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2007.2.3 (Sat)
▽マルセル・プルースト『失われた時を求めて 6 第三篇 ゲルマントの方 II』(1921-22)

★★★★
A la Recherche du Temps Perdu / Marcel Proust
鈴木道彦 訳 / 集英社文庫 / 2006.8
ISBN 978-4087610253 【Amazon】
祖母が病に倒れる。喪に服す語り手はアルベルチーヌと再会してベッドの上でキスを交わす。その後は念願だったゲルマント公爵夫人の夜会に出席、才気(エスプリ)に振り回される社交界のスノビスムを観察する。
全13巻ある文庫版の6巻目。『失われた時を求めて 5』の続き。この巻はなかなか気合いが入っていて、紙幅の半分以上が社交界でのやりとりに費やされている。すんなり読めた前巻とは打って変わって、今回はカタツムリの歩みのごとくのろのろ読んだ。
ゲルマント公爵夫人が主宰する晩餐会は、リッチな装いとは裏腹にある貧困な力学に支配されていて、それぞれ面目を保つような空虚な振る舞いに終始している。地位にふさわしくない慇懃な態度で応対するゲルマント公爵、過剰なエスプリで自己演出を図るゲルマント公爵夫人(田中真紀子を思い出す)、そして彼女の価値観に追従する安っぽい貴族たち。本質的に部外者である語り手は、彼らの内に潜むスノビスムを容赦なく暴き立てている。
でも、ちょっと待ってほしい。夏目漱石の『明暗』【Amazon】にこんなセリフがある。
「君は僕が汚い服装(なり)をすると、汚いと云って軽蔑するだろう。又たまに奇麗な着物を着ると、今度は奇麗だと云って軽蔑するだろう。じゃ僕はどうすれば可いんだ。どうすれば君から尊敬されるんだ。後生だから教えてくれ。僕はこれでも君から尊敬されたいんだ」
これと同様に、貴族たちは何をやっても軽蔑の対象になったのではなかろうか。もし現状に反してゲルマント公爵が尊大な態度をとっていたら、また、もしゲルマント公爵夫人がエスプリの欠片もない人物だったら、おそらく語り手は嬉々としてそれをスノビスムと結びつけていたことだろう。あるいは、こういう仮定はテレビの健康番組のごとく無意味かもしれない。なるほど人の性格とは日々の生活の蓄積によって形作られたものであり、それを改竄してまで可能性を模索するのはいささか現実離れしすぎている。しかしながら、語り手にはかつてゲルマント公爵夫人をストーキングして、笑い者にされたという負い目があるわけで、それが一連の人物描写に反映している可能性は捨てきれないと思う。
この巻はツンデレ大魔王のシャルリュス男爵が凄かった。というのも、今回はいつも以上にツンツンしていて、こりゃ様子がおかしいぞと訝しがっていたら、何と語り手から手紙が来ないのを恨んでいたのだ! ねえきみ〜、ちょっと礼儀がなってないんじゃない〜? 男爵はそれまでの居丈高な態度から一変、涙目になって語り手の不誠実をなじっている。うーむ、ますます彼の人物像が分からなくなってきた……。ともあれ、この巻の男爵は感情の起伏がえらい激しく(というか、テンション高い)、お前は『ジョジョ』の第2部に出てきたエシディシですか? と突っ込みを入れたくなった。
>>『失われた時を求めて 7』に続く。
2007.2.5 (Mon)
▲ジュリアン・バーンズ『イングランド・イングランド』(1998)

