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2006.5.21 (Sun)
▲『完訳グリム童話集 3』(1857)
★★★
Kinder- und Hausmarchen / Jacob Grimm, Wilhelm Grimm
野村ひろし 訳 / ちくま文庫 / 2006.2
ISBN 4-480-42143-2 【Amazon】
グリム兄弟(ヤーコップ・グリム、ヴィルヘルム・グリム)編集による童話集。「老いぼれズルタン」、「六羽の白鳥」、「いばら姫」、「みつけ鳥」、「つぐみひげの王さま」、「白雪姫」、「背のうとぼうしと角笛」、「ルンペルシュティルツヒェン」、「恋人ローラント」、「金の鳥」、「犬とすずめ」、「フリーダーとカーターリースヒェン」、「ふたり兄弟」、「小百姓」、「蜂の女王」、「三枚の鳥の羽根」、「金のがちょう」、「千枚皮」、「うさぎのお嫁さん」、「十二人の猟師」、「泥棒とその親方」、「ヨリンデとヨリンゲル」、「三人のしあわせ者」、「六人男、世界をのし歩く」の27編。KHM 48〜71。
『完訳グリム童話集 2』の続編。似たような話が多くて読むのがきつくなってきた。このシリーズは民俗学的な興味がない限りはお勧めしない。さすがに童話ばかりで200編は気が遠くなる。
以下、各物語について。
「老いぼれズルタン」KHM 48
年老いた犬が、用済みということで主人に殺されかかる。
命が助かるところで終わるのかと思ったら、後日譚があってちょっと驚いた。狼からすれば犬の対応は恩を仇で返しているのだけど、道徳的な見地からすればこれは真っ当な判断ということなのだろう。いくら恩があっても、不正に目を瞑るわけにはいかない。
「六羽の白鳥」KHM 49
6人の兄弟が魔女の娘によって白鳥の姿に変えられた。
「十二人の兄弟」KHM 9と同一のプロットを持った話。たぶん元ネタが一緒なのだろう。今回は沈黙の誓い以外に、シャツを縫うという新たな条件が付加されている。
処刑に火炙りが多いのはさすが暗黒のヨーロッパ、さすが魔女狩りの聖地である。こういう地域特有の風俗が出てくると、外国文学を読んでいるという気になる(童話とはいえ)。
「いばら姫」KHM 50
13人目のかしこい女が、宴に呼ばれなかった腹いせに、まだ赤ん坊だった姫に呪いをかける。15年後、呪いが発動して城全体が眠りに包まれる。
呪いの効果が姫個人だけでなく、一定の範囲にまで及んでいるのが良い。炎まで眠ってるし。共同体がまるごと麻痺しているこの状況、『ドラクエ3』【Amazon】のノアニールの村を思い出す。
「みつけ鳥」KHM 51
子供が料理番の女に食べられそうになる。
この話はけっこう異色で、魔女でもない普通の子供たちが、超常的な力を操り変身している。同じグリム童話集でも、設定の次元に差があって面白い。
ところで、グリム童話集に食人の話題が多いのは、やっぱり飢饉が関係しているのだろうか。「赤ずきん」KHM 26では姥捨ての跡が見られるようだし(→ 参考)。
「つぐみひげの王さま」KHM 52
求婚者にケチをつけて断り続けた姫が、キレた王さまから乞食を押しつけられる。
捻りの効いた話。油断してたらやられた。
「白雪姫」KHM 53
世界一の美しさを誇る白雪姫が、ねたみ深いお后の手で殺される。
言わずと知れた超有名作。世界で2番目に美しいのにもかかわらず、お后は嫉妬の炎を燃やしている。それも、心臓が体の中でひっくり返るほどだから凄い。トップランナーは一味違うという感じだ。
食人のモチーフが気になるなあ。白雪姫の肺と肝を食べようとするお后は何なのだろう? ヨーロピアンは特別料理が好きすぎる。
「背のうとぼうしと角笛」KHM 54
貧乏な3兄弟が、幸運を手にすべく旅に出る。
不思議なアイテムを手に入れ、それを要所要所で使用する。系統でいえば、「<おぜんよ、したく>と金出しろばと<こん棒、出ろ>」KHM 36みたいな話。
