2006.6a / Pulp Literature

2006.6.1 (Thu)

『完訳グリム童話集 4』(1857)

完訳グリム童話集〈4〉

★★★
Kinder- und Hausmarchen / Jacob Grimm, Wilhelm Grimm
野村ひろし 訳 / ちくま文庫 / 2006.3
ISBN 4-480-42144-0 【Amazon

グリム兄弟(ヤーコップ・グリム、ヴィルヘルム・グリム)編集による童話集。「狼と人間」、「狼と狐」、「狐とおばさま」、「狐と猫」、「なでしこ」、「かしこいグレーテル」、「年とったおじいさんと孫」、「水の精」、「めんどりの死んだ話」、「気楽な男」、「ばくち打ちのハンス」、「しあわせハンス」、「ハンスの嫁とり」、「金の子どもたち」、「狐とがちょう」、「貧乏人と金持ち」、「鳴いてはねるひばり」、「がちょう番の娘」、「若い大男」、「地のなかの小人」、「金の山の王さま」、「大がらす」、「かしこい百姓娘」、「ヒルデブラントおやじ」、「三羽の小鳥」、「命の水」、「もの知り博士」、「びんのなかの魔物」、「悪魔のすすだらけの兄弟」、「熊の皮を着た男」の30編。KHM 72〜101。

『完訳グリム童話集 3』の続編。この巻はけっこう面白かった。ユーモアとペーソスに優れた物語がちらほら見られるし、天国ネタや悪魔ネタもコミカルで良い味だしている。悪魔が人間に力を貸す「熊の皮を着た男」KHM 101なんか、さすが『ファウスト』【Amazon】を生んだ国だと感心してしまった。

以下、各物語について。

「狼と人間」KHM 72

怖い者知らずの狼が人間に襲いかかる。

子供や老人が「人間」の定義に入らないところが面白い。たぶん、この世界観だと女も同様だろう。何せ、manじゃなくてwomanだから。

「狼と狐」KHM 73

狼にこき使われている狐が計をめぐらす。

力では敵わなくても智恵を使えば対抗できる、そんな教訓話だった。

「狐とおばさま」KHM 74

子供を出産した狼のおばさまが、狐に名付け親を頼む。

何の理由もなく騙している狐はひどいんだけれど、しかし生かしておいたら後々復讐されるんじゃないかね?

「狐と猫」KHM 75

えらそうな態度の狐が猫を相手に大言壮語する。

口だけでしたという話。

「なでしこ」KHM 76

願かけの力を持った幼子が、王宮のコックに誘拐される。

幽閉されたお后の元に天使(白い鳩)が舞い降りたり、女の子を花に変えてポケットに入れたり、メルヘン的想像力が発揮されている。願かけ能力は、神龍(シェンロン)と違って何度でも使用可能なのがポイント高い。

「かしこいグレーテル」KHM 77

料理人のグレーテルが、客用に作った料理を食べてしまう。

わはは、これは面白い。ちゃんとオチがついていてまるで落語みたいだ。グリム童話集では「かしこい」という形容はたいてい「バカ」と同義なのだけど、この話の主人公はクレバーな対応をしている。

「年とったおじいさんと孫」KHM 78

手がぶるぶる震えるおじいさんが、お椀を落として割ってしまう。夫婦は彼に木のお椀を与える。

これは素晴らしい! わずか2ページ弱の話なのに、ぴりっとした機知が織り込まれている。孫は4歳だから無邪気であり、無邪気だから彼の行動は恐ろしく映るのだ。

「水の精」KHM 79

兄妹が水の精のもとから逃げ出す。

どうってことのない小品。映像を喚起させる魔法の描写が楽しい。

「めんどりの死んだ話」KHM 80

死んだめんどりを葬りにいく。ところが……。

良い意味でバカらしい話だ。川の水に触って死んでしまう炭が笑える。

「気楽な男」KHM 81

気楽な男が変装した聖ペテロと旅歩きをする。

気楽な男が人間臭くて好感が持てる。乞食に施しをやる善人でありながら、同時に欲の深い俗人でもある。男は聖ペテロの言いつけを何度か破るのだけれど、それでも根が良い奴だから憎めない。必死に約束違反を否定していたのに、計略に釣られてあっさりぶちまけているし……。天国でのラストも人柄が出ていて微笑ましくなる。

