2006.11b / Pulp Literature

2006.11.11 (Sat)

ジェフリー・ディーヴァー『12番目のカード』(2005)

12番目のカード(111x160)

★★★
The Twelfth Card / Jeffery Deaver
池田真紀子 訳 / 文藝春秋 / 2006.9
ISBN 4-16-325290-8 【Amazon
ISBN 978-4167705817 【Amazon】(文庫)
ISBN 978-4167705800 【Amazon】(文庫)

博物館で調べものをしていた黒人少女が、武装した男に襲われそうになる。どうやら140年前の因縁が絡んでいるようだった。リンカーン・ライムとアメリア・サックスが捜査する。

このシリーズは4作目の『石の猿』がつまらなかったので、5作目の『魔術師』には手を出さなかった。今回は偶然目に止まったから読んだのだけど、とりあえず『石の猿』からはだいぶ持ち直していたと思う。登場人物には控えめにスポットが当てられていてうるさくないし、シリーズの醍醐味である知能戦も、推理を外していく過程がすこぶる論理的で違和感がない。要所要所を細かいどんでん返しで繋いでいるせいか、少なくとも途中で飽きることはなかった。

ただ、ここまで単調にどんでん返しが繰り返されると、さすがに不感症にならざるを得ない。これは熱心なシリーズ読者だったら尚更ではなかろうか。確かに今回の“偽装”の連鎖は、論理的には隙がなくて納得できる。しかしながら、このパターンだったらいくらでもどんでん返しを生成できそうで白けてしまう。終盤は技巧が先走っている感じがして、感動の大団円も額面通りには受け取れなかった。緻密な構造美というのは、自己目的化すると途端につまらなくなる。

今回はキャラクターが魅力的で、特に「アベレージ・ジョー」なる殺し屋の造型が秀逸だった。警察の注意をそらすため、何のためらいもなく一般人を狙撃するなんてプロフェッショナルの鑑である。人間的な感情を喪失した理由というのも、けっこうな社会派で盲点を突かれたのだった。

>>Author - ジェフリー・ディーヴァー

2006.11.13 (Mon)

堀江敏幸『いつか王子駅で』(2001)

いつか王子駅で(111x160)

★★★★
新潮文庫 / 2006.8
ISBN 4-10-129471-2 【Amazon

居酒屋に出入りしている時間給講師の「私」が、忘れ物を残したまま失踪した印鑑職人を気にしつつ、王子駅周辺での生活のなかで様々な思索・回想を繰り広げる。

プルースト風の息の長い文章による、めくるめく脱線を楽しむ小説。確かな筆力に裏打ちされた流れるような言葉遣いと、昭和的な価値観への愛着が心地良かった。この独特の小世界は一種のユートピアなのだろう。居酒屋の女将さんや昔気質の職人など、紋切り型の登場人物から古き良き下町情緒をすくいあげ、さらにモノレールや黒電話といったマテリアルへの偏愛を織り交ぜて、現実とも空想ともつかないノスタルジックな空間を作り上げている。

この世界観を象徴しているのが、終盤に出てくる観覧車だ。現代的な喧噪と向こうを張るゆったりした速度、そして同じ場所をぐるぐる回る「回遊魚」のような運動が、下町の悠長な生活とぴったり重なる。

あとは、複数の事物をキーワード(「カーブ」、「待つこと」、「足首」)で連関させる、少々露骨な文芸技巧が印象的だった。競馬の思い出にしても小説の感想にしても、脱線として語られたエピソードからは、文学者らしい周到な計算が透けて見える。

2006.11.15 (Wed)

アゴタ・クリストフ『どちらでもいい』(2005)

どちらでもいい(104x160)

★★★
C'est Egal / Agota Kristof
堀茂樹 訳 / 早川書房 / 2006.9
ISBN 4-15-208733-1 【Amazon

短編集。「斧」、「北部行きの列車」、「我が家」、「運河」、「ある労働者の死」、「もう食べたいとは思わない」、「先生方」、「作家」、「子供」、「家」、「わが妹リース、わが兄ラノエ」、「どちらでもいい」、「郵便受け」、「間違い電話」、「田園」、「街路」、「運命の輪」、「夜盗」、「母親」、「ホームディナー」、「復讐」、「ある町のこと」、「製品の売れ行き」、「私は思う」、「わたしの父」の25編。

どれも『悪童日記』以前に書かれた習作のようだ。孤独や諦念など人生を悲観的に捉えた内容が多く、修飾を排した文章には詩的な味わいがあって癖になる。まるで精神療養のための創作といった趣だった。

以下、各短編について。気に入った短編には末尾に☆をつけた(25編中5編につけた)。

「斧」"La hache"

頭に斧がめり込んで死んだ夫、これは事故ですと医者に主張する妻。

「北部行きの列車」"Un train pour le Nord"

老人が筋の通らない主張を繰り広げる。

これは彫像に話しかけている聞き手が狂ってるのかと思った。

「我が家」"Chez moi"

「私」による詩のような独白。

「運河」"Le canal"

幻想的な町での父と子の再会。ピューマが出てくる。

「ある労働者の死」"La mort d'un ouvrier"

搾取装置の象徴としての工場。

これは良かった。社会主義も資本主義も奴隷制度のアナロジーであることには変わりない。☆。

「もう食べたいとは思わない」"Je ne mange plus"

