2007.9b / Pulp Literature

2007.9.11 (Tue)

マルセル・プルースト『失われた時を求めて 13 第七篇 見出された時 II』(1927)

失われた時を求めて 13 第七篇 完訳版 (13) (集英社文庫 ヘリテージシリーズ P 1-13)(112x160)

★★★★★
A la Recherche du Temps Perdu / Marcel Proust
鈴木道彦 訳 / 集英社文庫 / 2007.3
ISBN 978-4087610321 【Amazon

「仮装パーティ」に出席する語り手。社交界の勢力図は大きく様変わりし、「ゲルマントの方」と「メゼグリーズの方」は一つに溶け合っている。<時>の存在を見出した語り手は、自らの老いに不安をおぼえながらも作品を書こうと決意する。

全13巻ある文庫版の13巻目。『失われた時を求めて 12』の続き。この巻には訳者あとがきと共に、141ページにも及ぶ索引がついている。これは全巻に付された「主な情景の索引」とは違い、大部分の人物の登場シーンを網羅的に記載したものだ。アルベルチーヌやシャルリュスといった主要人物から、記憶に残らないだろう無名の一発キャラまで、広範囲をカバーしている。その労力たるやいかばかりのものだろう。第1巻にあった諸々の付録といい、全編にわたる詳細な訳注といい、その丁寧な仕事ぶりからは、「プルーストを一般読者のものにしよう」という訳者の熱意が伝わってくる。

私の頭脳は豊かな鉱床で、そこには広大な領域にわたり、種々さまざまの貴重な鉱脈が横たわっていることは、私にもよく分かっていた。けれども、それを採掘する時間が、はたしてあるだろうか? 私はそれをやることのできる唯一の人間だった。そこには二つの理由があり、もし私が死ねばこの鉱石を掘り出すことのできる唯一の鉱夫がいなくなるだけではなく、鉱脈それ自体も消滅してしまうからだ。(p.257)

空間のなかで人間にわりあてられた場所はごく狭いものだが、人間はまた歳月のなかにはまりこんだ巨人族のようなもので、同時にさまざまな時期にふれており、彼らの生きてきたそれらの時期は互いにかけ離れていて、そのあいだに多くの日々が入りこんでいるのだから、人間の占める場所は反対にどこまでも際限なく伸びているのだ――<時>のなかに。(p.280-1)

この長大な小説は、語り手が己のライフワークを発見する成長小説でもあった。顕微鏡から望遠鏡へ。細部を拡大しつづけてきた語り手の洞察は、実は<時>という壮大な事象をも視野に収めていた。<時>の刻印を目の当たりにした語り手が、その成果を文学作品に封じ込めようと決意する。しかし、語り手は既に年老いており、残された時間はそう多くはない。死の観念が一抹の影を投げかけつつ、物語は大団円を迎える。退屈だった数々の細部が最終篇において一つの構築物を形作る、この圧倒的な収束感は大長編ならではのものだろう。特に第12巻で<失われた時>が露わになった瞬間は、そのあまりの遠大な意図に至福の念を覚えたのだった。死ぬまでにあと1回は読む予定。

>>Author - マルセル・プルースト

2007.9.12 (Wed)

クラレンス・ブラウン『アンナ・カレニナ』(1935/米)

世界名作映画全集111 アンナ・カレニナ(113x160)

★★
Anna Karenina
グレタ・ガルボ / フレドリック・マーチ / フレディ・バーソロミュー / ベイジル・ラスボーン
GPミュージアムソフト 【Amazon

高級官僚カレーニン(ベイジル・ラスボーン)の妻であるアンナ・カレーニナ(グレタ・ガルボ)が、青年将校ヴロンスキー(フレドリック・マーチ)に言い寄られて恋に落ちる。カレーニンの名誉を汚したアンナは子供(フレディ・バーソロミュー)と会うのを禁止され……。

原作【Amazon】は多数の「人生」を操った激動の大河ドラマだったけれど、映画版はアンナに焦点を絞ったメロドラマになっている。リョーヴィンもキチイもオブロンスキーもほんのちょい役。原作で猛威を振るったキリスト教も出てこない。しかし、汽車で登場して汽車で退場するシンメトリーは守られていて、『アンナ・カレーニナ』を特徴づけているのはこの構造なんだなと感心する。

