2006.6c / Pulp Literature

2006.6.21 (Wed)

アーシュラ・K・ル=グウィン『ファンタジーと言葉』(2004)

ファンタジーと言葉

★★★★
The Wave in the Mind / Ursula K. Le Guin
青木由紀子 訳 / 岩波書店 / 2006.5
ISBN 4-00-024631-3 【Amazon

エッセイ集。主に創作や言葉、フェミニズムについて語っている。30編ある原書から19編を選んで翻訳。

ボリュームたっぷりの読み応えのある内容だった。著者はフェミニストとしてかなり年季が入っていて、随所で持論に基づいた批判を展開。文芸作品における性別役割分業を難じるほか、それは言い掛かりでは? と思えるような一方的な揶揄まで見られる。そもそも本書の書き出しが、「わたしは男である。」なのだから推してはかるべきだろう。フェミニズムに関する記述には近づきがたいオーラが出ているものの、しかしそれを基調とした諸々の属性の組み合わせに個性があって面白い。文化人類学の教養や音声への拘りなど、全部ひっくるめて確固とした人格が出来上がっている。そして、ぶれない視点から信念を述べる姿勢が、本書をエッセイ集として魅力的なものにしている。

以下、まとまりのないメモ。

「幸福な家族はみな」の章では、『アンナ・カレニーナ』【Amazon】の書き出し(*1)を批判的に検証。この項で著者は、「幸福」を書くことが批評家によってジェンダーと結びつけられている、つまり、小説が男性向け・女性向けに分けられ、「幸福」を書いたものが女性向けとして片づけられている、と主張している。

性別役割分業によれば、男性読者は強く、タフで、何をおいても現実を追及するが、かよわい女性読者はちっちゃくてあったかい幸福のかたまり――ふわふわのウサちゃん――によっていつも元気づけてもらわずにいられない、ということになっている。(p.44)

これを読んで気になったのが、著者はやおい小説をどう位置づけるのかということ。統計(個体差の集積)から割り出された性別による嗜好の差を、どのようなロジックで否定するのか興味がある。

「現実にそこにはないもの」の章は、『ファンタジーの本』(ホルヘ・ルイス・ボルヘス、アドルフォ・ビオイ・カサーレス、シルヴィーナ・オカンポ共著)の序文。ボルヘスとファンタジーについて語っている。

「子どもの読書・老人の読書」の章では、マーク・トウェイン『アダムとイヴの日記』【Amazon】をジェンダーの観点から分析している。全体的に面白いけれど、特に「ナターシャ症候群」のくだりがツボにはまった。確かに『戦争の平和』【Amazon】のナターシャは、結婚してから著しく精彩を欠いている。

「内なる荒野」の章。「眠り姫」の止まった世界のなかに、百姓の少年が入り込むという話が面白い。アンジェラ・カーターとか、マーガレット・アトウッドとか、フェミニストによる童話の再構築には新たな発見があって刺激になる。

「ページの外で/うるさい雌牛たち」の章は講演録。著者は聴衆を巻き込んだパフォーマンスをかなり重視しているようだ。欧米の作家が各地を朗読して廻るのは、相応の文化的土壌があるのだなと実感。また、この章は最後が凄い。

そういうわけで、最後にこの詩(*2)のパフォーマンスをしますが、それはみなさんがこのすばらしい会議を後にされた時、公衆の面前でモーモーわめいている老女の姿を記憶にとどめていていただきたいからなのです。(p.101)

上記に続く詩のパフォーマンスは、著者の大胆な一面が垣間見えるので一読の価値あり。かなり弾けている。

……ほか、フィクションにまつわる話とか、遺伝決定論への反論とか、興味深い記述がいくつか見られるが、面倒になったので割愛する。心残りなのは、『ハックルベリ・フィンの冒険』【Amazon】と『デイヴィッド・コパフィールド』【Amazon】の分析に触れられなかったことかな。まあ、気が向いたらこっそり追記するということで。

>>Author - アーシュラ・K・ル=グウィン

*1: 「幸福な家庭はみな同じように似ているが、不幸な家庭は不幸のさまもそれぞれ違うものだ」
*2: 著者が書いたパフォーマン用の詩。タイトルは「うるさい雌牛たち」。

2006.6.22 (Thu)

脇明子『魔法ファンタジーの世界』(2006)

魔法ファンタジーの世界

★★★
岩波新書 / 2006.5
ISBN 4-00-431020-2 【Amazon

魔法ファンタジーの魅力を解き明かした本。「ゲド戦記」と「ナルニア国ものがたり」の読解、善と悪の問題、子ども向けファンタジーへの提言など。

具体的な作品論考は参考になったものの、昨今の漫画やゲームのファンタジーをつかまえて、PTA的な道徳観を吐露しているのはどうかと思った。「しかえし」「こらしめ」を目的とした魔法の使用とか、不必要なまでに描かれた残酷表現とか、現代の人気ファンタジーは子どもたちの教育に宜しくないのだという。そして、扇情的でない古き良き物語を、理想のファンタジーとして推奨していこうという。著者は幼い頃から「良質の」ファンタジーを読んできたそうだから、自分の実感に合わない現代の風潮に危惧の念を抱いたのだろう。本書の出発点が個人の好みである以上、これはこれで悪くはないとは思うけれど、ただノスタルジーを根拠とした価値判断には、下の世代としては全く賛同できない。著者の主張には、清教徒的な潔癖さがつきまとっていて危うさを感じる。

