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- 01 : カズオ・イシグロ『日の名残り』(1989)
- 03 : 佐藤多佳子『黄色い目の魚』(2002)
- 07 : 『完訳グリム童話集 1』(1857)
- 09 : いしいしんじ『トリツカレ男』(2001)
2006.5.1 (Mon)
△カズオ・イシグロ『日の名残り』(1989)
★★★★★
The Remains of the Day / Kazuo Ishiguro
土屋政雄 訳 / ハヤカワepi文庫 / 2001.5 / ブッカー賞
ISBN 4-15-120003-7 【Amazon】
1956年7月。老執事のスティーブンスが休暇をとって車で旅をする。道中、かつての雇用主や女中頭にまつわる、過ぎ去った日々の思い出を回想する。
偉大な執事は、紳士がスーツを着るように執事職を身にまといます。公衆の面前でそれを脱ぎ捨てるような真似は、たとえごろつき相手でも、どんな苦境に陥ったときでも、絶対にいたしません。 (p.61)
ウッドハウスのジーヴスものを参考にした小説。英国伝統文化の担い手であり、貴族社会の象徴でもある執事を語り手に据えている。妥協を許さない強烈なプロ意識を備えたスティーブンスは、執事にとって大切なのは「品格」であるとして、その道を極めるべくひたすら邁進し続けてきた。老境に入った現在、自動車旅行を機に過去の様々なエピソードを振り返り、細やかな分析を重ねていった彼は、ついに自らが歩んできた人生の哀しみを吐露するに至る。
これはもうアイディアの勝利としか言いようがないなあ。語り手の執事というポジションをふんだんに活かした内容で、古き良き大英帝国の美しい情景と、失われたものへの哀愁が感じられる。時間とは不可逆なものであり、盛んだったものはいつか衰え、犯した過ちは悔やんでも悔やみきれない結果を残す。偉大な執事を目指したスティーブンスは、父の死に目にも立ち会えなかったし、女中頭の恋心にも応えることができなかった。さらに、彼が猛烈な敬慕の念を寄せた雇用主は、第2次世界戦後にナチス絡みで不遇をかこつことになる。慇懃かつ断固とした論調で、己の執事哲学を語るスティーブンスだけど、回想が進んでその鉄壁の論理が崩壊する、悟りの瞬間がとてもせつない。彼の喪失感は、大戦後の大英帝国の凋落とも重なるから、余計に個人のドラマが引き立てられる。しかも屋敷の新しい主人がアメリカ人で、スティーブンスは彼のジョーク(アメリカン・ジョークってやつ!)に戸惑う始末だし……。大英帝国といったら執事、執事といったら大英帝国だから、この重ね合わせは上手いアイディアだと思う。
2006.5.3 (Wed)
▽佐藤多佳子『黄色い目の魚』(2002)
★★★★
新潮文庫 / 2005.10
ISBN 4-10-123734-4 【Amazon】
離別した父の影響でスケッチをする少年と、イラストレーターの叔父を慕う少女は高校のクラスメート。本作は2人の成長を連作短編形式で描く。「りんごの顔」、「黄色い目の魚」、「からっぽのバスタブ」、「サブ・キーパー」、「彼のモチーフ」、「ファザー・コンプレックス」、「オセロ・ゲーム」、「七里ヶ浜」の8編。
少年と少女が交互に語り手を務めるという形式。非常に技巧的な小説で、語彙や風俗など青少年の内面をもっともらしくエミュレートしていて驚いた(年齢に応じて使い分けている)。もちろん、ここで言う「青少年」とは我々の汚れきった現実に存在する青少年ではなく、フィクションにおけるパブリック・イメージとしての青少年であり、メルヘン的な脱臭された青少年である。サッカー部に所属はすれどいまいち本気になれない少年。叔父以外の人間と接するのに壁を作ってしまう少女。不器用な2人は絵画を媒介として繋がり、もろもろの交流を通してほのかな恋心が芽生える。
ドラマの柱に芸事を持ってくるのが、この著者の作劇の特徴だろうか。『しゃべれどもしゃべれども』では落語を通して人との繋がり、および内なる葛藤を描いていたけれど、本作ではその役割を絵画が担っている。それぞれが抱える問題、たとえば家庭の悩みや人間関係の歪みが、絵画という大きな渦に引き寄せられていく。そして、焦点となる人たちの希望や成長を、芸事と絡めて語ることによって透明感が生まれている。『しゃべれども〜』同様、本作も青春小説のお手本みたいだと思った。
ところで、仮に本作を映像化するとしたら、少女役には宮里藍が最適だと思う。必ずしも美人ではないけれど、芯の通った強い意志を感じさせる顔立ちということで。
2006.5.7 (Sun)
▲『完訳グリム童話集 1』(1857)
★★★
