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2007.9.1 (Sat)
▽イーユン・リー『千年の祈り』(2005)

★★★★
A Thousand Years of Good Prayers / Yiyun Li
篠森ゆりこ 訳 / 新潮クレスト・ブックス / 2007.7
ISBN 978-4105900601 【Amazon】
短編集。「あまりもの」、「黄昏」、「不滅」、「ネブラスカの姫君」、「市場の約束」、「息子」、「縁組」、「死を正しく語るには」、「柿たち」、「千年の祈り」の10編。
アメリカ在住の中国人作家による英語小説。因習と抑圧に満ちた中国を主な舞台にして、世代間の対立や恋をめぐる葛藤、存在の孤独を描いていく。微かに創作科っぽい匂いがするのだけど、感情を排した説明的な文章のせいか、『観光』ほど鼻につかない。さらっと書いてる感じが好ましいと思う。
以下、各短編について。
「あまりもの」"Extra"
行かず後家の林ばあさんが、勤め先の倒産を機にお金持ちの老人と結婚する。色々あった後、今度は全寮制の学校で働くことに。そこで人生初の恋をする。
のっけから凄い小説が出てきた。中国の下層労働者として相当な苦労をしてきただろう51歳の女。そんな彼女がある男の子に出会って甲斐甲斐しく世話を焼く。オバサンの恋というと、打算を前面に出したどろどろしたものを想像しがちだけど、本作の場合は相手が相手なので邪念の入り込む余地がない。母親のような無償の愛情を捧げており、彼女の一生懸命な様子がほっこりとした微笑ましさを生んでいる。
週末、二人で藤の花影に座っているときなど、若い頃できなかった恋というのはこういうものか、と林ばあさんは思う。好きな男の子と手をつなぎ、知ってはならない秘密を訊かずにいる。(p.23)
康は校庭を駆けていく。林ばあさんもあとを追うが、数歩で息があがって休んでしまう。老いた体が、気持ちの若さについていけない。(p.25)
肉体と精神の乖離をそれとなく突いた表現が良い。全寮制の学校が舞台のせいか、一連の恋物語には青春ものの雰囲気が漂っている。ここは学校の魔力にも注目しておきたい。
最後は余計者の宿命というべき寂しい結果になったものの、オバサンの心には「一夏の体験」を経たような充足感が残っている。これはもうツボにはまりまくりだった。★★★★★。
「黄昏」"After a Life"
障害児を抱える蘇夫妻に、お金持ちの方夫妻。株屋に通う蘇氏が方氏の不倫騒動に巻き込まれる。
共産党の幹部だった方夫人は賄賂のかどで投獄されていた。方氏はその間に年甲斐もなく恋をする。相手は自分の娘ほどの歳の中年女だった。夫人は出所後、夫の不倫を疑いヒステリックになる。彼女の愚痴を聞く蘇夫人は、手間のかかる障害児のせいでままならぬ思いを抱えている。
2組の夫婦の対比、より厳密に言えば蘇夫人と方氏の対比が肝なんだろか。蘇夫人は既に障害を負った娘への愛を使い果たしている。一方、方氏は妻への愛が残っているために葛藤している。そして、そんな事情は露知らず、方夫人は1人ヒステリックに喚き散らしている……。★★★★。
「不滅」"Immortality"
代々宦官を輩出してきた町も王朝が潰えて精彩を欠いていた。そんななか、独裁者にそっくりの顔をした男の子が、党の思惑に乗っかって出世していく。
共同体レベルの栄枯盛衰と個人レベルの栄枯盛衰が、つかず離れずハーモニーを奏でてるって感じ。共産党の個人崇拝が人民を抑圧しているのだけど、男はそれを逆手にとって成り上がっていく。中国では権力に迎合しないと生きていけないのであり、町民たちは党が用意した建前(価値観)にどっぷり浸かっている。しかし、あまり長く浸っていると、体制が揺らいだときに惨め思いをするのは歴史が証明している通りである。こればっかりは個人ではどうしようもない。
それにしても、『豊乳肥臀』といい、『フロイトの弟子と旅する長椅子』といい、中国人は童貞に拘りでもあるのか。共産党はエロに厳しいから安心して娼婦を抱くこともできない。童貞は現代の宦官だ! ★★★★★。
「ネブラスカの姫君」"The Princess of Nebraska"
ゲイの医師・伯深(ボーシェン)は、京劇の男旦(女形のこと)にして同じくゲイの陽(ヤン)に惚れていた。伯深は陽をアメリカに呼び寄せようとしており、そのために薩沙(サーシャ)の協力を取り付けようとしている。薩沙は中国にいた頃、陽と親しくしていたのだった。
