2007.6a / Pulp Literature

2007.6.2 (Sat)

筒井康隆『巨船ベラス・レトラス』(2007)

巨船ベラス・レトラス(111x160)

★★★
文藝春秋 / 2007.3
ISBN 978-4163256900 【Amazon

革新的な作風で有名な作家たちが、時空を越えた巨船ベラス・レトラスに集まる。そこで読者や評論家、作家志望者など、文学界の暗部について談論する。

文学をテーマにしたメタフィクション小説。業界ネタを声高に叫んだカーニバル本といった趣で面白かった。批評と称する提灯記事、古典・名作を読まない今どきの作家志望者たち、薄利多売でゴミ本を量産する出版体制。昔を理想化しすぎているきらいはあるものの、これらは大筋においては正当な憂慮なのだろう。娯楽の氾濫した今となっては、個人が「文学」へ振り向ける労力も自ずと目減りしてしまうわけだ。

そりゃ昔の人たちは本を読むかマスをかくくらいしかすることがなかったから、押しつけがましい教養主義でもすんなり受け入れられたのだろう。また、バカ純朴で疑うことを知らなかったから、上意下達式の権威の行使が、水戸黄門の印籠のごとく平然と通用していたのだろう。「文学が人格を陶冶する」という虚言を信じて、分かりもしない本に目を通すのがトレンドだったわけだ(合い言葉は、ドストエフスキーを知らないのは恥ずかしい!)。文学全集を捲りながら、眉間に皺を寄せて深刻ぶる。これが旧来的読書人のライフスタイルだったのである。

ところが、今の人たちっていうのはとにかく忙しい。飲み会・合コンに付き合わなければならないし、ジムで体を鍛えなければならないし、SNSで女子中学生的な派閥争いに興じなければならない。そもそも、我々が本を読むのはコミュニケーションのためなのだ。みんなと同じ本を読んでみんなと同じ感想を抱くの勝ち組、みたいな横並びの価値観。我々はロック好きがビルボードのチャートを毎週欠かさずチェックするように、売れてる本・みんなが読んでる本をチェックする。そして、周りから取り残されないためのプランを練り上げ、いざ読書へ取りかかる。当然、話のネタとしての読書だから、面倒な本・難解な本は選択肢には入らない。かくして、文学の地位はますます低下していくのであった。

……と、この手の批判は10年くらい前からあったような気がする。別に心配しなくても何とかなるだろ。

2007.6.4 (Mon)

P・G・ウッドハウス『ジーヴスと朝のよろこび』(1947)

ジーヴスと朝のよろこび(110x160)

★★★★
Joy in the Morning / Pelham Grenville Wodehouse
森村たまき 訳 / 国書刊行会 / 2007.4
ISBN 978-4336047755 【Amazon

バーティーが伯父の商談を助けるべく彼の領地に滞在する。そこでクソガキの痛烈な歓迎を受けたり、破局した男女のいざこざに巻き込まれたりする。

「奥方様を含有する家庭内にて主人たりうる紳士様がはたして存在しうるものかは、はなはだ疑問と存ずるところでございます、ご主人様」(p.160)

『サンキュー、ジーヴス』に続くウッドハウス・コレクションの第7弾。今回はユーモアとプロットが高いレベルで融合していてかなり面白かった。このシリーズは今のところ『ウースター家の掟』がベストだと思っているけれど、本作はそれに次ぐ面白さだったかもしれない。「特許タマゴゆで器」をはじめとした細かい伏線をジャブのように繰り出しつつ、スティープル・バンプレイ(伯父の領地)がどれくらい忌避すべき場所だったのか、またいかにしてその地雷原から無事に抜け出したのかを物語る。独身貴族のバーティーにとって結婚は人生最大の敵だから、誤解から生じたフローレンスの恋心を、何とかして自分からそらさなければならない。そのためには、彼女を元の婚約者スティルトンと復縁させる必要がある(スティルトンを人身御供にするのだ)。しかし、バーティーがフローレンスから嫌われるにはボコとノビーの助けが必要で、その助けを得るには、強面の伯父に彼らの結婚を認めさせなければならない……。錯綜する思惑をかいくぐりながら、物事を収めるべきところに収める。本作には喜劇の醍醐味が詰まっている。

>>Author - P・G・ウッドハウス

2007.6.8 (Fri)

ダイ・シージエ『フロイトの弟子と旅する長椅子』(2003)

フロイトの弟子と旅する長椅子(109x160)

★★★★
Le complexe de Di / Dai Sijie
新島進 訳 / 早川書房 / 2007.5 / フェミナ賞
ISBN 978-4152088239 【Amazon

