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- 11 : 『完訳グリム童話集 2』(1857)
- 12 : 元大鳴戸親方『八百長』(1996)
- 14 : ガブリエル・ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』(1981)
- 16 : コーマック・マッカーシー『越境』(1994)
2006.5.11 (Thu)
▲『完訳グリム童話集 2』(1857)
★★★
Kinder- und Hausmarchen / Jacob Grimm, Wilhelm Grimm
野村ひろし 訳 / ちくま文庫 / 2006.1
ISBN 4-480-42142-4 【Amazon】
グリム兄弟(ヤーコップ・グリム、ヴィルヘルム・グリム)編集による童話集。「灰かぶり」、「なぞ」、「ねずみと鳥とソーセージの話」、「ホレおばさん」、「七羽のからす」、「赤ずきん」、「ブレーメンの音楽隊」、「歌う骨」、「金の毛が三本ある悪魔」、「しらみとのみ」、「手なし娘」、「りこうなハンス」、「三種のことば」、「かしこいエルゼ」、「天国の仕立て屋」、「<おぜんよ、したく>と金出しろばと<こん棒、出ろ>」、「親指小僧」、「奥さん狐の結婚式」、「小人たち」、「強盗の婿」、「コルベスさん」、「名づけ親さん」、「トルーデおばさん」、「死に神の名づけ親」、「親指太郎の旅歩き」、「フィッチャーの鳥」、「びゃくしんの木の話」の27編。KHM 21〜47。
『完訳グリム童話集 1』の続編。最近思い至ったのだけど、童話の一番の魅力は、畜生や物体が当たり前のように言葉を話す、その世界観にあるのかもしれない。思えば、『青い鳥』に惹かれた最大の理由がそれだった。
以下、各物語について。
「灰かぶり」KHM 21
金持ちの父を持つ娘が、継母とその連れ子たちに虐めらる。そして、色々あって王宮のパーティーに潜り込む。
ガラスの靴でお馴染みの「シンデレラ」みたいな話だと思ったら、どうやら同根の派生物のようだ(→ 参考)。継母らの虐めは言わずもがな、超常的な力で衣装が出てくるところや、靴が人物同定の鍵になるところなど、似通っている部分が目立つ。
それにしても、今回は童話とは思えないほどえぐかった。靴のサイズに合わせるために足の一部を切り落としたり、意地悪の罰としてとある器官を失ったり、肉体的な損傷が著しい。
「なぞ」KHM 22
旅の王子が姫になぞなぞを出す。姫が答えられなかったら王子と結婚、答えられたら王子は処刑。姫の持ち時間は3日間。
おいおい、どう考えても王子の出題したなぞなぞは反則だろう。ちょっとしたストーリー仕立てで、普通に考えたら絶対に解けない。シャーロック・ホームズでも解けない。
「ねずみと鳥とソーセージの話」KHM 23
ねずみと鳥とソーセージの共同生活。薪を集めたり、料理を作ったり、水と火の用意をしたりする。
これは鋭い教訓話だった。人にはそれぞれ適性というものがあり、たとえ不公平に思えても代替は不可能という。大は小を兼ねるが、小は大を兼ねないって感じ?