★★★
England, England / Julian Barnes
古草秀子 訳 / 東京創元社 / 2006.12
ISBN 978-4488016395 【Amazon】
富豪がワイト島を丸ごと買い取り、イングランド文化を詰め込んだ一大テーマパークに仕立て上げる。タイムズを発行し、国王を招聘したレプリカのイングランドは、いつしかオリジナルのイングランドを駆逐していく。
レプリカとオリジナルの関係を中心軸にした風刺小説。かつて7つの海を支配していた大英帝国も今では辺境の2流国に過ぎないということで、一癖も二癖もある独裁的な富豪がプロジェクトチームを率いて新たなイングランドを創造する。もっというと、ロビンフッドや赤い二階建てバス、1/2スケールのバッキンガム宮殿などを設置し、観光客を呼んでウハウハ儲けようとする。まさにディズニーランドも裸足で逃げるほどの壮大なプロジェクトであり、壮大がゆえに参加するメンバーもキレ者で油断できない。富豪の手のひらで働く彼らは、知識欲を刺激するような詳細な討議を重ねつつ、ある種の革命へ向けて事態を導いていく。でまあ、本作はそういったゲーム風の面白さのみならず、倒錯的な下ネタまで用意されていて楽しい(オムゥゥゥーッ)。まるで戸梶圭太を高級にしたようなパワフルな小説だった。
今回改めて思ったけれど、イギリスの小説はとにかく会話が面白いね。彼らは普段からこんな知的なレトリックを駆使してコミュニケーションをはかっているのだろうか。もうウィットとかユーモアとかが血肉になっていて、自然に滲み出ているような感さえある。イギリスの小説にあって日本の小説にないもの、それは会話を彩る知性に他ならない、と偉そうに断じてみたくなる。
そういえば、本作はマーサ・コクランという葛藤(それもとってつけたような)を抱えた女性が主人公だった。でも、正直彼女のことはどうでもいいというか、ただの狂言回しとしてあまり重視して読まなかった。結局、あの壮大なレプリカ体験はいったい何だったのかねえ? 改めて彼女の物語として捉えると、これはオイディプス的な話だったように思える(あまり興味がないので適当に)。
2007.2.9 (Fri)
▲スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』(1925)

★★★
The Great Gatsby / F. Scott Fitzgerald
村上春樹 訳 / 中央公論社 / 2006.11
ISBN 978-4124035049 【Amazon】
ISBN 978-4120037825 【Amazon】(愛蔵版)
ロング・アイランドに引っ越した語り手が、隣りの豪邸に住む若き金持ち、ギャツビー氏と知り合う。屋敷を開放し、夜な夜なパーティーを開くギャツビー氏には、女を巡る悲しい過去があった。
村上春樹翻訳ライブラリー。村上にとって本作は、「人生で巡り会ったもっとも重要な本」の一つであるらしい。彼は他に「重要な本」として、『カラマーゾフの兄弟』【Amazon】、『ロング・グッドバイ』【Amazon】の名を挙げ、それらを差し置いたベストワンにこの『グレート・ギャツビー』を選んでいる。珍しく思い入れたっぷりの訳書あとがきは、ファンならずとも一読の価値があるかもしれない。
女と寄りを戻すために貧しさから這い上がってきたギャツビー氏って、昔読んだときは『嵐が丘』【Amazon】のヒースクリフみたいだなあと思っていたけれど、今回再読したらそれほど似ていなかった。どちらかというとギャツビー氏は、恋愛感情をモチベーションにしたというよりも、運命的な出会いに乗っかってすいすい成り上がった感じ。得てしてアメリカン・ドリームとはこんなものなのか、絵空事めいたルートを辿って莫大な富を手に入れている。
さて、普通だったら別世界で成功すれば、過去の婚約者なんて3日目前に食べた晩飯のごとくあっさり忘れるだろう。忘れないにしても、若き日の慎ましい思い出として時折脳裏に浮かぶ程度だろう。ところがギャツビー氏は違った。彼は未だデイジーにご執心だった。かくして比類なき成金男は、デイジーの家の近くに引っ越すことになる。そして、夜ごとパーティを開いて彼女との再会を目論むことになる。
読者からすれば、贅沢好きのデイジーは愛すべき女とは思えないし、そもそもギャツビー氏の境遇なら黙っていても他に良い女がわんさか寄ってくるはずだ。にもかかわらず、ギャツビー氏は昔の女に執着している。もっといえば、彼は必要以上に過去に囚われており、その象徴であるデイジーを取り戻さない限り前に進めなくなっている。過去に溺れる者はギャツビーの時代には数多かった。しかしこれだけ徹底的に溺れるには、一人のギャツビーであることが必要だった。彼の一途さはあまりに危うく、その危うさゆえに悲劇のヒーローたる資格を得ている。
それにしても、トムやデイジー、ミス・ジョーダンなど、語り手とつるむ奴にはギャツビー氏以外ろくなのがいないな。不倫に端を発する一連のホロコーストなんか、いかにも彼らならではのしょうもない事件で呆れてしまう。もし語り手がクワトロ大尉だったら、「これが若さか……」と涙を流しながら呟いたことだろう。決して忘れることのできない、若さゆえの過ちを乗り越えて前に進んでいく。まったく三十路になるのも大変である。