と、それはさておき、本書はファンタジー・ガイドとしては質が高く、いくつか読んでみたい本が見つかった。サトクリフの『第九軍団のワシ』【Amazon】(およびその続編)と、読みかけのナルニア国シリーズ、そしてまったく手をつけていない『指輪物語』【Amazon】。本書ではこれらの読みどころが示されていて、眠っていた読書欲が刺激される。それと、映画化で話題の『ゲド戦記』【Amazon】も読み直したい。確かにアースシーにおける魔法の扱いはユニークだし、成長ものとして至極まっとうな構造をとっている(第1巻の敵は自分自身だ)。

2006.6.24 (Sat)

『川に死体のある風景』(2006)

川に死体のある風景


東京創元社 / 2006.5
ISBN 4-488-01215-9 【Amazon

川と死体を組み合わせたアンソロジー。歌野晶午「玉川上死」、黒田研二「水底の連鎖」、大倉崇裕「捜索者」、佳多山大地「この世でいちばん珍しい水死人」、綾辻行人「悪霊憑き」、有栖川有栖「桜川のオフィーリア」の6編。

おそろしくレベルの低いアンソロジーだった。どれもこれもテーマを満たすだけで精一杯という感じ。そりゃ書き下ろしのアンソロジーに本気を出す作家なんていないだろうけど、それにしてももう少し質を保てなかったものか。3番目の「捜索者」以外は読む価値のない出来だった。

以下、各短編について。

歌野晶午「玉川上死」

玉川上流から男子高校生が流れてきた。関係者が何者かに殺される。

ライトノベルみたいなセリフ回し。ラストで意外な動機を推測する。えらい食い足りない話だった。★★。

黒田研二「水底の連鎖」

川のなかに3台の車と3人の死体。いったいどういう事情があったのか?

魅力的な謎に対して推理は都合良すぎ(特に3人目の動機)。こういうどうとでも解釈できる話には、もっと蓋然性のあるロジックが欲しい。★。

大倉崇裕「捜索者」

2人の人間の崩落死の謎を追う。

これは良かった。いや、冷静に考えると標準作なのだけど、前2作が酷かったから相対的にマシに見える。★★★。

佳多山大地「この世でいちばん珍しい水死人」

叔父を捜しにコロンビアへ渡った少年と、麻薬組織絡みの水死人の謎。

複数人が代わる代わる語り手をつとめる奇を衒った話だった。ガルシア=マルケスの短編をもじったタイトル。★。

綾辻行人「悪霊憑き」

川に浮かんだ女の死体の謎。悪霊に取り憑かれて死んだのか?

企画ものらしいお些末なトリックとおざなりなストーリー。単に謎解き小説の体をとっているだけ。★。

有栖川有栖「桜川のオフィーリア」

17歳の少女の死体を知人が撮影した。

ミス研の人たちが気軽に当て推量しているような内容。★。

2006.6.26 (Mon)

東野圭吾『容疑者Xの献身』(2005)

★★★★
文藝春秋 / 2005.8 / 第134回直木賞
ISBN 4-16-323860-3 【Amazon

物理学者湯川シリーズ。高校生の娘と二人暮らしをしている女性が、アパートに押しかけてきた元夫を殺害。隣に住む天才数学教師の石神が、犯行の隠蔽に協力する。

連城三紀彦風の異常論理を取り込んだ倒叙ミステリ。昭和的な紋切り型の人間模様に辟易したものの、サスペンスとしてはよく出来ていて、終始退屈せずに読むことができた。この小説は倒叙形式でありながら、隠蔽工作の核心について完全には明かされないので、石神はどんなトリックを使ったのか? という推理ものらしい興味が生じている。くわえて、石神が女性に一方的な愛情を寄せている結果、2人の連帯には常に不穏な影がつきまとうことになり、犯罪小説らしい緊張感をもたらしている。

本作については、連城三紀彦を語った以下のテキスト(*1)がそのまま適用できるだろう。

トリックの必然性とは、犯行が露顕した時のマイナスと、犯行の手間を秤にかけて決めるという常識を、連城三紀彦はいとも簡単に覆してみせました。恋に狂えば、人は手間暇など度外視した行動に出るのだ、という心理=真理が、そこでは働くからです。同時に、トリッキーで破天荒な行為でなければ描けない恋愛が、この世にはあることを、それはさし示してもいました。(p.236)

破天荒な行為がそのまま「愛の強さ」に還元される。こういうマニエリスムを「純愛」と喧伝するのにはいまいち納得できないものの、本作は非モテ人間の哀愁をきちんと押さえているのは確かで、白々しい演出(*2)にも拘わらずそれなりの余韻を残している。「本格」かどうかはともかく、少なくともエンタメとして読ませる小説だった。

>>Author - 東野圭吾

*1: 連城三紀彦『夢ごころ』【Amazon】の解説。小森収による。
*2: 本作の「不幸」なエピソードはみんな紋切り型だし、湯川のものものしい態度や女の悔悟の念なんかはえらいわざとらしい。