それにしても、ソーセージが擬人化しているところはドイツの面目躍如という気がする。そりゃソーセージがのこのこと森を歩いていたら、犬じゃなくても食いつきたくなるわ。
「ホレおばさん」KHM 24
継母の虐めを受けた娘が、井戸に飛び込んで気を失う。目をさますと視界には美しい草原が広がっていた。
典型的な因果応報の物語。善玉と悪玉の2人の娘が、それぞれ対照的な行いをして応分の報いを受ける。2巻しか読んでなくていうのも何だけど、グリム童話集にはこの手の話が多いと思う。同工異曲の坩堝というか。
「七羽のからす」KHM 25
父親の叱責で7人の兄弟がからすになった。
呪いというのは言霊信仰の反映なのだなー。腹立ち紛れにいった言葉がそのまま実現している。
あと、兄たちを助けるために小指を犠牲にする妹は、根性ありすぎると思った。
「赤ずきん」KHM 26
かわいい赤ずきんが、お婆ちゃんに成り済ました狼の毒牙にかかる。
言わずと知れた超有名作だけど、私の記憶にある「赤ずきん」とは弱冠ストーリーが異なっていた。本作はハッピーエンドなうえに後日譚までついている。てっきり狼に食べられてお終いだと思ってた(追記: 調べてみたら色々あるらしいことが分かった。 → 参考)。
さて、ドイツといったらソーセージ、ソーセージといったらドイツである。本作にも庶民のお供としてソーセージが出てきてちょっと嬉しかった。
「ブレーメンの音楽隊」KHM 27
歳を食って人間から邪険にされた、4匹の迷える畜生たち(ろば、犬、猫、雄鶏)。一行は音楽隊に入るべくブレーメンに向かう。
今回は挿絵(それもカラー)が面白かった。泥棒一家に襲いかかる4匹の勇姿が可笑しい。老いて益々盛ん、といったところである。
「歌う骨」KHM 28
王さまのおふれで猪狩りをする兄弟。弟が手柄を妬んだ兄に殺される。
徹底的に言葉を削ったような、ぴりっとした掌編。骨が歌うという着想が良い。
「金の毛が三本ある悪魔」KHM 29
若者が地獄に行って、悪魔の頭に生えている3本の金の毛をとってくる。
まるで隣り町へ行くように、普通に地獄に到達していて笑った。ストーリーも頓知が効いていて面白い。
「しらみとのみ」KHM 30
しらみの火傷を発端として色々物事が連鎖していく。
昔のショートショートみたい。オチが黒い。
「手なし娘」KHM 31
悪魔のせいで両手を切断された娘が、王さまと結婚する。
えぐいなー。悪魔の脅しに屈した親が、娘の手を斬っている。やっぱり自分が可愛いということか。
RPGでたまに見かける「銀の手」というモチーフは、これが元ネタなのかも。
「りこうなハンス」KHM 32
りこうなハンスがグレーテルから色々な物をもらい、その都度ずれた失敗をする。
反復&エスカレーションの落語みたいな話だった。
「三種のことば」KHM 33
愚かな男が、犬の言葉や蛙の言葉を習って帰ってくる。役立たずと父に愛想をつかされた男は、森の中で殺されかかる。
傍からみて役に立たないようなスキルも、場合によっては金脈になるという話。でも、犬と会話ができるなんて超ユニークだから、いくらでも重宝されるような気がする。
「かしこいエルゼ」KHM 34
かしこいエルゼが結婚する。
みんなアホや。かしこいエルゼというのは天然系の女の子で、赤毛のアンをネガティブにしたような、過剰な想像力を持っている。で、周りの人は文脈を判断しないエルゼのことを、かしこいと思い込んでいる……。
鈴がくっつくことでアイデンティティを見失うところは、『不思議の国のアリス』を思い出した。これってけっこう哲学的な話じゃないか。
「天国の仕立て屋」KHM 35
天国で留守番をしていたペテロが、神さまの言いつけを破って仕立て屋を中に入れてしまう。
キリスト教の神が人間的に振る舞う話ってけっこう珍しくないかね? あと、神は約束を破ったペテロにお灸を据えるべき。「マリアの子」KHM 3(『完訳グリム童話集 1』所収)のマリアは頑なだったぞ。
「<おぜんよ、したく>と金出しろばと<こん棒、出ろ>」KHM 36
父親の勘違いで追い出された3人の兄弟。めいめいが職場から珍しい物品を携えて帰郷する。
邦題が分かりづらいけれど、これは3つの物品を意味している。(1) おぜんよ、したく。(2) 金出しろば(金を出す驢馬)。(3) こん棒、出ろ。
まー、こんな便利な物品を簡単にあげてしまう親方が凄いな。(3) 以外は、持っていれば一生食うに困らない。
あと、この話の前半には、同じシチュエーションをしつこく繰り返す、コピー&ペースト芸が使われている。画太郎の原点ここあり、という感じだ。
「親指小僧」KHM 37
親指小僧の冒険。
日本にも「一寸法師」というチビのヒーローがいるけれど、こういうのって西洋も東洋も変わらないのだな。泥棒を翻弄したり、動物の胃袋に入ったりしている。
「奥さん狐の結婚式」KHM 38
だんなが死んだ後の奥さんの去就。
2つの対照的な話を収録。どちらの後家さんも現金である。
「小人たち」KHM 39
小人にまつわる物語を3話収録している。
童話の類型で興味深いのが浦島効果(別世界で○年過ごしたら、外では△年経っていた)で、古今で見られるこの現象が何を意味するのか気になる。もしや一般相対性理論を先取りしてるとか?
