2007.5a / Pulp Literature

2007.5.3 (Thu)

大江健三郎『憂い顔の童子』(2002)

憂い顔の童子(115x160)

★★★
講談社文庫 / 2005.11
ISBN 978-4062752565 【Amazon
ISBN 978-4062138048 【Amazon】 (特装版)

母を亡くした古義人が自分の人生を「読み直す」べく、息子のアカリと学者のローズさんを連れて故郷の森に入る。そこで古義人は『ドン・キホーテ』と符合する傷だらけの生活を送ることになる。

『取り替え子』の続編。タイトルとイラストから想像される通り、『ドン・キホーテ』【Amazon】を下敷きにしている。「大江の小説は西洋文学の模倣と引用から成り立っている」という評を目にしたことがあるけれど、本作を読む限りそれは言い得て妙だなと思った。ほかにも、ナボコフの著作やロラン・バルトの言葉なんかを参照している。

……私はわずかしか読んでおりませんが、古義人の書いておりますのは小説です。小説は嘘を書くものでしょう? ウソの世界を思い描くのでしょう? そうやないのですか? ホントウのことを書き記すのは、小説よりほかのものやと思いますが……

作中でやたら『ドン・キホーテ』を引き合いに出しているせいか、前作と比べて平凡なメタフィクションに後退しているような印象を受けた。個人的には竹本健治のウロボロス・シリーズが好きだから、本作の試みにも惹かれるものがあったのだけど、何というか前面に出すことで底が見えているというのかな。大江健三郎は自身の作家人生を総括するにあたって、長江古義人なる共通の伝記的基盤を持ったコピーを作り出した。本作ではその長江に誇大妄想狂のドン・キホーテが重なることになる。大江健三郎と長江古義人、長江古義人とドン・キホーテ。現実と虚構の境界を曖昧にするという身振りが、ナルシシズムにヒモをつけているみたいに感じられて、いくぶんの物足りなさをおぼえたのだった。

それにしても、江藤淳をはじめとするモデル付き人物にはみな仮名が割り振ってあるのに、加藤典洋だけ実名で出してこてんぱんに批判しているのが可笑しい。よほど腹に据えかねたのだろうか。

2007.5.6 (Sun)

パトリック・グランヴィル『火炎樹』(1976)

火炎樹(96x140)

★★★
Les Flamboyants / Patrick Grainville
篠田知和基 訳 / 国書刊行会 / 1998.6 / ゴンクール賞
ISBN 978-4336040213 【Amazon

白人の青年がアフリカの狂王トコール・ヤリ・ユルマタと行動を共にする。戦争に明け暮れるユルマタは、森に住むディオルル族の秘密に惹かれていた。

知っているだろうが、わしら黒人は、いや、野蛮人は――もうずっと大昔から、――人生の大きく深い経験をすべて本能的に経過してきているのだ。わしらの喜びを語るには、ながったらしい宮廷恋愛詩は必要がない。センチメンタルでロマンチックなやつなどは…… わしらの小説は森の中で花開くのだ。部族間の戦争で、狩りの中で、炉端語りで、焚き火の火で、フムコ川の官能的な蛇行の中で、その激しい急流の中で、突然の竜巻の中で、生命力旺盛なにぎやかな芽生えの中で! この巨大な生命のうごめく豊穣な世界で…… (p.237)

熱帯的・原始的という形容がぴったりはまる、装飾過剰な熱い小説だった。アフリカの狂王、暴君にして愛すべき専制君主にスポットを当てているのだけど、筋書きよりも細部の描写に重きを置いた内容で、全編がギラギラとした真夏の生命力で覆われている。火炎樹が密生し、スラムが悪臭を放ち、近代兵器を所持した独裁者が大暴れする世界観。古代の風俗と天然色の風景が主体となりながらも、ヨーロッパ文化との交わりによって、暗黒一辺倒ではない奇妙な奥行きが生まれている。本作は南米の独裁者小説とはまた一味違った、プリミティブな雰囲気が出来上がっていて、「祝祭的バロック小説」という煽りも伊達じゃないなと思った。

まあとにかくユルマタ王が半端じゃなく濃い。怒りにまかせて外国人の医者を撲殺したり、丸飲みした椋鳥を生きたままケツからひり出したり、シラミだらけの子どもたちを担いで外資系のクラブに乗り込んだり、暴虐と稚気を併せ持った土俗的・英雄的人物像に圧倒される。その装飾過剰な文体と相俟って、けっこうな疲労感をおぼえながら読んだのだった。