2007.7a / Pulp Literature

2007.7.3 (Tue)

マルセル・プルースト『失われた時を求めて 8 第四篇 ソドムとゴモラ II』(1922-23)

失われた時を求めて〈8〉第四篇 ソドムとゴモラ〈2〉(111x160)

★★★★
A la Recherche du Temps Perdu / Marcel Proust
鈴木道彦 訳 / 集英社文庫 / 2006.10
ISBN 978-4087610277 【Amazon

バルベックに滞在中の語り手は、偶然出くわしたシャルリュス男爵の頼みで通りがかりの軍人を呼びにいくことになる。その軍人は語り手の知り合いであるヴァイオリニストのモレルだった。モレルに惚れ込んだ男爵は、彼を追ってヴェルデラン夫人のサロンに出入りする。

全13巻ある文庫版の8巻目。『失われた時を求めて 7』の続き。まんまとモレルのパトロンになったシャルリス男爵は、倒錯者一流の思いつきからモレルに改名を提案する。彼が挙げた名前は2人の関係にちなんだ「シャルメル」(*1)だった。名づけることは即ち支配することであり、男爵は名実ともにモレルを手中に収めようとしたのである(養子にすることも検討していた)。しかし、そう思い通りにいかないのが人生の悲しいところ。男爵の心ない一言から2人の緊張は高まり、挙げ句の果てには周囲を巻き込んだ「偽りの決闘」にまで及んでしまう。激しい愛憎に揺れた彼らの関係は、あたかも語り手とアルベルチーヌのアナロジーのようで、どちらの男も相手を束縛しようと策を弄しているのが痛々しい。オデットに対するスワンといい(2巻を参照)、ジルベルトに対する語り手といい(3巻を参照)、この小説は一貫して恋に狂った者たちの愚かさを描き出している。

このような手の愛撫はすぐ次にくる強姦のプレリュードであり、決闘はただ口実に使われただけで、その強姦のために彼は待伏せの場所におびきよせられ、男爵によって人のいない部屋に連れこまれて、これから力ずくで犯されるのだと想像した。恐怖で椅子に釘づけになったコタールは、そこから立つこともできず、まるで人肉を食べるのかもしれない野蛮人の手に落ちたように、不安のあまり目をきょろきょろさせていた。(p.477)

この巻のMVPは、「偽りの決闘」に巻き込まれたコタール医師だろう。シャルリュス男爵から熱烈な愛撫を受けた彼が、これから強姦されるんじゃないかと勘違いして怯えている様子が可笑しい。そういえば、かつて男爵はコタールの不審な態度から彼をソドムの住人と勘違いし、自分に気があるのではないかと踏んでそっけない態度をとっていた(コタールは男爵の好みではない!)。その因縁がねじくれた形でここに帰ってきたのである。

>>『失われた時を求めて 9』に続く。

>>Author - マルセル・プルースト

*1: モレルの本名と逢い引きの場所からの連想。

2007.7.7 (Sat)

ミシェル・トゥルニエ 『フライデーあるいは太平洋の冥界』(1967)

フライデーあるいは太平洋の冥界(96x140)

★★★
Vendredi ou les limbes du Pacifique / Michel Tournier
榊原晃三 訳 / 岩波書店 / 1996.10
ISBN 978-4000028646 【Amazon

無人島に漂流したロビンソン・クルーソーが、耕作や牧畜、法律の制定といった秩序の構築に邁進する。島での生活が軌道に乗ったある日、土人の群れから1人の若者が逃げ出してくる。クルーソーは彼をフライデーと名づけ、一緒に暮らすようになるが……。

生産は創造であり、消費は破壊である。従って、生産は善であり、消費は悪である。

というわけで、この小説では西洋文明のパラノイアと化したクルーソーが、キリスト教の精神に則って島を作り替えていく。普通だったら素っ裸で無人島ライフを満喫するところなのに(1人暮らしの部屋で我々がやるように)、彼は粗末ながらも衣服を着用する。島には需要を満たすだけの十分な食糧があるのに、彼は貯蓄・増産に血道をあげていく。1人で住んでるくせに法律を制定し、また意味もないのにローカル・カレンダーまで作るクルーソー。「ただのサバイバルには興味ありません」というハルヒばりの心意気を持った彼は、箱庭趣味とは一線を画したがちがちの秩序を構築する。

ところが、そこへ怠惰の化身フライデーが登場。彼の天真爛漫な振る舞いによって、クルーソーの築いた文明は粉々に打ち砕かれてしまう。そして、「文明」と「野蛮」の関係が改めて見直され、物語はポスコロチックな大団円を迎える。本作は寓意と象徴が入り混じった哲学的なお話で、さして量もないのにぐったり疲れてしまった。ジル・ドゥルーズの解説も濃くてお腹いっぱいである。

そういえば、『ロビンソン・クルーソー』では性の問題があからさまに無視されていたけれど、この小説では豊穣な恵みをもたらす「島」が女の役割を果たしている。クルーソーが島の窪みに潜って大地と性交する場面は、今をときめく「母胎回帰ストーリー」を予感させるものだった。さらに、大地と姦通したフライデーを半殺しの目に遭わせる場面は、これまた今をときめく「性暴力ストーリー」を彷彿とさせるものだった。是非とも日本福祉大の加藤幸雄教授に鑑定してもらいたいものである。

2007.7.10 (Tue)

J・B・プリーストリー『夜の来訪者』(1947)

夜の来訪者(113x160)

★★★
An Inspector Calls / J. B. Priestley
安藤貞雄 訳 / 岩波文庫 / 2007.2
ISBN 978-4003229415 【Amazon

一家団欒中の工場主の家に新顔の警部がやってくる。彼によると、つい先ほどある貧しい女性が服毒自殺を図ったという。警部が自殺した女と一家の関係を暴いていく。

ミステリの形態をとった社会派戯曲。資本家だったら誰もが加害者になり得るし、労働者だったら誰もが被害者になり得る。この戯曲では自殺した女を階級社会に遍在する犠牲者として、一家と関わる神出鬼没な存在として描くことで、加害者となった人たちの身勝手な行動を断罪する。のみならず、そこからミステリならではの技巧的な展開を入れることで、資本家と労働者の精神的な断絶(全ては鈍感さが原因だ)を浮き彫りにする。はじめはあまりに警部が説教臭かったため、いったい何の権限があって民事に介入しているのだろう? と疑問に思ったのだけど、そういった不自然さも終盤に入ってまもなく腑に落ちたのだった。なるほど、「夜の来訪者」という謎めいた邦題は言い得て妙である。彼はある意味で超越的な存在だったのだ。

我々はしばしば虚構を媒介にして現実の問題を考える。可能世界や仮想現実と向き合うことで、そこに含まれる他者の苦労や葛藤を、誰にでも起こり得る交換可能な存在として認知する。本作を読んで、普段気にも留めないこのメカニズムを強く意識したのだった。