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2006.9.2 (Sat)
▽マルセル・プルースト『失われた時を求めて 2 第一篇 スワン家の方へ II』(1913)

★★★★
A la Recherche du Temps Perdu / Marcel Proust
鈴木道彦 訳 / 集英社文庫 / 2006.3
ISBN 4-08-761021-7 【Amazon】
若き日のスワンが高級娼婦のオデットに恋をする。その後時代は飛んで、少年時代の語り手がスワンの娘ジルベルトと親しくなる。
全13巻ある文庫版の2巻目。『失われた時を求めて 1』の続き。この巻は、「スワンの恋」と「土地の名・名」を収録している。
スワンの悶々とした想いを綴った「スワンの恋」は、独立した長編としても楽しめそう。恋愛の痛々しさというのか、「恋は盲目」をそのまま体現したかのような、張り裂けんばかりの恋心を見せつけてくれる。スワンとオデットの恋愛関係は、読者からするとスワンの傾倒の度合いが圧倒的で、著しい非対称をなしている。そのため、ライバルに嫉妬するだとか、恋の駆け引きを仕掛けるだとか、スワンの独り相撲によって、物語は複雑な様相を呈すことになる。オデットの白黒はっきりしない振る舞いを前に、うじうじと思い悩むスワンの姿には、彼の悩める青年ウェルテルくんがオーバーラップして、読んでいるこちらが一抹の恥かしさをおぼえてしまう。
と、そんな痛々しい恋愛ドラマを演じながらも、ラストで悟りの境地に達するスワン氏は最高にクールだ。まるで催眠術から解けたかのように、それまでの盲目的な観念から距離をおくのである。身を焦がさんばかりの一時を経たラストのセリフは、座右の銘にしたいくらい格好いい。この「スワンの恋」は、恋愛小説としてなかなか読ませる内容だと思う。
登場人物は相変わらずキャラ立ちが甚だしくて面白い。特にヴェルデュラン夫人のサロンに出入りするコタール医師は、典型的な小人物で苦笑してしまう。何せ他人の謙遜を額面通り受け取って、微妙にずれた応答をするのだから。また、場を盛り上げようと虎視眈々とタイミングをはかり、つまらないギャグを飛ばしてそのつまらなさに気づいていないのだから。他人の評価を気にして空回りするコタール医師は、前の巻に出てきたルグランタンとキャラが被るかもしれない。
オデットに対するスワンの想いと、ジルベルトに対する語り手の想い。「土地の名・名」が「スワンの恋」を踏まえた章で、時代を越えた2つの恋模様を意識的に対比させているところが面白い。現実と記憶を見据える思索的な語りによって、ジルベルトを巡る追憶が紡がれていく。スワンの物語があったからこそ語り手の物語が生きているわけで、長大な本作の仕掛けの一端を垣間見たような気がした。
ところで、スワン氏は今風にいえば「眼鏡男子」ってやつだろう。彼の片眼鏡(モノクル)を見たオデットが飛び上がって喜んでいる。どうやら眼鏡好きの系譜は、100年前まで遡れるようだ。
>>『失われた時を求めて 3』に続く。
2006.9.4 (Mon)
▼阿刀田高『チェーホフを楽しむために』(2006)

★★
新潮社 / 2006.7
ISBN 4-10-334324-9 【Amazon】
チェーホフ作品を年代順に紹介したエッセイ集。短編・戯曲のあらすじを詳細に記し、感想なり分析なりを添えている。
紙幅の大半があらすじ紹介というチェーホフ入門書。老大家が気楽に書いたようなエッセイであまり面白くなかった。文体も肌に合わない。
カタカナ語の使い方が引っ掛かったかなあ。以下、その一部を引用してみる。
これが幼いアントンの幼い脳みそにサムシングを与えた。(p.15)
この時期の苦悩を……生まれ出ずる悩みを、チェーホフ的なビヘイヴィアで(p.117)
当然のことながらこのドラマではラネーフスカヤのビヘイヴィアが興味深い。(p.254)
