2007.4b / Pulp Literature

2007.4.13 (Fri)

レイモンド・カーヴァー『大聖堂』(1983)

大聖堂(101x160)

★★★★
Cathedral / Raymond Carver
村上春樹 訳 / 中央公論新社 / 2007.3
ISBN 978-4124035025 【Amazon

短編集。「羽根」、「シェフの家」、「保存されたもの」、「コンパートメント」、「ささやかだけれど、役にたつこと」、「ビタミン」、「注意深く」、「ぼくが電話をかけている場所」、「列車」、「熱」、「轡」、「大聖堂」の12編。

村上春樹翻訳ライブラリー。相変わらず、アル中や失業者といった負け組にスポットを当てている。後期カーヴァーの特徴とされる「救い」の感覚は、まるで不安が横溢する今の日本を念頭に置いていたかのよう。フリーターや派遣社員といった労働力の流動化によって、カーヴァーの描く世界がより身近になっているわけで、これは新書化のタイミングが良すぎると思った(*1)

以下、各短編について。気に入った短編には末尾に☆をつけた(12編中6編につけた)。

「羽根」"Feathers"

語り手とその妻が、友人夫婦から夕食の招待を受ける。友人夫婦の家には、やかましい孔雀とこの上なく不細工な赤ん坊がいた。

かけがいのない夜が形成されていくプロセスが良い。会食当初はお互いぎこちなかったのに、グロテスクな歯形を話題に出してから好感度が上がっていく。あまり稼ぎはよくないし、赤ん坊は不細工だし、孔雀は鬱陶しいけれど、不思議と彼らの生活はある種の魅力を備えている。たとえどん底になってもこの夜だけは忘れないってのが良いね。☆。

「シェフの家」"Chef's house"

別居中の夫婦が寄りを戻す。知人から借りた家具付きの家に住む2人だったが、家主の都合で立ち退きを余儀なくされる。

どうも村上春樹はカーヴァー作品から絶望を読み取ろうとしているけれど、その試みはいささか乱暴であると言わざるを得ない。最後の数行で描かれたのは「開き直り」であって、寄りを戻したからこそのオプティミズムさえ漂っていると思う。

「保存されたもの」"Preservation"

3ヶ月前に仕事を解雇された夫は、以来ソファーから離れない生活を送っていた。そんななか、冷蔵庫が壊れて食材が台無しになる。

廃人気味の夫の反応が芳しくなくて、冷蔵庫の競売に行くのさえ渋る始末。普通だったらここで妻はぶち切れてもおかしくないのだけど、彼女は彼女で父の思い出が脳裏をよぎってうきうきする。陰と陽というか、この2人の対比が終わりまで効いてくる。

「コンパートメント」"The compartment"

息子に会いに列車でフランスへ向かう男。時計を盗まれたうえ、荷物のある車両から切り離されてしまう。

移動をモチーフにしているなんてカーヴァーにしては珍しい。異邦人(それも下流)の詰まったコンパートメントには陽気な空気が満ちていて、陰気な語り手は静かに埋没する。☆。

「ささやかだけれど、役にたつこと」"A small, good thing"

誕生日を迎えた息子が車に轢かれて入院する。

「風呂」(『愛について語るときに我々の語ること』所収)のロングバージョン。「風呂」と本作ではパン屋の役割が一転している。あちらではコメディリリーフだったのに、こちらではやけにシリアスに……。ともあれ、本作のMVPはこのパン屋であることに間違いない。☆。

「ビタミン」"Vitamins"

専業主婦がビタミン剤のセールスレディを始める。

妻の部下と浮気をしようとする語り手だったけれど、とある出来事のせいでおイタな気分も冷めてしまう。直接的な心理描写なんてまったくないのに、彼の微妙な気持ちがよく伝わってくる。耳を持ち歩くベトナム帰りの黒人が強烈。☆。

「注意深く」"Careful"

別居中の夫妻。夫の住まいに妻が話合いをしにやってくる。夫の耳には聴覚に影響があるほどの耳垢が詰まっていた。

やっぱりカーヴァーは日常を切り取るのが上手い。耳垢騒動によって夫婦間の修羅場が先延ばしにされる。

「ぼくが電話をかけている場所」"Where I'm calling from"

アル中の療養所に滞在している語り手が、療養仲間の恋愛話を聞く。

煙突掃除の女が神話的でクールだ。美女と煙突というギャップ、「幸運のキス」とかぬかす飄々とした態度。そりゃ療養仲間も求婚したくなるはずである。で、彼らの愛情を目の当たりにした語り手は、ジャック・ロンドンの「焚火」のごとく自ら火をおこそうとする。ええ話や。☆。

「列車」"The train"

男を拳銃で脅した女が、駅の待合室でキチガイじみた老夫婦に絡まれる。

見知らぬ人間が妙な言い掛かりをつけてきて雰囲気はけっこうナンセンス。しかし、列車が来る終盤に妙な収束感があって、これはこれでまとまりがあるという不思議な小説だった。

「熱」"Fever"

妻子持ちの高校教師。彼の同僚と妻が駆け落ちしたため、子供の面倒をみるべくベビーシッターを雇う。

最初に雇った19歳のベビーシッターが酷い。男を連れ込んで我が家のようにくつろぐなんて日本じゃあり得ないぞ。さすがメジャー・クオリティである。

「轡」"The bridle"