Kinder- und Hausmarchen / Jacob Grimm, Wilhelm Grimm
野村ひろし 訳 / ちくま文庫 / 2005.12
ISBN 4-480-42141-6 【Amazon】
グリム兄弟(ヤーコップ・グリム、ヴィルヘルム・グリム)編集による童話集。「蛙の王さま」、「猫とねずみのとも暮らし」、「マリアの子」、「こわがることを習いに出かけた男の話」、「狼と七匹の子やぎ」、「忠義なヨハネス」、「うまい取り引き」、「風変わりな旅歩きの音楽家」、「十二人の兄弟」、「ならずもの」、「兄と妹」、「ラプンツェル」、「森のなかの三人の小人」、「三人の糸紡ぎ女」、「ヘンゼルとグレーテル」、「三枚の蛇の葉」、「白い蛇」、「わらと炭とそらまめ」、「漁師とおかみさんの話」、「勇ましいちびの仕立て屋」の20編。KHM 1〜20。
本書は1857年の第7版。グリム童話集は1812年に初版を発行し、以後改訂を繰り返して現在の版に落ち着いた。初版は岩波文庫【Amazon】で読むことができる。
童話だからか、拍子抜けするような話もちらほら見られたけど、総じて昔の人の想像力を身近に感じられたのが良かった。『千夜一夜物語』や『神曲』など、時代や文化の違う物語には、読み手をわくわくさせるような驚きがある。
ちなみに、タイトルの横についているKHMは、モーツァルトのk(ケッヘル)やシューベルトのD(ドイチュ)みたいなもので、つまりは作品番号。通しで200番までついている。
以下、各物語について。
「蛙の王さま」KHM 1
1人で遊んでいたお姫さまが、泉に鞠を落としまった。拾ってくれるよう蛙に頼むお姫さまだったが、その蛙は対価としていくつか条件を出してくる。
約束なんてハナから守る気のないお姫さまがこすずるくて笑える(それに対して、約束を守らせる王さまは立派だ)。中盤からはある種の童話らしい夢のような展開で、無事収まるところに収まっている。
それにしても、挿絵の蛙はでかすぎやしないか? 本文中ではお姫さまが2本の指でつまめる程度だったけど、挿絵では人間の子供並の大きさになっている。まるで『ドラゴンクエスト』に出てくるクリーチャーのよう。
「猫とねずみのとも暮らし」KHM 2
同棲している猫とねずみが、買い込んだヘット(脂肪の塊)を教会に隠した。
これはよく出来た寓話だった。いつの時代も変わらない人間関係の真実を鋭く突いていて身につまされる。ホント、世の中こんなものだよな。
「マリアの子」KHM 3
マリアの娘として天国で暮らす娘だったが、いいつけを破った上に嘘をついたため、地上に追い出される。
キリスト教の価値観が如実に表れた、教訓的な宗教寓話。これが中国だったら、意地を張り通した娘はマリアを感服させると思うけど、さすが融通の利かないキリスト教だけあって、物語はそれを許す気配がない。あくまで反省を要求している。
それにしても、娘が禁断の行為をして天国を追い出されるのって、アダムとイヴのエピソードを思い出すな。娘もイヴも、誘惑に弱い浅はかな人物として描かれている。これって現代だとフェミコードに引っ掛かるんじゃないか?
「こわがることを習いに出かけた男の話」KHM 4
家を追い出された役立たずの男。その彼が魔法のかかった城で3日3晩過ごす。
無知無学の男は「こわがること」すら知らない。これを知れば何かの役に立つだろうと早合点して、ちょっとした冒険をする。つまりまあ、そういうずれた感覚を楽しむような感じ。猫を大量虐殺したり、いかつい大男を伸したり、けっこうえぐいことをしている。
ところで、役立たずの男がラストで王さまになるのって、もの凄いアイロニーだ。
「狼と七匹の子やぎ」KHM 5
留守番中の子やぎたちが狼に狙われる。
狼があの手この手を尽くす有名な話。粉屋の主人が狼の脅しに屈するなんて筋、今回読んで初めて知った(おぼえてなかっただけかも)。しかもその際、「ね、人間なんてそんなものですよ。」(p.74)と地の文で断りが入っている。
「忠義なヨハネス」KHM 6
忠義な家臣ヨハネスが、新国王にふりかかる災いを体を張って取り除く。
何の理由もなく超常的な障害が出てきてびっくりした。さすが童話だ。
「うまい取り引き」KHM 7
天然系の百姓が期せずしてうまい取り引きをする。
最強の「笑い」は天然にこそあるのかもしれない。自然体で大ボケをかます百姓の姿が、王さまを軟化させている。
ユダヤ人は世界規模で嫌われてるらしく、この話でも他人を騙す嘘つきとして登場している。
「風変わりな旅歩きの音楽家」KHM 8
森の中を1人で歩く音楽家が、話相手を求めようとバイオリンを演奏する。
人間のエゴイズムを描いた話。釣られて出てきた動物たちが不憫すぎる。世の中こんなものというか。
「十二人の兄弟」KHM 9
王さまの思いつきで12人の兄弟が殺されそうになった。
