚のもとにやってきた、お肉大好き「肉小僧」。その彼が、1990年の落とし村(食用にするため家畜を処理する村)での生活を物語る。

タイトルの「炮」には、「大砲を発射する」の他に「ほら吹き」という意味があり、本作では41章に渡ってその「炮」が語られる。肉に注水して利ざやを稼いだり、村人同士が下ネタで罵り合ったり、家には電気が引いてなかったり、村の生活は驚くほど原始的。日本人からすればとても90年代の話とは思えないのだけど。しかし、相手は4000年もの歴史を蓄えた中華の国である。こういう世界が残っていることも十分あり得るだろう。本作は大陸らしいおおらかな法螺話だった。

由緒正しい家柄の有力者が、村長として村の発展を牽引していく。農業主体の村社会的な光景は、日本だと戦前くらいの暮らしに相当するだろうか。村の人間関係は必然的に村長が中心となり、当時10歳だった肉小僧の境遇も、彼との関わりがキーになって移ろっていく。愛人と駆け落ちした父が帰郷したかと思えば、肉類加工工場で意想外の勇躍を果たす。『世界の果てのビートルズ』もそうだったけれど、本作も地域共同体に根ざした地に足のついたイベントが読ませるし、また、随所に現代中国ならではの政治的背景が透けて見えて、その独自性に惹かれるものがある。党主導の行政体制や、文化大革命の爪痕、そして天安門事件後の改革解放路線。やはり中共みたいな特殊な政治形態は、文学の土壌を豊かにする肥やしとして覿面な効果を持っているのだな。世界文学という観点からすれば、中国は貴重な鉱脈だと思う。

肉小僧はお肉が好きで好きでしょうがなくて、あまりに肉が好きなものだから、ついには肉と会話ができるようになってしまった。肉たちが率先して肉小僧に食われたがっている様子は、その素朴な語り口と相俟って、読んでいて微笑ましいものがある。また、語り口といえば、事あるごとに「ちんぽこ」「ちんぽこ」言ったり、屁理屈で大人たちをやりこめる口八丁ぶりが面白い。個人的にはオチが気に入らなかったけれど(ポストモダン作家の悪ふざけみたい)、それでも中国へのマイブームが巻き起こるくらいには楽しむことができた。

>>Author - 莫言

2006.3.29 (Wed)

オースティン・フリーマン『証拠は眠る』(1928)

証拠は眠る(107x160)

★★★
As a Thief of the Night / R. Austin Freeman
武藤崇恵 訳 / 原書房 / 2006.3
ISBN 4-562-03985-X 【Amazon

病死と思われた夫は何者かに毒殺されていた。ソーンダイク博士が調査する。

これはどう評価するか判断が難しい。事件の構図そのものはおそろしく単純で、終盤で明かされる犯人像に意外性は皆無である(レッドヘリングが貧弱すぎる)。しかしそれでも、殺害に使われた物理トリックと、犯行を立証する科学的な捜査手法が風変わりで感心させられる。また、関係者全員に毒殺の機会があったという曖昧な状況から、一転して犯人を絞り込むロジックも、作中への折り込み方が上手くて驚きがある。読みどころとしては、薬学を中心とした専門知識による、知的な味わいを楽しむような感じ。小道具を用いた伏線が地味に効いている。

ただ、惜しむらくは事件解決の手順で、探偵役の推理の前に犯人が自殺するという都合の良い展開にはのけぞった(それも、犯行を告白した遺書まで残している)。こう言っては何だけれど、不在の犯人を肴にした真相暴露では、探偵役を引き立てる「対決」が排除されるから、どうしたって盛り上がりに欠けるだろう。しかも、彼の人物の早すぎる退場は、語り手とのコンフリクトを避けようという情緒面での配慮が感じられるし……。ハウダニットが個性的なだけに、この部分はもう少し何とかならなかったものかと残念に思った。

>>Author - オースティン・フリーマン