形式主義のカレーニンはアンナのことをお飾りだと思っており、不倫が発覚しても表向きは夫婦でいることを要請する。また、不倫相手のヴロンスキーはアンナとの生活に倦んでおり、義勇軍というホモソーシャルの巣に帰ろうとしている。『人形の家』のノラは自由を獲得すべく、子供を捨てて家を出ていったけれど、本作のアンナもその文脈で理解される存在なのかもしれない。保守的な男社会で、夫の桎梏から逃れようとしたアンナ。彼女は婦人解放運動の尖兵であり、女の自由を獲得しようとして敗北していったのだ。

と、PCな解釈をしたくなる今日この頃である。

2007.9.13 (Thu)

ジェームズ・クルーズ『幌馬車』(1923/米)

幌馬車(114x160)

★★★
The Covered Wagon
J・ウォーン・ケリガン / ロイス・ウィルスン / アラン・ヘイル
アイ・ヴィー・シー 【Amazon

1848年。移民たちが100台もの幌馬車を連ねて西の方オレゴンへ向かう。途中、仲間割れを起こしたり、ロマンスを演じたり、インディアンの大群に襲われたりする。

圧倒的な物量を駆使したスペクタル映画。数多の幌馬車が1列に並ぶ光景もさることながら、終盤に用意されたインディアンの襲撃シーンが圧巻だった。騎馬隊と歩兵隊が白人の野営地を縦横無尽に駆け回る。しかも、その数やちょっとした軍隊と戦えそうなほど。まるで『スターシップ・トゥルーパーズ』【Amazon】でバグの大群に出くわした時のような絶望感が漂っている。この映画は主要人物の三角関係を縦糸としているのだけど、件のシーンはそうしたドラマを忘れさせるくらい迫力があった。

拳で語り合うのが西部流である。隊内で揉め事が起きたらとにかく1対1で殴り合う。仮に片方の命が危険に晒されても、戦いがフェアである限りは誰も止めようとしない。法の行き届かない西部においては暗黙の掟が全てであり、実力手段を容認することで秩序を保っているのだ。名誉を守ると称して公然と殺し合う、この野蛮さが西部劇の醍醐味だと思う。

1848年といえば、ちょうどカリフォルニアでゴールドラッシュが始まろうとしていた時期だ。この映画でも、終盤になって移民たちが金の産出を知ることになる。そして、将来について二者択一を迫られることになる。すなわち、オレゴンで地道に大地を耕すか、それともカリフォルニアで一攫千金を目指すか。日本の教訓話だったら前者を善しとするのだろう。しかし、本作はさすがフロンティア・スピリッツ、後者を奨励するようなストーリーになっている。

2007.9.14 (Fri)

フョードル・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟 1』(1879-80)

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)(111x160)

★★★★
Братья Карамазовы / Фёдор М. Достоевский
亀山郁夫 訳 / 光文社古典新訳文庫 / 2006.9
ISBN 978-4334751067 【Amazon

田舎地主フョードル・カラマーゾフは道化を演じる好色漢。現在、息子の3兄弟――激情家のミーチャ、無神論者のイワン、敬虔で誰からも好かれるアリョーシャ――が実家に戻ってきている。この巻ではフョードルとミーチャがある女を巡って諍いを起こす。

ドストエフスキーはキャラクター小説の書き手だと思っていて、一癖も二癖もある連中が口角泡を飛ばして思いの丈をぶちまけるところが面白い。その饒舌たるや、あまりに必死過ぎてギャグの領域にまで達するほど。信仰や恋愛といった諸々の葛藤が、時に哲学を、時に滑稽さを生んでいる。

あなたがいまご覧になっているのは、道化、ほんものの道化でございます! 情けないことに、これは昔からの習慣でして! ときどき、場違いな嘘をつきますのも、わざとやることでして、つまり、人を笑わせたい、気に入られたいという気持ちからなんですよ。だって人はやはり、気に入られなくては生きてけませんからね、そうでしょうが。(p.103)

上記は父親フョードルのセリフだけど、自身の卑屈な内面をハイテンションで語っていて素晴らしい。嘘という防壁を幾重にも塗り固めることで、プライドという障壁を軽々と飛び越えている。そういえば、ゴーゴリの影響を受けたドストエフスキーは、デビュー作からコミュニケーション問題、すなわち道化でいることの悲しみを描いていた。いつの時代も世界は住みにくいようである。

この巻は見習い僧のラキーチンにも注目すべきだろう。どうやら彼は友人のアリョーシャにサディスティックな気持ちを抱いているらしく、相手が君子なのを良いことに嫌味ったらしい悪口を連ねている。