すげーなー。もし今度生まれてくる子供が女だったら、後を継がせるためにその上の12人を殺すって、いったいどういう思いつきだ、これ。
兄たちのために火あぶりのリスクを冒す妹。麗しい兄弟愛の話だった。
「ならずもの」KHM 10
おんどり、めんどり、その他が宿屋に泊まる。
挿絵が面白い。「針」がシルクハット被った紳士になっている。
「兄と妹」KHM 11
継母に嫌気が差した幼い兄妹が家出をする。継母は実は魔女で、兄妹を陥れようとする。
女がメインキャラの場合、王さまの目にとまって結婚するパターンが多い。それと、グリム童話の肝は「変身」にあるとみた。今回は兄が子鹿に変身している。
「ラプンツェル」KHM 12
魔女に監禁された、髪の毛ロープ娘の話。
変な導入部だなあ。他人の庭にラプンツェルが生えているのだけど、それが欲しくて欲しくてたまらないおかみさんは、ついにげっそりと痩せてしまった。これは魔法の効果とみるべきなのか、それともおかみさんが病気とみるべきなのか。でもって、ラプンツェルを食いまくったすえに生まれた娘は、やはりラプンツェルの化身とみるべきなのか。
「森のなかの三人の小人」KHM 13
心の奇麗な娘が継母の嫌がらせで森に入る。そこで娘は3人の小人と出会い、彼らの頼みをきいてやる。
善行にも悪行にも報いがありますよという話。一言しゃべるごとに口から金貨が出てくるなんて、昔の人は素敵な想像力をもっている。
「三人の糸紡ぎ女」KHM 14
怠惰な娘がお后のもとで糸を紡ぐことに。
よくある教訓話。助けてもらった相手の頼みを聞いてあげましょう。そうすればあなたはハッピーになれます。これが古今東西の童話の基本形じゃなかろうか。
「ヘンゼルとグレーテル」KHM 15
森の中を彷徨うヘンゼルとグレーテルが魔女に捕まる。
お菓子の家で有名な話。物語の背景に飢饉があって、ヘンゼルとグレーテルは口減らしのために両親から捨てられている。なかなかヘビーだ。昔は子供時代という概念がなかったから、生活が苦しくなったら真っ先に捨てられていたのだろう。
挿絵に描かれたお菓子の家は以外と小さい。中はワンルームのアパートより狭いと思う。たぶん部屋は4畳半くらい。
「三枚の蛇の葉」KHM 16
貧乏人の倅が家を追い出されて王女と結婚する。
グリム童話は蘇生や回復などの奇跡が多いね。日本の童話と比較したい気分。
「白い蛇」KHM 17
王さまの信任厚い召し使い。白い蛇を食べたら、動物の声が聞こえるようになった。召使いは旅に出る。
これも善行を奨励する話。他人に親切にするとそれはちゃんと自分に返ってくる。まさに、情けは人のためならずである。
「わらと炭とそらまめ」KHM 18
わらと炭とそらまめが、お婆さんの家から逃げ出す。
形態の由来で落としてくる他愛もない話だった。擬人化が楽しい。
「漁師とおかみさんの話」KHM 19
妻の圧力に屈した漁師が、助けたひらめに願い事を叶えてもらう。
人間だったら誰もが抱える、際限のない欲望を風刺した話。はじめは家が欲しかった妻だったが、願い事が叶ううちに段々要求がエスカレートしていく。非常にスマートな話で、展開に無駄がなく、オチもきっちり決まっている。
「勇ましいちびの仕立て屋」KHM 20
タオルを振って蠅を殺した仕立て屋が、自分をいっぱしの勇士だと勘違いして旅に出る。
本書のなかではこれが一番面白かった。お調子者による典型的な勘違いストーリーだけど、目の前に立ちふさがる試練を、鋭い機転でもってしっかり潜り抜けている(なかでも、石投げ競争で使ったトリックが意外だった)。こういう話、現代でも映画や漫画で普通にあるなあ。クオリティ高い。
>>『完訳グリム童話集 2』へ
2006.5.9 (Tue)
▲いしいしんじ『トリツカレ男』(2001)
★★★
新潮文庫 / 2006.4
ISBN 4-10-106923-9 【Amazon】
オペラや三段跳び、探偵ごっこなど、あらゆるものに熱中する「トリツカレ男」のジュゼッペが、移民の娘ペチカに恋をする。
童話風のソフトな語り口による純愛ストーリー。具体的には、恋愛の駆け引きを知らない純情な主人公が、熱中して身につけたスキルを使って、惚れた娘の哀しみを癒すという筋である。主人公の所持するスキルは多岐に渡っており、それらが要所要所で使われることによって、意外性とユーモアを醸し出している。愚直に突っ走るフラットな造型の主人公が、童話らしい雰囲気に無理なく溶け込んでいて、最後まで面白く読むことができた。
ただ、脇役にその一途さを賞賛させて、主人公を持ち上げる手法が白々しかったかな。説明過剰で野暮ったく、もっといえば計算が透けて見えて引いてしまった。『雪屋のロッスさん』に比べると、まだ大雑把という感じがする。