ホモとヘテロが入り混じる奇妙な三角関係。しかし、ヘテロはホモになれなくてもホモはヘテロになれるから(『失われた時を求めて』で学んだ)、こういう関係も成立するのだろう。伯深の首ったけぶりがやけにコミカルだ。
薩沙はツンデレっぽい。陽に対して終始そっけない態度をとっていたくせに、結局は彼の子供を孕んでその未来に想いを馳せている。もちろんこれは望まない妊娠であり、ゴムを拒否して中出しした陽はひどい悪党だ。女にしてみれば、独りよがりの愛を振りかざした身勝手な行為ということになる。でも、そんな陽を憎んでいるわけではないから困ったものである。
「進む(ムービング・オン)」はおぼえたばかりの英語だ。それはアメリカならではの考え方で、薩沙にはぴったりくる。そういう素敵な言葉を聞くと、ページのまわりをどんどんホチキスでとめていくように中国での生活をとじてしまい、ついには誰にも読むことができない塊にしてしまえそうな気がした。そうやってアメリカの生活という新しいページを開くのだ。でもすでに四ヶ月、それができないでいる。(p.83)
中国人から見たアメリカ。薩沙はシニカルな視線を送っているものの、自由の国の一員になりたいという欲求は確実にあるのだろう。何だかんだ言っても母国よりは遙かにマシだし。こうして優秀な人材がどんどん流出していく。★★★。
「市場の約束」"Love in the Marketplace"
小さな町で教師をするオールドミスの三三(サンサン)は、恋人に裏切られた過去を持っていた。
やっぱり恋愛の基本は三角関係だな。今回は良かれと思ってやった自己犠牲が裏目に出てしまう。そりゃいくら婚約しているとはいえ、側に美女がいたらコロッといくだろう。まさにビューティー・イズ・ジャスティスである。
ラストは作り物くさいのだけど、それでも三三の苛烈な心情を引き出していて凄味がある。こういうイマージュをよく持ち出してきたなと思う。それと、中国の保守的な空気が三三の孤独を一層高めていて、舞台(場所)の力はすげーなーと改めて感心した。これがアメリカだったらとっとと次の恋に行っちゃうもんね。フィクションの場としての中国はとても面白い。★★★★。
「息子」"Son"
同性愛者のハンは33歳のアメリカ市民。その彼が中国に里帰りする。彼の母は新興宗教に被れており、教会へ行くよう勧めてくるが……。
この親子は宗教を中心にして価値観が断絶しているのだけど、だからといって仲が悪いわけではなく、根底には思いやりの情が流れている。息子の幸福を願うからこその母の善意。騙されやすい彼女は宗教によって洗脳されており、事あるごとに息子へ神の愛を差し向けてくる。いくら諭しても通じない対話不能な感覚が良い。
ただ、この短編はハンの性質を説明しすぎだね。説明すればするほど、「開明的なアメリカ人」という紋切り型に堕してしまう。★★★★。
「縁組」"The Arrangment"
13歳の若蘭(ルオラン)は、毎年炳(ビン)おじさんの訪問を楽しみにしていた。
父、母、炳おじさんと、親の世代が実はどろどろしていたという。母親が嫌味ったらしいバカ女で、こんな奴と一つ屋根の下で暮らす娘が不憫すぎる。唯一の理解者であろう炳おじさんは味方になってくれないし、出稼ぎから帰ってきた父には裏切られるし、もう踏んだり蹴ったり。
それにしても、いい歳したおっさんが13歳のガキに言い寄られるなんて情けないシチュエーションだなあ。そりゃ普通に断るわ。★★★。
「死を正しく語るには」"Death Is Not a Bad Joke If Told the Right Way"
7歳の少女が夏休みの1週間、厖(バン)夫妻のもとでお世話になる。
文化大革命によって地主階級は工作単位から追い出されて生活はカツカツ。厖夫人が現状に何とか適応しているのに対し、厖氏は未だ堕落したままでいる。その厳しくも哀しい成長の軌跡が、少女の純朴な眼差しで照らされる。チェーホフっぽい短編。★★★。
「柿たち」"Persimmons"
17人もの村人を殺した老大(ラオダイー)の話。
2人の男の会話から事件の真実を浮き彫りにするという趣向。津山三十人殺しを彷彿とさせる大量殺戮事件だけど、実はある隠された悲劇が引き金になっていた。例によって政治の腐敗が背景にある。★★★。
「千年の祈り」"A Thousand Years of Good Prayers"