「ばくち打ちのハンス」KHM 82

ばくち打ちのハンスが、神さまと聖ペテロから贈り物をもらう。

ばくちの道具をもらって荒稼ぎしたり、死に神の機能を停止させて7年間誰も死ななくしたり、悪魔を手下にして天国をつついてみたり、そういうユーモラスな雰囲気が良い。

「しあわせハンス」KHM 83

ハンスが親方から金塊をもらう。そして、行く先々で物々交換していく。

わらしべ長者の逆回しみたいな話。金塊から段々グレードが下がっていくのだけど、ハンスの主観ではそれぞれで幸せが持続している。これはつまり、人の幸福というのは客観的なものさしでは測れないということなのだろう。笑話の体をとっているけれど、意外と本質を突いている。

「ハンスの嫁とり」KHM 84

百姓のハンスが嫁取りをする。

ハンスっていうのは、アメリカのジャックや日本の太郎に相当する、ドイツのありふれた名前なんだろうかね?

「金の子どもたち」KHM 85

魚の魔力によって、おかみさんが金の子供を産む。

序盤の展開から、好奇心は身を滅ぼすという教訓的な話かと思っていたら、その後に素敵な冒険が待ち受けていた。金の子供たちが怪しすぎる。金粉ショーに出てくる人を想像してしまった。

「狐とがちょう」KHM 86

狐に狙われたがちょうたちがお祈りする。

現代のショートショートっぽい。語りのレベルで笑いをとっている。

「貧乏人と金持ち」KHM 87

神さまを泊めた貧乏人が願い事を叶えてもらう。それを知った金持ちが、自分も願い事を叶えてもらおうとする。

金持ちの願いが潰えるロジックが面白い。『ドラえもん』みたいというか。

「鳴いてはねるひばり」KHM 88

末の娘がライオンのもとへ。ライオンは実は王子さまだった。

RPGっぽいな。情報を収集し、アイテムをもらい、竜を退治する。主人公が女で、王子を取り戻そうとするところが、今となっては目新しいかもしれない。

「がちょう番の娘」KHM 89

王さまに嫁ぐ予定のお姫さまが、旅の途上、性悪な侍女の脅しで彼女と入れ替わることになる。

馬の頭がしゃべったり、自分で自分を裁いたりする話。理不尽な状況での誓いなのに、それを守ろうとするお姫さまは何なのだろう。

「若い大男」KHM 90

親指大の小男が牛乳を飲んで巨大化する。

過ぎたるは及ばざるがごとし、を地でいく話。労働の対価として雇い主を殴る巨人が素敵だ。あと、殴られて空中遊泳する雇い主も。

「地のなかの小人」KHM 91

地面にめり込んだ娘たちを助けにいく。

りんごを食った娘たちが罰を受けるってやっぱり聖書の影響なのか。地下世界で小人がわらわら出てくるビジュアルが良い。

ところで、グリム童話集では末っ子=善人、兄=悪人という図式ができあがっている。そろそろこの手の類型を分析した評論を読んでみたくなった。

「金の山の王さま」KHM 92

小人との契約で親から手放された子供が、金の山の王さまになる。

出てくるアイテムが面白い。望む場所にワープできる指輪とか、透明になるマントとか。極めつけはとある能力を備えた剣で、これを用いたオチはなかなか壮観だった。ちゃんと挿絵まである……。