「サムシング」とか「ビヘイヴィア」とか、気取った物言いにうんざりしてしまった。この著者のエッセイを読むのは本書がはじめてだったけれど、他の本もこんな文章だったりするのだろうか。
2006.9.7 (Thu)
▲乙一『銃とチョコレート』(2006)

★★★
平田秀一 画 / 講談社 / 2006.5
ISBN 4-06-270580-X 【Amazon】
謎の怪盗GODIVAによる、富豪を狙った連続盗難事件。移民の息子として差別されている少年が、事件を捜査している高名な探偵と関わることになる。
人物の役割が一変する筋立ては面白かったものの、どんでん返しの多さの割にミステリらしい知的な驚きは皆無で、同じレーベルの『怪盗グリフィン、絶体絶命』より一段劣るという印象だった。GODIVAの文字の秘密や、母の意外な行動など、不意打ち的な作為をもっと効果的に語っていれば満足感があったかもしれない。
あと、乱暴者のドゥバイヨルに殺人を犯させる必要があったのか疑問。確かに彼は手のつけられない性格破綻者だから、勢いでこれぐらいはやりそうではある。しかしその一方で、黒さを強調するために無駄に残酷なことをやらせている節があって、読んでいていまいちしっくりこない。少女の喉を掻ききろうとする場面なんか違和感ありまくりだった。
2006.9.8 (Fri)
▲ハロルド・ピンター『ハロルド・ピンター全集 2』

★★★
The Complete Workes by Harold Pinter, Vol.2 / Harold Pinter
喜志哲雄 小田島雄志 沼澤洽治 訳 / 新潮社 / 2005.12
ISBN 4-10-518002-9 【Amazon】
3冊セットの全集の2冊目。収録作は、「夜遊び」、「工場でのもめごと」、「ブラック・アンド・ホワイト」、「ブラック・アンド・ホワイト(短編)」、「バス停留所」、「最後の一枚」、「特別提供」、「そこがいけない」、「それだけのこと」、「応募者」、「インタヴュー」、「三人の対話」、「ナイト・スクール」、「こびとたち」、「コレクション」、「恋人」、「帰郷」の17編。
『ハロルド・ピンター全集 1』の続き。1959年から65年までの作品を収めている。今回は作風がマイルドになっていて、それほど不条理な感じがしなかった。
なお、「工場でのもめごと」から「三人の対話」までの11編は、「レヴューのためのスケッチ」と題された小品群。
以下、各作品について。
「夜遊び」"A Night Out"
戯曲。ママっ子の青年が会社の送別会に参加し、そこで揉め事を起こす。
場面変換が多かったり、ト書きにクローズアップが指定されていたり、何か舞台劇っぽくないなーと思っていたら、これはテレビ用の戯曲らしい(元々はラジオドラマのための書き下ろし)。
主人公は母親の過保護によって「男」になれないでいて、それが激しい対立の起爆剤として燻っている。いつもの通り噛み合わない会話が劇に緊張をもたらしているのだけど、今回は不条理と呼ぶほど無茶な乖離は見せず、絶妙なズレ方でもって二者間の断絶を物語っている。このようにリアリズムとアナロジーを適度に織り交ぜて、場の関係性を表現するところがピンター・クオリティだと思う。現代劇の手法って面白いね。
「工場でのもめごと」"Trouble in the Works"
戯曲(スケッチ)。ウィルズ氏が管理職のフィブズ氏に従業員の不満を伝える。
ショートショートみたいな話だった。不満が段々エスカレートしていって、最後に気の利いたオチがつくという。たとえるなら、徐々に膨らんでいった風船がラストで急激に萎むような感じ。
「ブラック・アンド・ホワイト」"The Black and White"
戯曲(スケッチ)。軽食堂のテーブルで向かい合う2人の老婆の会話。
終夜バスを話題にしているようなのだけど、オチがさっぱり分からない。