軍事に特化したアイテムの効用が面白い。軍隊呼んだり大砲撃ったり、ドラえもんの道具みたいだ。
弟が不思議アイテムを騙し取っていく様子は、我々の世界を寓意的に写していて身につまされる。力の行使、弱肉強食。
「ルンペルシュティルツヒェン」KHM 55
王さまに無理難題を突きつけられた娘が、小人の助けで窮地を脱する。結婚して子供を産んだ後、そのツケを払うことになる。
小人の立場になって考えてみると、これは情報統制の重要さを説いた話になる。調子に乗って仲間に自慢したが最後、勝手に歌にされて秘密がばれてしまう。
「恋人ローラント」KHM 56
魔女に殺されそうになった娘が、恋人のローラントに助けてもらう。
魔女をやっつけた後の一捻りは何なのだろう? すんなりハッピーエンドにしたらつまらないという判断なのかな。簡単に恋人を忘れるところが童話クオリティである。
それにしても、魔法を使って湖に変化するなんてスケールが大きい。ウーロンやプーアルもびっくりだぞ。
「金の鳥」KHM 57
死刑を宣告された青年が、狐の助言で障害を乗り越える。
人の好い青年は、その性格ゆえに助言に反する行いを何度も犯してしまう。普通ならあまりの学習能力のなさに呆れてしまうけれど、狐は根気よく彼をサポートしてやる。あまりに狐が慈悲深いので、これは青年をテストしていたのではと思えてくる。
「犬とすずめ」KHM 58
すずめが犬の仇を撃つ。
まるでヒッチコックの『鳥』【Amazon】みたいだ、というのは少々大袈裟にしても、すずめが人間さまを圧倒しているのがおっかない。
「フリーダーとカーターリースヒェン」KHM 59
頭の悪い妻に翻弄される話。
「かしこいエルゼ」KHM 34みたいな笑話。車輪の跡のついた地面に同情して、そこにバターを塗りたくっている。童話とはいえ、ちょっと鬱陶しいキャラクターだ。
「ふたり兄弟」KHM 60
双子の兄弟が旅をする。
これはなかなか波瀾万丈な話だった。通常の童話の分量がだいたい5、6ページなのに対し、本作は何と50ページもの厚みがある。竜を退治したり、魔女と対決したり、イベントが詰め込まれていてけっこう豪華だ。
切り落とされた首が、何事もなかったかのように胴体とくっつくのが凄い。こういった蘇生のモチーフも、グリム童話集にはよく出てくる。
「小百姓」KHM 61
貧乏の小百姓が、機知を発揮して大金を手に入れる。
ハッタリというか、詐欺というか、そんな楽しいお話。
「蜂の女王」KHM 62
3兄弟の末っ子である「ぬけ作」が、兄たちが失敗した試練をクリアする。
善行はちゃんと自分に返ってきます、という確固たる信念が窺える。
「三枚の鳥の羽根」KHM 63
跡取りを決めたい王さまが、息子である3兄弟に試練を与える。
ここでも末っ子が「ぬけ作」だ。そして、そのぬけ作は他人の力で試練をクリアしている。この手の物語だと、兄貴=いい加減と図式化されていて興味深い。
「金のがちょう」KHM 64
3兄弟の末っ子である「ぬけ作」が、木を切り倒すのに成功する。
ぬけ作シリーズの3作目。例によって親切にした他人から恩返しを受けている。
今回はビジュアルが面白くて、人びとが数珠繋ぎで張り付いている様子が微笑ましい。もちろん、挿絵もついている。
「千枚皮」KHM 65
后を亡くして傷心の王さまが、自分の娘と結婚することにした。驚いた娘は防御策を講じ、ついに城から逃げ出す。
近親相姦の危機なんだから、そりゃ逃げ出したくなるわ。娘に執着する王さまは、彼女が出した無理難題をあっさりクリアしてるし。
後半はお決まりだなあ。どんな酷い境遇でも美人なら這い上がれるよ、という身も蓋もない話。王制時代ならさもありなんである。
「うさぎのお嫁さん」KHM 66
娘がうさぎにさらわれる。
どうってことのない小品。しょんぼりしたオチが可愛い。
「十二人の猟師」KHM 67
許嫁と離別して傷心の姫が、自分とそっくりの女を11人集めて、みんなして猟師に扮装する。
姫の執念は凄いねという話。
「泥棒とその親方」KHM 68
息子に泥棒修行をさせる。