「大がらす」KHM 93

母親の何気ない一言で大がらすになってしまった王女。彼女の呪いを通りがかりの男が解こうとする。

こういう話が冒険ファンタジーの、そして「ドラゴンクエスト」の原型なんだろうなあ。クエストを解いてエンディングに到達しよう。

「かしこい百姓娘」KHM 94

百姓娘が王さまの難癖を頓知で切り抜ける。

王さまが酷すぎる。献上品をもってきた百姓に、さらなる要求を突きつけて牢屋に入れている。百姓は王さまのことを慈悲深い人間だと思っていたのに……。

百姓娘の頓知は無理矢理すぎて苦笑したけれど、水のないところで魚を捕るエピソードはけっこう知的かもしれない。でも、この手の話なら中国のほうが得意そうだ。

「ヒルデブラントおやじ」KHM 95

牧師と姦通したい夫人が、亭主をそそのかして遠くへやろうとする。

長ったらしい文言をいちいち復唱している亭主がマヌケだ。

「三羽の小鳥」KHM 96

1000年前の話。3姉妹がそれぞれ1人の王様と2人の大臣と結婚する。

妹2人が性悪で、姉の子供を川に投げ捨てるという……。

「命の水」KHM 97

病気の王さまを末の息子が助ける。しかし、末っ子は兄たちにはめられる。

グリム童話には兄弟虐めの話が多いなあ。

「もの知り博士」KHM 98

百姓がもの知り博士として事件に臨む。

勘違い探偵ものの先祖みたいで面白い。やることなすこと全てが事件解決に結びついてしまう。

「びんのなかの魔物」KHM 99

学生がびんのなかの魔物を出してしまう。

びんに入った魔物の絵面を想像すると笑える。

「悪魔のすすだらけの兄弟」KHM 100

地獄で働いた男が、悪魔に報酬をもらう。

これは驚いた。キリスト教圏の話だから、悪魔の恩恵を受けた者は酷い目に遭うのかと思っていたら、何とハッピーエンドである。

「熊の皮を着た男」KHM 101

条件つきで悪魔のアイテムを借りた男が娘と婚約する。

藤子不二雄Aみたいなブラックかつ気の利いたオチが良い。ただ、何でふられたくらいで自殺するのか理解に苦しむ。まあ、この不条理さが本作のウリなのだろうけど。

それにしても、悪魔の要求は独特すぎる。髪と爪を伸ばし放題にし、体を洗わず、涙が出てもぬぐってはいけないなんて!

>>『完訳グリム童話集 5』

>>Author - グリム兄弟

2006.6.3 (Sat)

高田理恵子『文学部をめぐる病い』(2001)

文学部をめぐる病い―教養主義・ナチス・旧制高校

★★★★
ちくま文庫 / 2006.5
ISBN 4-480-42215-3 【Amazon

高橋健二を中心とする、昭和初期のドイツ文学者たちの、男性間の関係にスポットを当てた本。特権としての旧制高校のあり方や、個々人のナチス文学との関わりなどを論じている。

前半の内輪ネタにはさほど興味が持てなかったものの、著者の高橋健二をいじる手つきに温もりが宿っていて、知的興味以外のある種のスリルを感じながら読んだ。

以下にその一部を引用してみよう。

善良な高橋健二は、自分自身も含めた文化人たちや政治家の無責任なシニシズムにまったく気づいていない。(p.100)

つまり、木村を動かしていたのが東京帝国大学教授の「責任」であるならば、高橋健二の根本にあるのはいつも「愛」なのである。もちろん、問題をやっかいなものにするにはつねに「愛」のほうなのだが。(p.178)

誠実な高橋健二がこれほど沈黙し、何かを隠蔽しようとしたことがあったあろうか。(p.184)

文脈を無視していて分かりづらいかもしれないが、つまり本書が結んだ高橋健二像は「不思議ちゃん」のそれであり、著者は嬉しそうに天然な彼をいじっている。善良な高橋健二、無垢な高橋健二、誠実な高橋健二。まるで何かの二次創作を目の当たりにしているようで、笑いを堪えるのが困難だった。著者は高橋健二が好きすぎると思う。

後半の作品分析のくだりはかなり鋭くて参考になった。学校小説としての『ビルマの竪琴』【Amazon】と、男をめぐる問題としての『車輪の下』【Amazon】。どちらの論考も「男同士の関係」をキーにして、男性特有の病理を明らかにしている。これを読んで、ヘッセ作品に漂うホモセクシャルな空気の謎(なんで奴らは男同士でキスしているのか?)が氷解したのだった。男性論に終始した一連の分析は、日本とドイツの教育事情が比較されていてとても分かりやすい。

なお、解説は斉藤美奈子。本人の趣味なのだろうか、「『文学部をめぐる病い』をめぐる病い」という、目を疑うようなタイトルがついている。この人の感性は、やっぱり80年代で止まっているんだと思う。

2006.6.4 (Sun)

ミゲル・アンヘル・アストゥリアス『大統領閣下』(1946)

ラテンアメリカ/集英社ギャラリー「世界の文学」〈19〉(102x140)

★★★
El Senor Presidente / Miguel Angel Asturias
内田吉彦 訳 / 『集英社ギャラリー「世界の文学」19』所収 / 1990.2
ISBN 4-08-129019-9 【Amazon
ISBN 4-08-126002-8 【Amazon】(単行本)

中米で独裁権力を振るっている大統領閣下。彼の命令を受けた腹心の男が、実力者である将軍の亡命に手を貸すことになる。その後、腹心の男は勝手な行動をとって立場が微妙に。

ラテンアメリカといったら独裁、独裁といったらラテンアメリカだけど、本作はそんなご当地の惨状を、幾ばくかのユーモアを交えながら描いていて、ぞっとしながらも面白く読むことができた。秘密警察を駆使して、敵対者を秘密裏に処理する大統領閣下。閣下の信頼を受けながらも、運命に翻弄されてしまう腹心の男。そして、独裁体制を維持するため、虫けらのように扱われる民衆たち。良い意味で類型的な人たちが、ラテンアメリカのスタンダードというべき抑圧空間を作りあげている。

