2007.3a / Pulp Literature

2007.3.2 (Fri)

シャルル・ペロー『眠れる森の美女』(1695,97)

眠れる森の美女−完訳ペロー昔話集(113x160)

★★★
La Belle au bois dormant / Charles Perrault
巖谷國士 訳 / ちくま文庫 / 2002.10
ISBN 978-4480037268 【Amazon
ISBN 978-4003251317 【Amazon】(岩波文庫)

完訳ペロー昔話集。「過ぎし日の物語集または昔話集 教訓つき」(1697)、「韻文による昔話集」(1695)を収録。全11編。

以下、各物語について。

過ぎし日の物語集または昔話集 教訓つき

「眠れる森の美女」

年老いた妖精がまだ赤ん坊だった姫に呪いをかける。15年後、呪いが発動してその姫は100年の眠りについてしまう。

どこかで読んだような話だと思ったら、あの有名な「いばら姫」KHM 50 (『完訳グリム童話集 3』所収)だった。元ネタは同じでもディテールがけっこう違うので、これはこれで新鮮な味わいがある。お后(王子の母)が人食い鬼の一族という展開に驚いた。

ラストにくっついているペローの教訓が、異様に現実的で笑ってしまう。この手の童話って、お姫さまが受け身であることがしばしばフェミニストに批判されるけれど、何の何の実際はもっとしたたかだったのだ。わ○し待ーつーわ、いつ○でも待ーつーわ♪(*1) 金持ちでイケメンの男をゲットするには、時に眠れる森の美女であることも必要なのである。

でも、この戦術が有効なのはあくまで「美女」だけだろう。「醜く生まれたものが美人同様の扱いを世間に望んではいけない」と、どこかの偉い先生も言っている(*2)

もちろん、このサイトを見に来るような趣味の良い女性は見目麗しいに違いないから、偉い先生の言うことを気に病む必要はない。

「赤ずきんちゃん」

かわいい赤ずきんが、お婆ちゃんに成り済ました狼の毒牙にかかる。

「赤ずきん」KHM 26 (『完訳グリム童話集 2』所収)から後日談を抜いた、えらい救いのない話だった。赤ずきんの警戒心のなさに焦点を絞ったぶん、こちらのほうがより教訓的だといえる。

この話の狼とはもちろん男性のメタファーである。従って、ペローも示唆するように美しい娘さんほど狼の毒牙にかかる確率が高いわけだ。いやはや、美女でいるのも大変である。

「青ひげ」

青ひげと結婚した娘がきらびやかな家に連れられる。そこで鍵を与えられ、小部屋を開けないよう約束したうえで留守番する。

「フィッチャーの鳥」KHM 46(『完訳グリム童話集 2』所収)と同根の物語。イヴが禁断の木の実の誘惑に勝てなかったように、娘は覗き見の誘惑に勝てなかった。好奇心がときに取り返しのつかない事態を引き起こすというのは、アダムとイヴの時代から変わらないようである。

ペローの教訓が可笑しい。いつの時代も奥様はたくましいのだ。

「猫先生または長靴をはいた猫」

猫先生が貧しい主人を侯爵に仕立て上げ、王女との結婚を画策する。

ギュスターヴ・ドレの挿絵が可愛い。帽子を被った二足歩行の猫が、両腕を挙げてにゃあっと叫んでいる。

ペローの教訓は身も蓋もないな。イケメンであること、美人であることが人生の難易度を下げていると仄めかしている。

「妖精たち」

母と姉からこき使われている妹が、親切にした妖精から特殊能力を授かる。

喋るたびに口から宝石が飛び出してくるなんて、生活に大変支障があると思うのだけど……。

ペローの教訓がえらい真っ当。「金で買えないものはない」とか、「女は金についてくる」とか、そういう現代の価値観をほんのり和らげてくれる。

「サンドリヨンまたは小さなガラスの靴」

金持ちの父を持つ娘が、継母とその連れ子たちに虐めらる。そして、色々あって王宮のパーティーに潜り込む。

「灰かぶり」KHM 21(『完訳グリム童話集 2』所収)と同根の物語。残酷シーンが目白押しな「灰かぶり」と違って、こちらは随分とマイルドな仕上がりになっている。

これまたペローの教訓が真っ当。要するに、器量も性格も良い女(このサイトを見に来るような趣味の良い皆さんのことです!)が最強ということだ。また、美しさを含めた諸々の才能は、持っているだけでは出世の役に立たない。それを活かす名伯楽も必要である。

「まき毛のリケ」

美人だが頭がパープリンの王女が、結婚の約束と引き替えに異形の王子から才知を授かる。

愛だよ、愛。客観的に見て不細工な男でも、彼を愛する女からすればその何もかもが美しく映る。

それにしても、王女の妹がとても可哀想。彼女がちやほやされていたのは、雌猿みたいな容姿にもかかわらず、才知に長けていたからである。それが姉の変身によって価値が急落、今では誰からも相手にされなくなってしまった。やっぱり醜女はどうあがいても美女には敵わないのだろうか。彼女に春が来ると良いねと思った。

