2007.4a / Pulp Literature

2007.4.7 (Sat)

ウィリアム・トレヴァー『聖母の贈り物』

聖母の贈り物(109x160)

★★★★★
The Virgin's Gift / William Trevor
栩木伸明 訳 / 国書刊行会 / 2007.2
ISBN 978-4336048165 【Amazon

日本オリジナル編集の短編集。「トリッジ」、「こわれた家庭」、「イエスタデイの恋人たち」、「ミス・エルヴィラ・トレムレット、享年十八歳」、「アイルランド便り」、「エルサレムに死す」、「マティルダのイングランド」(「テニスコート」、「サマーハウス」、「客間」)、「丘を耕す独り身の男たち」、「聖母の贈り物」、「雨上がり」の12編。

著者はイングランド系アイルランド人。同じ5つ星でも、『観光』は技巧が透けて見えるような軽薄さがあったけれど、こちらは腰の据わった堅実な短編集といった感じで隙がない。久々に熟練の手による高品質な短編を堪能した。

以下、各短編について。

「トリッジ」"Torridge"

カトリック系の寄宿学校。13歳の新入生トリッジは、無垢な心を持ったユニークな生徒だった。その彼が、後々までの語り草になるささやかな「事件」に遭遇する。

これは凄い。牧歌的なノスタルジー話で終わるのかと思ったら、とんでもない罠が待ち受けていた。『フォレスト・ガンプ』【Amazon】を彷彿とさせるトリッジ少年は、同級生にとって茶飲み話の格好のネタであったわけだけど……。いやはや、あの笑い話が伏線になっていたのが恐ろしい。

それにしても、寄宿学校っていうのは同性愛の温床なのだなあと改めて思った。『車輪の下』然り、『仮面の告白』然り。また、上級生と下級生が「後ろ盾(プロテクター)」と「お飾り(ビージュー)」で結ばれるなんて、まるで『マリア様がみてる』の男性版のようである。カトリックにはそういう伝統があるのだろうか? ★★★★★。

「こわれた家庭」"Broken Homes"

一人暮らしの老婆の家に、欠損家庭の子供たちがペンキを塗りにやってくる。

老婆の妥協から生じた悪夢のような展開。ガキどもの無軌道な振る舞いはとてもこの世のものとは思えない。よりによって黄色かよ! と突っ込んだのは私だけではないはずだ。

善意の押し売り(と老婆の不徹底な意志)で酷い目に遭いながらも、いつの間にか「こわされた家庭」で奇麗にまとまってしまう。いかにも短編の名手が書きそうな短編だと思った。★★★★。

「イエスタデイの恋人たち」"Lovers of Their Time"

1960年代のロンドン。広告代理店に勤める40代の男は、妻の旺盛な性欲にうんざりしていた。その彼が職場で知り合った20代の女に浮気する。

ビートルズのヒットナンバーに絡めた中年のロマンス。結婚には様々な制約があるわけで、まったくもって現実は厳しいとしか言いようがない。理想を貫こうとすればするほど生活は苦しくなっていく。まさに「結婚は人生の墓場」であり、若い女との数年間もいつか醒める夢に過ぎなかったわけだ。こういう苦い体験が、一時的な思い出として時代に集約されるところが感慨深い。★★★★。

「ミス・エルヴィラ・トレムレット、享年十八歳」"The Raising of Elvira Tremlett"

末っ子の少年は家族のなかで孤立していた。そんな彼にミス・エルヴィラ・トレムレットが話しかけてくる。

修道士の先生が、

「あの子は死にかけたカタツムリみたいにのろまです」

なんて身も蓋もない評価を下していたから、てっきりユーモラスな田園物語だと思っていた。それがまさか……。★★★★。

「アイルランド便り」"The News from Ireland"

ジャガイモ飢饉に見舞われた19世紀半ばのアイルランド。金持ちの屋敷に住み込みで働いている、執事と女家庭教師に焦点を当てる。

アイルランドとは何か? というなかなか奥の深い話。屋敷の持ち主はイングランドからやってきたよそ者で、世の中を憂える良心的な家庭教師も所詮はよそ者に過ぎない。そりゃ執事もぶち切れですよ。★★★★。

「エルサレムに死す」"Death in Jerusalem"