パリから帰国した中年男・莫(モー)は、中国で唯一になるフロイト派の精神分析医。彼の想い人は現在政治犯として監獄に収容されており、彼女を救い出すには判事に贈る処女が必要だった。かくして莫は処女探しの旅をする。

何でもかんでも性と結びつけるフロイトは胡散臭い。「夢が無意識を表象している」という主張には一定の説得力があるにしても、「煙突が男根を指している」なんて今ではネタ以外の何物でもなく、フロイトと聞くと条件反射で笑みを浮かべてしまう。精神分析医が神父に取って代わった現代、診察室が懺悔室に取って代わった現代では、黎明期の理論はさすがに信用することができない。

本作の莫は、そんな時代遅れの理論を大真面目に信奉しているのだから可笑しい。作中で言及されている通り、彼は『ドン・キホーテ』ばりの愚直さで我が道を歩んでいく。フロイト理論を駆使して道行く人々の夢を解釈し、いつしか診断が予言にまでエスカレートする。

現代では処女を見つけるのはユニコーンを探すのより難しいそうで(『石の葬式』の項を参照)、この小説でも処女探しはすんなりとは進まない。紆余曲折を経てその尻尾を掴むも、すんでのところで「あばた顔のサッチャー夫人」に跳ね返されてしまう。そもそも、判事は何で処女が好きなのだろう? 処女から生気を吸い取るという発想は、美しい国ジパングが誇る『眠れる美女』にもあった。しかし、フロイト派の莫にとってそんな奇癖は理解不能であり、ここにおいて西洋と東洋が激しくぶつかり合っている。東洋人=マザコンなのは周知の事実だとして、処女好きというのはいったいどういうことなのか。初物は縁起が良いとか? それとも、処女相手だと自信が持てるとか? さっぱり分からんので『古代中国の性生活』【Amazon】でも紐解こうかと思った。

なお、フロイト好きだったら『夢のなかの夢』は必読。

>>ハヤカワepiブック・プラネット

2007.6.10 (Sun)

ジョン・スタインベック『チャーリーとの旅』(1962)

チャーリーとの旅(108x160)

★★★★
Travels with Charley / John Steinbeck
竹内真 訳 / ポプラ社 / 2007.3
ISBN 978-4591097267 【Amazon

ケネディとニクソンによる大統領選が間近に迫った1960年。スタインベックが愛犬のチャーリーを連れてアメリカ一周の旅をする。使用した車は、荷台に小屋を搭載した最新式のピックアップトラック。

16000キロを4ヶ月で走破し、かつその間の宿泊は車かモーテルというベテラン作家らしからぬワイルドな旅路。身分を隠したスタインベックが、地元民と触れ合いながらアメリカの現在を考察していく。はじめは自己を特権化するナルシスティックな記述が鼻についたものの、読んでいくうちにそれが著者の誠実さの表れということが分かってきて、途中からは抵抗なく入り込むことができた。良い奴・嫌な奴ひっくるめて人物評が率直だし、また文豪だけあって行きずりの人との会話も魅力的で読ませる。

特にミネソタで会った売れない役者が素晴らしい。幼い頃から役者稼業に従事していた彼は、ろくに仕事がないまま愛犬との移動生活を余儀なくされている。普通だったら山賊にでもなってそうだけど、彼は役者であることに誇りを持ち、物腰は紳士的でさらには気の利いた退場の仕方まで心得ている。この場面はスタインベックの筆が心なしかほっこりしていて、ラスト一行は最高にいかしていると思う。まるで『ハツカネズミと人間』のような温かさを感じた。

本書のクライマックスは南部で人種差別に遭遇するところだろう。公民権運動真っ只中のこの時代、白人は自分たちにとって都合の良い、そして黒人たちにとって理不尽極まりない、前時代的な社会構造を維持しようとしている。いい歳こいた大人が1000人も集まって、1人の黒人少女に罵倒を浴びせる光景(チアリーダーズ事件)は、人並みの倫理観を持っているならば嫌悪を催さずにはいられない。奴隷制度に馴染んだ南部の白人たちは、黒人のことを本気で犬と同一視しているから、いつまで経っても差別意識がなくならないのだ。いくら半世紀前の出来事とはいえ、その病根の深さにはスタインベックならずともうんざりしてしまう。

ミシシッピ河を望んでの会話。黒人と白人の同化という思想は、フォークナーの『アブサロム、アブサロム!』に通じるものがある。やはりある種の白人にとって同化は脅威なのだろう。

>>Author - ジョン・スタインベック