「強盗の婿」KHM 40
娘の婚約相手は食人者だった。
カニバリズムは中国の特権ではなかったのだなあ。
「コルベスさん」KHM 41
おんどりやら縫い針やら石うすやらが、コルベスさんの家に行く。
うわ、何これ、日本の「猿蟹合戦」みたいだ。しかも、オチが黒い。
「名づけ親さん」KHM 42
偶然出会った人に名づけ親になってもらったら、子供が特殊能力を持つようになった。
ブラックユーモア系の話で、なかなか気が利いている。
「トルーデおばさん」KHM 43
わがままで生意気な小さい女の子が、両親のいいつけを破ってトルーデおばさんの家に行く。
おいおい、良いのかグリム童話。かれこれ3話も黒い話が続いているけれど、その中でも本作はひときわ黒いぞ。これはもう教訓話の極北としか言いようがない。
「死に神の名づけ親」KHM 44
死に神を名づけ親に持つ男が、医者として活躍する。
件の男が13人目の子供というのがキリスト教らしい。例によって童話らしく、男は目先の利益に囚われて浅はかな行いをしている。もったいない。
「親指太郎の旅歩き」KHM 45
親指太郎の冒険。牛の胃袋に入り込んだり、ソーセージと一緒に煙突に吊されたり。
話の中にソーセージが出てくると、無性に心が浮き立つ。ドイツしてるという感じで……。
「フィッチャーの鳥」KHM 46
魔法使いに捕まった娘が、きらびやかな家に連れられる。そこで鍵と卵を与えられ、留守番する。
「青ひげ」みたいな話だと思ったら、どうやら関係がある模様(→ 参考)。
娘が持つ卵は純潔を表している、という解釈は確かアトウッドの『青ひげの卵』に出てきた。汚れたらアウト、奇麗なままだったらセーフ。
「びゃくしんの木の話」KHM 47
子供が継母に殺されてシチューにされて食べられる。
解説によると、これは狩猟民族の宗教文化である「骨からの復活」を元にしているらしい。
>>『完訳グリム童話集 3』へ
2006.5.12 (Fri)
▲元大鳴戸親方『八百長』(1996)
★★★
ラインブックス / 2000.3
ISBN 4-89809-052-4 【Amazon】
ISBN 978-4846301415 【Amazon】(鹿砦社版)
元大鳴戸親方による大相撲の八百長告発本。北の富士に関するゴシップが多い。
著者は『中盆』を出版した元小結・板井の、現役時代の師匠。昭和中期に高鉄山として関脇の地位まで上り、引退後は大鳴戸親方として部屋を経営した。1996年、八百長を告発しようという後援会の知人(橋本成一郎)と、同じ日に、同じ病気で、同じ病院で死去(しかも、記者会見直前)。偶然にしては出来過ぎな、疑惑をはらんだ最後を遂げている。
基本的には『中盆』と似たような内容で、重複する箇所も少なくないのだけれど、本書には親方経験者ならではのユニークな視点があって面白く読むことができた。新弟子のリクルート問題とか、親方株を巡る脱税問題とか、地方巡業でのやりたい放題とか、角界の暗部が実例入りで詳しく載っている。さらに、著者は『中盆』の板井の一世代上の人間なので、現役時代の暴露話も独特な情報があって目新しい。本書は相互補完の意味で、『中盆』とセットで読むべき本だと思う。
八百長相撲の特徴として、負ける予定の力士が先に押し込むという指摘が興味深かった。怪我をしないよう土俵上でケリをつける(外に吹っ飛ばさない)のは当然として、取り組みの型にも独自のロジックが働いてる。本書の解説は相撲観戦のちょっとした手引きになるかもしれない。
現役時代の話については、元横綱・北の富士(現在NHKで解説をやっている)の下半身の話題が多かった。本書によると、北の富士は女漁りに熱心だっただけでなく、周囲をどん引きさせる特殊な趣味を持っていたらしい。ここで書くのも憚れるような、犯罪的な性欲の記録が数多く登場している。著者は北の富士に思うところ大ありのようだけど、それにしてもここまで赤裸々に暴露して大丈夫なのか心配になる。というかこれ、立派な名誉毀損じゃなかろうか?