ハンガリーでの極貧生活が色濃い。

「先生方」"Les professeurs"

「私」が先生方の思い出を語る。

さすが『悪童日記』を書いただけあって、この著者は一人称の歪みに意識的だと思う。

「作家」"L'ecrivain"

まだ何も書いていない自称「大作家」の話。

「子供」"L'enfant"

ライフル銃を欲しがる子供。

まったくもって物騒なガキんちょである。

「家」"La maison"

昔住んでいた家に話しかける男。

未来を見る子供と未来を見てきた大人、2人を対比させて人生の諦観を炙り出すところが良い。☆。

「わが妹リース、わが兄ラノエ」"Ma saeue Line, mon frere Lanoe"

麗しき兄弟愛。

「どちらでもいい」"C'est egal"

断片を切り取ったような感じ。どちらでもいい、とかなり投げやりだ。

「郵便受け」"La boite aux lettres"

郵便受けを1日2回空ける男は、孤児院出身で孤独だった。

ちゃんとした骨格を持った小説。父と子の役割が逆転するのが良かった。

「間違い電話」"Les faux numeros"

間違い電話が縁で女と会うことになる。

いかにもおフランスって感じのエスプリの効いた話だった。これはばつが悪いというか、よくある非モテ男の悲哀を捉えている。☆。

「田園」"La campagne"

都会を嫌って田舎に引っ越した男だったが……。

これも皮肉っぽくて良いな。せっかく逃げてきたというのに都会の負の要素が浸食してくる。オチもなかなか。☆。

「街路」"Les rues"

街路が好きだった若き日の思い出。

散文詩みたいな味わい深い文章だった。これは翻訳が素晴らしいということなのだろう。翻訳家は小説家以上に母国語が達者じゃないとやっていけないのかも。

「運命の輪」"La grande roue"

「おれ」が「おまえ」に語りかける。

殺すとか言っていて不吉。

「夜盗」"Le combrioteur"

現金も貴金属も手つかずのまま残していく夜盗。

「母親」"La mere"

4年ぶりに帰ってきた息子は女連れだった。

「ホームディナー」"L'invitation"

誕生日にディナーを作る。

日常の風景を切り取った習作。暗くもなければひねくれてもいない、意外と真っ当な内容だった。

「復讐」"La vengeance"

男が銃で復讐する。

この著者の自伝的背景を知っているせいか、東欧の政情不安定な地域を思い起こしながら読んだ。

「ある町のこと」"D'une ville"

町の思い出。

「製品の売れ行き」"Le Produit"

妻子持ちの営業部長の悲哀。

「ある労働者の死」に通じる人生観だなあ。泣きっ面に蜂という状況だけど、男はその悲劇を完全には把握していないというのがまた……。☆。

「私は思う」"Je pense"

人生への諦観。

「わたしの父」"Mon pere"

父の葬儀に出るべき故郷に帰る。

>>Author - アゴタ・クリストフ

2006.11.18 (Sat)

クリスチャン・グルニエ『水曜日のうそ』(2004)

水曜日のうそ(110x160)

★★★
Mercredi mensonge / Christian Grenier
河野万里子 訳 / 講談社 / 2006.9
ISBN 4-06-213618-X 【Amazon

主人公は15歳の女子中学生。毎週水曜日に別居中の祖父と自宅で会っていたのだが、父の仕事の都合で遠くへ引っ越すことになった。一家は祖父に内緒で住まいを移り、水曜日だけ戻ってきて会うという「嘘」を実行する。

思春期の少女のほろ苦い体験を綴ったYA小説。本当だったら今のまま祖父と交流を続けたかったし、彼氏と離ればなれになるのも嫌だったのだけど、そんな心情はお構いなしとばかりに、両親の間で引っ越しの話が決まってしまう。少女が1人の独立した人間として見てもらえず、支配可能な存在として蔑ろにされるもどかしさ、また、祖父がお荷物として家族から除け者にされるやりきれなさが、両親のエゴに押し出される形で露わになる。新しい職場は今の家からTGVで往復8時間かかるうえ、父にとってはチャンスだから転職の話は断れない……。これが日本だったら単身赴任という選択肢も出てくるはずだけど、本作ではお国柄の違いのせいか、単身赴任の「た」の字も出てこないでいる。

「ああ。ある日、人は、自分が下降しはじめたことに気がつく。下り斜面にいることに。頂上に気づくのは、そこを過ぎてしまってから、人生のもう一方の側に行ってしまってからなんだ」(p.151)

祖父と両親と孫娘という、3世代のズレを浮き彫りにしたところが売りのようだ。人生こんなものというか、みんながみんな思い通りにならない中で、優先順位を決めて何かを犠牲にしていく。家庭の主役は両親の世代であって、祖父と孫娘はただの脇役に過ぎないというわけだ。今回の引っ越し劇でそれが鮮明になりながらも、しかし置き去りにした祖父に不愉快な思いをさせまいと、家族は大掛かりな「嘘」をつく。この小説のクライマックスは、余命幾ばくもない祖父が人生観を語る場面で、ありがちな世代間のすれ違いにもの悲しい色をつけている。

まあ、お行儀の良いYA小説だったということで。このジャンルは、フランスでもアメリカでも中身に大した違いはないようである。良く言えば「安心」、悪く言えば「型通り」。

>>Author - クリスチャン・グルニエ