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2006.4.12 (Wed)
▽サルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』(1981)
★★★★
Midnight's Children / Salman Rushdie
寺門泰彦 訳 / 早川書房 / 1989.1 / ブッカー賞
ISBN 4-15-207650-X 【Amazon】
ISBN 4-15-207651-8 【Amazon】
1947年8月15日の真夜中、すなわちインド独立と同じ日に産声をあげたサリーム・シナイによる自叙伝。裕福なムスリムの家庭に生まれた彼だったが、成長と共に時代の荒波に翻弄されていく。
サルマン・ラシュディの長編第2作。創作上のイメージや手法など、『ブリキの太鼓』【Amazon】を継承しているそうだ。本作は祖父の代から語り起こした本格的な大長編で、サリーム・シナイ(およびその家族、関係者)という個人の受難を通して、激動のインド現代史をなぞっている。印パ戦争、非常事態令、インディラ・ガンジーの独裁。戦火に明け暮れた不安定な時代であったため、ややもすれば重苦しくなりがちだけど、その辺は幻想的なイマジネーションで覆ってあって読みやすくなっている。
本作はインドの雑然とした風景と、「真夜中の子供たち」なる超常現象が適度に溶け合っていて好ましい。宗教対立や領土紛争といった現実的な事件を土台に、インド独立と同時に生まれた奇形的子供たちが登場する。序盤はファミリーサーガみたいな色合いで進行し、語り手が特殊能力に目覚めてからは事態が一変。遠く離れた同胞たちとテレパシーで会議をするなど、独特の法螺話的な世界が出来上がっている。
語り手には宿命的な縁によるライバルがいて、そいつの能力が「膝」というのがへんてこで面白い。戦場で敵を挟んで戦闘不能にするなんてどういう「膝」なのだろう、と首を傾げたくなる。語り手の平和的な能力に対し、ライバルは攻撃的な能力を持っており、彼はそんな天下無双の「膝」で何と将軍にまで上り詰めてしまう。なぜよりによって「膝」なのかは分からず終いだし、別に「膝」くらいなら大したことないようにも思うけれど、彼の「膝」はそんな疑問を一蹴するくらいの存在感がある。
この小説は壮大なストーリーであるがゆえのカタルシスに秀でていて、「未亡人」の正体とか、終着点での再会とかには、それなりの捻りがあって楽しめた。イベント群については、今の基準で見ると洗練さに欠けるきらいがあるけれど、寓意的なイメージの鮮烈さと、最後まで飽きさせない牽引力があると思う。本作は激動のインドにどっぷり漬かるには最適の本だと言える。
ところで、本作が出版されたときにはインディラ・ガンジーが首相を務めていたのだけど、この内容でラシュディはよく消されなかったなと思う(イギリス在住だったからか?)。そんな懸念を抱かせるくらい、本作はインド政治、とりわけ特定要人への挑発に満ちている。
2006.4.15 (Sat)
▽スチュアート・ダイベック『僕はマゼランと旅した』(2003)
★★★★
I Saied with Magellan / Stuart Dybek
柴田元幸 訳 / 白水社 / 2006.3
ISBN 4-560-02741-2 【Amazon】
シカゴを舞台にした連作短編集。「歌」、「ドリームズヴィルからライブで」、「引き波」、「胸」、「ブルー・ボーイ」、「蘭」、「ロヨラアームズの昼食」、「僕たちはしなかった」、「ケ・キエレス」、「マイナー・ムード」、「ジュ・ルヴィアン」の11編。
追憶もの。元不良の語り手を中心としたシカゴでの生活模様を、ジャズ・その他の音楽と絡めて語っている。どの短編も詩情を感じさせる手腕に優れており、地味な話ながら回想小説らしい胸を打つような味わいがある。
ただ、語り手がティーンエイジャーだった頃の序盤は、青春小説の王道といった感じの活き活きとした面白さがあったけれど、歳を食ってからの終盤は、湿った調子の話が続いていまいちとっつきにくかった。前半は万人向けで、後半は好き嫌い別れるんじゃなかろうか。
以下、各短編について。気に入った短編には末尾に☆をつけた(11編中7編につけた)。