食堂が閉店したら移動するってのは、お得意の「場所」テーマっぽい。この2人はホームレスなんだろうか。
「ブラック・アンド・ホワイト(短編)」"The Black and White"
小説。同名の戯曲を「老婆一」の視点から叙述。戯曲で欠落した背景情報を埋めている。
「バス停留所」"Request Stop"
戯曲(スケッチ)。バス停で女が小男を叱りつける。
小男をよそ者呼ばわりしているくせに、当の本人は目当てのバスを探せないでいる。冒頭と最後で目的地が違うのは、女の頭がヤバイってことを表しているのだろう。
「最後の一枚」"Last to Go"
戯曲(スケッチ)。バーテンと男の会話。
とある人物を巡ってちょっとした認識のずれが生じる。
「特別提供」"Special Offer"
戯曲(スケッチ)。BBCに勤務している秘書の独白。
「男性売ります」だって。
「そこがいけない」"That's Your Trouble"
戯曲(スケッチ)。公園でくつろいでいる男2人が、看板を背負った男を巡って噛み合わない会話を繰り広げる。
「それだけのこと」"That's All"
戯曲(スケッチ)。2人の婦人の会話。
ありきたりな光景と、ちょっとだけ奇妙な会話内容。何でA夫人は女の人を招いているのだろう。
「応募者」"Applicant"
戯曲(スケッチ)。ピフス嬢がラム青年を面接する。
変な質問を連発するすごい面接。新手のプレイかと思ったよ。
「インタヴュー」"Interview"
戯曲(スケッチ)。ポルノ業者へのインタビュー。
オチが分かんないなー。ブラックユーモアらしいってことは推察できるのだけど。共産主義者はみんなエロいとか?
「三人の対話」"Dailogue for Three"
戯曲(スケッチ)。男2人女1人の会話。
11編続いたスケッチもこれでお終い。疲れた。
「ナイト・スクール」"Night School"
戯曲。刑務所で服役した男が伯母の家に帰ってくる。男の部屋は女教師に貸し出されていた。
場所を巡るあれこれとアイデンティティの揺れ。今回は女教師の別人格(?)を描いているせいか、いつもよりパラレルワールド感が増していた。ナイト・スクールとナイト・クラブじゃ大違い。
「こびとたち」"The Dwares"
戯曲。3人の男たちの軋轢。
哲学的な内容で長広舌が多い。
問題はね、きみは誰かってことさ。なぜかとか、いかにとか、どういう人間か、といったことではない。どういう人間かぐらい、ぼくにだってはっきりわかる。だがきみは誰なんだい? ただ自分の鍵がある鍵穴にうまくはまるからってだけのことで自分が誰かわかると言ったってむだだぜ。その鍵穴は絶対まちがいなしってものでもないし、決定的ってものでもないから、きみの鍵を受け入れたにすぎないかもしれないんだ。(p.132)
ピンターは一貫してこの疑問を追い続けているのかな。その割にデビュー時から大して進歩していないような気がするけれど……。
「コレクション」"he Collection"
戯曲。男が妻の不倫相手の元に押しかける。
今回は話に筋が通っているというか、いつもだったら完璧に破綻している客観的な認識が、かなりの割合で確保されている。つまり、不倫の有無を巡る諍いが、平行線を辿らずに常識の範囲で動いている。珍しいこともあったものだ。
「恋人」"The Lover"
戯曲。外で娼婦を買っている夫と、家で愛人と過ごしている妻。2人はお互いの不貞を承知している。
夫が愛人で愛人が夫? みたいに世界がねじれていて面白い。
「帰郷」"The Homecoming"
戯曲。男所帯で貧乏生活を送っているロンドン北部の一家。アメリカに渡っていた長男が、妻を伴って帰ってくる。
一軒家の中にブルーカラーの淀んだ空気が充満している。長男の嫁を家で飼い殺そうと画策する様子がかなり不条理。冗談みたいな話が大真面目に進行している。
>>『ハロルド・ピンター全集 3』に続く。