きみのことはずっと前から観察してきたんだけどね。きみはやっぱりカラマーゾフなんだな、正真正銘、カラマーゾフなんだ――つまり、血筋や遺伝もそれなりに意味があるってわけだ。父親ゆずりの女好きで、母親ゆずりの神ががりってわけだ。どうして震えてなんかいるのさ? それとも、痛いところを突かれたのかな。(p.210)

いったいどこでそんな話を聞いたんだい? いやはや、きみたちカラマーゾフ家のみなさんは、どこぞの由緒ある大貴族の末裔をきどって、そのくせ親父ときた日にゃ道化役者さながら、他人さまの食事にありつこうと駆けずりまわり、人のお情けで台所にいさせてもらっているだけの男じゃないか。(p.218)

おいおい、友人に向かって普通こんなこと言うか? いくら内心で嫌っているとはいえ、正面からよくもまあずけずけと言えたものだ。これに限らず、ドストエフスキーの登場人物は皆、他人に対して遠慮がないから面白い。各々が好意・悪意ひっくるめて感情を剥き出しにしており、言いたいことをまるで熱に浮かされたような長広舌で吐き出している。「空気」や「行間」を大切にする日本人からしたら、この斬りつけるようなコミュニケーションはあらゆる意味で奇怪に映るだろう。ロシア人恐るべし、ドストエフスキー恐るべし、である。

>>『カラマーゾフの兄弟 2』に続く

>>Author - フョードル・ドストエフスキー

>>光文社古典新訳文庫

2007.9.15 (Sat)

フョードル・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟 2』(1879-80)

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)(110x160)

★★★★
Братья Карамазовы / Фёдор М. Достоевский
亀山郁夫 訳 / 光文社古典新訳文庫 / 2006.11
ISBN 978-4334751173 【Amazon

カテリーナによると、ミーチャが酒場でスネギリョフ大尉を辱めたという。見舞金として二百ルーブルを託されたアリョーシャが彼の家を訪ねる。失職した大尉は家族を抱えて貧乏生活を余儀なくされており、見舞金は喉から手が出るほど欲しかったが……。大尉と別れたのち、今度はイワンから物語詩「大審問官」を聞かされる。

『カラマーゾフの兄弟 1』の続き。この巻はスネギリョフ大尉の弾けっぷりが面白かった。経済的に困窮している大尉は、家族のためにもアリョーシャの見舞金が欲しくて欲しくてたまらない。しかし、相手は自分を辱めた男の弟である。この金を受け取ったら息子に会わせる顔はないし、何より目の前のアリョーシャから軽蔑されることだろう。葛藤した大尉は次のような行動に出る。

「ごらんなさい、これが手品ですよ!」二等大尉がふいに金切り声をあげた。彼は、二人がやりとりを交わしているあいだ右手の親指と人差し指の先でつまんでいた二枚の百ルーブル紙幣をアリョーシャの目のまえに差しだすと、なにやら凄まじいいきおいで鷲づかみにし、くしゃくしゃに丸めてから、最後はぎゅっと右手のこぶしに力をこめた。

「いかがなもんです、いかがなもんです!」彼はアリョーシャに向かって金切り声をあげた。そして、熱に浮かされたような青白い顔でいきなりこぶしを振りあげると、もみくしゃになった二枚の百ルーブル札を、思いきりよく砂場に叩きつけた。「いかがなもんです?」彼はもういちど金切り声をあげ、指で紙幣をしめした。「ざっと、こんなもんです!……」

そして、いきなり右足を上げると、荒々しい憎しみをこめて踵を紙幣に叩きつけ、一足叩きつけるごとにはあはあ息を切らし、声をあげた。

「こんなお金、こうしてやる! こうしてやる! こうしてやる! こうしてやる!」それから彼は急に後ろに飛びのき、アリョーシャの前ですっくと背筋をのばしてみせた。その姿全体は、いわくいいがたい誇らしさを表していた。(p.148-9)

うひゃー、やってくれた! いかがなもんです、いかがなもんです! もし日本でドラマ化されるとしたら、大尉役は我修院達也しかいないと思う。

>>『カラマーゾフの兄弟 3』に続く

>>Author - フョードル・ドストエフスキー

>>光文社古典新訳文庫

2007.9.17 (Mon)

歌野晶午『ハッピーエンドにさよならを』(2007)

ハッピーエンドにさよならを(111x160)