「歌」
元ジャズマンの叔父に連れていかれた酒場で、歌を披露して小銭を稼いでいた少年。そんな彼が色々あって楽隊でクラリネットを吹くようになる。
戦後まもない少年時代を回想している。語り手の叔父に対する眼差しが良い。大人たちは復員後の叔父を半ばキチガイ扱いしているのに、少年はそんな彼が好きという。この小説は青春小説らしい雰囲気で、道を選択していく過程や前向きさに満ちたラストなど、共感をもって読むことができる。特に聖歌隊でのエピソードが微笑ましい。シスターの冗談めかした注意で自信を打ち砕かれるシチュエーションは、まさに少年時代ならではだと思う。☆。
「ドリームズヴィルからライブで」
幼い弟と揉める語り手。喧嘩をしている父と母。犬のことで言い争う隣りの家のバカップル。
ポイント制度(○○したら何点減点! ってやつ)を作って弟の行動を制限する。この短編は語り手を取り巻く環境がそれぞれ独立した音を発していて、そういうのと覗き見的に関わるところが特徴的だった。☆。
「引き波」
語り手と弟が、父に連れられユダヤ町の野外バザールへ繰り出す。病院に寄った後、湖で泳ぐ。
何といっても父とジプシー少女のやりとりが可笑しい。子供の前で股間をつかまれたら気まずいだろう、と苦笑したくなる。しかも、少女は子供と同じくらいの年齢だし。これ、子供を連れてなかったら誘いに乗ってたんじゃないかねえ。ジプシー遊びの。☆。
「胸」
マフィアの殺し屋が男をつけ回すも、行く手に女が待ちかまえていて先延ばしになる。また、酒場の親父はマフィアに法外な値段でジュークボックス設置を持ちかけられる。
80ページ越えのけっこうな長さの短編。おなごの乳房やら、レスラーの胸板やら、心臓の所在地やら、色んな形で胸が出てくる。一つの事件のみを扱っているわけではなく、複数人物が交差するような話で、エピソードが寄り集まって大きな流れを形作っている。
ユーモラスな調子で進んでると思ったら、意外とハードな場面が出てきて驚いた。マフィアに関しては、『城』【Amazon】のKみたいに永遠にたどり着けないと予想していたから……。☆。
「ブルー・ボーイ」
クラスメートの弟は虚弱体質(でいいのか?)。そんな彼を巡る小事件と、作文の上手い少女との邂逅が語られる。
これは『本当の戦争の話をしよう』みたいな感じ。語り手と少女を通して、ストーリーについて自己言及している。物語というのは作るものか、それとも内から沸き上がってくるものなのか。そして、実在の人間を題材にすることで思わぬ陥穽が。本作は創作論に接近するような話なので、小説好きならより面白く読めるかもしれない。
少女の変化やら語り手の郷愁的な態度やら、ああ少年時代だという気がする。ラストは感傷に流れたきらいがあるものの、映像的な場面が詩的な余韻を残していて悪くなかった。☆。
「蘭」
自生している蘭を摘みに、友人と車でメキシコへ。道中、女の子との思い出が語られる。
はじめてのデートで大失敗したこととか、友人カップルの気まぐれな関係とか、青春街道まっしぐらなエピソードが出てくる。デートでブルーノートを聴きに行くというのが時代を感じさせる。この頃はジャズ全盛期だったのか。☆。
「ロヨラアームズの昼食」
安アパートに引っ越した語り手が、知り合ったばかりの女子大生と色々話す。
ロシア文学の話をしたことから女子大生をナターシャと呼ぶセンス。
「僕たちはしなかった」
海辺で情事に励んでいたら警察がやってきた。語り手たちはとんでもないものを目にする。
これは滑稽なシチュエーションで、語り手に食ってかかる女の態度に苦笑してしまう。語り手は道理を説こうとするのだけど、そんなもん全然通じないという。やっぱり気になるものなのかね。☆。
「ケ・キエレス」
役者をやってた弟がシカゴに戻ってきた。過去を回想しつつ、メキシコ系移民の集団に絡まれる。
語り手の父はポーランド系移民のようだ。本書全体の傾向として、非アングロ・サクソン系の人たちが目立つ。下町らしい風情というか。
「マイナー・ムード」
レフティ叔父さんの話。
音楽してる短編、としか言いようがない。
「ジュ・ルヴィアン」
レフティ叔父さんの死。そして、語り手は香水売り場で見かけた女を追いかける。
クリスマスで締めくくるところがいかにもアメリカらしい。