習う技術が普通のピッキングではなく、童話ならではの裏技なのに感心した。これなら泥棒するのも容易だ。
「ヨリンデとヨリンゲル」KHM 69
ヨリンデ(女)が魔女によって小夜啼き鳥に変えられる。それをヨリンゲル(男)が救う。
ヨリンデとヨリンゲルって区別のしづらい名前だ。それも血縁ではなくカップルだし。
「三人のしあわせ者」KHM 70
3兄弟が父親から遺産をもらう。長男がおんどり、次男が大鎌、三男が猫。
アイテムを使って幸せを掴もうという話。孤島を使うのは反則だと思ったけれど、しかしこれは経済の原則を示した教訓話なのだろうな。設定がちと極端ってだけで。
「六人男、世界をのし歩く」KHM 71
王さまに復讐を誓った男が、特殊能力を持った仲間を集める。そして……。
たった6人で軍隊を一蹴している。このメンツなら世界征服も夢じゃないぞ。
>>『完訳グリム童話集 4』へ
2006.5.22 (Mon)
▽カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』(2005)
★★★★
Never Let Me Go / Kazuo Ishiguro
土屋政雄 訳 / 早川書房 / 2006.4
ISBN 4-15-208719-6 【Amazon】
「提供者」の元を渡り歩く介護人の女性が、少女時代を過ごした施設での日々を回想する。子供たちが保護官の指導を受けるその施設には、驚くべき秘密が隠されていた。
例によって物語の進展と共に真相が露わになる構成だけど、今回は舞台が特殊であるせいか、いつもより雰囲気に重みが増しているような気がした。語り手が介護する「提供者」とは何者なのか? なぜ施設では創作が重要と見なされているのか? なぜ語り手はポルノ雑誌を熱心に眺めていたのか? そもそもこの施設は何を目的としたものなのか? こういった諸々の謎を、一人称の恣意的な語りでもって徐々に明かしていく。
この小説はミステリの手法を上手く利用していて、状況説明を小出しにする筋立てもさることながら、仮説と真相にギャップを持たせる終盤が素晴らしかった。ある程度状況が見えた時点から途端に退屈になったのだけど、それでもクライマックスにはインパクトがある。何というか、それまで陳腐に思えた舞台設定が、この暴露劇によって一気に血肉を獲得したような感じ。意外な全貌を明るみにし、かつそれでいて告白者(施設の関係者)が毅然としているからこそ、頑としたやりきれなさが浮き彫りになる。本作でカズオ・イシグロは新たな境地に達したのだなと思う。
2006.5.24 (Wed)
▲J・G・バラード『楽園への疾走』(1994)
★★★
Rushing to Paradise / J. G. Ballard
増田まもる 訳 / 東京創元社 / 2006.4
ISBN 4-488-01647-2 【Amazon】
女医をリーダーとする環境保護のグループが、南太平洋に浮かぶサン・エスプリ島で抗議運動を行う。フランス軍との軋轢のあと、彼らはそこに居留して集団生活を始める。そして……。
『蠅の王』【Amazon】を彷彿とさせるディストピアもの。女医の屈折した社会思想が徐々に膨らんでいき、ついに島全体を飲み込んで事態はとんでもないことになる。はじめは普通の環境保護運動を名目としていたのが、いざ現地に居座って活動してみたら、それが殺伐とした方向に歪んでしまうという……。自己実現の観念に取り憑かれた女医と、そんな彼女に惹かれてしまう少年、2人の関係を焦点に据えて物語は疾走していく。
だが、多数の動物愛護団体の強迫観念的な社会改良思想には、宗教的で非寛容な体質があった。(p.36)
市民運動に従事する人のなかには、運動にアイデンティティを託して自分探しをする人が多いそうだけど、本作の女医もそんな人たちの典型例である。自己の発見と世界からの逃走を告白した彼女は、理想の楽園を建設すべくメンバーを引っ張っていく。そして、孤島の彼らは時とともに世間の常識から逸脱し、他殺体まで出すという宗教団体的な様相を呈すことになる。当初の目的からずれていき、ラディカルな優生思想が頭をもたげていく模様は、絵空事の一言では片づけられない怖さがある。