以下、関連DVD。
本書(および『中盆』)で話題になった取り組みがいくつか収録されている。注意しながら観たけれど、素人目にはどこが八百長なのか判然としなかった。
2006.5.14 (Sun)
▽ガブリエル・ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』(1981)
★★★★
Cronica De Una Muerte Anunciada / Gabriel Garcia Marquez
野谷文昭 訳 / 新潮文庫 / 1997.11
ISBN 4-10-205211-9 【Amazon】
婚礼騒ぎの翌日、花嫁の処女を奪ったとされる青年が、双子の兄弟によって殺害されようとしていた。双子は犯行の意志を村中に告知、かくして「予告された殺人」が遂行される。
1951年に起きた実在の事件をモデルにした話。語り口は一人称の「わたし」によるルポルタージュ風で、村人たちの断片的な証言から事件の実像を浮かび上がらせている。
村中に双子の殺意が知れ渡っているというのに、被害者だけはなぜかぎりぎりまで知らされずにいて、結局はなす術もなく殺されてしまう。村人たちはそれぞれどういう役割を果たしたのか。また、どういうメカニズムで被害者が殺されたのか。以上の視点を軸にして、事件を様々な角度から組み立てている。この小説の素晴らしいところは何といってもその構成で、5章中4章を殺人で締めくくる章立てが、村に蔓延する運命的な気配を捉えていて良かった。どれだけ多くの証言を得ても、そして、どれだけ事件の全貌に肉薄しても、行き着く場所は一つしかない。
それにしても、死体の胃袋から金のメダルが出てくるなんて、いかにもガルシア=マルケスらしいユーモアだ。この著者はリアリズム路線の小説でも、平気で胡散臭いエピソードをねじこんできて面白い。
2006.5.16 (Tue)
▽コーマック・マッカーシー『越境』(1994)
★★★★
The Crossing / Cormac McCarthy
黒原敏行 訳 / 早川書房 / 1995.10
ISBN 4-15-207960-6 【Amazon】
1940年のニュー・メキシコ州。牧場で暮らす16歳の少年ビリー・パーハムが、罠に掛かった狼を連れてメキシコに入る。思わぬ事態に直面した後、今度は盗まれた馬を取り戻すため、弟を連れて再びメキシコに入る。
『すべての美しい馬』に続く国境3部作の2作目。19世紀的なビルドゥングス・ロマンに真っ向から取り組んだ前作に対し、本作は世界のありかたを巡る哲学的な内容だった。そこかしこで神の御業に比せられる大自然が描写され、主人公は異境の地で神話さながらの苦難にさらされる。また、旅の途上で行き会った人たちから寓意的な物語を聞かされ、さらにガルシア=マルケスを彷彿とさせる超自然的な予言を受けたりもする。『すべての〜』に比べると、ストーリーに派手さがないので読むのが辛いけれど、ただこちらは人間の営みを挿話でもって重層的に示していて、その幻想的な深みを味わうことができた。
うん。そうかもしれない。こっちへきたのはこれで三度目なんだ。捜しにきたものが見つかったのは今度が初めてだ。でもそいつはおれが望んでた通りのものじゃなかった。(p.377)
『すべての美しい馬』と『越境』、どちらの主人公も母国で失われたもの(前者は牧場、後者は狼)を求めてメキシコに越境するのだけど、そのために理不尽とでも言うべき災難に見舞われてしまう。結局のところ、メキシコというのは固有の存在であって、古き良きアメリカ開拓時代の代替物ではないのだな。アメリカで絶滅した狼を、その故郷であるメキシコに返そうとしても、そんな独善的なエゴイズムがまかり通るわけがない。世界は神が作ったものかもしれないが(キリスト教的には)、国境線は人間が引いたものであり、異境には異境のルールがあるのだから。2度目の越境の契機となるのが、大陸の原住民であるインディアンというのも示唆的だ。
解説を読むと、本作は『白鯨』【Amazon】(未読)と親近性があるようなので、これは読まねばなるまいと思った。やっぱり文明と非文明のせめぎ合いが、アメリカ文学の一つの特徴なんだろうか。