「親指小僧」

親指小僧を含む7人の兄弟が、口減らしのため森に置き去りにされる。

「ヘンゼルとグレーテル」KHM 15(『完訳グリム童話集 1』所収)をベースに、色々な童話を混ぜ込んだ感じ。双子が3組もいる。

韻文による昔話集

「グリゼリディス」

ミソジニーの王さまが羊飼いの娘と結婚し、彼女を虐待する。

世の中には小説のことを料理になぞらえて、各人の多種多様な好みを強調する人がいるけれど、小説というのはそもそも芸術なのだから、その言い草はまったく的外れだと思う。芸術には個人の好みを超えた一定の価値基準(時代によってしばしば流動する)があり、万人が好むからといってそれが良い芸術とは限らないのである。賢明な皆さんならご承知の通り、芸術ほど多数決が当てにならないものはない。

「ろばの皮」

后を亡くして傷心の王さまが、自分の娘と結婚することにした。驚いた娘は防御策を講じ、ついに城から逃げ出す。

「千枚皮」KHM 65(『完訳グリム童話集 3』所収)と同根の物語。

「おろかな願い」

神さまに遭遇した木こりが、願い事を3つだけ叶えてもらえることになった。何を願うかじっくり考えることにした木こりだったが、不用意な願いを連発して元の黙阿弥になってしまう。

何つーか、あれだね。こういうシチュエーションになったら、迷うことなく金と女と不老長寿を願うべきだね。いつ神さまが現れても大丈夫なように、普段から心に留めておこうと思う。

*1: JASRACの陰謀で一部伏せ字。
*2: 福田恒存『私の幸福論』【Amazon

2007.3.5 (Mon)

川端康成『眠れる美女』(1961)

★★★
新潮文庫 / 1967.11
ISBN 978-4101001203 【Amazon

中・短編集。「眠れる美女」、「片腕」、「散りぬるを」の3編。

全集で読んだので今回は表題作だけ。気が向いたら文庫版を読んでこっそり加筆するかもしれない。

「眠れる美女」

一見さんお断りの秘密の娼家。女好きの江口老人が、睡眠薬で眠らされた娘と一夜を共にする。

棺桶に片足突っ込んでいる爺さん(でもまだあっちは元気です!)が、擬似的な死体と添い寝をしてかつての女遍歴を回想する。『わが悲しき娼婦たちの思い出』の元ネタになった小説だけど、こちらは匂いを嗅いだり歯を突っついたり、素っ裸の生娘を執拗に弄くり倒していて生々しい。娘の眠りがあまりに深いから、ちょっとやそっとでは起きないのである。そのくせ、上手な娘になると老人の干渉にいちいち反応するのだから油断できない。「眠れる美女」とは良くいったもので、相手の視線を受けずに生きた肉体、それも若い女体を探索できるなんて、随分と高級な趣味なんだなと思う。ただ、個人的な好みからいえば、素っ裸にはそれほどエロスを感じないのだけど……。

それにしても、「たちの悪いいたずらはなさらないで下さいませよ」なんて注意されたら、かえって悪戯したくなるのが人のサガである。もし私が江口老人だったら、鼻の穴にこよりを入れるとか、額に「肉」と書き入れるとか、寝ているのを良いことに武勇伝を作っていたかも。

2007.3.8 (Thu)

ラッタウット・ラープチャルーンサップ『観光』(2005)

観光(112x160)

★★★★★
Sightseeing / Rattawut Lapcharoensap
古屋美登里 訳 / 早川書房 / 2007.2
ISBN 978-4152087966 【Amazon

タイを舞台にした短編集。「ガイジン」、「カフェ・ラブリーで」、「徴兵の日」、「観光」、「プリシラ」、「こんなところで死にたくない」、「闘鶏師」の7編。

人生の哀感にスポットを当てた透明度の高い短編集。使用言語は英語。さすがアメリカの大学院で創作を学んだだけあって、筆致はかなり洗練されている。本書はタイ人の生活に密着した内容なので、タイの実状を知るうえで参考になるかもしれない。

以下、各短編について。

「ガイジン」"Farangs"

米兵とタイ人との間に生まれた少年が、観光に来たアメリカ娘と親しくなる。また、少年はクリント・イーストウッドという名の豚を飼っている。

わずかばかりの金をほしさに、ガイジンのためにココナツの木にするすると登って実を取ってきた。ガイジンたちは、うわあ、おおっ、と声をあげてぼくらの俊敏な身のこなしを讃えた。この島の環境のたまものだ、と彼らは言った。ここで育てばそうなるのは当然であって、ぼくらがスラチャイの家の裏庭で何時間も練習したからではないとでも言わんばかりに。さらなる演出として、木に登るときに猿の鳴き声を真似ると、ガイジンたちは決まって笑った。(p.28)