娘の離婚を心配して中国から渡米してきた元ロケット工学者の父。価値観の違いによって娘と衝突する彼は、禄に言葉も通じないイラン人のマダムと親交を結ぶ。父は自身の悲しい過去を明かすのだった。
良心に従うことによって茨の道を歩まなければならくなった父。守るべきものを守ろうという彼の行動は、果たして最善の選択だったのか。欺瞞を避けるために新たな欺瞞に突き進むその様子はとても理不尽で、無軌道な国家的暴力に思わず戦慄してしまう。中国は怖い。★★★。
2007.9.2 (Sun)
◆オットー・プレミンジャー『悲しみよこんにちは』(1957/米=英)

★★★
Bonjour Tristesse
ジーン・セバーグ / デヴィッド・ニーヴン / デボラ・カー / ミレーヌ・ドモンジョ
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 【Amazon】
17歳のセシル(ジーン・セバーグ)は、放蕩者の父(デヴィッド・ニーヴン)と彼の愛人(ミレーヌ・ドモンジョ)とで海辺のバカンスを楽しんでいた。そこへ真面目女アンヌ(デボラ・カー)が現れる。父との婚約を機にアンヌは母親を気取るようになり、セシルの堕落した生活にメスを入れるのだった。
原作の内容はもうほとんど覚えてないのだけど、雰囲気というかエッセンスというか、その辺りをだいぶ忠実に映画化していると思う。放蕩者の親子の前に啓蒙的な女が現れ、2人のユートピアを壊そうとする。セシルは学校の試験を落第しており、本来だったらバカンスを楽しんでいる暇はなかった。父の心を掴んだアンナは勉強するよう圧力をかけるも、快楽に慣れきったセシルは不満たらたらでさぼっている。
世間の常識に照らせば圧倒的にアンナが正しいのに、なぜかセシルに肩入れしたくなるのだから不思議だ。きっとそれまで見せられてきた映像に解放感があったから、無意識のうちにアンナを障害と見なすようになったのだろう。この映画のセシルは水着姿で生き生きと飛び跳ねているし、父親は父親で「ちょい悪オヤジ」風のスマートさで女といちゃついている。この世界が終わって欲しくない、永遠の夏休みでいてほしい、観ているうちにそんな願望が生まれたのかもしれない。
モノクロパートのジーン・セバーグの目つきが凄い。女の二面性を象徴しているような、冷徹な表情で盛り場をうろついている。とても十代とは思えない迫力のある顔だった。
ただ、彼女の内面をいちいち独白(ナレーション)で説明していて興醒め。そんな安直な手段に頼らず、映画なんだから映像で語ってくれと思う。ナレーションが多い映画はダメな映画という定説があるようだけど、本作なんかはもろそれに当てはまっている。
2007.9.3 (Mon)
▽イタロ・カルヴィーノ『魔法の庭』(1946-)

★★★★
Il Giardino Incantato / Italo Calvino
和田忠彦 訳 / ちくま文庫 / 2007.8
ISBN 978-4480423511 【Amazon】
短編集。「蟹だらけの船」、「魔法の庭」、「不実の村」、「小道の恐怖」、「動物たちの森」、「だれも知らなかった」、「大きな魚、小さな魚」、「うまくやれよ」、「猫と警官」、「菓子泥棒」、「楽しみはつづかない」の11編。
少年少女をイノセントな感性で描いたり、未知の世界を垣間見てまた帰ってくる、その微妙な感覚を写したり、地味に心を揺さぶるような内容。イタリアの牧歌的な様子を伝える風景描写が素晴らしかった。
以下、各短編について。気に入った短編には末尾に☆をつけた(11編中7編につけた)。
「蟹だらけの船」(1947)"Un bastimento carico di granchi"
<悲しみ広場>の子供たちが、沈没した船の上で敵対グループと小競り合いをする。
少年たちにとって、見知らぬ少女との出会いはまさに「未知との遭遇」なのだ。ホモソーシャルの集団にわずかな変化が訪れる。☆。
「魔法の庭」(1948)"Il giardino incantato"
蟹採り帰りの少年少女がよその家の庭に入り込む。
その庭は自分たちの知る世界とは異質の世界だった。といっても、別にファンタジーではない。見慣れぬ風景から日常に帰還する、ささやかな冒険を切り取っている。☆。
「不実の村」(1953)"Paese infido"
負傷したパルチザンが村に辿り着く。しかし、案に相違して村人の態度がよそよそしい。
