2007.9c / Pulp Literature

2007.9.21 (Fri)

フョードル・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟 3』(1879-80)

カラマーゾフの兄弟3(111x160)

★★★★
Братья Карамазовы / Фёдор М. Достоевский
亀山郁夫 訳 / 光文社古典新訳文庫 / 2007.2
ISBN 978-4334751234 【Amazon

ゾシマ長老が往生して遺体から腐臭を放つ。その奇跡を目の当たりにしたアリョーシャが動揺する。カテリーナの金を使い込んだミーチャが金策に奔走する。愛しのグルーシェニカと語り合った彼は、父殺しの容疑で逮捕・起訴される。

『カラマーゾフの兄弟 2』の続き。この巻はミーチャの空回りぶりがすごかった。何とかして三千ルーブルを調達したい彼は、金策の一環としてホフラコーワ夫人の家を訪ねるのだけど、その時の会話がまったく噛み合ってなくて面白い。早く金を借りたいミーチャに対し、彼に金鉱の話を持ちかけるホフラコーワ夫人。夫人は相手の会話を遮って自分の言いたいことを捲し立てており、ミーチャはコミュニケーションが成立しないことでイライラを募らせていく。そりゃ散々無駄話を聞かされて最終的に断られてしまうのだから、彼がぶち切れるのも無理はないだろう。2人のすれ違いは、喜劇の古典的スタイルという感じでとても滑稽だ。

誰がフョードル・カラマーゾフを殺したのか? バカの癖に高潔なミーチャは、無意味な「拘り」を達成するために刹那的ともいうべき弾けた行動をとる。血まみれのまま札束を握りしめてカーニバルに興じるなんて愚の骨頂だけど、直情的なミーチャはまったく意に介さないのだから恐ろしい。しかも、とある不可解な「秘密」があまりに都合良すぎるものだから、予審の場で言い逃れのような印象を与えている……。この巻のミーチャは要領が悪いというか、はたまた空気が読めてないというか、とにかくダメ男の本領をいかんなく発揮している。いくら無実を確信しているとはいえ、予審でのやりとりは危機感がなさすぎだろう。

>>『カラマーゾフの兄弟 4』に続く

>>Author - フョードル・ドストエフスキー

>>光文社古典新訳文庫

2007.9.22 (Sat)

米澤穂信『インシテミル』(2007)

インシテミル(113x160)

★★★★
文藝春秋 / 2007.8
ISBN 978-4163246901 【Amazon

時給11万2千円に釣られて「暗鬼館」に集った12人の男女。世間から隔絶されたその地下施設で、彼らは探偵小説を模した命がけのゲームを演じることになる。

よくできたPCゲームのノベライズみたいで面白かった。人を殺すと「犯人ボーナス」が貰えたり、犯人を指摘すると「探偵ボーナス」が貰えたり、そういう非倫理的なゲーム性を前面に出している。たとえるなら、スタンフォード監獄実験をミステリ向けにアレンジしたような内容。サバイバルを成立させるための設定が絶妙だったりする。人工的なクローズドサークルで、生き延びるために知恵を働かせるところは、18禁ゲーム『遺作』【Amazon】を思い出す。

ややネタバレかもしれないけれど、某人物が強烈な動機を抱えているのが気になった。といっても、動機はあくまで仄めかされるだけで、完全には明かされない。どうやらその人物は、顔見知りの命を救うために、やむを得ず見知らぬ他人を殺害している様子。つまり、両者の命を天秤にかけているわけだ。この精神はちょうど今年出版された『虐殺器官』にも通じていて、彼我を結ぶ偶然に思わずぎょっとしたのだった。もしかして近年の流行なのだろうか? なるほど、確かに思い当たる節はある。テロリストが身近な人間を守るために、外国人の人質をとって容赦なくぶち殺している昨今。こういう「命を天秤にかける」行為が、エンタメ界を駆けめぐるのも無理はないのかもしれない。エンタメとは時代を反映させる鏡である、ということで納得しておこう。

以下、本作で言及された本。

  • 『緑のカプセルの謎』【Amazon
  • 『まだらの紐』【Amazon
  • 『隅の老人の事件簿』【Amazon
  • 『Xの悲劇』【Amazon
  • 『第三の銃弾』【Amazon
  • 『白髪鬼』【Amazon
  • 『僧正殺人事件』【Amazon
  • 『二つの微笑を持つ女』【Amazon

ちなみに、E・C・ベントリーはこれ【Amazon】。

>>Author - 米澤穂信

2007.9.23 (Sun)

安部公房『砂の女』(1962)

砂の女(111x160)

★★★★
新潮文庫 / 1981.2
ISBN 978-4101121154 【Amazon

昆虫採集のために砂丘にやってきた教師が、付近の住民に騙されて砂の穴の底にある一軒家に閉じこめられる。そこには1人の未亡人が住んでおり、夜な夜な砂を掻き出していたのだった。