環境保護やフェミニズムに限らず、全ての思想集団は「宗教的で非寛容な体質」を孕んでいおり、本作はそんな危機を抽出して悪夢的な状況を作り出している。妄想のようでいて不思議な切迫感があるのは、「政治的な正しさ」に潜む狂気を、設定として活用しているからかもしれない。本作はこの手の話の標準的なサンプルで、ハリウッドでの映画化が似合いそうな気がする。
2006.5.27 (Sat)
▲コーマック・マッカーシー『平原の町』(1998)
★★★
Cities of the Plain / Cormac McCarthy
黒原敏行 訳 / 早川書房 / 2000.2
ISBN 4-15-208261-5 【Amazon】
1952年のニュー・メキシコ州。牧場で働く19歳の少年ジョン・グレディが、メキシコ人の娼婦に恋をする。彼の結婚の願いを叶えるため、同僚のビリー・パーハム(28歳)が協力する。
おれだけじゃない。あの国は別世界だ。おれの知ってる人間であの国へいったやつはみんな何かを求めて出かけていった。少なくともそのつもりで出かけていった。(p.194)
『越境』に続く国境3部作の完結編。『すべての美しい馬』のジョン・グレディと、『越境』のビリー・パーハムが夢の競演を果たしている。どちらもメキシコでの試練を潜り抜け、大切なものを失った過去を持っているけれど、今回も2人は似たような轍を踏むことになる。物質文明の浸食甚だしいアメリカ西部と、そんな転変の国に地続きで隣接するメキシコ。さすが20世紀の「闇の奥」というのか、惚れた娼婦を求めて出かけていった結果、少年は途方もない代償を払うことになる。
おまえらは死病にかかった者の楽園から自分たちの処ではもう死滅したものを求めてやってくる。もう名前もなくなってしまったものを求めてやってくる。(p.220)
上質なビルドゥングス・ロマンの『すべての美しい馬』に、幻想的・哲学的な高みに達した続編の『越境』。前2作と比べて明らかにパワーダウンしているけれど、そんななか『すべての〜』を彷彿とさせる格闘シーンが登場していて良かった。死病にかかった者の楽園からやってきた少年と、売春宿経営のメキシコ人がナイフで対決する。少年の、ひいては神秘に魅入られたアメリカ人の、その浅はかさを指摘するメキシコ人。彼が教訓的な饒舌を振るいながらナイフを操る様は、地の文と会話文が同一次元で混在する、神話的な描写と相俟って迫力がある。こういう格闘シーンは、文学でもエンタメでもなかなかお目にかかれないと思う。
2006.5.30 (Tue)
▽レアード・ハント『インディアナ、インディアナ』(2003)
★★★★
Indiana, Indiana / Laird Hunt
柴田元幸 訳 / 朝日新聞社 / 2006.5
ISBN 4-02-250187-1 【Amazon】
インディアナで暮らす知的障害の老人ノア。そんな彼の記憶が断片的に語られる。郵便配達のエピソードや鋸音楽師とのやりとり、入院中のオーパルの手紙など。
繊細な文章で綴られていてかなり良かった。主要人物のイノセントな感覚の奥に、深い哀しみをたたえている。本作は風変わりな発想と叙情的な雰囲気が同居した小説で、系統としてはいしいしんじに近いかもしれない。普通の散文書きよりは、童話や詩の方面に重心が寄っている印象がある(余談だが、ポール・オースターが褒めているそうだ)。
知能に欠陥のあるノアやオーパルが、「精神異常」で形容されるような生々しい存在ではなく、子どものように純粋なところが良い。2人の間に潜む哀しい記憶を除けば、なかなか牧歌的なエピソードが多くて、たとえばノアが郵便配達を忘れるくだりなんかは頬がほころぶ。天然の面白さというか、イノセンスの魅力というか。オーパルの手紙は表現のセンスが良すぎるし、ノアに至っては何気なく超能力まで持っているしで、そのユニークさに惹かれたのだった。