アイルランドの敬虔なクリスチャン・フランシスが、神父をしている兄と一緒にエルサレムを観光する。

「ぼくは今朝、十字架の道行きの観想を信じられなくなってしまった。家では十字架を背負っていくわが主のすがたを思い描けたのに、エルサレムへ来たら主を見失ってしまったんだ」(p.208)

これは遅すぎる「通過儀礼」ってやつだろう。無垢でマザコンな中年男が、聖地巡礼中に2つのものを喪失する。その1つが上で引用した信仰上の観想というわけだ。宗教とは実はイメージを売る商売だから、それに反するような人間臭さを見せてはいけない。聖職者のくせに放蕩者だなんてもってのほかである。★★★★。

「マティルダのイングランド」"Matilda's England"

  1. 「テニスコート」"The Tennis Court"
  2. 「サマーハウス」"The Summer-house"
  3. 「客間」"The Drawing-room"

戦前・戦中・戦後(第2次世界大戦)の田園屋敷を舞台にした連作。戦争を通してマティルダの病理が露わになる。

本書のメインディッシュにして最大のマスターピース。失われていく古き良き田園屋敷と、それに執着するマティルダの関係が軸になっている。1作1作でオチがついていて、これは無垢なるものを失う話なのだろうかと思いながら読んでいたら、3作目でちょっとした種明かしがされていた。大河的な流れになっているからこその充実した連作だと思う。★★★★★。

「丘を耕す独り身の男たち」"The Hill Bachelors"

丘の上の農場地帯は独り者の男所帯ばかりだった。

いやはや、農家の嫁不足はアイルランドも日本も変わらないくらい深刻なのだなあ。日本の場合、特に北陸の農村部では東南アジアから花嫁を輸入しているそうだけど、アイルランドではそういった対策をとっていないのだろうか。★★★★。

「聖母の贈り物」"The Virgin's Gift"

聖母マリアの啓示を受けた男が修道院に入り、しばらくしてからアイルランド全土をくまなく歩く。

プロテスタントの作家らしい、信仰にまつわるお話。男は教えに従順であった結果、理不尽な人生を歩まなければならなくなった。当然彼はそのことで怒りをおぼえるのだけど、なぜかラストでは収まるべきところに収まってそれなりの大団円を迎えてしまう。

まあ作り話かつ他人事だから、こういう無垢な心性を肯定的に捉えられるのかもしれない。敬虔なクリスチャンだったらどう読むのか気になるところだ。★★★。

「雨上がり」"After Rain"

彼氏と別れたばかりの女が、旅行先のイタリアで孤独な老人と話をする。

過剰に愛を求めるこの女は、今風に言えば「重い」女で、その重さゆえに彼氏が逃げてしまった。愛を求める原因が、両親の離婚にあるというのは短絡的に過ぎるだろうか。★★★。

>>Author - ウィリアム・トレヴァー

2007.4.10 (Tue)

皆川博子『死の泉』(1997)

死の泉(98x140)

★★
ハヤカワ文庫JA / 2001.4
ISBN 978-4150306625 【Amazon

1940年代のドイツ。ナチスの産院施設で働くことになったマルガリーテが、医師にしてSS将校のクラウスと知り合う。クラウスは不老不死を研究する傍ら、ポーランド人の子供を手元に置き、徹底した歌唱教育を施していた。

んー、何だこりゃ。前半を読んだ段階で『昏き目の暗殺者』のような重厚な小説を予想していたら、後半に入って目を覆いたくなるほどスケールダウンしていて驚いた。エンタメだからという言い訳もきかないくらい、後半はぐだぐだしていたと思う。良かったのは、少年同士の油断できない協力関係くらいかな。復讐物語は退屈な手続きを連ねているだけだったし、人体実験をはじめとした耽美系のガジェットも、結局は表面的なアクセサリーに止まっている。戦後ドイツの鬱屈した雰囲気と、それを表す端正な文章には惹かれたものの、エンタメとしては全てにおいて中途半端の感が否めず。いっそ前半はそのままにして、後半だけ書き直したほうが良かったのではと思った。

まあ駄目な部分を指摘したらキリがないのだけど、とりわけ悪役のしょぼさが気になるなあ。クラウスってナチスの暗黒を体現した業の深い人物かと思ってたら、実はディレッタントに毛が生えた程度の小者だったというのが何とも。せめてもう少し彼に悪としての魅力が備わっていれば、本作も読むに耐えうる出来になっていたかもしれない。前半が傑作の香気を漂わせていただけにつくづく残念である。