昆虫採集に来たら逆に採集されてしまった! 付近は砂の流動が激しく、毎日砂を掻き出さないと村が潰れてしまう。しかし、村は過疎化が進んでおり、つつがなく掻き出すには人手が足りない。そこで村人たちは、通りがかりのよそ者を監禁して労働力にしている。捕まった教師がリアル蟻地獄でもがく様子は、ベタつく砂の感覚と、田舎の土俗的な匂いが入り混じって、独特の不条理感を醸し出している。砂掻き一辺倒の村の生活は、まるで賽の河原で石を積み上げるような不毛さ。経済活動を目的としない、労働のための労働という意味で、『イワン・デニーソヴィチの一日』を思い出す。そう、逃げ出さない限りは、毎日毎日何年も何年も同じ作業が続くのだ。

女が、にじりよって来た。膝のまるみが、尻の肉におしつけられた。眠っていたあいだに、女の口や、鼻や、耳や、腋の下や、その他のくぼみの中で醗酵した、ひなた水のような臭いが、あたりを濃く染めはじめる。そろそろと、遠慮ががちに、火のような指が、背骨にそって、上下にすべりはじめる。男は全身をかたくする。

同居する女がえらい艶めかしくて、2人はいつ交わるのだろうと期待しながら読んでしまった。男からすれば得体の知れない相手なのだけど、脇腹をつついてきたり、体を密着させてきたり、何かと誘うような仕草を見せている。触覚と匂い、そしてもてなしの態度が妙に色っぽいのだ。男の体を丹念に拭く場面なんて、本番よりもエロくて困ってしまう。

というわけで、この小説は男女の関係が飽和点に達していくところも見所である。

2007.9.24 (Mon)

カート・ヴォネガット『国のない男』(2005)

国のない男(107x160)

★★★
A Man Without a Country / Kurt Vonnegut
金原瑞人 訳 / 日本放送出版協会 / 2007.7
ISBN 978-4140812518 【Amazon

遺作となったエッセイ集。環境問題や創作、アメリカ批判など、アスタリク(ケツの穴)を多用した断章形式で語る。

唯一わたしがやりたかったのは、人々に笑いという救いを与えることだ。ユーモアには人の心を楽にする力がある。アスピリンのようなものだ。百年後、人類がまだ笑っていたら、わたしはきっとうれしいと思う。(p.138)

ヴォネガットにあって大江やル=グインにないもの。それは洗練されたユーモアだろう。環境問題をはじめとしたシリアスな話題を、ウィットに富んだ語り口で多角的に斬ってみせる。論旨だけ抜き出せば青臭い青年の主張のように思えるけれど、本書は知的なユーモアが膜となっていて受け入れやすい。手書きの詩やイラストを交えるなど、まるでボコノン教のようにゆるいのも美点である。重要なのは何を語るかではなく、どう語るかであり、ヴォネガットはイエス・キリスト並に説教が上手いと思う。ヒューマニズムを謳っても嫌味じゃないし、何より読み物として面白いところがポイント高い。

「国のない男」といっても別にコスモポリタンを気取っているわけではなく、ヴォネガットの立ち位置はあくまでアメリカ人である。そのせいか、宗教に対する考え方はすこぶる穏当。ヒューマニズムの実践装置として、キリストの教えを肯定しているのが興味深い。

以下、メモ。

「社会主義」は決して悪いものではない。それは「キリスト教」が悪いものではないのと同じだ。たしかに社会主義はヨシフ・スターリンと彼の秘密警察を生み、教会を破壊したが、キリスト教もスペイン異端審問を生んだ。実際、キリスト教と社会主義は似たようなもので、ひとつの社会を理想として持っている。それは、男も女も子どもも、すべてが平等で、飢えることのない社会だ。(p.24)

すべてが平等で、飢えることのない社会。このテーゼを逆手にとったのが、『カラマーゾフの兄弟』【Amazon】に出てくる物語詩「大審問官」だった。作中では復活したキリストが中世のスペインで異端審問にかけられる。地上のパンを望む民衆に対し、天上のパンを押しつけるキリストは、「飢えることのない社会」を目指す教会にとって、目の上のたんこぶになっていた。かくして、大審問官の前に連れてこられたキリストは、理想の実現を名目に、死刑を宣告されることになる。

わたしは思うのだが、テクノロジーをろくに書きこんでいない現代小説は、現代の人間を描ききれていない。それは、セックスを排除したヴィクトリア朝時代の小説が当時の人間を描ききれていないのと同じだろう。(p.28)

ずいぶん前に、「日本のSFにはサイエンスがない」という評を目にしたことがある。これは果たして的を射た発言なのだろうか。確かに、ハードSFが読みたくなったら、まず翻訳ものを物色しそうだけど……。

いうまでもなく、わたしはニコチン中毒だ。これで死ねたらといつも願っている。タバコの一方の先には火が、もう一方には愚か者がいる。(p.52)