ミネソタで農業を営んでいた一家が、アリゾナに流れてモーテルの部屋を借りる。

競走馬の飼育に失敗して流浪の生活を送る一家。子供が2人いてこの状況はきつすぎる。アメリカンドリームっていうのは実は虚像で、現実はこういう負け組がほとんどだったわけだ。

「大聖堂」"Cathedral"

夫婦の家に盲人が遊びに来る。ひとしきり団欒した後、夫と盲人がテレビに映っていた大聖堂の絵を描く。

大聖堂は神に近づくために建てられたという。それを2人手を合わせて描くことで、夫は神に相当するような目に見えない何かに近づく。「心の交流」なんて書くと陳腐に思われそうだけど、とにかく言葉にしづらい共感覚っていうのを上手く表現していると思う。本書収録作のなかではこれがベスト。☆。

>>Author - レイモンド・カーヴァー

*1: ちなみに、ハードカバー版は1990年発売。

2007.4.16 (Mon)

ヤスミナ・カドラ『テロル』(2005)

テロル(111x160)

★★★★★
L'attentat / Yasmina Khadra
藤本優子 訳 / 早川書房 / 2007.3
ISBN 978-4152088055 【Amazon

イスラエルで成功を収めたアラブ系の医師。ある日彼の妻がハンバーガーショップで自爆テロを起こした。真相を探るべく、医師はベツレヘムへ向かう。

ゴンクール賞の候補にもなったらしい。自治区を爆撃するユダヤ人と、街で自爆テロを繰りかえすアラブ人。この小説はイスラエルで成功したアラブ系医師を語り手に据えて、双方の断絶を分かりやすく書き表している。『カブールの燕たち』はいまいちだったけれど、こちらはパレスチナ問題に正面から切り込んでいて迫力があった。

アラブ系でありながら西洋的な自我を持つ語り手。イスラエルに同化して裕福な生活を送っていた矢先、妻がいたいけな子供たちを巻き込んだ自爆テロを起こす。結果、語り手はユダヤ人からテロリストの仲間と見なされ、理不尽な暴力を受けることになる。これだけならまだしも、続いて事件の捜査に乗り出したがために、今度はアラブ人から同様の仕打ちを受けることになる。語り手はイスラエルで幸福を掴むべく、紛争から目をそむけて出世街道を驀進してきた。彼の生き方は最近流行の個人主義ってやつだし、またインテリらしく宗教にも懐疑的であるから、日本の読者としては感情移入しやすい。自己の生活を大切にするところはいかにも小市民って感じだけど、本作はそれを咎めるような真相がアラブ側から提出されて、一種のサプライズを引き起こすことになる。

自爆テロを起こすアラブ人が、メディアで喧伝されているような狂信的な原理主義者ではなく、もっと人間的な感情に基づいて行動している。本当にこれがアラブ人の実態なのだろうか? と判断を留保しながらも、作中における彼らの主張は普遍的な領域まで踏み込んでいて説得力がある。なぜ、テロリストは簡単に命を投げ出せるのか? また、なぜ無差別に人を殺せるのか? 妻の自爆を通してパレスチナの闇を浮き彫りする、その手腕が素晴らしかった。

>>Author - ヤスミナ・カドラ

2007.4.19 (Thu)

大江健三郎『取り替え子(チェンジリング)』(2000)

取り替え子(チェンジリング)(99x140)

★★★★
講談社文庫 / 2004.4
ISBN 978-4062739900 【Amazon
ISBN 978-4062138048 【Amazon】 (特装版)

ノーベル賞作家の古義人の元に、義兄の映画監督吾良から大量のカセットテープが送られてきた。古義人は「田亀」(カセットテープレコーダー)を使ってあちら側の吾良と交信、その後間もなくして吾良は飛び降り自殺を遂げる。

大江健三郎の本を読むのは今回がはじめて。本作、『憂い顔の童子』【Amazon】、『さようなら、私の本よ!』【Amazon】で3部作をなしているらしい。第1作目の本作は、伊丹十三の自殺をモチーフにした小説で、作者の周辺状況をモデルにした半自叙伝のような形式になっている。

重要人物として話題にのぼるのが伊丹十三、武満徹、本多勝一。そして、ほんのひとこと言及されるのが坂本龍一、北野武、浅田彰。有名人が目白押しということでゴシップ的な興味で読んでいったら、ラストの壮大な仕掛けに打ちのめされてしまった。いや、もちろんラスト以外も読みどころは満載だったけれど(終戦直後のエピソードや「田亀」を使った対話など)、何というかそれら「男の物語」を総括する母性的な視点が意外だったのだ。義兄の自殺というショッキングな出来事を、現実と寓意が交錯する再生の物語に昇華してしまう。本作を読む限り、大江は根っからの芸術家であって、転んでもただでは起きない強かさが感じられる。

あとは半自叙伝ということで、時折妙な自意識が垣間見えて面白かった。どうも著者は自分のことを「良心的な作家」だと見なしているみたい。フィクション用の人格を作り上げるにあたって、その手の自己評価がさりげなく投影されている。