どうもポスコロの見地から色々言いたくなるような小説だった。アメリカ人をはじめとした先進国の人々は、タイ人のことを山猿に毛が生えた程度にしか思っていないけれど、実はタイ人のほうもそれを計算に入れて自分たちの役柄を演じている。もっといえば、悔しさを抑えるために、役柄を演じるなどという理由付けをしている。確かにこういうアイロニカルな目線は、香辛料をたっぷり使ったエスニック料理のごとく刺激的ではある。ただ、その目線も先進国の読者にとっては折り込み済みというか、逆にエキゾチックな要素として歓迎されている向きがあるのではないか。今風にいえば、思った以上に複雑なタイ人に萌え〜みたいな。周縁国の作家が英語で書くことの問題は、何を書いても見せ物臭くなるところにあると思う。

とりあえず、『小さきものたちの神』『石の葬式』の項も参照。★★★★。

「カフェ・ラブリーで」"At the Cafe Lovely"

11歳の少年とその兄をめぐる断片的なエピソード。何かと兄にくっついていきたがる少年が、カフェ・ラブリーで大失態をやらかす。

鬱憤を晴らすかのように豚が猛進する「ガイジン」、哀しみを吹き飛ばすかのようにバイクで突っ走る「カフェ・ラブリーで」。「ガイジン」と本作は、物語の締め方がいかにも創作科出身って感じで少々鼻につく。

父を亡くして経済的に行き詰まるなか、母が放心状態に陥ったこともあって、少年が頼れるのは兄しかいない。兄を通して年上の世界を垣間見る少年は、何としても彼から置いてきぼりにはされたくない。童貞を脱した兄と、童貞のままの弟。ティーンエイジャーの2人の関係がよく書けているなと思う。また、煙草を吸おうとしたらシンナーに引火して顔が火だるまになるとか、父の形見を売り飛ばした少年が母から追い出されるとか、一つ一つのディテールがユニークで面白い。★★★★。

「徴兵の日」"Draft Days"

裕福な家の子弟が、貧しい友人と一緒に徴兵抽選会に参加する。

当然のことながらみんな徴兵なんてされたくないから、会場はくじ引きを巡って何とも言えない緊張感が漂っている。基本的には国家の抑圧を背景にした重い話なのだけど、そんななかでもほのかにユーモアが混じっていて好ましい。この小説は、語り手と友人の不平等な関係、そして彼が抱えることになる罪悪感が、相当な説得力でもって描かれている。

徴兵ネタということで、ティム・オブライエンの「レイニー河で」(『本当の戦争の話をしよう』所収)を思い出した。★★★★★。

「観光」"Sightseeing"

失明寸前の母とその10代の息子が、思い出を作ろうとリゾート地を観光する。

よくできた短編だと思う反面、よくできた短編以上の何者でもないというか、いかにもテクニックだけで書いている節があって複雑。母親を追って夜の砂州を歩いていくラストなんか、ああ優等生だなあと思ってしまう。著者はミシガン大学大学院で創作を学んだそうだけど、さぞかし優秀な成績で卒業したに違いない。★★★★。

「プリシラ」"Priscilla the Cambodian"

タイ人の少年2人がガンボジア難民の少女と知り合う。少女の歯には純金の冠が被せてあった。

少年はプリシア親子に好意を持っていたけれど、大人たちは難民を快く思っていない。ついに実力行使に及んでしまう。「ガイジン」と「徴兵の日」、そして本作は、生活に潜む「越えられない壁」を描いているところが共通している。

全体的に本書は、登場人物がみな生き生きとしているのが魅力的。そこにタイがあるなって感じがする。★★★★。

「こんなところで死にたくない」"Don't Let Me Die in This Place"

車椅子で生活をしている老アメリカ人が、息子のいるタイに移り住むことになる。

身体が衰弱しているがゆえの屈辱に、老境を異国の地で暮らすがゆえの孤独(義理の娘はタイ人だし、孫たちは英語を話せない)。そんな老人に希望の曙光が降り注ぐ。移動遊園地でバンパー・カーに乗ろう! ★★★★。

「闘鶏師」"Cockfighter"

学校に通っているティーンエイジャーの娘。闘鶏師の父が闘鶏に負け続けて一家離散の危機になる。

わたしは月の光を浴びている両親を眺めているうちに、わたしたちがどんな世界に生きているか、男たちになにができるのか、初めて理解した。そして安全に暮らせるはるか彼方にわたしたち三人を連れていってほしいと心から思った。(p.192)

うら若き娘の視点から、理不尽ともいえるタイの暴力世界を明るみに出す。一家に絡んでくる少年(16歳)がまるで西部劇のならず者で、親の威光を笠に着て独裁的な振る舞いに及んでいる。町の人たちは彼を苦々しく思っているのだけど、報復が怖いから何もすることができない(彼の身内には警察署長もいる)。で、そんな札付きの悪に、父が勝てる見込みのない戦いを挑み続けるわけだ。闘鶏勝負という水平方向の因縁と、少年時代にまで遡る垂直方向の因縁が重なって、彼の意固地さには悲愴感が漂っている。

それにしても、この著者は乗り物を使わないと物語を締められないのだろうか。今回はマツダのトラックに乗ってジ・エンドだった。★★★★。

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