上手いよなー、上手すぎ。「禁煙ファシズム」と闘う人たちにもこれぐらいのユーモアがあれば良いのに。

以下、作品一覧。

  • 『プレイヤー・ピアノ』(1952)【Amazon
  • 『タイタンの妖女』(1959)【Amazon
  • "Canary in a Cathouse"(1961)【Amazon
  • 『母なる夜』(1961)【Amazon
  • 『猫のゆりかご』(1963)【Amazon
  • 『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』(1965)【Amazon
  • 『モンキー・ハウスへようこそ』(1968)【Amazon
  • 『スローターハウス5』(1969)【Amazon
  • 『さよならハッピー・バースデイ』(1970)【Amazon
  • "Between Time and Timbuktu of Prometheus-5"(1972)【Amazon
  • 『チャンピオンたちの朝食』(1973)【Amazon
  • 『ヴォネガット、大いに語る』(1974)【Amazon
  • 『スラップスティック』(1976)【Amazon
  • 『ジェイルバード』(1979)【Amazon
  • "Sun, Moon, Star"(1980)【Amazon
  • 『パームサンデー』(1981)【Amazon
  • 『デッドアイ・ディック』(1982)【Amazon
  • "Nothing is Lost Save Honor"(1984)【Amazon
  • 『ガラパゴスの箱舟』(1985)【Amazon
  • 『青ひげ』(1987)【Amazon
  • 『ホーカス・ポーカス』(1990)【Amazon
  • 『死よりも悪い運命』(1990)【Amazon
  • 『タイムクエイク』(1997)【Amazon
  • 『バゴンボの嗅ぎタバコ入れ』(1999)【Amazon
  • 本書(2005)

2007.9.26 (Wed)

ジョン・バンヴィル『バーチウッド』(1973)

バーチウッド (ハヤカワepi ブック・プラネット)(113x160)

★★★★
Birchwood / John Banville
佐藤亜紀 岡崎淳子 訳 / 早川書房 / 2007.7
ISBN 978-4152088376 【Amazon

廃墟と化した屋敷バーチウッドで、ゴドキン一族の生き残りガブリエルが回想する。バーチウッドはゴドキン一族が乗っ取った荘園屋敷であり、家庭内では狂気が蔓延して諍いを起こしていた。当主の息子として育ったガブリエルは、失われた双子の妹を求めて旅立つ。

バーチウッドの崩壊をアイルランドの暗い歴史に重ねている。後半で明らかになる記憶の断片が、前半から説明なしで散りばめられており、再読すると別の絵図が浮かび上がるようになっている。

文章は気を抜くと話の流れを見失うくらい濃密で、それがゆえに幻惑的な効果をあげている。翻訳には明らかに佐藤亜紀の語彙が混じっていて、原文の格調高さを窺わせるような力の入れよう。さらに、「じゃが芋」や「囀り」など、普通だったらひらくところを、敢えて漢字で書いているところも特徴的である。こういう文章は、一昔前だったらワープロ文化の弊害とか言われていた。

この小説でも双子が不気味な使われ方をしている。一癖も二癖もあるゴドキン一族のなかでも、折り紙付きなのが「彼ら」だろう。「失われた妹を探す」とか言い出したときはどうなることやらと思ったら、なるほどこういうギミックがあったのだ。本作は双子小説としてもなかなかおいしい。

>>ハヤカワepiブック・プラネット

>>Author - ジョン・バンヴィル

2007.9.27 (Thu)

ジャック・タチ『ぼくの伯父さんの休暇』(1952/仏)

ぼくの伯父さんの休暇(112x160)

★★★
Les Vacances De Monsieur Hulot
ジャック・タチ / ナタリー・パスコー / ミシェル・ロラ / アンドレ・デュポワ
アスミック 【Amazon

ポンコツ車に乗ったユロ氏(ジャック・タチ)が、バカンスを満喫すべく海辺のリゾート地へ。天然で人の好い彼は、そこでささやかな笑いを巻き起こす。

サイレント時代の笑いを引き継いだヨーロピアン・コメディ。セリフが極端に少なく、動きと音で笑わせるような作りになっている。どうやらアメリカの騒々しい笑いとは一線を画そうという意図があったようだ。小ネタの寄せ集めなので正直あまり面白くないのだけど、リゾート地の一コマを切り取った、ほのぼのとした雰囲気にはつい引き込まれてしまう。

癒し系といえば確かにその通りなのだろう。一つ一つのネタに破壊力はないものの、とにかく数は豊富である。ボートが真っ二つに折れて鮫になったり、葉っぱのついたスペアタイヤを葬式の花輪代わりにしたり、ラケットでボールを打つときに妙なアクションを入れたり、面白いというよりは特異といったほうが近いかもしれない。当初はバリバリと車が唸る描写をくどく感じたけれど、慣れるとそれがユロ氏のトレードマークに思えて微笑ましくなってくる。

クライマックスの花火のシーンが予想以上に大掛かりでびっくりした。何十もの打ち上げ花火が乱れ飛び、爆音を轟かせ、もうもうと煙が立ち上る。その様子はまるで戦場のよう。最後の夜にふさわしい「狂騒」を演出している。こういう楽しい体験を経たからこそ、バカンスを終えて散会するシーンがちょっぴりせつなかったりするのだ。