★★★
角川書店 / 2007.9
ISBN 978-4048737951 【Amazon

短編集。「おねえちゃん」、「サクラチル」、「天国の兄に一筆啓上」、「消された15番」、「死面」、「防疫」、「玉川上死」、「殺人休暇」、「永遠の契り」、「In the lap of the mother」、「尊厳、死」の11編。

タイトル、および造本通りの黒い短編集。内容としては大真面目な悲劇を扱ったものではなく、眉をひそめるタイプのブラック・ユーモアが基調になっている。悪趣味な話をミステリの技法で演出するのが、この著者の持ち味だろう。歌野晶午というと、島田チルドレンのみそっかす的存在だと思っていたので、ここ10年の躍進にはちょっと驚いていたりする。

本書のなかで特に目を惹いたのが、「サクラチル」、「消された15番」、「尊厳、死」の3編。これらは経済的弱者にスポットを当てることで、一種のプロレタリア・ミステリのような後味の悪さを残している。格差社会が叫ばれる昨今、この分野は鉱脈ではなかろうか。

以下、各短編について。

「おねえちゃん」

女子高生が家族について叔母に相談する。幼い頃から両親は自分にだけ酷い仕打ちをしていたとか。

誤解が取り返しのつかない悲劇を生むという話。女同士の会話が軽快でサクサク読むことができる。真相は別に意外でもなんでもないけれど、女子高生のあっけらかんとした態度と、告白を受けた叔母の心理の揺れが、小説としての味わいを深めている。★★★。

「サクラチル」

隣りに引っ越してきた夫婦の秘密。貧困から這い出すためにある努力をする。

時代錯誤な話が始まったなあと思ったら、なるほど確信犯だったのか。「やりきれなさ」を演出するためのトリックが効果的に決まっている。ミステリの技法はこう使わなくちゃ。★★★★。

「天国の兄に一筆啓上」

天国の兄へ向けた手紙。

掌編。こういう小品が挟まることで短編集としての緩急がついている。★★★。

「消された15番」

貧乏に耐えて育てた息子が夏の甲子園に出場する。

テレビを媒介に異常心理が膨れあがっていく。長いわりに物足りない話だった。★★。

「死面」

秘密のデスマスクを被ってふざけていたら何者かに後頭部を殴られた。

これはホラーっぽいな。舞台が田舎の旧家で、なおかつ意味深なデスマスクが登場する。真相自体はどうってことないのだけど、最後は上手く捻ってあって「おっ」と思わせる。★★★。

「防疫」

娘のお受験に狂った教育ママのお話。

教育が虐待の領域にまで達しているという。まあ、福原愛やイチローみたいに小さい頃から虐待、もとい英才教育を受けて大成した人たちもいるけれど、それは彼らに才能があったわけで。一般ピープルは元々の遺伝子が悪いんだから、どうあがいても無駄だよと思う。★★★。

「玉川上死」

『川に死体のある風景』を参照。★★。

「殺人休暇」

女のもとにストーカー男が香水や手紙を送りつけてくる。

このストーカー男というのが凄い律儀。電話をかけてくるなと言えばきちんとそれに従うし、手紙を送ってくるなと言えばこれまたきちんと従っている。いったい男は何が目的なのだろうか? そして、ノイローゼになった女が下した決断とは? これも捻りが効いている。★★★。

「永遠の契り」

男子大学生が意中の女と結ばれる。ところが……。

掌編。幸せになろうたってそうは問屋が卸さないぜ。★★★。

「In the lap of the mother」

小さい娘をパチンコ屋に連れてくる母。娘の健康や教育への対策は万全だと思っていたが……。

これは上手いなあ。店の中だから熱中症で死ぬことはないし、ポータブル機器で映画を見せているから悪徳にも染まらない。他のマヌケな親とは違うんだぜ! と気を吐いていたら皮肉な結末が。冒頭のエピソードが目くそ鼻くそを笑うというか、パチンコに行ってる身でよく言うよとツッコミを誘う。そして、それを踏まえているからこそ、結末でつい苦笑いしてしまうのだ。★★★。

「尊厳、死」

公園をねぐらにするホームレスの前におせっかいなオバサンが現れる。

ホームレスとオバサンの間にある価値観の断絶。オバサンと中学生を同一視するロジックが素晴らしい。

ただ、最後の捻りは余計じゃないかね。いつものトリックとはいえ、今回は小賢しく感じた。★★★★。

>>Author - 歌野昌午