不条理ものの空気を漂わせながらも、最後は見知った世界に回帰する。緊張と緩和の絶妙なブレンド。☆。
「小道の恐怖」(1946)"Paura sul sentiero"
パルチザンの伝令兵が感じる恐怖。
1人黙々と山道を踏破する伝令兵に、妄想含みの恐怖が降り懸かってくる。☆。
「動物たちの森」(1948)"Il bosco degli animali"
役立たずのジュアが家畜を盗んだドイツ兵を追跡する。
森の不思議を描いた民話っぽい話。その場にいない人が囁きかけてくる。テレビアニメでこういう演出あったね。☆。
「だれも知らなかった」(1950)"Mai nessuno degli uomini lo seppe"
羊飼いたちと猟師たちが反目している。
人間の諍いを目に焼き付けるカモシカの姿。
「大きな魚、小さな魚」(1950)"Pesci grossi, pesci piccoli"
魚採りに勤しむ少年が岩場に辿り着く。そこで太った女が泣いていた。
女を慰めようと少年は自分の技を振るう。魚採りの臨場感、少年の高揚、止まらない女の涙。それら一つ一つも良いけれど、ある変化を捉えたラストが最高だ。それはささやかでありながら、実は決定的な変化だったりする。本書のなかではこれがベスト。☆。
「うまくやれよ」(1947)"Va' cosi che vai bene"
やみ屋の少女の前にやり手の少年が現れる。少女は少年の支持で2人組の男を引っ掛ける。
大人を手玉に取ろうという少年の強かさ。少年に担がれて貞操の危機を迎える少女の純真さ。マヌケに見えた男たちも結局は大人だったわけで、オチはある意味爽快だった。☆。
「猫と警官」(1948)"Il gatto e il poliziotto"
新人警官が武器の掃討作戦に参加する。
「菓子泥棒」(1946)"Furto in una pasticceria"
泥棒がお菓子を食いまくる。
いわゆる「スラップスティック」ってやつか。子供っぽい欲望が理性を凌駕している。
「楽しみはつづかない」(1952)"Un bel gioco dura poco"
戦争ごっこをしてた少年少女が、軍隊の司令部に入り込む。
大人の世界から逃れたことを念押しするラスト一行。これは意外だった。
2007.9.5 (Wed)
▲ブライアン・フリーマントル『ホームズ二世のロシア秘録』(2005)

★★★
The Holmes Factor / Brian Freemantle
日暮雅通 訳 / 新潮文庫 / 2006.9
ISBN 978-4102165546 【Amazon】
シリーズ2作目。チャーチルの命を受けたセバスチャンが、ロシアの情勢を調査するため現地へ潜入する。そこで秘密警察に逮捕される。
『シャーロック・ホームズの息子』の続編。イギリス政府はアイルランド問題を重視するあまり、バルカン半島の民族紛争を過小評価していた。大使館の情報によると、事態はいたって平穏で、戦争にまで発展するほどではないという。しかし、タカ派のチャーチルはそれを信じず、戦争を見越して同盟国ロシアの責任能力を調査する。果たしてロシアで革命は起きるのか? また起きた場合、ロマノフ朝はそれを鎮圧できるのか? 本作はロシアが舞台ということで、スターリンやラスプーチンといった有名人が顔を出している。
前回が「冒険」なら今回は「お使い」といったところだろう。相変わらず腹の探り合いは面白いのだけど、今回は事件の構造が甘すぎてつらい。いくら相手が秘密警察の長とはいえ、前回からの流れを考えれば本気で対立するわけないのだから、サスペンスの軸をもっと外部にずらすべきだった。ロマノフ朝の皇子と繋がりを持ったまま、革命家から情報をもらうなんて中途半端じゃないかね? しかも、同じくロシアに潜入していた因縁のドイツ人は、今回顔見せ程度の出演だったし。結局、戦争が絡んだスパイものには、有無を言わせず殺しにかかる「敵」の存在が不可欠なわけで、このシリーズはドイツ人が暴れないと盛り上がらないと思う。
ところで、フリーマントルはデビュー作から一貫して「上司への不信」をサスペンスに組み込んでいる。馴れ合わないことによる緊張感、政治力学を背景にしたリアリティ。このシリーズのチャーチルも信用できない上司であるため、側にいるシャーロックやマイクロフトが常に目を光らせることになる。ほとんど孤独だったチャーリーとは違って、有能な親族がいるセバスチャンは果報者である。