インクをこぼした秘書官を鞭打ちで刑死させたり、無実の女囚を売春宿に売り飛ばしたり、拷問でありもしない証言を引き出そうとしたり、大統領閣下を頂点とした権力構造が、北朝鮮的(*1)な腐敗政治のお手本になっていておっかない。しかも閣下は、自身の非道な行いが国体を維持するものと信じており、次の選挙での再選を目指している……。解説によると、不統一な意志のもとで独立したラテンアメリカ諸国では、大土地所有制や外国資本の流入などが重なって、強権による秩序安定が容認されているという。独裁が必要悪として、蟻地獄のごとく存在する世界。冤罪をかぶせる理不尽な仕打ちといい、絶望に満ちた監獄での断末魔といい、この小説の救いのない展開には身震いするような怖さがある。

>>Author - ミゲル・アンヘル・アストゥリアス

*1: 民衆代表が大統領閣下を褒め称える場面があるのだけど、そこでの美辞麗句を尽くしたごった煮的な賛辞が、まんま「偉大なる領導者」のノリだったのには苦笑した。

2006.6.6 (Tue)

瀬尾まいこ『強運の持ち主』(2006)

強運の持ち主

★★★
文藝春秋 / 2006.5
ISBN 4-16-324900-1 【Amazon

女占い師を主人公にした連作短編集。「ニベア」、「ファミリーセンター」、「おしまい予言」、「強運の持ち主」の4編。

占いの理屈を適当にでっちあげて、相手に応じたアドバイスをする。そして仕事で奮闘するうちに、自分と彼氏の関係を見つめ直すことになる。最近流行の「政治的に正しい小説」という感じで、年頃の女性の共感を得そうな内容だった。(1) 主人公は働く独身女性である。(2) 作中に家父長的なマッチョ男性が出てこない。(3) 料理や家事は男性のほうが上手い。以上の3点が、レディース向け文芸の特徴のような気がする。この手の小説とは久しく疎遠だったので、マーケティングの意味で色々読んでみたい。

以下、各短編について。

「ニベア」

春。主人公の元に8歳の子供がやってきて、奇妙な占いを頼む。

子供が口にする「匂い」が謎になるところは、光原百合の『十八の夏』を思い出した。この短編は、父母の境界が曖昧になるシチュエーションが示唆的で興味深い。フェミニズムとかジェンダーフリーとかの文脈で論じられそう。

「ファミリーセンター」

夏。意中の男を振り向かせたい女子高生に、服装や髪型のアドバイスをする。しかし、一向に効果がない。

主人公は彼氏と同棲していて、そのプライベートな生活が解決の鍵になる。家族の話に落ち着いたのが拍子抜けだったかな。

「おしまい予言」

秋。「おしまい」が感知できる大学生と知り合う。

「おしまい」を宣告されて右往左往する。

「強運の持ち主」

冬。強運の持ち主である彼氏の運命に翳りが見える。

仕事では占いの結果を重視していないくせに、彼氏については占いのロジックを信じている。このダブルスタンダードが、いわゆる乙女心ってやつなのだろうか。

>>Author - 瀬尾まいこ

2006.6.9 (Fri)

二階堂奥歯『八本脚の蝶』(2006)

八本脚の蝶

★★★★★
ポプラ社 / 2006.1
ISBN 4-591-09090-6 【Amazon

2003年に飛び降り自殺した女性編集者のWeb日記(享年26歳)。期間は2001年6月13日から、自殺当日の2003年4月26日まで。

自殺した人の心理を知るという意味でも興味深いが、それ以上に趣味人の日記として刺激を受ける内容だった。物語、とりわけ幻想小説に耽溺した著者は、今まで生きてきた日数以上の本を読んでいたという。これはただの本好きと呼ぶには半端じゃない量で、1日1冊で計算しても、20代半ばで1万冊近くに達している。確かに日記を読む限りでは、短いペースでたくさんの本に触れていることが窺えるし、また引用も異様に充実していて、相当な蓄積があるのだろうと思わせる。

自殺については、ティーンエイジャーの頃からその影が付きまとっていたようだ。日記ではフェミニズムと哲学が無視できない大きな柱になっており、死へ至る道筋を探るような分析的な読みを誘う。公開を前提としたメディアのせいか、記述は劇場型に流れているきらいがあるものの、それでも濃密な世界が成立していて引き込まれる。一個の物語として、たとえばカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』より読み応えがあった。

以下、関連リンク。