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2006.11.22 (Wed)
▲ナギーブ・マフフーズ『バイナル・カスライン』(1956)

★★★
Bainal-Qasrain / Naguib Mahfouz
塙治夫 訳 / 河出書房新社 / 2006.10
ISBN 4-309-20468-6 【Amazon】
ISBN 4-309-20469-4 【Amazon】
カイロ3部作の1作目。カイロの旧市街、バイナル・カスライン通りに住む裕福な一家の暮らしを描く。1917年から19年まで。比較的平穏な日々を送っていた一家だったが、戦後は反英独立運動に巻き込まれていく。
アラブ文学不朽の名作らしい。とりあえず、家族のプロフィールは以下の通り。
- 父親――裕福な商人。外では気のいい遊び人で通っているが、家庭では絶対的な権力を振るって己の意のままにしている。
- 母親――14歳で嫁入りして以来、25年もの間ほぼ軟禁状態にある。幸せな少女がそのまま大人になったような感じ。
- 長男――前妻の子。社会人。父親譲りの肉欲に苛まれ、使用人に手を出して父から大目玉を食らう。
- 次男――大学生。こっそり政治運動をしている。父からの詰問に対してはただ涙を流すのみ。
- 長女――婚期を逃しかけている醜女。毒舌家。
- 次女――絶世の美女。姉より先に結婚する。
- 三男――無邪気な少年。英国兵と戯れる。
これは古臭くてちょっと微妙かなあ。イスラム社会の抑圧的な家族模様には珍しさがあったものの、生真面目な三人称の筆致は今読むには退屈で、同時代の『ブリキの太鼓』がいかに斬新だったのかを痛感したのだった。専制君主的な父親を中心に据えて、彼の支配から逃れられない家族たちの葛藤を描いていく。そして、各々のささやかな逸脱がどれも父親の権威に回収されて、大して状況が変わらないまま最後まで進んでいく。この小説は全体的にカタルシスや盛り上がりに乏しく、ただひたすら地に足のついたエピソードが並べられている。
家族揃って父親に怯えてばかりというのが何とも。このオヤジはもう亭主関白どころの話じゃなくて、「アラー」に匹敵する絶対的な存在として君臨している。家族への強烈な締め付けは、今風に言えば「ドメスティック・バイオレンス」ってやつだけど、それにしても彼に対して雁首並べてがくがくぶるぶるというのはいかにも芸がない。圧倒的権威を前にひたすら平伏するのがイスラム流なのだろうか。宴会ではっちゃけている様子を目撃した長男が、感動で胸一杯になる場面は笑えたけれど、しかし終始同じようなテンションで続いていくのは勘弁してくれと思った。
2006.11.25 (Sat)
▲ジャン・エシュノーズ『ピアノ・ソロ』(2003)

★★★
Au Piano / Jean Echenoz
谷昌親 訳 / 集英社 / 2006.10
ISBN 4-08-773451-X 【Amazon】
パリに住む高名なピアニスト・マックスは、演奏会をこなしつつかつて縁があった女性の影を追っていた。そんななか、強盗に襲われて事態は急変する。
いかにもおフランスって感じのライトなポストモダン小説。エシュノーズにしては比較的面白い部類で、アイデンティティを巡る理不尽なプロットが、人を食ったような語り口とマッチしていて読みやすかった。この小説は時系列がすっきりしているぶん、ゴンクール賞を受賞した『ぼくは行くよ』よりも、物語の骨格が鮮明になっていると思う。
「センター」を経由した後のマックスは、外見は別人で内面は昔のまま。旧知の人たちに正体を明かしてはならず、ひっそりと新しい人生を歩まなければならなくなる。ピアニストという華麗な職業(本人はそれほど好きそうでもなかったけど)から、出所した犯罪者を彷彿とさせるアングラ生活へと転落するのだけど、結局は禁止されていたピアノに引き寄せられて、昔のアイデンティティが少しだけ回復される。鼻の利く犬でさえあと少しというところで気づかなかったのに、普通の男があっさり正体を見破るところがおフランスのトレヴィアーンなユーモア。しかも、その男も以前とは違った職業に就いていて、境遇的に主人公と対照関係にあるのだから侮れない。
届きそうで届かない皮肉なラストが絶妙だった。これはドリス・デイと愛の一夜をかわしたバチが当たったんだろうか。最後の最後で「地獄」を現出せしめたベリアールはしてやったりな感じだ。
2006.11.28 (Tue)
▲ガブリエル・ガルシア=マルケス『コレラの時代の愛』(1985)

★★★
El amor en los tiempos del colera / Gabriel Garcia Margues
木村榮一 訳 / 新潮社 / 2006.10
ISBN 4-10-509014-3 【Amazon】
未亡人になったばかりの72歳の老女のもとに、51年9カ月と4日間彼女を待ち続けた、76歳の老人が告白にやってきた。かくして、彼の老年に至るまでの愛の遍歴が語られる。
『わが悲しき娼婦たちの思い出』といい、本作といい、実はガルシア=マルケスって「愛」の作家だったのか。フロベール風のロマンスをベースにした本作は、19世紀後半から20世紀初頭まで、半世紀にも及ぶ愛の遍歴を追っていく構成。そのせいかストーリーはひどく冗長で、著者らしいユーモラスな細部がなければ途中で投げ出していたかもしれない。恋の病にとりつかれた男がコレラに似た症状を発するとか、女の味を楽しむために母親のオーデコロンをがぶ飲みするとか、そういう「世界びっくりニュース」的なエピソードが地味に可笑しかったりする。
サメのように泳ぎの達者な子供たちの一団がいて、見物人がいると、彼らに向かってお金を投げてくれれば、海の底から取ってくるよと声をかけるのだが、それを見るのも楽しみの一つだった。彼らは大西洋横断航路の船が入港したときも、船のところまで泳いでいって、乗客に同じことを言った。アメリカやヨーロッパで出版された数多くの旅行記に、驚くほど泳ぎのうまい子供たちに関する記述が出てくる。それがあの少年たちだった。(p.136)
「南米=原始的」という欧米の視線を逆手にとったところが、ガルシア=マルケスの面白さだろう。古くは大航海時代から好奇の眼差しを向けられ、誇張・捏造の類が横行してきたわけだけど、そんな歪みは日常茶飯事とばかりに、土俗的な小ネタがさりげなく織り込まれる。導入部に出てくる芸達者なオウムなんかはその典型で、周縁国ならではのささやかな驚異が良いアクセントになっている。系統としては、『百年の孤独』【Amazon】や『エレンディラ』のようなファンタジー路線ではなく、『予告された殺人の記録』や『愛その他の悪霊について』のようなリアル路線といったところ。何しろ人面犬や天使がいてもおかしくない地域だから、70歳の老人の恋愛もそれほど浮いた感じがしない。
恋愛の帰結がちょっとなーと思った。本命に振られて渇きが増したのか、生涯で600人以上の女と愛し合ったというのが凄いのだけど、ただそういった尋常ならざる階梯を踏みながら、あの船旅に至るのはさすがに甘過ぎるような……。この小説は全体的に突拍子もない設定だったから、ああいう温い締め方だと体力不足のような印象を受けてしまう。溺死した女の亡霊というのも今更な感じで、それまで描かれてきたディテールと比べて激しく見劣りする。